大晦日

今日で今年も終わり、有り難いことん仕事も順調に進み時間は経過していくのですが、いろいろと困っている人をみかけ、困るということにも幅広い意味があって、今まで困っていたことが可愛らしくてしょうがないと教えてくれました。
「でも、あの時はあの時で本当に困っていたよね(お互い)」
「意味が違います。真反対というか質も違うものだし、比べることも出来ないです。」
「そうですか」

最近仏教についてふれることを避けている私がいて、避けているようでふれていて、できればその言葉を出さなくても自然にそのようなものだと自他ともに空気というか優しさというか雰囲気というか愛情というか思いやりというか何気ないことというか、本当に自らが気がつかず身の上に出るようにと願っています。
誰かを批判するとか、理解しようとかそんなことは本当はどうでもいいことで、難しいことやめんどいことは全てはぶいて、ただにっこり笑って、難しいことはわかりませんと嫌味のない阿保になって、礼を失わず仕事をこなしていきたいです。

怨みにとらわれ、怒りに流され、いったい何を理解できなくて困り果て、独りよがりの理解をできたからとて何の得にもならず、難しい人であればあるほど些細なことでもとんでもないことを言ってきたりしてきたり、それに対し怨みをぶつけかえしても弱い時や人や関係あるところへ何倍にもなってやり返してくることがよくあります。
ただそれは嫌味ではない何もつけ足していない、笑顔や感謝でないと、余分なことは本当に誰も受け取りたくないなんて思う日です。

今年一年近くの方も優しい方も私もいろいろありました。

あたりまえのことです。誰だって生きていればいろいろあって、あれこれと思案するでしょう。来年はもっとにっこりやで(私)!
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感謝と笑顔

 休日明け久しぶりの仕事、比較的忙しくて最後までに計画したことが終わらないで仕事が終わり明日へとなります。
しばらく会わなかったので、何かありましたかと聞けば、いろいろではなく割と何やらあって、今年は皆それぞれありましたというかそれは現在進行形になっています。

自らにとって理解できることと、誰かにとって容易に理解できること、仕事や人と人としての付き合いということはいろいろあって生活している人であれば理解できることも多いと思っていますが、そうではないこともあるということを教えてくれました。説明が無くても理解できる人もいれば、話を聞けば聞くほど理解できないことを言ってくる上に話し合いではなくおしつけてくる方もいると。
いくら考えてもわからない場合は、目前の仕事につきます。明日からもまた一つ一つやらなければいけないことをしっかりと終わらせていく予定です。

いつも優しい方は変わらず優しく、そうではない方もいつもの通りといってしまえば、「それは嫌です。やめて欲しい」なんて言われるでしょう。

「善人に善は成しやすく、悪人に悪は成しやすい。」


そのままです。ただ弱点や欠点やその時の状況によってそれもまた例外もあって、許容範囲もあって、いろいろ考えさせられます。
相変わらず変なことをあれこれと考えるのはやめて、やっぱり阿保になって感謝して笑うしかないです

今年も明日で終わりですから、今年のことは今年の内にできるだけ終わらせて新しい年を迎える準備をすすめます。


休日

 朝早く実家からつきたてのお餅が、佐川急便にて送ってまいりました。
先日子供達は里帰りの際に祖父祖母から一足早くお年玉をもらっていました。けれど中には誰からかわからないですが子供達へお年玉が入っていました。早速お餅とお年玉の御礼の電話を
「母さんお餅とみかんと子供達へのお年玉つきました。ありがとう。ところでこのお年玉は誰から?」
どうやら知り合いから親切に子供達へお年玉をわざわざ持ってきてくれたみたいです。滅多に会えない方ですからここは母さんに無理なお願いをしておくのです。
「母さん滅多に私は帰らないしその方に会えないから、代わりにお返ししといて下さい。」
「わかったから大丈夫」
もう安心です。

