解決にはまだほど遠く

けれど自らの行いを思い知らされる時というのは、世の生きる人に例外なく訪れる瞬間があります。

ある程度の時間の経過というのは、その訪れる瞬間の連続であって、自らが善い行いをしていったのであれば、称賛・尊敬・何か善いものを受け取る権利が発生して、その反対のことを成し続けた方は、悪いものの連続に報いが生じ、それをどれだけ自らが離れようとしても、己の影が自らに付き従うがごとく、離れようのないものです。

その時が来て、自らの報いに喜ぶか嘆くか

それはその方の生きてきた足跡がどのようなものであったかによります。

他者のことはともかく、私は私の報いを受けとらざるをえません。それがどのようなものであるか、それは私ではなく他者がわたしをみて(みつづけて)判断され、やがてその時に報いがくるだけのことです。

「そんなはずではなかった」

「こんなことなら、もっとやれることが・・・」

他者の現実はどうであれ


自らの現実と自らをみつめることから目を背けた結果や行為はどうしようもないものです。




本当に皮肉なことで、私は愚か者の中の愚か者の現状があって、嘆くことから避けれないことばかり


外は風が強く、星はきらめき、お月様はそんな私の事とは関係なく、美しく輝き宙に輝いていました。
スポンサーサイト

何が

 立てていた予定通りとはいかず、用事を終わらそうと動いても終わらず、仕方なく先延ばしにして、出来なかったことは出来なかったと報告して、少し浮かない感じで他の用事をして、夕方になって有り難いお誘いを受け、お腹一杯皆食べれば何も言うこともなく、後はそれぞれがやらなければいけない日々の事を行い、歯を磨いて就寝するだけです。

先日から書き進めていた書き物を昨日終え、終わって満足よりこれからに一抹の不安をおぼえ、だからといってとりたてて何かもないので、身近にあるもの、目前にあるやらなければいけないことを一つ一つ確かにこなしていくしかないです。
私にとって、迷うのが悪いことではなく、悩むことが悪いことでもなく、ただ問題から目を背け続けたり、誰かと何かのせいにしたり、つまりは自分の為に今何かをやらなければいけないのに、何もしないことが悪いことです。

遊ぶこと、笑うこと、楽しむことなど一見役に立たないことに思えそうですが、悩み・迷い・逃げ続けるというその中にあって、大切なことを忘れないために、遊ぶ・笑う・楽しむことが私に必要です。もっとも自らの愚かさを嘆くことはもっと必要でそれがないと、成長もなくどうにもならないです。

その時に何が大切か

わからなくてもそれが何かの意味すら分からなくても、何の役に立つのかわからなくても、続けるしかないです。

理解する

 ここのところ真剣にする話を思い返してみると、気が付けば
「他者を完全に理解するということは難しいというより、自らのことですら理解できないことばかりであるのに他者であればなおさら理解することはできない」
なんて言った後に
「どうせ理解できないのならば、自らと何がどこまでどのように深さも幅も何もかもが違うのか、それを楽しめたら理解できないと悩むこともどこかへ行ってしまっていて『どうして理解してくれないのか』とか『理解しようとしないことが意味がわからない』とかで、理解しあえないことを対立やそれ以上の負の感情へ発展させるより、自らの理解と視点・深さ・幅・広さ・高さなどの違いに感心し、そう思えなければ、自らとの違いにどれだけ笑って楽しめるかのほうが随分楽になれます。」
なんてことを最近気が付けば話しているということを近くに伝えると、ふっとあることに気が付かされたのです。
(頼まれなくても一人で喋っていますからいつものように調子に乗って)
「私は理解したいと願い、けれど自らですら理解できないことが多いことに気が付き、他者であればなおさら難しいことが多いことに気が付き、けれど私はその誰かと一緒に楽しく痛いから、『理解できても楽しくいたい』『理解できなくても楽しくいたい』けれど、どれだけ願っても相手との理解の差が笑える人と、どうやっても笑えない人だって存在するから、私は嘆いているんだね・・・
私は理解よりも、「楽しく相手と過ごしていたい」そう言っていたんだね。

真剣に誰かに何かを伝えようとすると、その思いに呼応する方も存在し、回数が増えていけばそこに私の傾向や願い、現状の理解の程度、伝えたいこと、何を追い求めているかを自らが気が付いていないのに必死に伝えようとする私を今日はみるのです。

