今日の

 誰かと話すことは、その誰かが誰でもいいとはならないのですが、お互いを害することのないようにと気を付けているのならば、話は楽しくなることばかりです。

優しいからか、自らが苦しんだり・悩んだり・怨んだり・怒りなどに長く染まりすぎたるすることからよく笑うことができるようになった方であれば、言葉にしなくともある程度の前提を省略して深く先を話し合うことができます。

私は私と話をする方がどのような言葉の返し方であるかが、その方の個性が出れば出るほど楽しいです。私と違えば違うほどそれは楽しいです。それは一緒だと私のように愚かで現実から目を背けひねくれたところがあるのかとつい勘ぐってしまう程の愚か者だから、答えは違う方がいいのです。
違う答えに私がどのように対応していくかという私を見るのが好きという、ただの私の知らない私が好きだということになるのかもしれません。あまり考えたことのない問いに

「即座に何を思い、どのように考え、どうしていくのか」

そんな答えを思い付きで出会ったことのない考えに出会う瞬間が好きなようです。この場合その私に出会うと今度は今まで同じ話しかしなかった相手にも知らなかった私の出した答えを今まで知っていた方に、知らないことに対してどのように振る舞うのであろうかという問いをぶつけています。その相手が自らの知らないものに対する相手の答えや反応にまた楽しむ私がいて、それはどんどん重なりつながっていくのです。

どうでもよいことが世界を変える瞬間と大袈裟に言えば言うのかもしれません。

私はそこでまた自らの世界に閉じこもり何かを理解できず、何かわからないのに書に没頭することにしています。本当何かよくわからないのに、気が付けばよくわからない何かは時折みえないけれど複数の人が目にみえるような感じれるようなものになっていることに気づかされることがあるので、本当によくわからない話です。

まったくもって何かよくわからない阿呆な私の今日の独り言です。
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