進むことについての一考

 私だけでなく、いつも近くにいる人や仕事でふれあう方の何人かが、ある職場の上司についての話になるということはよくある話でしょう。
意地が悪く、自らの権利を振りかざし、どんなところからでも揚げ足を取り、加点方法ではなくどこからでも減点して、相手を貶めることを大原則として、誰もが受け入れられない自らの感情の掃き溜めのような怒りをぶちまける、信頼するではなく人は利用する・利用できなければ使えなくなれば容赦なく切り捨てる、なんて人ではなくその反対の上司の話でした。

周囲を信頼し、任せるべきところは任せ、いつだって周囲のことは考え、自らに与えられた場を隆盛に導く努力を怠らず、いつでも例を失わず、謙虚で自分のことではなく会社や部下のことを深く頭を下げ頼んでいかれる、今回上司の見本のような方の話でした。

私はいつでも私が大好きなので、そのような方の話を聞けば、私とその方の聞いたところがどれだけ違うのか、私がそのことに気づく前に考えています。
結論は惜敗でもなく、惨敗です。その方の良いところは私にとってあこがれの対象となり、その方が光り輝いていれば、私は其の一等星に輝きで負けています。

ただ同じ人間がいないように、同じ土俵だけでその一点で勝負する必要もなく、私は私らしく笑っていたらいいだけです。負けても笑えればいいです。

その時その他何もなかったとしても、思いつかなくても、笑えればそれでいいです。

その素晴らしい方が自らの置かれた場所においての英断が私に真似できないとしても、私なりの答えでいいとこの頃の私は考えます。その方の進み方と私の進み方は違い、違うようで同じで、同じようで違い、本当それは違っていいし、同じでもいいし、何でもいいです。

私は笑って泣いて怒って恨んで悲しみ喜び、ひっくるめて笑って進みたいです。

何に

 「一つずつ」

 迷うとき、何もかも見失ったとき、うろうろしながらでも、思い出しやらなければいけないことは、まずは一つずつ、その一つが終われば、また迷いながら思いついた一つを取り組み、気が付けば時間が過ぎ、溜まっていることも少しは解消され、見失っていても目前のやらなければいけない用事は、一つ二つ三つと終わり、少し重荷がなくなれば、周囲の終わっていないこと、やっておいた方が理由はわからないけれど後で助かるだろうと考えることに時間をとることもでき、時には周囲の抱えている事も一緒に取り組めるようになることもあります。

けれど迷い、悩み、抱え、時にそれは処理できず、周囲に影響を及ぼし、ただそれはよっぽどの関係でなければ、お互い様であって問題はあるけれどないことです。

「一つずつ」

何が役に立つのかわからないけれど、自分がその時つかんだものを一つずつ進め、一体何にこれが役立つのか、そんな自分からの問いを自らではねのけ、笑って進むしかないです。

たずねた答えは

 最終に差し掛かり、思ってもいないことになる気配が濃厚で、ただその方がとんでもないことにあうとしても、身近な方にたずねてみると「それはその方は自業自得だからしょうがない」と即答され、いつもであり今更ですが自らの言動は自らに帰ってくるのだとあたりまえのことを思い知らされる答えでした。

私が容赦するとか情けをかけるとか、そんな権利や役職にもあてられてもなく、私がその今までのことを代わりに償えるものも持たず、先ほど小雨に打たれながら外を歩き

「自らの言動は自らで・・・」

その自らの言動が大きすぎれば、その帰ってきた人がどうなるのか、強気な冷酷な時の私は

「どうなるかわかってやってきたのだから、自分ですべて受け取れ」

誰よりも強く言い放っています。ある意味過酷ですが、それはあたりまえのことです。

もし、「代わってもいいです」という奇特な責任のとれる方がいたら、代わってあげたらその人は助かるでしょう。代わった人はどうなのでしょう。

もう少しでその答えが出てきそうです。

お月様

 偶然今日は私は仕事が休日をいただき、十何年ぶりに仕事を始めた家内はまだ仕事や人間関係にいっぱいいっぱいで、それはいろんなところへしわ寄せが来ます。
結果で言うと私の収入が多ければ家内を働かせず、家事と育児にいそしんでもらいたいですがそれは現在では最高の贅沢であるし、現在とこれからのことを考えるまでもなく働かなければいけません。