ただそれは愚かな私にぴったり寄り添い、勘違い・思い違い・現状の理解・学びの程度に従い、本当に恥ずかしくなることが多々あって、それを消せる消しゴムがあれば消したいし、できることならそれは忘れてほしいなんて思います。

時折そんなことを理解する方が現れ、揚げ足取るのでもなく、失敗を笑うのでもなく、ただ理解しているのでもないけれど、理解したいと努める方もおられ、理解よりもただ優しく接し続けられる方もおられ、恥ずかしいことよりも涙がでそうになるほど理解ということが身に染みてきます。

身勝手な私の夜は老けていくのです。

遅ればせながら

 家内はいつも私が一年の中で一番忙しい時期に誕生日があって、暑い上に仕事も一番忙しくて体力も削られやすい時に家内は心から私に祝ってほしいとその日を一年で一番楽しみに待っています。

鈍感な私は暑い・忙しい・明日のために早くやすみたいなんてことで、家内のそんな気持ちを気づかずよく怒っていました。最近ようやく賢くなった私は、忙しくても暑くても疲れていても早く休みたくても、その日は頑張ることにしています。ただプレゼント代わりにいつも家内が行きたい料理屋さんへ

「仕事が忙しい時期を外して誕生日の前後に行こう」

ここ何年かはそう必ず伝えています。

 偶然平日に私と家内の休みが重なり、なおかつ子供達は学校が始まり全員いない日でした。

「今日がチャンスだよ(だって子供達の食事のお金がかかりませんから)」

色々と調べて、あれこれとそこのお店はどうだこうだと言いながら

「お店に行って食べることも楽しいかもしれないけれど、こうやっていく前にあれこれ決めている時が一番楽しいのかもね」

「そうね」

家内は今日楽しそうにしていました。他にも家内の車を洗車したり、ちょっと普段しないメンテナンスをしたり、家の包丁を全部研いでみたり、誕生日が過ぎていますが、余裕のある時にできることを行う日となりました。
(勿論誕生日当日も、帰って家内へ誕生日用に晩御飯を作ってあげたので、今年は機嫌が悪いことはありませんでした)

夫というか旦那であることは、思いのほか大変なのですね。

うどん

 昨晩お誘いいただいて、長男と二人でうどんをご馳走になりました。有り難いことです。思いのほかお腹一杯になって、前日の睡眠不足もあったのか、晩8時には寝てしまいました。
家内は実家へ次男と三男と帰省しており、今日の仕事も有り難いことに忙しく、一日はあっという間に過ぎ、息をするかのように笑う回数も何度もありました。

 帰って実家の片付けや運転をして他県から帰って来た家内は疲れていました。いつもなら休日だから晩御飯を作っている時間ですが少し横になって休んでいましたから

「うどんでも皆で食べに行く?」

自分で作ろうとしていましたが、それ以上疲れられても後に響くので、何度か言ってうどんを食べに行きました。昨日三人で悩んで頼まなかったメニューの品を長男と二人頼んで、大人の私は十分楽しめましたが、長男は辛いものは少しまだ苦手のようでした。

私としては、あのうどんは「あり」です。今度友人におすすめしてみようと思います。

明日から子供達は学校が始まるので、宿題が終わっていない子と明日テストがある子は勉強と宿題をそれぞれしています。いつものようにためすぎないように、今回は家内と二人で早めから言っていましたから、サザエさん一家におけるカツオくんみたいにならなくて済みました。

今度は自分主体でもう少し早く取り掛かってくれればなんて、上をのぞむ夜です。家内がお土産に植物セットが安く売っていたので買ってきてくれていました。暑いから早めに植えないと枯れてしまいそうです。

どうしたい

 自らの現実をありのまま(あるがまま)から目を背け続けてばかり、過去から続けてきた悪いことが足跡として残ってどうにもならないのに、その足跡と正反対のことを言い続ければ、嘘となり虚言の連続となり、さらなる悪いことの連続しか出現してこない。

