蒸し暑い夏の日

 八月四日 (金) 晴れ
 いつもより風が強く、またいつもより蒸し暑い空気を感じる日でした。仕事をしていればどなたも忙しいことばかりです。ただ近くに梨園があって、梨に携わる方はこの時期忙しいと近くにいる方が教えてくれました。
家内は梨が大好きです。私があまりお会いしてお話したことはないけれど知り合いの方は梨の応援団団長です。

あたりまえのことで自らがよくなることはどなたもが採用すべきことです。ただ自他共にしあわせであるようにと願う方は私は敬意を払い続けていきたいです。

夏もまだこれから暑い日が続きます。この辺りではお盆がそろそろ始まり、阿波踊りも鳴門市・徳島市と盛大に行われ、近くも遠くでも夏祭り・花火大会が開催され、子供達にとっての夏における醍醐味です。

これからが本番で、正念場であり、スタートです。


善いことであれば、どれだけ努力しても無駄になることは何一つないです。あらかじめなされるべきことにどれだけ全身全霊を注げるか、それは誰にでもできることではないです。



私は理想(絵に描いた餅)が大好きです。

迷い

 時の流れを感じず、気が付けば一時間と言われ、びっくりしました。

迷うことが悪いと断定はできません。

迷っていることに気が付いてないこともそうです。

さらに迷うこともそうです。

迷いが晴れたと感じた先に迷うこともそうです。

どの沼にじわじわと沈んでいくような感覚もそうです。

一体どこに足を進めているか、進めているのかどうかという感覚もそうです。

やけに時間が進まない感覚が続くこともそうです。

何かに集中しようとすればするほど集中がはるか遠く感じることもそうです。

善いことを考えたいのに、悪いことばかりにとらわれることが多い時もそうです。


自らを自らでとらわれを作り続け、もがけばもがくほど絡まり、蜘蛛の巣に捕まった夏の蝉をみて違うことに思いを馳せる夏の日です。

楽しく時が過ぎ、よくとらわれ、よく悩み、よく迷う。


(昨日からですが、しばらくお酒はやめようと思う日でした。)

 連休明けの仕事、変わらずしっかりと仕事を行う。夏は暑く、この暑さはしばらく続くでしょう。見方を変えれば冷たく、さらに変えれば熱く、夏です。 
後になって言い訳をしないように、やり残したことのないように、悔いのないように

あらかじめ なされるべき努力 まさにそれである



私の過去(こころ)をみれば、いとも簡単に理由がわかります。

「楽に逃げてよいことはなく

目先の問題から目をそらしてよいことはなく

誰かのせいにしてその時を終わらし先延ばしにしてよいことはなく

誰かを責め立てるだけで済ませてよいことはなく」

私の中に「誰かと何かのせいにして、逃げ続けてきた私」がそびえたつ山のように、隠したいけれど隠せずあるのです。


背負うことをやめて、楽に走っていることすら気づかないその時の私

誰かのせいにして文句を言って、何もしていないことから目をそらす私




物事が終わってしまえば、もうどうしようもない現実が訪れるだけです。



最近

 冷静にあったことをまとめてみると、事実が幾つかあって、その事実をつなげていくと、悪い方向であれば、その方の問題と現状が浮かび上がり、それはその方が責任を取らなければいけないことです。ただ善いことを成していれば何も誰もいう必要もなくなります。

八つ当たりというか、当たりやすい人に言う方もいます。当たられても身体もこころも痛くなく、問題の原因を続けている人に言っていただければ、その方が当人だから、単刀直入でいいのに、関係なく言われる人はたまったものじゃないので心中お察し申します。

落ち着かず、そんな他人のことを言ってるそばから、短気になって角のある言葉が出ていることがあり、家族に余計な負担をかけることもあります。他人のことをあれこれより、やはり自らです。
日々楽しく笑って、善いことを書きたいです。ここのところ、現実問題にとらわれすぎて、ここがはかどっていない言い訳としておきます。

仕事に集中していくことにします。

あの花

サブタイトル「あの日見た花火の名前を僕たちはまだ知らない」
どこかの二次創作からスタートします。

先日から徳島市の花火大会が引っ越しして、見晴らしの良いところに代わり、子供達も家内も私も近くまで行かなくても、花火を楽しむことができるようになりました。家内は喜んで花火を楽しんでいます。
(以前花火大会の思い出の記事を書いたことがあります。クリックすれば過去の記事へ飛べ私はその頃へいつでも戻ることができます。)

