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勘違い

 何も考えずに生きていても、人は親からもらった身体・身に染み込んだ躾・教育・日本人ならば日本の国の思想を受けて大人になるのです。育つ国によって文化の違いは大きく、しかし自分が育った国が最高であると思うのはごくあたりまえのように思います。

楽しかった10代が過ぎ、何も知らずに希望を抱いた20代をむかえ、30代になると厳しい現実に気がつき始めます。

私も40の節目が近づき始め、思い知らされたことがあります。若い頃は誰でもではないと思いますが、私の様に自分一人で生きていると勘違いしている時期があります。

自分は何でも出来る。そう思うのは悪いことではないです。限界を作って発展性がない、または閉じこもるよりはその方が若者らしいはずです。その何でも出来ると思える自分を構成している要因に気づく時があります。

何気なく人と応対する仕草、話し方、食事方法など、考えてみれば、私の場合ほとんど親から指導され、教育されたものばかりです。

私がなんでもいけると自信を持つ行動・他様々な根拠は両親が私を育てる過程において、これから先に歩むであろう長い人生を困らないようにとお金のかわりに、必死に持たせてくれたものです。

厳しかった思い出もそう考えれば、心から有難うとしか思えず、厳しい親を恨んだ幼少時代でしたが今は最高の思い出です。

そうなると困ったことが出てくるのです。厳しい親を恨んでいた事、それがありがたい存在に変わると、社会人になり一人で頑張ってきたと言えなくなり、育った環境でお世話になった方と両親のおかげで成り立っていることに気付かされます。会社でもそうです。自分一人でと思いがちですが、やはり職場全員の力でその職場は成り立っています。色々考えれば考えるほど、私一人の力なんて思っていたのは、大きな勘違いです・・・

知らずに自身が皆様からいただいている事柄や物の大きさに気づき、また深く見つめなおさなければなりません。

大事なことに気がついてしまえば、これから今までのことを基礎として発展しなければいけません。いつまでたっても教えていただく立場ではなく、私達はいつか人間としてある程度の完成、これからは周囲の方の模範となるべき年齢になるのです。

それが「40にして惑わず」「自身のやるべきことが見え行うべきこと(生きていく道)が決まった。」ことと私は解釈をしています。

自分はできていると身勝手な判断をすると、周囲の方は内心

「何考えてるの?まったくできてないけど・・・」

などと何処の場においても思われてしまうのです。まずはその段階に自分がいると気がつき、悪い点を心から反省した上で出来ていない自分を認め納得し、少しずつ中身を理想の自分に近づけていけばいいのです。

勘違いも悪くはないのです。良い勘違いなら皆さん大歓迎です。

ただ「自分は出来ている。」と「出来ていない自分を誇らしげに思う勘違い」は発言する方、そう思わせる本人しか思っておらず、周囲のまともな方に誰一人通じることはなく、再度になりますがそれはどこの世界(場所)でも通用しないのです。

悪い勘違いは戒めであり、良い勘違いは出来た自分の理想の姿です。私も含め悪い勘違いは人を困らせるだけなのでもうこりごりです・・・

 日本人が毎日食事にいただく、稲に例えて名言があります。

どんな些細ないことにでも感謝し、出会う方どなたにも頭を下げ、礼を失わず(お礼と感謝と敬意をあらわされるのです。)自分という一人の限界を知り、いつも誰かにお世話になっている。また今までもこれからも何かの縁で迷惑をかけるかもしれない。

「これまでもこれからも宜しくお願い申し上げます。」

といって、老若や地位・名誉があったとしても自然に頭を下げる人を指す言葉に

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」

どうも中身がないと老若を問わず、大きな勘違いして頭を垂れることを一切せず。反対に人に向かって頭を下げることを強要したり、自信は偉いといわんばかりにふんぞり返った態度をする人もあるようです。

私達は一年ごとに歳をとり、いつかは必ず(命が尽きていなければ)老人になります。












 「稲も人も実り大き育ち方でないと感謝をされない。」
それは古からの現代に生きる私たち(特に私)への戒めと教訓の言葉です。
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大渓水

Author:大渓水
縁あってたどり着いた方に感謝です。
無名な私が頻繁に出現し(時には周囲を強制に出現もさせ)思うがままに書きつらねる場所となります。
ただ忘れやすい日常において何かを忘れないように願い、記しています。
塵や埃(無名な私)もどこかへ飛ばされ、そこの礎のごく一部となり、または大いなるものの一部へとなるときに喜ぶことは多いです。

(何故か毎日)書き続けており、更新時間は大体20時頃だったはずなのに、持って生まれていないのに、怠け癖を抱えてしまったことにより、遅い時間の更新もよくあるのが現状です。(何かを書くというよりさらに怠けて日記となっています・・・)

時折コメントをいただきます。いただいた方に心から御礼申し上げます。少なからず、いやかなり書くことへの力となっています。

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性別 男性
年齢 気がつけば五十而知天命の天命が何であるのか、まだやはり気が付いていません。

音楽の趣味は声が高く綺麗、歌の上手い人が好きです。

性格
個人的な偏りが大きすぎるのが最大の特徴
言いすぎて後悔する
すぐ極端になるところがありすぎる(のが難点)
口実をみつけお酒を飲もうとするとか

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