「どうして、そんなことを」

誰もが思い考え、答えを出したとしても、当人が自らの過去と現実をありのままに正しく受け取る気がなければ、理解という言葉がはるか遠くどころかみることができない。

当人が出す答えを世間が採用できないときはどうするのだろうか

甘い言葉と上辺だけの優しい言葉と偽りの言葉だけを求め続けてどうするのか

自分だけが納得して、他の誰もがあきれ返る答えを求め続けてどうするのか

悪くない人を悪くしようと続けてどうするのか

誰かと何かのせいにしても、自らが成してきた悪いことは消えるのか


今日もまた私に理解しがたい現実をみて、感情が高ぶってしまった。それによって迷惑をかけた方がいないことは幸いだった。

どうしたいか

今もこれからもどうするのか

周囲が目を背けるような現実を作り出すことをいつまで続けるのか



器用

 どうも困難なことに出くわすと、今までの威勢が無くなるどころか自分そのものが無くなったかのように、どのようにしていいのかわからなくなる人もいる。

けれどその方は器用な方だと私は考える。何かあるたびに崩れて無くなるが、すぐに再構築して物事に対処できる利点を持っている。何度も崩れては建て直し、崩れては建て直す。これを器用と呼ばずして何と呼ぶべきか。

私に至っては、人に言われても何かあっても必要以上に意地を張り、更なる堅さをみせ、痛い思いをすることばかり「普段は器用でも、肝心な時に不器用な体たらく」を周囲へみせつけてしまう。

ここでも「何がどうなのか」そのような考えや思いや現状にとらわれて身動きがとれなくなるよりできることで動き続けることにする。
とりあえずあれこれ考える前に家内に催促されていた「けいくん」の自由研究を今日中に一緒にまとめあげなければいけない。

仕事が終わり立てていた予定の自由研究を手伝い、最後までやり遂げてもらい、次は次男の自由研究用の写真を現像へ、写真屋さんに行けば閉まっており、しょうがないのでコンビニ(ローソン)へ行くと、なんとコピー機で写真が現像できることを発見、どうりで近くの現像してくれるところが潰れたのは何故かという理由もわかり、24H営業の上に現像代も一枚30円、納得したくないけれど納得できて無事に写真を渡し、仕事も終わり、家庭の用事も終わり、ただいろいろとあることについていけない私をみて、夜空を見上げると美しい三日月が浮かんでおり、生きているからいろいろあると言い聞かせる日でした。


よくわからないことをみてしまい、考えさせられました。

やっぱり予期せぬ時に私は器用ではないようだと痛感しました。

メニュー

 私より先に家内の連休が終わり、家内は子供みたいに「仕事いやだーー」なんて言いながら、出勤しました。
夏休みの私の課題は子供たちの監視とご飯を食べさせること、これをやらなければ後で家内と子供達から降りしきる雨の如く万の矢のよう波状攻撃が降り注ぎますから、そんな悪い結果は望んでいないので最低限やることにしました。お昼は子供達に
「カップラーメン食べたいって言ってたからあるけど、それならいつでも食べれるしお父さんが何か作ろうか」
「けいくん」がどうしても「カップラーメンがいい」というので仕方なく私の手料理はやめることにしました。本当に残念です。

昨日この時期旬の野菜「ピーマン」を多めに買っていましたから、ここは「肉詰めピーマン」で大量に消費することに(手間もそんなにかからないし、あとは焼くだけだもんね)、ということで挽肉がないので近くのスーパーに、そういえばお肉はやっぱり高いので家内はいつも子供たちに「一人何個までよ!」なんて言っていましたし、ここは挽肉に主婦の知恵を入れることにしました。
豆腐を一丁買いました。
「あら不思議、あんなに多かったピーマンがすべて肉詰めに」
ピーマンが足らなくなったので家庭菜園になっていたピーマンもすべて使い、運よくおじさんがこないだのお土産のお礼にと野菜を持ってきてくれたので、さらにピーマンを何個か詰めて、今日は食べ放題に致しました。

ただ、食通の次男坊曰く「普通に混ぜずに牛肉とかだけでいい」なんてコストを考えない発言がありましたが、おなか一杯になれたら皆それでしあわせです。

もう一度今回とは違う作り方で作ると約束をしたので、次にメニューを考えることが面倒な私は大助かりという日でした。
(大渓水の猛烈クッキングでした)