今日は家内は休日、私も子供達も休日、明日から私は仕事ですからちょうど一緒の休日は今日だけになり、朝から用事で午前中私は一人で出かけた、午後は家内と家の中を整理する品物を大きなホームセンターへ一緒に買い物へいってきました。年末で休日同じことを考えているのか年末に済ませるため様々なものを大勢の人が同じようにいて、知り合いとすれ違いました。
今年一年の労をねぎらい家内の好きな日本酒を二本正月用に買って、私用にはあまりみたことない麦焼酎を買ってみました。子供達にも当然お正月用にジュースを3ケースほど、帰って庭の気になるところを手入れして、次男坊の伸びた髪を綺麗に散髪、次いで私の頭も自分で散髪、ようやく今日が終わります。用事が思ったほど終わっていませんがそれは内緒にしておきます。後で時間を作って早く年賀状を書かねば・・・

とりあえず皆で楽しく夕食をいただくことにします。

掃除

 予定通り朝からずっと用事が詰まっていて、その合間に冬休みの子供達を遊ばせ(泳がせ)ながら、仕事でいっぱいいっぱいの家内の代わりに溜まっていた家計簿をつけ、お昼をだして晩御飯の用意をしている間に、子供達には目の休憩のついでに家中を掃除してもらい、長男坊にはお風呂の大掃除、皆てきぱきとこなしてくれました。
ただ次男の冬休みの宿題の取り組み具合は今日も一応取り組んでいましたが、進み具合はいまいちです。明日もしっかり監視しないと、私にすごく似ていて隙あらば遊ぶ才能を発揮してくれます。困ったもんです。
末っ子の「けいくん」は塗り絵をしたりお掃除を次男と一緒に掃除機を全部屋かけて雑巾がけを全部のお部屋してくれました。三人共指示が行き届けば素晴らしく良い仕事をしてくれます。
昨晩は家内がおでんを作ってくれていましたから、残ったおでんでもいいかと思っていましたが、「けいくん」が
「おとうさんぼくカレーが食べたい」
そう二度くらい言ってきたので、今晩はカレーを大きなお鍋にいっぱい作りました。具沢山(野菜大目)チキンと豚肉カレーです。よっぽど食べたかったのか大きなお皿に一杯食べてくれました。お腹一杯たべてよく寝れたらしあわせになれます(私は特に)。

家内は今日が仕事納め、明日から年末と正月休みに入ります。私は代わって明日まで休日、明後日から仕事が始まります。溜まっている用事がまだいくつかあります。最低でも私と次男の散髪は必ず済ませ、他の用事が全て片付けば完璧です。
印刷だけして宛名をまだ墨でかいていないので、本当は今日書いて出す予定でしたが明日へそれも回すことにします。今日の残りはゆっくりすることにします。

おつかれさま


 師走、いつも新年に向けて用事を先延ばしして年末は大慌てですすめることばかりです。今年の私は一味違います。インフルエンザで一週間ほど20日から棒に振りましたら、例年以上に用事が終わっていません。
家内も仕事の影響でスコーンとやらなければいけないことが置き去りになって、随分遅く今晩長男と家内と私で年賀状を印刷しました。書くのはここにきてもさらに明日に回し、明日の予定も午前中から詰まっていますがさらに他の用事も詰めていくと、ここまで予定を先延ばししないとやらないなんて文章にしてみてもやっぱりただの困った人。

末っ子の「けいくん」は少し遅れたサンタさんからもらった「レゴブロック」を楽しそうに今日一日兄たちへ自慢したり、何か作って見せてくれたり、一緒に作ろうと楽しそうに誘ってくれました。次男も「僕もサンタさんからレゴブロックが欲しい」とさりげなくアピールしていました。さて家内のチェックとお許しが出れば、あの子(次男)にもいいことがあるでしょう。明るく楽しく笑って、悪い空気は気にせず地のあほをだしていかないとね。
家内も明日で仕事納め、あと一日ファイトです。久しぶりに家族でテレビを見て一緒に笑って、あほになって笑うことの大切さを改めて気が付かされました。

全部あほになっていくことにします。

遅ればせながら

 体調が戻って、朝から溜まっていた用事を一つずつ済ませ、かといって全部が終わったわけではありませんがそれなりにすっきりしました。見た目とか部屋とかではなく、こころがすっきりしました。