いつもなら家内は9月に月見の用意をしていました。今年は遅れて今日私がススキを取りに行って、洗濯・掃除・晩御飯と明日の朝食の段取りを済ませ、美味しく皆で晩御飯をいただいたあと、縁側のない我が家ですから、ちょうど玄関をでると目の前にまん丸のお月様が浮かんでいたので、そのまま外にススキを花瓶にいけて外に飾り、団子を家内と子供たちが楽しそうに作ってくれていました。

お月様をみながら、だんごとススキを供えて、皆で団子にアイスをかけて外で食べる夜となりました。

私も仕事を始めてから、人間関係・仕事の問題・その他様々な問題が大きくなれば大きくなるほど、家のことや細かいことはおろそかどころか、顧みることも考えることも、ありのままにみつめることもできていませんでした。
やはり私が仕事を始めた年数は先輩ですから、家内が仕事でいっぱいならこちらが気が付いた時くらいは、何かしなければ私の存在なんてあってないどころの騒ぎではないです。

曇っていましたが、お月様はまるく輝いていました。

外はもう風が冷たく、「けいくん」を上着の中に入れながら一緒に座って団子を食べて眺めました。家内は子供たちに

「大人になったら自分の子供たちと、一緒にお月見してね」

そうお願いしていました。


遠くから太鼓の音がかすかに聞こえ、一層お月様が綺麗に思えました。

自らの井を捨てず、他の井をのぞく

 しばらく前から浄土と中国禅そして永平寺道元について少しゆっくりと学びを進めています。
親鸞・法然・日蓮・道元・栄西、鎌倉時代(あたり)における仏教であり、日本の代表的な仏教と呼ばれることもあります。ただその多くというかほとんどが、天台宗の比叡山から輩出しており、それと並行しながら真言(も他の宗派)も存在しています。
私の井戸は真言ですので、禅や浄土が世界的に有名であっても、真言(弘法大師の教え)を通して他の宗派と世界と現実をみています。

私が他のキリスト教や真言以外の他宗派を学ぶのは、自らと自らの井戸である真言がわからないから、他の理解していないわかっていない宗派や教学を学び、一体わからない二つがどう違うのか、それぞれの善さ、それぞれの(私にとっての)難点、それぞれの私が理解できない点を比べて、私はまた私の井戸と私に帰ってきます。

元々インドからはじまった仏教は北伝ルート、南伝ルート、東南アジアの国々へ、日本へは中国・朝鮮を通じて伝わって、それぞれ時代を貫き、多少形を変え現在日本に仏教が現存していることは事実です。
中国では何度も廃仏があり、最後の廃仏では仏教がほとんど焼失し、真言密教だけでなく天台も華厳も法相も三論も、滅び、易行であった浄土、お経に頼らなかった禅が南宋時代に圧倒的に中国には広がり、当時流行していた禅を求め栄西や道元は中国へ渡り学び、鎌倉時代に禅が広がり、時を同じくして浄土(法然や親鸞)の教えも広がり、それこそが日本の仏教の代表であるかのように現在もそれは名を馳せています。
ただ奈良の大仏で有名な東大寺は華厳であり、高野山は真言であり、比叡山は天台宗で他にも各宗派の本山が現存しています。それぞれ各宗派で諡号をいただいている祖師がおられ、けれど大師をいただかれた方のなかで真言宗の開祖である弘法大師は全国の数々の伝説も圧倒的に多く、「大師は弘法にとられ」などの言葉すら残っています。(隙あらば私は自分の井戸に帰ってきます)

ただ贔屓をなくして他の祖師を調べれば調べるほど、素晴らしいを通り越す素晴らしさがあり、出会う順番さえ違えば、私の井戸は最初に出会った素晴らしいものであっただろうと思わされます。