夏の休み

 いつもと違い、一月ほど遅れて夏にまとまって休みをいただき、それによって海の季節は(お盆が過ぎて)終わっていましたが、家内も夏休みを一緒に合わせてとってくれていたので、皆で何日か過ごすことができました。
まず長崎への帰省、それからは買い物など、溜まっていた用事、後は子供達との時間、夏休みの思い出となるものです。

「けいくん」と花火をしようと約束していました、ちょっとその約束がのびのびになって、今日は花火を一緒に買って、晩御飯が終わって子供達三人と家内が楽しそうに花火をしているところを遠巻きに眺め、最後に火の始末と片付けをして一日が終わって行きました。

昨日は実家の帰省の疲れもあったので、ゆっくり過ごし、夜には気も緩んで割と飲みすぎて、今日は何やら夜更かしとお酒のせいか、キリットできない日となりましたが、明日は子供達がためている宿題の監視をしないといけません。

子供達三人、私の子供のころと比べれば随分良い子です。私は遊んでばかりで、遊び過ぎた思い出ばかりです。だからといってあの子達が勉強漬けかというと、私の子供の頃より勉強はしているくらいですか、残すところ彼等の夏休みも後5日くらいだから、たまっているものはやっつけないいけません。

手持ち花火をすることを楽しむことより、子供達や家内を見ているだけで満足している私がいました。


私は子供ではなくなったなんて思う夜です。

変わらず

 過去も現実もこれからも生きていれば、誰もがいろいろなことがおとずれます。

ただ終わって「もっとあれをやっておけば・・・」そう思わないように生きるというのは不可能に近いことです。

けれど「あらかじめなされるべき努力」そこから逃げて、「しんどいから現実と未来のことから目を背ける」ことは現実を悪循環させていくだけで、それはやはり自らが生きていることを放棄して、自らに訪れる善いことを放棄しているだけだなんて私は考えます。

「勝たなくていいから

あきらめないこと

現実の困難な問題から目を背けないこと

労力を惜しまないこと(怠惰は勤勉によってのみなくなる)

いつもとんでもないことが訪れてから必死になるのではなく

自らが自らの今後のために、できるだけのことはやりとげること

あきらめないこと

己にまけないこと(逃げるな)」

本当私ができないことを、近くの人にお願いするしかこの問題はどうにもならないです。

いつも

 実家(長崎)から10時間程、車を運転して、途中眠そうな私の代わりに家内が2時間強運転をしくれる間に、仮眠ができて助かりました。
長男曰く「お母さんおとなしそうに見えて、意外と飛ばすから、結構早いよ、お父さんほどではないけど」
どうやら私の父も割と飛ばすほうで、兄も飛ばすほうで、私もそんなようで、事故がなく、警察にも厄介になることもなく、無事に帰ってこられてほっとしました。

これから子供たちは残りの夏休みの日々は、たまった宿題との格闘になるようです。「けいくん」はまだ宿題が少ないから、楽しそうにしています。中学生の上二人はこれから夏休みによくある風物詩(宿題に振り回される日々)がみれそうです。

中学と同時に実家から離れて、もう他所で暮らしていくのも30年を超えていきます。ただ両親や故郷の景色はいつも懐かしさと普段忘れている方言を呼び起こしてくれます。

私はどうやら九州の長崎の北のほうの田舎で生まれ育った人だと、何かが教えてくれます。

こちらへ帰ってくれば、いつもが私をいつもの私へ戻してくれます。なんだかそれは複雑な夜だなんて思う夜です。

帰省

 徳島から長崎まで車で移動、実に10時間程かかり到着
無事に到着して何よりです。5人移動だと自動車がコストパフォーマンスが高く、一人なら飛行機や新幹線もありですが、一家荷物を持って大移動となると車に軍配が我が家では上がります。

一年半ぶりでしたが、特に父親は前より随分老けたように実感し、自らの子供たちを見て大きくなったことを報告すれば、私も立派なおやじになっていて、若いと思い込んでいる自らの現実を思い知らされました。

家も人も少しずつ年月を感じさせ、飼っているヤギも歳をとっていて、本当に山や風と田舎だから星が手を伸ばせば届くのではと思うところがちっとも変わらないことで、そこを見れば私はその時過ごした少年時代に帰れました。