やっぱり幼子(「けいくん」)の無邪気な笑顔や仕草、遊ぶ姿は何とも言えないです。どうも私が倒れていた間に普段のさぼっていたツケが回った次男坊は、せっかくの冬休みですがゲーム禁止と家内から言いつけられていたようです。
私のチェックやしっかりした確認をしていないのに表面上の言葉だけで信じて、成績も前より下がっているうえに遊び(特にゲームばかり)の日々になってしまっていたようです。何度も注意はしていましたが
「ちゃんと宿題とか勉強とかやってる」
「ちゃんとやってるよ」
どうもそれは口だけのようで、成績にしっかりとあらわれ、彼は彼の報いを受け取らなければいけないので、これから私の横に置いてしっかりとやってもらいます。当然その間私も勉強か役に立つ時間を今までより作らないといけませんが、これも私の確認不足のツケです。

彼は来春から中学生、進路だってこれからどんどん重要になっていきますから、後悔先立たずとならないように一緒にやっていこうと思います。長男はかろうじて趣味の時間を削られたくない一心で勉強時間を確保していましたからそれなりの成績を出し続けています。まだ「けいくん」は幼稚園だから成績表は来年の小学生になって楽しみとともに結果が出てくるでしょう。

家内が慌ただしくて良い子だった「けいくん」のプレゼントを買っていなかったので、先ほど次男のスポーツを送って行った帰りに、こっそり帰ってきておいておきました。早速みつけた「けいくん」は

「やったー、サンタさんからプレゼントだ。ぼくよい子でずっといたからだね。」

本当あの子はまだ純真無垢な幼子で笑顔はまぶしく何と形容してよいか。

「来年もいい子でいたら、サンタさんがプレゼントまた持ってきてくれると思うよ」

「うん」


体調で少し時期が遅れましたが、来年は無理のないようにしっかり準備したいです。

おかえり

 里帰りしていた子供達が家内と返ってくると連絡ありましたから、体調も戻ってきましたので、帰りは駅まで車で迎えに行きました。
到着時刻より前に駅へ着く予定が探し物が見つからず少し待たせることになってしまいました。「けいくん」が恥ずかしそうに駅からでてきていましたから

「早く、車に乗って寒いよ」

家内とお兄ちゃんたちが明日の食べ物をスーパーに買い物へ行っている間、車中で話をしました。

「けいくん、新幹線みれた」

「いっぱいいたからみあきちゃった」

「あははは、そっか、博多まで割と距離あるからいろいろ見れてよかったね、何か特別な新幹線みれた?」

「ふつうのしんかんせんばっかりだったよ」

「ドクターイエローは見なかった?」

「きいろいのいっこいたようなきがする」

「そっかみれてよかったね」

どうも実家の母は、同じ長崎県内のハウステンボスへ皆を招待してくれたようで、どうやらとても寒かったようですが、広い敷地と夜のイルミネーションとこの時期そんなムードがあるところに満載のカップルがいちゃついているのを長男坊は目の当たりにして、私にその辺りでキスする若者が一杯で困ったと力説していました。

冬になってインフルエンザに感染する私みたいな人もいれば、クリスマスにカップルやアベックはいちゃつかなければいけないという何かに感染して人の目なんて気にならない病気にも罹っています。中学生には刺激が強かったでしょうが、まあ遅かれ早かれでしょうか。

明日からは平常な日常に戻るため少しずつ家事ややらなければいけないことを一つずつ終わらせていこうと思います。

皆無事におかえりなさい。


何日か(たったの丸四日ちょい)ぶりに、声に出して会話したら声をどうやって出したらいいか自分の声が変に聞こえて、しばらく自分の声が出し方が話し方がどうしたらいいかとまどってしまいました。

何気ない日常へ早く戻りらねばです。

ひとり

 インフルエンザで寝込んでから、年末にかけて帰省とクリスマスプレゼントや片付けなど色々としなければいけないことばかりでしたが、一番奥の部屋で皆に接触しないように隠れていますので何もできず、家内一人で奮闘して、私の母の強引な説得によって私だけが残って皆長崎へ旅立っていきました。

クリスマスプレゼントもあの子たちに何が欲しいかをたずね(予算が決まっています高いものは無理ですけど)欲しいものと現実のものとの誤差をどうするか、予算の範囲内でどうおさめるか、そんなことで毎回悩んでいましたが、寝ているだけだとその悩みが贅沢なもので、かといってそれを無くしてしまえばあの子たちも悲しいだろうし、家内一人で家事・育児・帰省準備・プレゼントの用意をしてくれたことは有難いことです。明日には皆帰ってくると言っていましたから静かな日も今日だけです。まだ少し喉が痛いのが気にかかります。