公案・只管打坐・念仏・題目・三密加持、出会いは本当に重要であること、出会う時期も重要であること、通り過ぎるか何より大切であるかと思える出会う瞬間か、けれど私は愚かであるから私の信ずる井戸は変えようともせず、私なりの突き進み方で貫いていくしかないと学んでいくうちに思い知らされます。

たとえそれがやり方が間違っているとか、おかしいとか、もっと他にあるだろうとか、地獄に落ちるなど言われたとしても、そんなことを微塵も感じさせず、「それでも私は私の信じるところを貫いていくのです」と真摯に伝えれるか

私のその一点にかかっているという話です。きっと他の自らの井戸から広い世界をみる方も同じでしょう。

面倒

 昨晩いつもより少し湿った温かい風が吹いていると思えば、晩から強い雨が降り出し、何故か眠れない私は強い風と共に吹き付ける雨音を聞きながら、眠れないものに夜は長いことを今日の仕事中にいつもより重く感じる自分の体で、夜はよく寝るに限るというあたりまえのことを思い知らされていました。
仕事が終わって、家事を少ししながら子供たちの明日の学校の用意などに指示を出し、「けいくん」と一緒にお風呂へ入り、お風呂から上がれば、家内が仕事から帰宅して晩御飯を作っていました。

誰かがご飯を作ってくれることは有難く、段々と気候も冷えていきますから、温かいものを美味しく皆でいただけることも有難く、おなか一杯になって、ウォーキングの誘いの前に少し仮眠してから、小雨の中ウォーキングをして仕事の話を聞きながら、雨が強くなる前にいつもより早く切り上げました。(眠いからもあります)

家内は仕事でも悩んでいます。当然対人関係でも悩んでいます。それは上手くいかないから悩んでいます。暗中模索で誰もが最初は悩み、次第に慣れたと思っても悩み、随分慣れても悩むことがあります。当然悩まないという人だっています。
それぞれのスタンスがあって、それは私にとって個人差ですから、仕事は仕事をすれば解決することが多いです。私の中で腹が立てば仕事に前以上に力を入れていきます。その力の矛先を仕事に変換するといったようなことです。シンプルな考え師か思いつかない私は家内へ

「仕事に行ってお金をいただいているのだから、仕事中は仕事をする。いろいろあるだろうけれど最低限の礼を失わないこと」

何が守ってくれるか、それは自らの時間の積み重ねだと、まあ私はちょっと変わりものですから、いつでも自分の信じるところを貫いていこうとします。それによって随分損もするし、ときに大損もするし、とんでもないことにあうこともあるけれど、自分が信じるところを変に固く貫いていこうとします。ちょっと世の中でそれおかしいんじゃないかなんてことに協調はできるだけしないようにしています。気が付いていない場合は一緒にしていることもあります。気が付けば世の中でそれは通らないことは手伝えないと言う私がそこにいます。私の反対に位置する人たちからしたら、私は本当面倒くさいと思われているでしょう。

いろんな意味で私は面倒くさい人だと自分でも思います。(今日は早く床につくことにします)

通常へ

 特に問題が解決したというわけではないです。けれど通常ではない、つまりは異常事態が日常となれば、近くの方ほど影響を受け、心だって落ち着くわけもなく、他人事なのに自分が落ち着かない。

「普通にして下さい」

解決しておらず、とんでもないことが頻繁に起こっていることは変わらないのに、普通に何事もないかのように振舞う私をどうすれば出現させられるか、そのことでしばらく考えさせられました。
簡単な答えとして「そんな難しいことはできないだろう」けれど、普通にせねば周囲が落ち着かず、慌ただしくなり、余計に心配をかける。普通に振舞うしかないのです。ただそんなことを周囲に話せば、皆少し普通に振舞おうとされ、私もそれは見習わねばいけないので、普通にするのです。

