あの花

サブタイトル「あの日見た花火の名前を僕たちはまだ知らない」
どこかの二次創作からスタートします。

先日から徳島市の花火大会が引っ越しして、見晴らしの良いところに代わり、子供達も家内も私も近くまで行かなくても、花火を楽しむことができるようになりました。家内は喜んで花火を楽しんでいます。
(以前花火大会の思い出の記事を書いたことがあります。クリックすれば過去の記事へ飛べ私はその頃へいつでも戻ることができます。)

長男坊は中学三年の思い出を作りたい、本人からの言葉はそうではありませんでした。

「お父さん、遠くで花火大会があるんだ。だけど花火があがるのは夜の9時からで、うちの門限は夜9時だから、僕は諦めようと思うんだ。」

彼は厳格な私がハウスルール重んじることを察して、ダメ元で私と家内に友人たちとの付き合いの大切さを訴えていました。ただ私はハウスルールを優先して一度は断りました。

彼の幸運は、その花火大会は何日か連続して行われ、私は遠くで上がる花火を見て、遠くで見る花火大会と、真直で真上を見上げ鼓膜がびりびりするような大輪の花火の連続が子供心にどれだけの感動をもたらすかということを大人になった私は忘れていました。
家内と結婚する前に一緒に見た倉敷での花火大会、それを思い出しました。

「お兄ちゃん、門限は今回は免除するよ、ただ女の子がいるなら、女の子に何かあったら責任が取れないから、男子友達だけならいってきていいよ」

「男だけしかいかないから安心して」

「そっか、それなら車に気を付けて、無事に帰ってきなよ」

彼はその日、鼓膜に響く花火の音、真上を見上げる花火の醍醐味を満喫して興奮して、友人と見たあの花火の思い出を忘れないことだと私は思います。

私も彼も


「あの日みた花火の名前を、僕たちはまだしらない」


(私は今日もただの愚か者です・・・)
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 今日も暑いです。今年の蓮の花は一気に咲いてすぐ散ってしまいましたが、次へつながる種子が育っています。花が散れば葉も緑、茎も緑、花托も緑、種子も緑、青々としてそれはそれで美しく、そう思う瞬間は暑さを忘れていました。 

ここのところいろいろあって、こころの浮き沈みが激しく、一喜一憂の連続です。


一生懸命身体を動かし、汗を流し、知恵を絞り、日々努力する方をみて、花ひらくように


気が付けば同じことを書き続け、理解できないことを理解しようとして理解できるわけもないことにとらわれる自らをみるとき、どっと疲れます。

できるだけのことをしていくことにします。

相違

 「何をみて感謝するか」
そのような問いがあることは稀で、通常の会話において、その方の答えは現れていて、自らの身勝手や狭い見解との差がつらい時がありました。
現在の私は相手とのその差を楽しめれば、お互い笑って時が過ぎていきます。

誰かにとって簡単なことが、私にとっては断崖絶壁のようなものであり、私にとって容易なことが稀に相手は困難であったり
それは

「何をみて感謝するか」

そう問うよりも

「何を怨みとみるか」

「何を怒りとみるか」

そんな目前の事(問い)に(嘘偽りなく)対する、その方の言動で随分、この方とは「合う」「合わせることが難しい」と出てきて、ただ一瞬でその方の全てなんて私には理解することが無理ですから、「同時(同じ時を過ごすこと)」は大切です。

「愛情」・「優しさ」・「情け」

情けないことですが、私に難しい言葉です。

花托(かたく)

 一日空いて、蓮の花を見れば、中心に花托がしっかりできており、可愛らしい緑色のドングリに似たまだ小さい種がしっかりみることができました。これからどんどんどん大きくなって、しっかりと種を残して欲しいです。
来年のことを考えなければいけません。
今年は植え替えも出遅れ、鉢も今より大きめのものを、せめて後二つは用意しなければなりません。見栄えがよくて大きな鉢となると値段もそれなりにします。これについてはもう少し候補や他の方法を模索してみます。後は土と肥料、これも今年みたいにならないようにする予定です。