長男坊は中学三年の思い出を作りたい、本人からの言葉はそうではありませんでした。

「お父さん、遠くで花火大会があるんだ。だけど花火があがるのは夜の9時からで、うちの門限は夜9時だから、僕は諦めようと思うんだ。」

彼は厳格な私がハウスルール重んじることを察して、ダメ元で私と家内に友人たちとの付き合いの大切さを訴えていました。ただ私はハウスルールを優先して一度は断りました。

彼の幸運は、その花火大会は何日か連続して行われ、私は遠くで上がる花火を見て、遠くで見る花火大会と、真直で真上を見上げ鼓膜がびりびりするような大輪の花火の連続が子供心にどれだけの感動をもたらすかということを大人になった私は忘れていました。
家内と結婚する前に一緒に見た倉敷での花火大会、それを思い出しました。

「お兄ちゃん、門限は今回は免除するよ、ただ女の子がいるなら、女の子に何かあったら責任が取れないから、男子友達だけならいってきていいよ」

「男だけしかいかないから安心して」

「そっか、それなら車に気を付けて、無事に帰ってきなよ」

彼はその日、鼓膜に響く花火の音、真上を見上げる花火の醍醐味を満喫して興奮して、友人と見たあの花火の思い出を忘れないことだと私は思います。

私も彼も


「あの日みた花火の名前を、僕たちはまだしらない」


(私は今日もただの愚か者です・・・)

 今日も暑いです。今年の蓮の花は一気に咲いてすぐ散ってしまいましたが、次へつながる種子が育っています。花が散れば葉も緑、茎も緑、花托も緑、種子も緑、青々としてそれはそれで美しく、そう思う瞬間は暑さを忘れていました。 

ここのところいろいろあって、こころの浮き沈みが激しく、一喜一憂の連続です。


一生懸命身体を動かし、汗を流し、知恵を絞り、日々努力する方をみて、花ひらくように


気が付けば同じことを書き続け、理解できないことを理解しようとして理解できるわけもないことにとらわれる自らをみるとき、どっと疲れます。

できるだけのことをしていくことにします。

相違

 「何をみて感謝するか」
そのような問いがあることは稀で、通常の会話において、その方の答えは現れていて、自らの身勝手や狭い見解との差がつらい時がありました。
現在の私は相手とのその差を楽しめれば、お互い笑って時が過ぎていきます。

誰かにとって簡単なことが、私にとっては断崖絶壁のようなものであり、私にとって容易なことが稀に相手は困難であったり
それは

「何をみて感謝するか」

そう問うよりも

「何を怨みとみるか」

「何を怒りとみるか」

そんな目前の事(問い)に(嘘偽りなく)対する、その方の言動で随分、この方とは「合う」「合わせることが難しい」と出てきて、ただ一瞬でその方の全てなんて私には理解することが無理ですから、「同時(同じ時を過ごすこと)」は大切です。

「愛情」・「優しさ」・「情け」

情けないことですが、私に難しい言葉です。

花托(かたく)

 一日空いて、蓮の花を見れば、中心に花托がしっかりできており、可愛らしい緑色のドングリに似たまだ小さい種がしっかりみることができました。これからどんどんどん大きくなって、しっかりと種を残して欲しいです。
来年のことを考えなければいけません。
今年は植え替えも出遅れ、鉢も今より大きめのものを、せめて後二つは用意しなければなりません。見栄えがよくて大きな鉢となると値段もそれなりにします。これについてはもう少し候補や他の方法を模索してみます。後は土と肥料、これも今年みたいにならないようにする予定です。

今年もまた美しい薄桃色の花が咲いて、ささやかですがこころを満たしてくれました。蓮に感謝です。

もっと色とりどり沢山に咲くようにしないと、毎年進歩がないですから、来年は二つ以上の花を目指してみます。

日々、こころは動揺して、つい最善のことではなく、悪い結果になるのではということが払拭できません。


「三界は安きことなく、なお、火宅のごとし」 法華経 譬喩品




「もっと蓮のように

もっともっと蓮のように

美しく咲いていきたいです

何ものにも染まらず

皆の(そして私の)善いところが

花ひらくように」

夏のとある休日

 有難くお休みをいただいていました。この時期は夏休みですから、三人の子供たちが家にいます。家内が仕事に出かける前に

「お父さんがいる時にしかできないこと(難しい宿題など)みんなそうしたら」

ということで、朝早くから「けいくん」の自由研究に取り掛かり、「ありが何のエサによく集まるか」という研究を日差しを浴びながら、写真を撮ったり、バッタをとってみたり、蝶を捕まえようとしたり、その合間にどれだけ集まったか観察して記録しました。
その後は二人の兄たちへ宿題・手伝いなどの指示をして、家の中にいたら電化製品に偏りますので、庭に随分空気入れが小さくて空気を入れるのに時間がかかりましたが、無事プールを用意して、「けいくん」専用として入ってもらいました。
暑さと青空と少し風があり、快適に遊んでいました。一人だとやはり寂しいらしく何度も