気が付くだけのことは行い、あとは普通にするだけのことにします。

少し肌寒い夜風にあたって、頭を冷やさなければいけません。

 仕事が終わって、迎えに行き家路につく途中、いつの間にかコスモスがあの子の背を抜いて育って、白やピンクの花を咲かせて、彼岸花(曼珠沙華)もみることができ、良い香りがすると思えばキンモクセイも咲き、甘い匂いに包まれながら帰るのでした。

晩に家内とウォーキングに出ても7時過ぎにはもう真っ暗です。随分肌寒く感じる気候になり、身体を温めるためにいつもより速度を上げて歩くことになり、そのうちその冷たさにも慣れ、秋の夜の中を歩き続けるのです。

そろそろお月見の用意をしないと、おぼえているときは皆で団子を作って、ススキを飾り、最後に美味しくお団子をいただき、笑顔になれます。周りの田畑もほとんど稲刈りも終わり、太鼓などが夜遠くから聞こえ、祭りの雰囲気を伝えてくれます。

今年も気が付けば10月、本当にいろいろあり、ここまでなんとかこれたことはさいわいです。

さまざまなことに感謝したいです。

できるだけ普通に過ごし、楽しむときは楽しみ、やるべき時にはしっかり行い、一つずつ、一日ずつ、少しずつ進んでいきたいと願います。

私に悪いところは沢山あります。せめて今までに痛い思いをしたわかっていることくらいは気を付けてのぞんでいきたいです。

誰に向けての(私が)思う本質

物事がうまくいかないときに

「どうしてなのか」

そう相手に対し問いを発する仕草・態度・言葉が向けられることがある。(他の方のことよりも私が真っ先にそんなことを大きな声でも独り言としても発している)
大抵のこと、これまで自らが行ってきたことを振り返り、自らの言動がその過去の現実にそぐわず、悪いことばかりであれば他人に対し「どうしてこのようになったのか」と問うより、自らにそのように問うしかない。それにはやはり相手ではなく自らが答えるしかない。

どうしても答えが出ないのなら、ありのまま自らがしてきたことを複数の味方ではない方に告げ、ありのまま思ったまま言ってもらえばいい。それが「どうしてなのか」を満足させる答えになるだろう。


何か人間として自らが置かれた場所にとって大切なことより、損得や目 先の利益などを優先させる答えを選んだとき、やはりそれは選んだ方の自己責任となる場合が多い。「仕方ない」とは自らではなく、周囲の方が言われれば責任も軽くなるだろう。

「どうして(こんなことに・こんなはずでは・・・)」

努力して、世間一般の道理を犯すことなく、自らの言動の責任は自らがとるという、あたりまえのことを行っていれば、周囲からかける言葉も存在している。優しい方助けてくれる方もいるだろう。
そうでなければ、そうでなければ今までのことは自らが全て責任をとるしかない。

誰にでも訪れるあたりまえのことを避け続け逃げ続け誰かにおわせて逃れていれば、そのうちひょっこり自らに遭遇する。

「やあ、こんにちは、私の言動」

それを消したいと願うか、笑い話にできるか、目を背け続けるか、他人のせいにして逃げ続けるか、自らで責任をとるのか


いずれにしてもその本人による。



本当私は人のことを言えない・・・

変わらず

 とりたてて何も変わっていないようにみえたり思われても、逆もまたしかりで、何もないようでふとした時に、予想もしていない来てほしくないことで、吹き飛ばされそうになったり、倒れてもう起き上がれないのではなど、何も変わっていないのですがそんなことがあることに自らも他者もあり、変わらないのです。

周囲に多大なる影響を与えることなく、予想を超えた事態に対処してほしい。これを一言で「長くなりそうだから普通にして」そう頼まれました。私は不出来な発言をその辺りにこぼしています。「とんでもないことを普通にこなし、普通の行動だけでいくなんて、普通じゃないのにできるわけが・・・」まあ何事もやってみるしかないです。

