解決にはまだほど遠く

けれど自らの行いを思い知らされる時というのは、世の生きる人に例外なく訪れる瞬間があります。

ある程度の時間の経過というのは、その訪れる瞬間の連続であって、自らが善い行いをしていったのであれば、称賛・尊敬・何か善いものを受け取る権利が発生して、その反対のことを成し続けた方は、悪いものの連続に報いが生じ、それをどれだけ自らが離れようとしても、己の影が自らに付き従うがごとく、離れようのないものです。

その時が来て、自らの報いに喜ぶか嘆くか

それはその方の生きてきた足跡がどのようなものであったかによります。

他者のことはともかく、私は私の報いを受けとらざるをえません。それがどのようなものであるか、それは私ではなく他者がわたしをみて(みつづけて)判断され、やがてその時に報いがくるだけのことです。

「そんなはずではなかった」

「こんなことなら、もっとやれることが・・・」

他者の現実はどうであれ


自らの現実と自らをみつめることから目を背けた結果や行為はどうしようもないものです。




本当に皮肉なことで、私は愚か者の中の愚か者の現状があって、嘆くことから避けれないことばかり


外は風が強く、星はきらめき、お月様はそんな私の事とは関係なく、美しく輝き宙に輝いていました。
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