時に同一のものに

 何度考えても、思い返しても、意味が分からない行動に遭遇、といってもそれはもう昨年から遭遇しているのですが、同じなのですが様々に形が変わっていて、本質は同じでも表面は違ったものに見えがちなだけのことです。これだけの時間が経過して、それに振り回されれば、何というかよくないけれど本当天晴です。

誰かにもその反対を貫き、天晴であって欲しいと願う日でした。

子供達は明日から休日、けれど文化祭や体育祭など、家内はそのお弁当や見学などの準備で大変です。私は仕事ですから仕事を頑張って行うだけです。

また今日はよくお世話になる方の一人に、「ここは戦国の世か、監視や盗み聞き、間者みたいなのがおるな」なんて言われていました。戦国の世も現代も人間が生きているのなら、変わらないことはあるので致し方ないことでござりまする。

私が信じて大好きな仏教も、その辺りからびっくりするほどの進化はしていません。(政治に利用されたり・利権による宗派の別れなどを除く)
燈明と線香とお堂と仏像と僧侶と仏教を愛する方・信ずる方・好む方・なんとなく仏教と共にある方・その他いろいろありますが、それは本当に何でもいいです。近代テクノロジーを利用して仏教の素晴らしさを広めている方もいます。
仏教はさとりを求めていくもので、「さとり」とは簡単にいえば完成された人間を目指していくことです。寛容融和をモットーとしていますから、お神様も仏様も同じ家の中で祀り、クリスマスやハロウィンでさえ拒むことはないという寛容融和を現し、根底にあるものさえ外さなければ、さらに寛容・融和・異端はさらに広がっていきます。

「さとりを目指す」

「慈しみのこころから出る、慈しみあふれる言動」

「自らがこの世で大切なものであるから、我が身にひきくらべて近くの方を大切にする」

「時に正しいものでも問題となるなら捨て去り、悪いものならなおさら捨てる」

「両極端のことにとらわられず、その間にある道を縦横無尽に進んでいく」

「生老病死、怨み怒り悲しみ幸せ笑い、意の如くならざるもの(苦しみ)の泥の中で、その泥を養分として美しく生き(咲い)ていく」

根底は他にもいろいろありますが幾つかあげてみました。


どうしても反対のものをみると、その反対に位置するものが鮮明にみえてしまいます。
闇があって光があり、光があって闇がある。闇も光も同一のものを時に指すものであることが思い知らされます。
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