怒りは忍耐によって無くして、怨みは優しさによって無くし、優しくなければ優しくして、普通でなければ普通にしていくだけです。


ここのところ私にとって、私の普通ということがどんなものかをよく考えさせられます。

聞くにも

 私は時に他人が何を言っているかということが気になることがあります。
どうもそれは私だけではないようで、自分の他人の評価が気になる人も気になるようです。悪いことや嘘をつく人もその悪いことや嘘を出している自分が他人にどういわれているかを気になって、こっそり「壁に耳あり」を多用する方を見かけます。なかなかですよ気になったとしても、「壁に耳あり」というのは意図的に聞きに行く、つまりは世間でそれを「盗み聞き」を率先してするということに判断されます。

その行為が善いとか悪いとかの判断は、その行為を見た方やそんなことをしていたという発言を耳にした方が勝手にしていくことです。ただ常に盗み聞きしたいということを現代の文明機器に依存して盗聴器をしかけると、犯罪となります。

そんなに他人の言うことが気になるのなら、常に努力して自らの見た目ではなく中身を付けて、悪いことや嘘を減らし、善いことを一つでもしていけば、「盗み聞き」なんてする必要がないのですが、人間は弱い生き物で時に流されやすく愚かです。他人のことはともかく私は愚か者の代表格なところがたくさんありますから、気になって聞きたいとよく思い、努力しなければいけないのに努力を怠り、他人の揚げ足をとって鬱憤をはらすようなこともしていたり、善いことを願っているのに、嘘や悪いことをしてしまいます。

他人のことをとやかく言えない私という、ただの私の現状しか浮かび上がってこない、それだけです。


きっとですね

自らがしてしまった悪いこと、嘘など、それが消せる消しゴムがないのに、愚かであるからお酒を飲めば一時的にそれを忘れたかのように錯覚する弱い私は、今日も一杯やっています。

私の愚かさというのは、悪いのですが私の個性、ときに他者に

「あなたって本当にあほなところがあるね」

そういって私のことを笑って許し、認めてくれる人がいるので、私の愚かさはいつまでたってもなくならない、いやときになくしたらだめなのではないか


酔っぱらいは戯言のようにそんなことを頭の中で負け犬の遠吠えのように何度も繰り返されるのです。

落ちる

 書物をみて、時に感動して、それから自分の過去や思うこと願うことこれからに何かを重ね涙を流すことがあります。
昨日は久しぶりに感動する文章に出会い喜ぶというより嬉しくというより、安心するというより、それに出会えた達成感というか、とりあえず驚き感動しました。

それを知人へ伝えるとその方は涙をおとされていました。

ここのところ物騒なことばかりで、家内に迷惑をかけてばかりで、子供たちのことを構ってやれず、けれどそれでも私は今やらなければいけないことへ時間を割かねばならないとしか思いません。

家内の機嫌を損なうでしょう。

大切なことだからと、言い訳をして出かけてきます。

動かざること尊し

 長男が小学生の頃、よく偉人伝シリーズの本を借りてきて、私へ嬉しそうにその本を見せてくれたことをはっきりとおぼえています。彼が私に初めて偉人伝の本を借りてきて言った言葉が

