お月様

 今日は一日仏教について話をすることばかりでした。右を向いても左を向いてもというような具合でした。久しぶりに外へ出ても、やはりそれ一辺倒で終わりました。

何もないけれど、いろいろある日で、それは終わってみれば何もない日です。

ただ誰かが他人へお世話を焼いて、そのつもりもないのに相手は自らが焼いたパンをもらっている光景を見かけました。私の愚かさを気づかなければいけないのに、目をそらし、意地を張り、損をしながら前に進む日でもありました。

見知らぬ方に仏教のことを聞かれ、また私は自ら(愚かさ)を棚上げして、幾つかの比喩をもって一つの自らが信じる真理を言葉をもって指さすのです。

それは言葉は違うのですが、「あそこの美しい月のようなものです」といったものです。

指月のたとえが何か今後また詳しく調べておきますが、時に人は真理に心奪われ、愚か者が意味も分からず真理を指させば、その指さす方が賢者であるかの如く錯覚をします。

錯覚は錯覚です。

愚か者(の私)は愚か者(の私)です。

真理(法)は真理(法)です。


私は愚か者です。けれどあの美しい月に心奪われてばかり、何かあればそこから力をもらうこともあります。


「みなさん、お月さんが奇麗ですよ(あれこそが真理ですよ)」




それは、私にとっての理想で、遠く及ばない対極に位置するかの如きものの言えることではないのですが、私はそれを言わずに存在できない愚かな存在といえるものです。
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