無事あの子達はおじいさん・おばあさん・伯父さん伯母さんや従兄妹に会えたかな。

本当なら私が車で長崎まで皆を積んでいった方が予算は半額以下で済むのに、経済的にも負担をかけることに、ただあの子達特に「けいくん」は新幹線初めてだろうから楽しめてると思います。帰ったらあの子にいろいろ話を聞きたいです。次男坊にも話を聞くことにします。
一番は家内が色々と抱え込んでいるでしょう。

お土産話を期待して寝て待っていることにします。

病とあの子の課題

 12月23日

 本来ならば今日から私の実家へ家族皆で帰省する予定でした。病気にかかる前に母へ帰省すると伝えていたので、どうも楽しみにしていたようです。
ただ私はこんな体調と一定期間は接触を絶たなければいけないので、家内へ「無理せず自分で子供たちを連れていけるならだけど、無理そうなら計画は無しでいいから、とにかく無理しないように」私が寝込んで、家内が寝込んでしまっては困ります。

私の母は結構な頑固者で、予定を立てているから帰ってきなさいと家内へ電話でそのような話になったようです。私に相談されても私の答えは変わらず、「無理そうなら私がいけないんだからやめて」子供達と私と私の母に挟まれて一人で色々とやらなければいけないことが多いので、夕方に彼女の逆鱗にふれた次男は自らの日頃の行いのツケがまわって激しく怒られていました。
長男と三男が慌ててどこかへ避難して、それ以降彼達はキビキビと家事の手伝いなどをしています。
あの子達は家内の怒りの溜まる度合いや進み具合や逆鱗というかスイッチがまだわかっていないので、それは身をもって体感していくしかないと友達とひきこもる私は関係あるけれど、感染するため近寄って何もしてあげれないので、離れておくしか今はできません。

治ったらこの埋め合わせはしないと、あと次男にもっと時間を割かないといけません。あの子には話より実際に一緒に行うということが大切です。早めに対策をたて実行します。


病3

 12月22日
 
20日の晩から寝込み始め、まだ喉の激痛によって食事を取るのもおっくうです。ただ薬の効き目は恐ろしいもので、消炎鎮痛処置などを服用している間は痛みをあまり感じません。薬の切れている空きの時間には、病気が治っていない現実を教えてくれます。薬の偉大さと恐ろしさを少し考えていました。
ただインフルエンザ用の今回リレンザが処方されています。記憶では私はインフルエンザにあまりなったことがなく、家族は私をのぞく全員が同時期にインフルエンザに罹ったことがありますから、それ以来家族皆(私を除く)毎年インフルエンザ予防接種を受けています。

寝込みながら、まさか自分が罹るとは、来年から予防接種を受けないと家族や他の方達にも迷惑をかけないように受けることにします。薬が効いているのか悪化もせず、ただ効き目が切れている時はかなりきついので、やはりまだ治っていないことを痛感します。
よく食べて温かくして水分をとってよく寝るのです。

病2

12月21日

 驚異的な感染力を持つ今旬の友達(インフルエンザA型)のおかげで、取れてしまうのではないかと思うほどの痛み、悪寒、あまり吐くような体質ではないものの少し吐き気もあり、頭痛や倦怠感、さすが名前が売れているだけあります。

家族と一緒に住んでいるのにその強い感染力のため接触を避けなければいけませんし、当然そんな体力もまだなく、仕事をしながら家事や子供達と私の面倒を見てくれている家内に感謝です。よく寝て早く治さないといけませんが五日は接触をしないようにとのことですから、この友達としばらくひきこもっていないとです。

 引き続き朝から悪寒、長期休暇前に終わらせてから休まねばと「けいくん」を幼稚園へ送って出勤。
言葉を出すのもしんどく、ひどい寒気、ようやく仕事も落ち着いたので体温を測れば38度9分、上司に病院へ行っていいですかと尋ね許可をいただき、病院へ
運がいいことに病院の診療時間が午後3時からだったのであまり待たずに診察を受けれました。
どんどん悪くなる体調、ひどい高熱だからインフルエンザの疑いもあるので検査結果が出るまで点滴を受けていました。
先生が隣のベッドに座って