今年もまた美しい薄桃色の花が咲いて、ささやかですがこころを満たしてくれました。蓮に感謝です。

もっと色とりどり沢山に咲くようにしないと、毎年進歩がないですから、来年は二つ以上の花を目指してみます。

日々、こころは動揺して、つい最善のことではなく、悪い結果になるのではということが払拭できません。


「三界は安きことなく、なお、火宅のごとし」 法華経 譬喩品




「もっと蓮のように

もっともっと蓮のように

美しく咲いていきたいです

何ものにも染まらず

皆の(そして私の)善いところが

花ひらくように」

夏のとある休日

 有難くお休みをいただいていました。この時期は夏休みですから、三人の子供たちが家にいます。家内が仕事に出かける前に

「お父さんがいる時にしかできないこと(難しい宿題など)みんなそうしたら」

ということで、朝早くから「けいくん」の自由研究に取り掛かり、「ありが何のエサによく集まるか」という研究を日差しを浴びながら、写真を撮ったり、バッタをとってみたり、蝶を捕まえようとしたり、その合間にどれだけ集まったか観察して記録しました。
その後は二人の兄たちへ宿題・手伝いなどの指示をして、家の中にいたら電化製品に偏りますので、庭に随分空気入れが小さくて空気を入れるのに時間がかかりましたが、無事プールを用意して、「けいくん」専用として入ってもらいました。
暑さと青空と少し風があり、快適に遊んでいました。一人だとやはり寂しいらしく何度も

「おとうさーん」

そう言って少しのことでも報告したり呼んできますから、私も観念して水着と麦わら帽子を出し、しばらくプールに付き合いました。
一緒に小さい小さいプールに入って、寝そべって、風と青い空と鳥と水の心地よい冷たさのなかで時を過ごしました。
ここのところいろいろあるから、こういうことがどれだけ有難いことだと思えるかという有難いことに気が付かされ、少し心が軽く、凝り固まり狭くなった心がひろくなったように感じました。

自由研究ではしゃぐ「けいくん」は蝉を捕まえようとしたり、蝶をと動き回っていましたが、蝉時雨、トンボが飛び、バッタがいて、ミツバチがいて、ハトが鳴き、アリがどのようなエサに集まりやすいかの研究の過程でも、虫と自然と青空と暑さ、本当あたりまえのことをみてあたりまえにとれていない私をみる日でした。

「けいくん」は喜んでいました。

私も慣れないことで疲れましたが、喜ばしいことでした。

花ひらく

 蓮がつぼみから、咲きかけて、ただ生育の手間を惜しんだ分完璧に美しいはなとならず、それでも花は花で、嬉しくしばらく眺めた後画像に納めました。

いいことばかり花ひらくのであれば、何も言うことがありません。

時に皮肉な花も、それどころか誰もが望まない悪の華ですら開き、やがて結実してしまいます。


考えてもわからないこと、どうなるかわからないことは、今は考えず、できるだけ前に向いて進めるよう、何に役に立つかわからないけれど、わからない何かを求めて。

いろいろなことがありすぎて、一日気が付けば終わって、やめようといっていたのにいろいろと考えています。

(今日はお酒はやめます)

明日

 今年の予定であった蓮の植え替え、一鉢しか鉢を用意できずに、一つだけ越冬した蓮を植え替えしていました。種から育てて初めて咲いた三年物でしょうか
言い訳ばかりです。今年いろいろあって植え替えも蓮の手入れや肥料などおろそかになり、いつになっても花芽が出ず、近くにいる方から
「今年はいつ咲くんですか」
どうやら今年咲かないような気配を見越して、少し意地悪な気配がその言葉に宿っていました。
「蓮に聞かないと」
それからしばらく世話を続けて(といっても専らついた虫を水圧で飛ばしたり、シャワーのように水をかけてあげたり(鉢の減った水分補給を兼ねて)、(自称)優しい目で見守ってみたり、すると少し前に友人が訪ねてくる前の日に、一つ花芽がでていました。
その友人には花蓮の種をあげたのですが、それはどうなったとついでにお尋ねすると
「まだ植えてなくてそのまま」
「えー、あの時植えるっていうから惜しいけれどあげたのに」
それから小さかった花芽をしばらく二人で眺め、しばらく経ち蕾も大きくなり、ひときわ高く抜きんでて咲きそうな勢いとなりました。今日咲くと思っていましたが、楽しみは明日になりそうです。
本当植え替えに立派な鉢をいただいた、いつもお世話になるおっちゃんに感謝です。