「おとうさーん」

そう言って少しのことでも報告したり呼んできますから、私も観念して水着と麦わら帽子を出し、しばらくプールに付き合いました。
一緒に小さい小さいプールに入って、寝そべって、風と青い空と鳥と水の心地よい冷たさのなかで時を過ごしました。
ここのところいろいろあるから、こういうことがどれだけ有難いことだと思えるかという有難いことに気が付かされ、少し心が軽く、凝り固まり狭くなった心がひろくなったように感じました。

自由研究ではしゃぐ「けいくん」は蝉を捕まえようとしたり、蝶をと動き回っていましたが、蝉時雨、トンボが飛び、バッタがいて、ミツバチがいて、ハトが鳴き、アリがどのようなエサに集まりやすいかの研究の過程でも、虫と自然と青空と暑さ、本当あたりまえのことをみてあたりまえにとれていない私をみる日でした。

「けいくん」は喜んでいました。

私も慣れないことで疲れましたが、喜ばしいことでした。

花ひらく

 蓮がつぼみから、咲きかけて、ただ生育の手間を惜しんだ分完璧に美しいはなとならず、それでも花は花で、嬉しくしばらく眺めた後画像に納めました。

いいことばかり花ひらくのであれば、何も言うことがありません。

時に皮肉な花も、それどころか誰もが望まない悪の華ですら開き、やがて結実してしまいます。


考えてもわからないこと、どうなるかわからないことは、今は考えず、できるだけ前に向いて進めるよう、何に役に立つかわからないけれど、わからない何かを求めて。

いろいろなことがありすぎて、一日気が付けば終わって、やめようといっていたのにいろいろと考えています。

(今日はお酒はやめます)

明日

 今年の予定であった蓮の植え替え、一鉢しか鉢を用意できずに、一つだけ越冬した蓮を植え替えしていました。種から育てて初めて咲いた三年物でしょうか
言い訳ばかりです。今年いろいろあって植え替えも蓮の手入れや肥料などおろそかになり、いつになっても花芽が出ず、近くにいる方から
「今年はいつ咲くんですか」
どうやら今年咲かないような気配を見越して、少し意地悪な気配がその言葉に宿っていました。
「蓮に聞かないと」
それからしばらく世話を続けて(といっても専らついた虫を水圧で飛ばしたり、シャワーのように水をかけてあげたり(鉢の減った水分補給を兼ねて)、(自称)優しい目で見守ってみたり、すると少し前に友人が訪ねてくる前の日に、一つ花芽がでていました。
その友人には花蓮の種をあげたのですが、それはどうなったとついでにお尋ねすると
「まだ植えてなくてそのまま」
「えー、あの時植えるっていうから惜しいけれどあげたのに」
それから小さかった花芽をしばらく二人で眺め、しばらく経ち蕾も大きくなり、ひときわ高く抜きんでて咲きそうな勢いとなりました。今日咲くと思っていましたが、楽しみは明日になりそうです。
本当植え替えに立派な鉢をいただいた、いつもお世話になるおっちゃんに感謝です。

明日写真にまた納めておくことにします。

一気

 休日をいただき、長男の三者面談へ参加して、先生と楽しくお話ができました。長男は家内に似たのか成績は問題なく、当たり前ですが私とはいろんなことが違います。

真面目であること

他人に優しいこと

サービス精神にあふれていること

他にもありますが代表的な三つです。

周囲の方で年配の方から子供達が巣立っていく、無事に就職していく、または結婚していく、これから私と子供達にもいろんなことが訪れるでしょう。子供達三人タイプは全く違いますから、どうなるか楽しみであり親として心配することもあります。

難しいことではなくて、目前の一つ一つが大切であるのに、私の怠けや気づかない、学びが足りてない、他いろいろと終わって、あれこれと思うことはこれからも同じように続いていきそうです。

