花と雨

 四月八日 (土曜) 晴れのち曇りのち雨

桜と桃の花が綺麗で、ブッダの誕生日です。花まつり・降誕会・龍華会・灌仏会などとも呼ばれています。日本においてお寺のない地域はほとんどないに等しいでしょうから。きっとクリスマスより盛大に皆が祝っているでしょう、なんてことはなく一部の仏教を信奉する方において営まれ祝われています。

お経の描写にルンビニーでブッダ(お釈迦様)が生まれられた時は甘露の雨が降り注いだり、生まれてすぐに七歩あるいて天と地を指さし
「天上天下唯我独尊」
師はこれをこの世に生まれた全てのいのちは何よりも尊いものであるの様に訳されていました。自らのいのちも尊く他者のいのちも尊く生きとし生けるもの全てが尊い。

ただ生まれてすぐの子供がこんなことを言うはずはありません。これはやがてこの世で初めて偉大なる覚り(智慧)によって仏教をこの世に広めることになった方を称えるために、通常の人間ではありえないことが付加されています。
およそお経には比喩が頻繁に使われ事実でないようなことが書かれています。それは私達が心からお世話になって大好きな方が輝いてみえたり、幼子の笑顔に光を感じる、この上なき正しい覚りを制約のある言葉であらわそうとしたとき、現実的な制約を超えた比喩をもって何人もの方が書かれたことが後世に残って伝えられています。
お経から伝説と事実の切り離して、純粋に仏教を伝えることは難しいというのが最近の仏教学の間でも通例になっています。
簡単な例えだと、大人になり偉大になられた方が、子供の頃は神童と呼ばれていた。その上位表現方法です。

ブッダは生まれて間もなく母を亡くし、養母に育てられることになります。思索にふけることの多い少年であったと伝えられています。何不自由のない王家の家を出て沙門(シュラーマナ)となり、あばらや血管が透けて見えるほどの苦行を乗り越え、ブッダガヤ菩提樹下の金剛座の上で無上正等覚(正しい目覚め「覚り」)を開き、その金剛座の上から仏教は始まりました。

仏教教団が誕生することになったのは、苦行を共にした五人の比丘(修行者)に説法し、五人が羅漢になってから教団となりゆるやかにインドに広まっていくことになったのです。

インドから南に伝わるルート(セイロンやスリランカなど)、インドから北から西域を通り中国へ伝わるルートなど、長い時間をかけ仏教はその土地に根を生やし、寛容融和に土着の思想や宗教儀礼を取り込み、一神教のように他の宗教を滅亡させることもなく、中国から韓国そして日本へ、現在は情報化社会ですからそれよりもさまざまな伝わり方で多種多様な形態の宗派を持ち、ただどもれが仏教という名前を持っているのは確かなことです。

私の実家は禅宗の檀家ですが、私は真言宗を信奉し現在に至ります。そのルーツを行きつくところまで辿ればやはりブッダ(釈尊・お釈迦様)へたどり着きます。

ですので今日は、家族一同でお祝いしケーキを買って食べることにしています。

私「皆今日は花まつりだよ、仏教の開祖であるお釈迦様の誕生日だから、世間では仏教を開かれた人と言えばブッダで知られているから、ブッダに属したつまりはだよ、バウッダ、まあその智慧や真理、つまりはバウッダダルシャナ バウッダダンマ、仏法と訳されるかな今日という日も属されていることを世に生きる人は知っているだろうから皆でケーキを食べて祝おう」

長男「いやバウッダとか今まで聞いたことないし、バウッダダルシャナとか言われてもきっとこれからもあんまり聞かないと思うよ」

私「本屋とかで目にすることもあると思うけどな」

長男「本屋かあ」

他の家族は無口で美味しくケーキを食べていました。

酔っぱらいのような私のたわごとはともかく四月八日の今日、桃も桜も咲き、田畑にレンゲソウが一面咲いており花まつりにふさわしい日でした。



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