明日写真にまた納めておくことにします。

一気

 休日をいただき、長男の三者面談へ参加して、先生と楽しくお話ができました。長男は家内に似たのか成績は問題なく、当たり前ですが私とはいろんなことが違います。

真面目であること

他人に優しいこと

サービス精神にあふれていること

他にもありますが代表的な三つです。

周囲の方で年配の方から子供達が巣立っていく、無事に就職していく、または結婚していく、これから私と子供達にもいろんなことが訪れるでしょう。子供達三人タイプは全く違いますから、どうなるか楽しみであり親として心配することもあります。

難しいことではなくて、目前の一つ一つが大切であるのに、私の怠けや気づかない、学びが足りてない、他いろいろと終わって、あれこれと思うことはこれからも同じように続いていきそうです。

薦めてあった本を今抱えている問題のこともあるので、一昨日から一気に読み進めています。もう少しで終わりそうですが、書評できる余裕もなく、とにかく今日一気に読了することにします。

激しい感情(本音の更なる自己による増幅)

 七月二十三日 (日) 晴れ 蒸し暑い日
 昨日は飲酒をやめ、それなりによく眠ることができました。身体的な動きによる忙しさ、事務仕事による忙しさ、それぞれ忙しいと一言で現したとしても、同じであり違うものです。

立てていた予定通りに仕事にかかりましたが、朝から感情的な一時間弱のお話を聞くことにより、予定を変更せざるをえなくなりました。話す方と聞く方、私は今回聞く方になり、相手の感情によってこちらが感情的にならないよう留意して会話が終わりました。
後は時間の決まった予定をこなし、間に黙っていればいいことを言いすぎてしまったりすることもありましたがほとんど予定通りに進み、昨日の身体を使い続けた忙しさとは違うけれど同じように忙しく過ぎていき、このまま無事に終わるかと思えば、再度激しい感情の吐露を受ける側になり、その感情に揺らされ、帰ってもその動かされた分、私は冷静さを失い、余裕がなくなり、同じ言葉でも過度のある言葉で子供達へ今日やらなければいけない注意(言葉)となり、少し機嫌の悪い父という印象を持たれたように考えます。
ずっと何かが終わってわかることですが、私は本当に自分が好きで、自分本位な答えを出し、それは相手に理不尽や冷たい人間であるというようにとられることがあります。

短く言えば「優しくない人(又は自分本位・身勝手な人)」

都合よく美化して言えば「冷静で合理的な人」

都合よい美化した言葉は、家内が見れば大激怒するでしょう。

本当に私は私そのものが見難く、制御できず、理解できず、何故にそんなことを、など終わって私は自らの言動により自らが考えさせられてばかりです。明日は今日家内へ言ったことを全てこなして、誠実なところをみせたいです。


休養日

 暑い、蒸し暑い、暑い日となり、仕事は忙しく、時間は矢のように過ぎ、昼ご飯を食べたのが3時半過ぎとなりました。少し連続したので暑さにやられました。これは体力がないからだと家内に言われることを防ぐために、日が沈んで涼しくなったら、家内と一緒にその辺りを歩いてくるつもりです。

明日もまた仕事、あっという間に終わるほど充実していることを願い、今日立てている予定はクリアしたいです。

昨日も花壇の幼虫をとったのですが、今日見ればまだ何匹もいます。彼等の繁殖力は驚異的で圧倒されます。雑草も気が付けばあっという間に生えてきて大きくなっています。これだけの速度で野菜が増えたら便利だよねなんて誰もが思いそうなことを考えてしまいます。

夏休み中の子供達は兄弟仲良く楽しそうで何より、あの子達を見ていれば子供の頃を思い出し、彼等には彼等の今、私には割と過去の頃、この夏も何か良い思い出となるようなことが沢山訪れてくれればと願います。

明日もまた頑張るために、今日こそはお酒はやめて、早く寝ることにします!