「お父さん、学校で偉人伝シリーズを新しく購入したんだよ、すると皆がどれを借りるかでとりあいになって、変な侍の人が残った本しか借りれなかったんだよ・・・」

そう言って見せてくれた本は、子供が薪を背負いながら本を読む姿ではなく、その方が大人になった大人の侍の姿が描かれた本でした。


二宮尊徳
二宮尊徳(1787~1856年)は7代目團十郎と同じ時代の人である。彼は道徳と経済とを調和させて農業を実践しかつ指導した。相模の人で六〇五ヵ町村を開発復興したが、その中で小田原藩主大久保氏の分家たる宇津氏の領土―野洲、桜町領―の復旧は難事であった。
 彼は現地に着任後、いくつかの事件が発生した時、一八二九年一月四日、突然「公用のため江戸に行く」といい残したまま姿を消し、それから九十日余日たって四月十日に戻った。問題は人の和を欠く点であった。尊徳はそのあいだ三月に成田に現れ、断食参籠した。時の住職照胤は尊徳に遇い「病人でもなく、金銭に困るのでもなく、営利を求めるのでもなく、災難に遇ったとも見えない貴下が、何を祈願して断食修行するのか」とたずねた。かれは事情を説明し、人民を救うためにはこの身を火中に投じてもよい、と断言した。
 そこで照胤は『聖不動経』を教えたところ、尊徳はこれを受持し書写した。その時の和歌が「心あらば成田の山にこもりなん石の上にも岩の上にも」である。そして三七二十一日の断食をおえると、休むまもなく、その日のうちに成田を立って二十里の道を歩いて桜町に帰った。その翌日から休まずに村の巡回を始め、ついに難事業に成功した。
 のちに自室の床の間に不動尊の軸をかけていた。人から問われて、桜町のことを回顧し、次のように答えた―「あの時は人民離散、土地荒蕪、手のつけようもなかったが、成否のいかんを問わず、生涯ここを動かないことに決心した。たとえ事故ができて背に火が燃えつくようなことがあっても、生命をかけて動くまいと誓った。しかるに、不動尊とは『動かざれば尊し』と読める。その名の意味と、猛火に背を焼いても動かぬ像と信じ、この像を掛けて妻子にも示すのである。自分が今日到るは、不動心の堅固一つにあり、よって今日もなおこの像を掛け、その意を示すのである。」
 戦前には「手本は二宮金次郎」とうたわれ、各小学校の校庭にその立像が置かれ、現在もなお全国には彼の信奉者が多い。その尊徳も危機を脱するにあたって成田に断食祈願し、生涯変わらぬ不動尊信者だったのである。



彼は大人の私が違う本で出会った上記のこととは別に、その二宮尊徳の本を読んで感動して、それからそのシリーズを何冊も借りてきて目をキラキラさせて私にそれぞれの本の素晴らしさを教えてくれました。

「よかったね」

私はそう長男に言いながら、それは私自身へ向けられた言葉でもありました。彼が読んで、彼が寝た後に私が読んで、次の日その本について語り合って、彼は本の魅力にとりつかれていきました。まあ若いころのそれは流行り病みたいなもので、すぐに何かほかの流行り病へになっていきます。

いつか、自分の道が見つかったときにそのことが必ず役に立つから、その時は「動かざること尊し」動いていても動いていない、動いていなくても動いている。そのことが大切になることを身に染みる時がくるでしょう。

(今日も、誰かのコメントへの酔っ払いの返信となります)

盟友

 弥勒の語源であるミトラは盟友・善友をあらわし、シャーキャムニ・ブッダの後、仏として現れることを約束された次のブッダの名前がマイトレーヤ・ブッダであり、修行中を弥勒菩薩と呼びます。

弥勒信仰には修行しておられる兜率天に一緒に行きたいと願う信仰と弥勒がブッダとしてこの現世に現れるときに一緒にと願う信仰があります。その違いは私としては大きな問題にも争う必要もないことです。

我々にとっての盟友・善友であり菩薩のような方、真言宗を信じる方はそこに弘法大師(空海)さまをみるのです。ここでも弥勒さまがお大師様かそれとも弥勒様とお大師様が一緒におられるのか、そこも特に争点にする必要のないことです。信じるということと、信じるありかた、自らの信ずるところはひとそれぞれです。

お互いを理解し認めあうことが一番大切なことです。

また、弥勒様だけに固執せず、観音様、お地蔵様、お不動様、阿弥陀様、特定のお経、また深い叡智・強靭な実践力を感じさせる僧侶など、何をどう信じるかも、人間的完成を目指すのであれば何がというのは問題にもなりません。仏か法か僧か経のどれが一番なのかということを争点にする必要がないということにもなります。

現在に生きる真言宗僧侶はそれぞれ真言宗の師僧がいて、その師もまた師僧がいて、行きつけば弘法大師さまへたどりつき、弘法大師さまの師僧もおなじでもっとたどれば、シャーキャムニ・ブッダまでたどりつきます。