「残念、ここに二本の線が出ているから、インフルエンザ、それもA型、最近は薬が随分効くから早めに身体が楽になるけれど、5日間はウイルスまき散らすから、安静に隔離しといて、薬しっかりだすからきちんと飲んでお大事に」

帰って職場にそれを報告して、一番家の奥の部屋を確保して寝ました。しばらくインフルエンザを友達にするのでここもさっぱりです。

 予定より少し仕事の進捗が遅れているので、明日は予定通りになるように進めないと不測の事態が出てくると困ります。落ち着いていないせいか余裕がなくなって、全てを忘れるかのように気が付けば「あっはっは」と笑うだけです。

今年も残り少なく、いつも優しい方も身近な方も私もいろいろとあり、まだそれは続いていて早く無事に解決して普段通りにふるまいたいですが、おそらく前と全く同じだとはならないので、私はこの思いついたら何でも言う口に随分気を付けなければいけない年末であり、すでに来年やこれからの目標と決まってしまいました。

朝肌寒く起きて、布団をかぶりなおして寝なおしたのですが、少し体を冷やしたのか夕方仕事が終わって喉も痛いしだるいので子供達に指示を出してスポーツへ送っていってから迎えまで少し仮眠していました。温かさと睡眠が効いたのか少し楽になり、晩はもうちょっと温かくマスクをして、明日は水分と栄養としっかり取って仕事もしっかり進めていこうと思います。

いろいろあったせいで私と取り巻く環境の雰囲気で近くの方達が心配してくれていることが伝わってきます。

「大丈夫ですよ、なるようになります。

あったままお伝えするだけですから。」

その言葉に十分な説得力を込めれるだけの根拠などなく、ただの諦めにしか感じれないのでしょう。改めて考えてもそんなくらいです。

今更ですが今までにもっとやらなければいけないことがあったのではと、また遅れて悔みます。


次があるのかどうか次にはもう少しましな私でありたいです。

疑心暗鬼

 いつも「けいくん」がお世話になっている先生と思いがず出会い、挨拶をして「世の中は思っているより狭い(と思えることがあるもの)ですね」などと言いながら、日頃のお礼を述べ、改めて驚きました。

それはともかく、忙しい日々で気が付けば溜まっている仕事もはけていませんが、実家へ帰省前までに全部片付けなければいけません。時間と身体をもっと変なことは考える間もなくいかなければ休日まであまり日がありません。

何があるかわからずそれを必要以上に考えすぎて、これまた必要以上に疲れてもしょうがないので、なすがままというかあるがままというかあったままにあわせていくしかないことで、開き直って笑うしかありません。

ただ暇があればくだらないことを考えてやられてしまいそうなので、いろいろやって早めに飲んで寝るのです。

 何を優先順位において取捨選択していくか、長く過ごしていれば見ていて感心させられます。
その方の存在する場所や職場を大切にする選択をするのかと思えば、いつも我が身と自らの眷属に利益を優先させ職場で優先させるべきことを疎かにするだけではな、く知っているのに見ないふり、知っているのに知らないふり、最上級の技としてはそのことを報告しても知らない関係ない誰かのせいと見せてくれます。こころが狭いのか、あまり良いと思えないことを見せられるとこころが荒みむし、まだしばらくこの風は止む気配がなく、風には逆らわず自然に流さなければ、倒れてしまいそうです。

弱いから誰かに助けて欲しいと願うことがあっても、ついでに巻き込ませたりとか、誰かを生贄にとかね、される人もたまったものじゃないからやっぱりさらっと流さしていかないと。

仕事が終わって約束していた机を長男と買い物へでかけ、選ぶことにちょっと疲れ帰ってゆっくりしていました。子供たちは皆素直で有難いです。ただ私に似てゲームが好きすぎたりして、これまた同じで本末転倒に陥らないかと心配します。
家内は職場の忘年会、といっても会計などほぼ仕事などが入っているので楽しみというよりどこにでもある仕事の延長線上なので、少しでも楽しめて帰ってくるといいです。