夏休み

 中学・小学生の子供達三人の夏休みが始まりました。子供が学校に通っていれば学校行事はつきものです。
三者面談・個人懇談が三人いれば三人分、さっそく次男と「けいくん(三男)」の面談・懇談に行ってまいりました。子供達は成長していて学校での違う一面をそれぞれの先生方教えてくれました。家の中での面倒は私と家内がしっかりみて、学校内では担当の先生方にお任せするほかありません。宜しくお願いしますと何度もお願いしてきました。

三人の子供達、それぞれ得意分野が違い、苦手分野も違い、個性も三者三様、本当に違って楽しいことも多いですが、いろいろと親としては考えさせられることも多いです。

私が苦手な相手の素晴らしいことを認めそれを伝え、善いものは善いものだと嘘偽りなく真摯にお伝えすること、この作業が何度も言いますが私は苦手です、ひねくれた表現になっていたり、やっかみが入ったり、およそ私の悪いくだらない要素が混じれば皮肉なものとなり、相手を褒めるどころかけなすようにとられてしまいます。私自身の責任です。

「善いものは善い、普通のものは普通、悪いものは悪い。」

客観的に他に何人もが聞いていて問題のない、あの子達にそんな私の言葉をどれだけ伝えれるか


今日の酔っぱらいは、自分の為にあの子達の為に家内の為に、家族が関わりあう他の方達のためにも、いろいろと試行錯誤しながらやっていくのです。





大切なもの

 いろいろと話しすぎる日に、夜は夜で酔っぱらい、いつもより思ったことを言いすぎてしまいました。

酔っても酔っていなくても、言うことは言う性格ですが、いつも以上に本心を言いすぎて少し胸がいたくなりました。それによって誰かが傷つくのではありませんが、人には全てを言わない方が特に日本人は秘密や言わぬが花があるほうが話としては流れていくのは確かです。

今日流れで、昨日に続き幼虫をどけるクエストが発動してしまい、ただ終わって自慢げに見に行けばまだ何匹もいて、さらなるクエストを起こさねばいけません。

私が毎年育てている蓮も、気を抜くとアブラムシが繁殖しすぎたり、次には何かの幼虫に葉をすべて食べられそうになったり、人が気に入って育てているものは、とにかく目を離すと駄目なように感じます。
それに比べこの時期、庭の雑草の成長速度が速く、先日ぬいたと思っていたら、違うとこからも同じとこからも、まった違う者や同じものが生えてきてびっくりです。

私の怠けも、いろんな何かによって勤勉に変わればなくなっています。

雑草、幼虫、家事、育児、学び、読書、仕事、ただ欲張りな私は大切なことを疎かにしながらでも趣味やお酒を楽しむじかんを大切にして、次の日は後から、「あちゃー」となることがあるのに


「わかっちゃいるけど、やめられないのです」


(今日はかなり酔っぱらています)

何の幼虫

 今日はいつもの如く、仕事終わりに「けいくん」を学童保育の場所へ迎えにいき、雨が降らない暑い日でしたから、水撒きや水遊びが好きな彼に

「帰ったら、植物と畑に水を撒いてくれる」

「うん」

さて花壇に最近、びっくりするほど幼虫が増え、鳥肌が立つほどに黒い幼虫がいっぱいになり、私は近寄れませんでした。田舎で育ったというのに、最近虫はあまり近寄れないのです。家内はまた違う意味で同意見のようで、私に「あの花壇で大切に育てている花と植物を守って」という目でみてきます(自分はどうやらお願いのみに専念するようです)。

ここは一家の大黒柱の力を見せる時です!