久しぶりに姉と兄にも会い、祖父の兄弟が入院しており90になっていましたが、元気そうでした。ずっと歳のことばかりかいていますが、老いも病も私自身が避けれないことですから、気が付けばいろいろと考えさせられました。風邪気味で帰ったから、関わりあった人に風邪がうつっていないか気になりました。

故郷に帰る道は随分便利になって、自動車での移動時間も短縮しているところが増えて、まだ高速道路建設も進めていて、これから少し遠くならますます日帰りが増えそうな気配を感じさせられ、ただ変わらぬ田舎の実家で久しぶりに二晩泊まりました。

また来年帰ろうと思います。

 誰かと何かを理由に逃げる口実を持つ天才、それは大抵の人がそうですし、愚か者の私はその筆頭であり、並ぶものはないなんて自慢できない時がよくあります。

近くの方には、大切な時であればあるほど「あらかじめなされるべき努力」思いつかなくても、できるだけのことを成してほしいです。何度も言っていますが、ことが終わって「もっとしっかりやっていれば・・・・」それは私の専売特許であり、数えきれないほどある私の情けない現状をあらわす言葉だからです。

自らを理解してもらたい。

自らがやってきたことに悔いはない。

終わって、すがすがしく笑うにはどうあるべきかなんて、答えは最初から決まっています。

思いつかなければ、近くの方におたずねして、動いて、動いて、頭を下げて、信頼は自らの行動によってのみ得ることができるものです。

災害ボランティアのメンバーを陣頭指揮した方の言葉

「お金があるやつはお金を出せ、知恵があるやつは知恵をだせ、何もないやつは元気出せ」





本当私は身勝手です。

準備

 本当に珍しいことですが、しばらく(16日)仕事が連続したので、今日はゆっくりさせていただきました。これから明日は実家へ帰省の予定です。

家内と子供達は、長い道中の飲食物を買い物へ出かけています。おやつは300円までとは言いません。どうせですよ何もなかったら長い移動中に割と高いものを買わされるくらいなら、先に安いところで好きなものを一杯買ってもっていくことにしています。なにせ徳島から長崎まで車で移動の往復時間は長い。(私の運転時間も長い・・・)

そういえば珍しい警報が出て子供達が驚いていました。
徳島で「竜巻警報」竜巻が出なければいいですが、でも一回見てみたいなんて不埒なことを願う私は、安全と平和に浸りすぎて、危険や不安の恐ろしさから目を背けているだけだと気がつかされます。

夏休み中の子供たちは、暇があれば内でも外でも、元気に遊んで笑っているのをみると、夏休みと子供であることの特権と美しさを再認識させてくれます。

中身を付ける努力を怠らず、大人になっても無邪気で美しく高貴な子供の一面を忘れないように生きてもらいたいです。

風邪

長い出勤が終わろうしています。

少し長めの休暇前だから体調も万全なら、何も言うことはないですが、喉からきて、全身のだるさに移り、今度はハナにきて、ハナとセキで悩まされています。
遅かれですが、仕事帰りに耳鼻咽喉科に行って診察してもらい薬をいただいてきました。意外と病院代が高めだったのでびっくりしました。(そういえば久しく病院へ行ってなかったから病院代の相場を忘れているだけかもしれません。)
病気にはならないに越したことはないです。
今日もこれから早く休み、明日一日最低限の用事を済ませ、よく休んで、それから実家に帰省の予定です。
体調がほぼ復活していることを願います。

おそらく「けいくん」にもらったこの風邪は、職場の近くにいる方にもうつったようです。きっと私が休んでいる間中、
「誰か(私)のせいで身体がしんどい・・・」と私は恨まれることでしょう。

最近、必殺技のように使う言葉があります。

それは何でも

「自己責任」

という言葉があるので、それは勝手な誰も受け取らない私の言い訳として、お金を出しても私の風邪を売る気はなかったようですが、「もし私のせいなら持って行ったものは高く買い取って」なんて、怒られそうなのでここは

「お大事になさって」

そう残してゆっくり休むことにします。

さていろんなが上手くいくようにと祈るしかないです。

素直であるということ

 「あなた素直ですね」

その言葉も素直にとれば、素晴らしいことであるけれど、時には嫌味であったり、欲望に忠実すぎる人を指したり、悪い自分の心を尊重している、その時その人使う人によって、素直であるということの意味が変わり、よって世間では一つの答えになることがあります。