なかなか落ち着かない日々で、近くの方達と子供達や家内に助けられてばかり、風が通常の風に戻ることを気長に待つことにします。

にっこりしないとね

 昨日もこころが落ち着くとはどういうものかはともかく、落ち着いていないせいか見てられないことを書いていました。かといって今落ち着いているかというとやはり落ち着いていませんので、ここはさっぱりさっぱりです。

赤ちゃんや子供を見ていると和みます。笑顔になれます。楽しくなれます。あんな風になりたいのに変なことが多く出て私だけでなく周囲も困ります。ずっとお世話になっているおじさんに会えました。私とおじさんは歳をとった以外変わらないのですが取り巻く環境というか一部が変わりすぎて、困ったものです。

朝よく冷えると思ったら雨が降っているのかと思えば雹がしばらく降ってきて、そのうちあられに代わり地面があっという間に白く、けれど雨に変わるとすぐに雹もあられもとけてなくなってしまい子供たちの楽しみも半減です。けれど幼稚園に迎えに行ったら「けいくん」が

「雪を皆であつめて遊んだんだよ」

そう楽しそうに教えてくれました。

「それはよかったね」

「うん」

子供の笑顔は最高です。


家内は仕事で遅くなるので、子供達三人に先に晩御飯を即席で用意して食べてもらいました。

明日からも極力嘘のないように正直に、にっこり自然に笑っていきたいです。

友人

 私達(夫婦)から言い出したことではないことですが、相手方が勝手に自らがしたことを悔いて約束してくれたことを自らの利益などを守るために、都合がよすぎることをしようとする雰囲気が最近あります。

不幸中の幸いに私には信頼できる方がいて、文書などに残さなくても私のことを信頼し約束してくれる方がいてそのことが本当に有難いです。また明日にそれを改めて形にしていただけるといただき何より感謝しています。

昨日子供達や今仕事をお願いしている方と今日世間話をする機会があって、「友人(友達)」の話をしていました。

私より一回り上の方で、長崎へ徳島から里帰りする話をしていたら

「私の親は55の時に亡くなりました。」

「(最近の平均年齢から比べれば)早く亡くなられたんですね」

「そうです」

それから子供達の話になり、仕事を依頼しているせいか、私が顧客ですから社交辞令で長男坊と会話したらしく、長男が利発だとえらく褒めていただきました。私は世に生きる中の代表的な親バカですからそれにのっかって

「(あの子はお金をかけてないのに)学校でも割と優秀で自慢じゃないですが、自慢の息子で成績もいいんです。昨日あの子の友人が登校拒否気味だから、言ったのです。

本当の友達というの人数じゃないよ、少なくても自らを損得勘定なしに助けてくれるそんな友達が沢山できるわけないじゃない。あなたは助けてくれる前に、貴方にとって大切な方を何か助けれるようにあらかじめ助けれるように努力してほしい。(そうでなきゃ貴方を助けてくれるわけないじゃない。)」

そんなことを仕事を頼んだ方と長男に話せば、仕事を頼んだ年配の方が

「本当にそうですね、困ったときに困らないように早めに助けてくれて、あらかじめ困らないようなことをしてくれるそれが友人だと私も思います。」

初めてあった方と差し入れしたものを一緒にいただきながら休憩がてら一緒に短い時間をすごしました。私はその短い時を涙を流しそうになりながら有難いと思う日でした。

それよりも私の思いを何の障りもなく受け取ってくれる身近な友人へ感謝しかないです。


「本当に有難う」


「蝶来たりし時花開き、花開きし時蝶来る」私は後から生まれてきたけれど、あなたに会えて本当に感謝しています。

 忙しいことが予めわかっていたので、休日を削り出勤を増やして皆が楽に回るようにしてくれることは正しい判断でした。ただ忙しいだけなら本当に言うことが無いです。

誰かが何かを言っていました。その後言ったことと真反対のことを言っていました。反対の事なのに相手と事情が変わればどちらも正しいことだけれど、一つに決定しなければいけないとなればどちらかが正しくてどちらがか嘘になると周囲で声が聞こえました。

以前ならばそれはむきになってどちらかが正しいと力を込めるのかもしれませんが、どちらも正しいことで私はどちらにも反対する気にもないのです。その聞いた方と言われた方がよく話し合えば問題がなくなることだと思うからです。