とりあえず、帰って洗濯をしたり、お茶碗を洗ったり買い出しに行ったり、晩御飯を作ったり、およそそれって主婦なのではというツッコミは無しにしといてください。

頼りになる長男坊が部活を終えて帰ってきました。

「おかえり、お兄ちゃんさ、簡単な用事を頼みたいんだよ、簡単でそれでいて100円だしますよ」

「するする!」

「ここにゴム手袋と箸と倉庫にバケツがあるから、そのバケツに少し水を張ってだね、あの母さんと君たちの植えた花壇に巣食う、幼虫を残らずバケツに入れてちょうだい。」

「わかった(どうやらお金を出すことがほとんどない私からお金が出るということで作戦に乗っかってくれました)」

「勇者○○!よ、幼虫討伐クエストを達成してまいれ」

即座に勇者は旅立ちました。

どうも彼曰く

「見ていて気持ち悪くなるほど、幼虫がいた。数えるだけで40匹以上は幼虫をとった。けれど小さい幼虫が沢山まだいてとれるだけとったから後はもうとれなかった。」

正直でいいです。彼にはご褒美として100円、途中から参加した次男には50円、遠巻きに恐る恐る見ていた「けいくん」三男には50円、珍しく私は奮発しました。

第一回花壇保護クエストはどうにかこうにかクリアしました。

(この調子だと第二弾大規模クエストが発生すると思います。)

大きな声では言えませんが




「幼虫には要注意ですぞ」

幼虫

 昨日早く寝るという目標は、気が付けば午前三時を回っており、いつもより早く出勤する家内が
「お父さん、早めに出かけるから、子供達とゴミを出すの宜しくね」
寝ぼけながら、子供達を送り出し、多分無事にゴミを出して、そういえばこの辺りカラスが沢山いて、しっかり網などでカバーするか、ケースに入れるかしないと、カラスがゴミを散乱させ大迷惑になります。寝ぼけていましたが、ゴミが回収された後を見ると、一つもゴミが散らばっていないので安心しました。カラスは賢いから近所の方も随分気を付けています。
家内と子供達が植えている花壇の花と草が黒い幼虫がいて、随分食べられて先ほど家内が落ち込んでいました。田舎育ちですが虫が苦手なので、極力虫は他人にお任せすることにしています。

家内が随分前に買っておかれていたオー・ヘンリーの「最後の一葉」を気分転換に読み、子供の頃社会で流行っていたことを思い出しました。短編の名手で世界観へ入り込めれば楽しめるものばかりでした。もっとも私に知識や経験(前提)が足らないものに関して、その世界観へ入ることができず、よそよそしいままその話はすぐ終わり、次の短編へ。

気が付けば七夕が終わって、子供達はそろそろ夏休みが来ると、特に「けいくん」は喜んでいました。大人になって長い長い夏休みなんて無いです。休日は必要です。ありすぎても私にとっては良いことがないので、仕事が大切で有り難いことだと、長期の休暇や連休をいただいた後は身にしみます。

声うるわしき鳥を真に賞(めで)るは、その鳥の飛び去りてのち初めて知る

理解

 物事を理解する。これには「そんなのわかっ(理解し)ている」と簡単に字面というか表面上理解している気になる理解もあり、普通の理解もあり、深い理解もあり、さらにその真理を理解するという、時により人により場所により様々な理解の仕方と表現方法があります。

いつも大変なことがあったときに、大変な時だと気が付かず現れる友人がいて、特にその場で何があったか理解されていなくても(理解していても)話をずっといつも聞いてくれます。

理解してくれても、してくれなくても、困っている人にとって話を聞いてくれれば、それは重荷を分け合い、幾分楽になることができ、ただ最近それは有り難いことだと考えますが、安易に楽に走りたいだけに使うのであれば、成長・進歩・発展は望むことができないということも身に染みてきました。

「楽になった」そう思う時こそ、自らの足場固めとこれからに気をつけねば、私はまた足をすくわれ、痛い目に遭うでしょう。

しっかりと軌道にのり、多少のことでは揺らがない地盤が気づけるまで、気を抜かないで仕事や何かを取り組むことにします。ただ明日は休日をいただいていますから、ちょっとそれから離れ何か違うものをみることにします。

酔っぱらいすぎない程度に酔っぱらう夜にするのです。

やっぱり酔っぱらいは

 七月十六日 (日) 晴れ
 仕事も順調に進んで何より、これも職場の方の理解・協力があってのことです。暑い一日と仕事が終わって、干してあった洗濯物を片付ける前に、庭の植物へたっぷりと水をあげ、庭に飾ったままの七夕飾りをみて、片付けようと思ったのですが、しばらく子供達・家内・私の願い事をみて、もう少し置いておくことにしました。