「(悪いこころに従わず)美しい心の声に素直であること」

準じて欲望に素直であることもあって

「その欲望を他者が喜び笑って歓迎してくれる欲望に素直であること」

見聞きしたくない、さわりたくない、聞けば聞くほどこころがすさむ、できれば関わりたくない、真似したいとさえ思わない。

そのようなことを素直であると言って欲しくない、そんなことを考えさせられる日であったことは確かです。

体調管理は自己責任

 季節外れの風邪は私に体調不良をまず訴えさせ、倦怠感、疲れ、元気を出そうとしても身体が言うことをきかないというのはつらいことだと痛感し、よく食べよく寝て、少しずつ元に戻ってきましたが、今度は鼻水とセキに代わり、幾分だるさはなくなってきましたが、風邪はひかないに限ります。

少し前に「けいくん」が鼻水をよく出していましたから、かなり彼が怪しいと勝手に犯人にしている私です。そうだとしても違ったとしても、自己責任ですから自らの管理不行き届きを露呈しているだけです。

あと二日仕事を頑張れば夏休みに突入できます。もうひと踏ん張り、今日もしっかり食べ、水分をよくとって、よく寝ることにします。暑い時期の風は体を冷やさないように布団を欠けば大汗が出るし、かといって冷やしすぎれば治りにくいし、その調節を誤ればさらに長引くか悪化するかなんてことになるので、少し温かいくらいで、当然治ってもまた罹らないように注意しましょう(特に私)。

目先のことも普通のことも、考えなければいけないことも、先のこともいろいろあるから、本当いっぱいいっぱいです。

家内と仲良くして、家内に癒されることにします。

家内に言われそうです。
(ちょっと自分が弱い時や心細い時だけ、私を利用して・・・)


本当身勝手な私が今日もここに(まだ生きて)います。

言い訳ばかりの日々

 昨夜、阿波踊りを見に行った子供達とくに「けいくん」は大はしゃぎだったと家内が教えてくれました。お土産に金魚まで持って帰ってきてるし、今後あの金魚はどうなるのやら・・・、私は考えないことにします。

昨晩体調がまだ復活せず、8時には就寝していました。今日の仕事を終え二日仕事終わりに寝て休みましたが、若いころに比べれば随分回復が遅くなっていることを痛感します。明日も明後日もまた仕事、どうにか休日までたどり着きたいところです。

まだ蛙や蝉が鳴いていますが、だんだんと夏は暑いですが過ぎているのを実感します。

ここのところインプット作業が体調不良や忙しいことで進まず、アウトプット作業に追われ、まだそれは何日か必要に思います。
今日もまた体調が恢復しないことを言い訳に早めに休むことにします。

続いて

 昨晩は七時過ぎには食事とお風呂と歯磨きを終え、温かい恰好をして布団をいつもより一枚出してもらい早めに就寝しました。今日も仕事で、もう11か12日連続出勤ですか、あと何日か休めないですから、今日も仕事は有り難いことに慌ただしく最初から最後まで過ぎていき、帰って食事とお風呂が用意してあったことは有り難いことでした。

家族たちは夏の思い出作りの阿波踊り見物にでかけています。楽しんで帰ってきてくれたらと思います。

まだ体調が万全ではないので今日もしっかり食べ早めに寝て、明日に備えることにします。皆さまも御身体はご自愛ください。

不注意

 昨日から喉が少し痛み、今朝も治っておらず、仕事は今日一日忙しく慌ただしく過ぎて、一緒に働く方に随分助けられました。雑用を全て滞りなく片付けてくれれば、目の前の一つのことに集中できます。
ただ喉は寝冷えしたからか、連続出勤がこたえたのか、少し風邪をこんな時期に引いたのは、本当に不注意でした。
よく食べ、よく水分を取って、早めに就寝することにします。明日もまた連続出勤、夏休をいただくまでに何とか元に戻さないと、実家に帰省する予定ですから、昨冬インフルエンザにかかって帰れませんでしたから、今度もそうならないようにします。
大きな問題が片付いておらず、家内と子供達にもしわ寄せがあって、家内も休日出勤が重なり、普段言わない苦言がこちらに向けられました。
無駄なことはなくしっかりやっていても、もうかなり長い時間になることも事実です。早めに体調を戻して、家内のことも何とかしたいです。