「あの時は相当怒っていましたね」

そう今日言われ、それもそうなんだけど、ちょっと違うような気がして

「怒っていたのではなく、どうして問題が出てきたと思うのに当事者に話を聞かないのか、相手を理解しようとしないのか、相手の話を聞いているのにどうしてそれを聞かないふりや信じないふりをしてくだらないことを言うのかが理解できなさすぎただけだよ」

まあこれ、言葉にすればやっぱり教えてくれたように怒り心頭だとしか思われないですね。


横で洗い物をする長男坊と「友達」ということについて、私的見解をのべていました。これは明日にでも覚えていれば思いつく限り書いてみようと思います。

やっぱり明日は久しぶりの休日ですが予定は朝から割とびっしりつまっているので、一杯やって寝ることにします。

『「今日どんなことがあってもニッコリやで」そうあの時答えを出されたとき、驚きました。』

それから

「私にはそんなことできません。怨みと怒りが大きすぎてニッコリなんてできるわけないじゃないですか」

「それでも、やっぱりニッコリするしかないよ」

その日の夕方、朝の宣言が望むほどできず

「やっぱり笑えなかった。こころが凍り付いて表情も止まって、心臓を冷たい何かでつかまれた感じで、笑えなかった。」

そんな先日の出来事を

「最初この人は悟ったのかと思ったら、夕方には人間の対応だったからある意味安心しました。けれどあの時の答えには感動したのですよ。」

「あれだよ、怨みは怨みによって・・・のままで、正しいからと思い込んでやり返そうという思いが知らずに出ていたのかもしれないから、やっぱり自然体で怨みでもなく怒りでもなく悲しみでもなくとってつけたものでもなく、素直に笑顔をだせなければまた返ってくるという答えしか

誰だって痛いものは帰ってきて欲しくないよ」

まあ冗談の合間にそんなことを彼が言ってくれたことに内的な思いを答えていました。

一つの現実が浮かび上がります。答えは理想で、私のこころと体がそれにピタリと寸分の狂いもなく当てはまることなど少ないことが現実で、その差がどれだけかわかれば、他人がみて問題がなかったと言われても痛いのです。

終わってしまったことに時間を割く(泣く)より、今とこれからの楽しい(なすべき)ことに時間を費やすのです。


つまりは一杯やるのです。





久しぶりに

 慌ただしくないから少し溜まっていた仕事も進めることができたけれど、忙しく仕事が回り切れない方が会社としては潤うのだからどこでもそれぞれの立場でいろいろなことを考え、頭を悩ませることでしょう。昨日慎むことを近くの方達に伝えたのに、即座に思ったことを言ってしまい

「ああ駄目だ」

そう言って口を手でふさぎ、言ってから

「この発言は問題になるので、却下却下」

挙句は

「慎むと言っているそばから、調子飛ばしていますよいつもより」

いろいろなことを笑って話せる方に感謝です。

「いつもより何でもニッコリでいくよ」

そう言って笑っていました。ただ心がどうしても時が止まったかのように硬化すれば、表情からも笑顔ではなく固まってしまい、礼を失わず言動をという最低限のことしか思い浮かばなくなり、早足での行動になります。

ただ最近では少し笑って過ごせる時間が今日は多かったように思います。思いついたことを言うこの性格が災いとなるか私と皆に笑顔をもたらすか、優しさになるか、慈しみとなるか、怒りをぶちまけるか、怨みつらみになるか、悲嘆にくれる現状をこぼすだけとなるか、いつだってそれはこころからですが、あたりまえのことをあたりまえと正しく見つめれないとき、困ったことになっています。

「仏教がすべてに役に立ちそれだけで解決できるか」

そんな問いを仏教へ向ける必要もなく、向けないのであれば仏教は存在する必要はないと決めつける必要もなく、漠然と仏教がどうとか考える必要がなく、私は私のことを理解し、深くみつめ、困難な時の私ほど私はどんな私であるか、私はどのようにありたいのか、どうあれば皆と瞬時に深い何かをみつめようとできるか。

それだけでいいかと思うのですが、愚痴でもなく・説教でもなく・おしつけでもなく・重荷とならず、ただもっと瞳の色を濃く、重荷にならない短いけれど深く静かに響く言葉を少しだけ会話したいです。

先のことは未定です。

ただ今宵は一杯やるのです。