連休で家内と子供達は家内の実家へ久しぶりに帰省、私一人ですから冷蔵庫整理しながら、あるもので自炊して一杯やっていました。そこで友人があらわれ、それから3時間ほど何かに付き合わされました。これは暑い中仕事をするより、肩がこる作業となって現在の時間にようやくここが更新されることになりました。

本当に私は言い訳と逃げることの天才ですから、何かや誰かや社会などを口実にして逃げ続け努力することからも逃げています。今日は明日の仕事の為に(一杯やりながら)よく寝て、明日こそ逃げない私になるのです!キリッ
(酔っぱらいの誓いは、いつも朝が来ればなかったことになることばかりです)

明日は明日で今日蒔いた種が、さっそく何か変化がある日になると思います。

楽しみに寝て待つことにします。

元気で

 約束していたカブトムシを一緒に森へ戻してきました。
ついでに、川に入って小魚を見つけて喜んで、他にも私達が歩く水しぶきや音で逃げることでメダカやオタマジャクシがいることもわかり、アメンボもいっぱいいて、「けいくん」は大喜びでした。

上の二人はもう中学生でうから、「けいくん」ほどはしゃぐこともなくなり、冷静にみています。むしろ私のほうが、賑やかなくらいです。一緒にいつもいく温泉に入って、綺麗に体を洗い、カブトムシのことを考えたことで植林された山々に改めて気づき、いろいろなことで感心しながら帰りました。

今日は家族と過ごす為に、子供達と休日があうようにお休みをいただいたので、有り難いです。家内が一番嬉しい顔をしています。

「何故誰かはあんなことをしたのか」

そう家内に質問されましたが、それはその誰かでないとわからず、尚且つ私はその誰かがあんなことをしたことの動機や意味を理解したいとも思わないので、

「後でその話は・・・」

子供達がいるからという理由を建前に答える気がない先延ばしをしました。

話好きでいろんなことを言うのが好きな私が、言いたくないことというのは、どうやっても楽しくも・良くも・面白くもならないことだからです。

逃がしたカブトムシがどうなるかなんて、少し心配しましたが、カブトムシのことはカブトムシに任せる他ないと考えをやめました。



明日の仕事の為に早めに寝ることにします。

暑いけれど風が強い日

 暑い日でした。仕事は充実していましたから、暑いけれど有り難いことでした。汗を随分かいた仕事着を持って帰り、洗うように洗濯場へ置いていたら、私が自分で洗おうとしていましたが家内が丁寧に洗ってくれていました。

夫婦というのは(前にも書いたことがありますが)、100組いれば100通りの夫婦の(みえないけれどみえる)カタチがあるから、それは正しい一つというものに限定されないものです。

よって私のところでは普通でしょうということが、他所の夫婦では普通ではなく変であったり異常と思われたり、「絶対ないそれは」なんてことは日常茶飯事です。

それぞれ夫婦(二人)が

「この人といたい(又はいてもいい、又は空気のようなもの、又は腐れ縁だから、他にもいろいろ・・)」

二人がもういたくないというその方達のみえないけれどある限界を超えれば、それは夫婦ではなくなると思います。

私はちょっと(近くにいる人達からすれば大分)変わって見えるらしく、一人楽しくしているか、激しい感情に身と心を委ねているか、何かに没頭しています(本当はそれ以外が多いのですがそれは大人の特権である内緒というものでごまかしておくことにします)。

「けいくん(三男坊)」と一緒に、知人からいただいたカブトムシのオスを逃がす計画を立てました。

「けいくんもさ、お家が大好きじゃない」

「うん」

「きっとカブトムシもお家が大好きだと思うんだ。カブトムシのお家はどこだと思う」

「森の中!」

「正解!!だからさカブトムシにまた会いたかったらカブトムシは生きているうちに、お家に返してあげたらいいとお父さんは思うよ、家の中でカブトムシが死んだらお父さんちょっと嬉しくないんだ」