未来に生きる人類のために、ブッダはマイトレーヤがブッダにと授記し、仏教を信じるひとはそこに未来へ希望と確信をみるのです。

親切な人・優しい人・恩人・危険なことを知らせてくれる人・ものくるる友・祖父母・両親・友人・知人、生きてふれあう方全てが私にとっての観音様と呼ぶ方もあり、仏と呼ぶ方もあり、そこにさとりありとみるかたもいます。

善いこと・善い人だけでなくその中間とその反対に位置するものにもまた、ひとつの何かがあります。

「それを何とみるか」

いたらぬ私は恨みや怒りとみて、頼まれてもいないのに自らと世界を汚してしまうような行為をしてしまいます。


(酔っぱらい、おもいつきで記してみました。最近あまり調べていないので同じことばかりを繰り返している私をみます。)

彼岸

彼岸ときけば、子供の頃を思い出します。祖父が七人兄弟の長男であったので、彼岸・お盆・正月には祖父の兄弟親戚、父の従妹がまたその子供さんが一緒に仏壇を拝んで挨拶して帰っていたことを思い出します。
もし用事で家族が留守でも田舎だから玄関は空いていて(というか鍵かかってるおぼえがないけれど)、お仏壇におはぎやお供え物がおいてあれば、誰か親戚の方が仏壇をお参りして、ご先祖様へお供え物を置いて行かれたのだとわかりました。父母はその品物によって「どこどこのおばちゃんがきたんだね」なんてことがわかっていたようです。

最近は兄弟も減り、親戚づきあいも私の子供のころより希薄になっています。そのことが悪いことだとは思いません。昔は情報伝達手段もなく、自らが育つ集落内で助け合って、集落の助けより身近な助けは親族・親戚一同となっていたからでしょう。

「お互い様」とはそんな時にピッタリあてはまっていた言葉なのだと考えます。

ただ最近でも困ったときに、親族・血族でなくても見知らぬ人でも助け合うときには、やはりその「お互い様」がありがとうございますや何故助けてくれたのですかの問いに対し、「お互い様だから」とこたえられます。

彼岸の対の言葉は、此岸です。

「此の岸から、彼の岸へ」

これは仏教の浄土系の言葉で例えれば、極楽と現世とあらわしてもよいかと思います。

「お互い様」と困ったときに言い合える仲やその瞬間は極楽です。

悪いことばかり続け、それを他人に擦り付けたり自らがその言動を受け取らなければ、その方もその周囲も現実世界が地獄に思えます。悪いことの特徴に嘘は必要不可欠で、本当に嘘をつけばその嘘を本当にするためにさらに悪いことをしてさらに嘘をつかねばいけないという現象もあります。

よって現実世界が「火宅」と譬えられることもあり、(悪しき)煩悩が燃え盛る状態と呼ばれ、その(悪しき)煩悩が滅した状態を「涅槃(寂静)・ニルヴァーナ」とよばれ、それは一つの覚りともいわれています。

誰かが彼岸の行事の話で言っていました。

「自らを正しくみつめ、自らの悪いことはできるだけ生じさせないように、しあわせや良いことは沢山でてくるように努めましょう」

簡単なことが一番難しいとさらに言われ、けれど皆様にはその簡単なことをお願いしたいと言われていました。

私にとってのお彼岸の思い出は、おばちゃん(祖父の妹)がいつも作って仏壇にお供えしてくれたのを、美味しいといって食べていた思い出や、お賽銭で100円があったらお小遣いがないときにそれをもって遠くの店に買い物に兄といったこと、良い事悪いことそれぞれいろんな思い出がよみがえってきます。

祖父も91でなくなり、祖父の兄弟も後はおばちゃん一人だけになりました。私も気が付けば40と一つ二つ歳を重ね、移ろい変わりゆくものにさまざまなことをみています。
もっぱら私は愚か者と変わらずよく迷う担当代表であります。お酒をいただきさらに迷うことにしてみます。