薦めてあった本を今抱えている問題のこともあるので、一昨日から一気に読み進めています。もう少しで終わりそうですが、書評できる余裕もなく、とにかく今日一気に読了することにします。

激しい感情(本音の更なる自己による増幅)

 七月二十三日 (日) 晴れ 蒸し暑い日
 昨日は飲酒をやめ、それなりによく眠ることができました。身体的な動きによる忙しさ、事務仕事による忙しさ、それぞれ忙しいと一言で現したとしても、同じであり違うものです。

立てていた予定通りに仕事にかかりましたが、朝から感情的な一時間弱のお話を聞くことにより、予定を変更せざるをえなくなりました。話す方と聞く方、私は今回聞く方になり、相手の感情によってこちらが感情的にならないよう留意して会話が終わりました。
後は時間の決まった予定をこなし、間に黙っていればいいことを言いすぎてしまったりすることもありましたがほとんど予定通りに進み、昨日の身体を使い続けた忙しさとは違うけれど同じように忙しく過ぎていき、このまま無事に終わるかと思えば、再度激しい感情の吐露を受ける側になり、その感情に揺らされ、帰ってもその動かされた分、私は冷静さを失い、余裕がなくなり、同じ言葉でも過度のある言葉で子供達へ今日やらなければいけない注意(言葉)となり、少し機嫌の悪い父という印象を持たれたように考えます。
ずっと何かが終わってわかることですが、私は本当に自分が好きで、自分本位な答えを出し、それは相手に理不尽や冷たい人間であるというようにとられることがあります。

短く言えば「優しくない人(又は自分本位・身勝手な人)」

都合よく美化して言えば「冷静で合理的な人」

都合よい美化した言葉は、家内が見れば大激怒するでしょう。

本当に私は私そのものが見難く、制御できず、理解できず、何故にそんなことを、など終わって私は自らの言動により自らが考えさせられてばかりです。明日は今日家内へ言ったことを全てこなして、誠実なところをみせたいです。


休養日

 暑い、蒸し暑い、暑い日となり、仕事は忙しく、時間は矢のように過ぎ、昼ご飯を食べたのが3時半過ぎとなりました。少し連続したので暑さにやられました。これは体力がないからだと家内に言われることを防ぐために、日が沈んで涼しくなったら、家内と一緒にその辺りを歩いてくるつもりです。

明日もまた仕事、あっという間に終わるほど充実していることを願い、今日立てている予定はクリアしたいです。

昨日も花壇の幼虫をとったのですが、今日見ればまだ何匹もいます。彼等の繁殖力は驚異的で圧倒されます。雑草も気が付けばあっという間に生えてきて大きくなっています。これだけの速度で野菜が増えたら便利だよねなんて誰もが思いそうなことを考えてしまいます。

夏休み中の子供達は兄弟仲良く楽しそうで何より、あの子達を見ていれば子供の頃を思い出し、彼等には彼等の今、私には割と過去の頃、この夏も何か良い思い出となるようなことが沢山訪れてくれればと願います。

明日もまた頑張るために、今日こそはお酒はやめて、早く寝ることにします!

夏休み

 中学・小学生の子供達三人の夏休みが始まりました。子供が学校に通っていれば学校行事はつきものです。
三者面談・個人懇談が三人いれば三人分、さっそく次男と「けいくん(三男)」の面談・懇談に行ってまいりました。子供達は成長していて学校での違う一面をそれぞれの先生方教えてくれました。家の中での面倒は私と家内がしっかりみて、学校内では担当の先生方にお任せするほかありません。宜しくお願いしますと何度もお願いしてきました。

三人の子供達、それぞれ得意分野が違い、苦手分野も違い、個性も三者三様、本当に違って楽しいことも多いですが、いろいろと親としては考えさせられることも多いです。

私が苦手な相手の素晴らしいことを認めそれを伝え、善いものは善いものだと嘘偽りなく真摯にお伝えすること、この作業が何度も言いますが私は苦手です、ひねくれた表現になっていたり、やっかみが入ったり、およそ私の悪いくだらない要素が混じれば皮肉なものとなり、相手を褒めるどころかけなすようにとられてしまいます。私自身の責任です。

「善いものは善い、普通のものは普通、悪いものは悪い。」

客観的に他に何人もが聞いていて問題のない、あの子達にそんな私の言葉をどれだけ伝えれるか


今日の酔っぱらいは、自分の為にあの子達の為に家内の為に、家族が関わりあう他の方達のためにも、いろいろと試行錯誤しながらやっていくのです。