「わかった。おうちにかえしてあげよう」

彼の提案はこうです。いつも行く温泉は山の中だから、そこはきっとカブトムシが棲む楽園というかお家だと考えています。帰す場所は自然が多ければ私は実はどこでもいいです。彼の考える理想の場所へ明日帰して来ようと思います。ただ彼は街中で育っていますから、本物のカブトムシが家に来たことは本当に喜んでいました。彼の理解に私は感謝しています。



他人の背中

 さて、今日仕事をしていて、今まで話していたことで、気が付いていないことがあったことに気が付きました。

内田樹先生がよく、システムを運営するにあたり「自分の仕事と他人の仕事とそのどちらでもない仕事」を「それだったら私がやってもかまいませんよ」という人が5人に一人、最低でも7人に一人は存在しないと、そのシステムが破綻してしまう。


確か似たような文章が内田先生の著作に幾つかのっています。

この自分の仕事だと決めることが本人に任せられることが多い時、個人差が生じ、その自分の仕事に随分幅が出て、そうなれば当然他人の仕事やそのどちらでもない仕事の幅も変わっていくということをあたりまえなことなのに、はっきりと今日気が付かされました。

Aの人は、私が思うより遥かに少ない仕事だけこなし「後は言われていないから」何もしない。

Bの人は、私の想像を超え、「これも仕事だから」そう言って時間内は真剣に仕事をこなされていく。

どちらも同じパートの給料が出ています。世の中にはこのAB以外の人もいます。狙って雇用するというのはよっぽどの幸運か好条件などでないと、皆がこの人だと求める方は少ないです。

ただ、どちらも人間ですから、人は理解されなければやる気や意義・目的を時に見失う生き物です。どの方にも、その方を理解でき、尚且つ前向きな気持ちを自然に持たせられる方が上司であればなんて

「そんな理解者が存在する確率ってどれくらいでしょうか」

そういつも私に優しい方へたずねていました。

いずれにしても今日は悲しみと不如意と老いにとらわれ、自らが起こし続けるその思い(負の感情)によって、潰されそうになるといったことを話して来られる方がおられました。(そういえばもう一人誰かと何かのせいにして、自らの思いを言い続ける人の話にもつかまりました)

以前のままではいけないと思い、しばらく相手の話を聞いていましたが、そのうち私は雷を落としていました。
「私がいつも貴方の近くにいて、愚痴(負の感情や思い)を延々聞かされれば、貴方の近くにいることも避けたくなるし、お世話も段々とおっくうになると思います。
もっと泣きながらでもいいから笑う時があってもいいと思います。悪いことばかりに目をやるのではなく、今の時期トンボに目を奪われてもいいし、蝉もないてるし、鳥も美しい声で鳴いていますよ。
とらわれてもいいけれど、そのとらわれが邪魔になる時はそれは捨てたらいいです。もっとも捨ててもすぐ抱えていますけどね私は。
『ぽいっ』っと投げ捨ててください。」

なんて割ときついことを言っていました。本当私の背中をよくみることにします。

あらかじめ成しておかなければ

 時間は皆に平等で一日の時間は24時間、それぞれの趣味・学校・仕事・食事・トイレ・雑用・家事・睡眠時間などは必要ですから、何かに時間を確保したいなら、何かを諦め、何かを優先するという作業となることが多いです。

 いつも近くにいる人が

「出来るだけ早く帰ってきます」

そう言って、3時間ほど帰ってきませんでした。本当に予定は未定で、計画は計画通りにならないことが多々あります。ただ随分楽になれたと言っていましたから、それは本当によかったです。後は残務処理に移行するのでしょう。

問題が大ききれば大きいほど、手間暇をかけすぎてもかけすぎることはないです。いつも近くにいる人は問題が解決するまで、面倒くさいとか時間がかかるからとかに逃げずに、最後まで貫いて欲しいと願います。

「あらかじめなされるべき努力まさにそれである」



あらかじめなされるべき努力を怠る人は、その報いを自らが受け取らなければいけないということになるからです。


本当酔っぱらった私は他人事のように、他人には厳しすぎることを言って、私の夜は更けていくのです。