これ

 悩まされることの多い日で、頭を抱えました。

問題を解決したいと願うのですが、問題を解決しようとする者同士であれば、意見が対立したとしても、問題が少なくなることは多いです。

あっちにつくのでもなく、こっちにつくのでもなく、そのどちらについているのでもなく、かといって離れているわけでもついてるわけでもない。結局普段からの努力や学びが足りないことで、悩み苦しみもがくことばかり。「対立は人を育てる」と先日書物で見て感動していました。

今日はどうでしょう、対立に耐えうるだけの私であったか

「贔屓目に(仲間の眼から)みて問題ない」とかは問題外であって、近寄りがたい正しいでもなく、すーっと染み入るような正しさだった、だから問題ないということは理想の一つ。

誰もが受け取らない「たらい」は誰が受け取るのか

「不用意なことは慎み、でしゃばることを避け、誰かのせいにしたりあげ足だけ取り続けたり、回ってきたたらいは誰かにまわせばいいのか」

そう私に問わねばいけないことを近くの誰かに問うてみます。

「重荷は重いから重荷なのであって、そこらへんにおいたり、誰かに背負わせたりすれば、その人は軽くなる。だからそうやり続けたらいいと」

そう誰かに問うてみます。


誰かが変われば、答えもさまざまに変化していきます。本当は誰かなんてどうでもいいことです。

「私はどうなのか」


これこそが悩みの大きなものの一つとなることばかりです。
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散策

 休日明けの仕事、ひょんなことから付近を散策しなければ(ただの口実ともいいますが)ならなくなりました。
鳴門市の西端に位置する職場から間近の市と板野郡の境を越えた阿讃山脈沿いにある場所を探索してまいりました。

詳細な場所はJR阿波川端駅北方の丘を愛宕山といい、頂上に4世紀半ばに築かれた前方後円墳がありました。道中は獣道のようでも掃き清められており、盗掘や荒らされるたりすることの見回りを行っているせいか、雨などでぬかるんでいる場合を除いて上りやすい道となっていました。

しっかりとした案内看板が立てられ、そこに古墳の見取り図の詳細が書かれていました。綺麗な前方後円墳が描かれてありました。
有名な仁徳天皇陵は前方後円墳の代表格みたいなもので、その大きさは

2.古墳の大きさについて
古墳の最大長840メートル
古墳の最大幅654メートル
墳丘の全長486メートル
墳丘基底部の面積103,410平方メートル
後円部の直径249メートル
後円部の高さ35.8メートル
前方部の幅307メートル
前方部の長さ237メートル
前方部の高さ33.9メートル
全長約63.8mの前方後円墳。
堺市公式HPより抜粋、URL http://www.city.sakai.lg.jp/kanko/hakubutsukan/kofun.html


対して愛宕古墳の大きさは(他ネット検索では

 古墳時代前期(4~5世紀)の前方後円墳で後円部は南方に造られ、直径21.8m、封土の上部は崩れ周囲は松に被われている。北方に向けた前方部は、2mほど低く、長さ44m、幅13.5mの規模を有する立派な古墳で、後円部の竪穴式石室は、四国でも有数なものである。
観るナビ 徳島 板野町HPより抜粋 http://www.nihon-kankou.or.jp/tokushima/364045/detail/36404af2170120881



他の場所には後円部は直径約44.2m、前方部は長さ約19.6mとのっており、総合計63.8mとなって仁徳天皇陵の約六分の一の大きさの古墳で四国では割と立派なものだということがわかりました。

田舎の自然の中にある古墳ですから、風情や歴史や厳かさを感じ、竪穴式石室が露出しており、周囲は柵が針目ぐされてありました。

出土品の中に埴輪や玉類・鉄製品も出土していることから、縁あって働く職場の近くには1500年前から鉄鋳造技術があって、神社仏閣や古墳や城もあるという歴史に思いをはせていました。

さて本命の調べものである、愛宕山近辺に丸山城を築いたという「木内丹後守」の墓碑を調べに行ったのです。


(酔っぱらった上に、時間も遅くなって、最大の問題は書く気がなかなかおこらず、本題へちっとも進みませんでした。さて次回へ続くのです)

まるいお月さま

 昨日の晩、訪ねてきていた両親や姪と家内や子供達でお月さまを眺めました。
今日も晩に次男をスポーツに送っていけば、丸く大きなお月さまが夜空にぽっかりと浮かび、とても明るく綺麗です。

すすきをずっと玄関に家内がしばらく前から飾っており、いつもならば団子を作ってお祭りしてから食べるのですが、来客もあり、母が団子を買ってくれたこともあり、手作りの団子は来年のお楽しみとなります。

花札の絵柄にある、「花見で一杯」「月見で一杯」の一杯の柄は、「菊と杯」重陽の節句がモデルとなっているとか、中学時代に入っていた寮で先輩に花札を教えてもらって、楽しんだものです。今日は次男のスポーツを無事に迎えてくればようやく一人の時間がもてますので、それから「月見で一杯」の予定です。

相変わらずの運動不足で、運動会の子供たちの出ている競技の撮影や自分が出場する競技に二種目参加しただけで、身体があちこち痛いです。普段強い日差しをあまり受けない職場ですから、日焼けやそれにもかなりやられたようです。本を読んだりコンピュータを前にしてばかりの日常の賜物です。

二週間弱ほど休みをいただいていなかったので(溜まった休みで)昨日と今日の連休となり、両親と姪を飛行場へ朝から送って行った後はゆっくりさせてもらい、夕方から家内が新しい取り組みをはじめたので、家事を交代して普段食事を任せきりなので大したものはできないのですが全員食べてもらい片づけをすれば任務完了。

定期的に里帰りはしていますが、突然帰らなければとなれば身内の不幸事がほとんど、高齢による確率の増加はいたしかたないとして、若くても関係のない不慮の事はどなたもさけることができにくいことですから、なんてことをほんの少し話をしました。(相手にだけではなく私も家内も子供たちもそれは同じだということをです。)

余計なことは言わないようにと、両親にあえば思います。遠く離れているのに心配はかけたくないです。

色々と善いことをしたいと思います。


気が付けばいつまでも言い訳の多い私しかみない現状を善くしたいと願います。

似ていない

 昨晩から曇りで星月も見えず、雨もふっていたようでした。朝起きて雨は降っておりませんでしたが、曇り空外に出ればほんの少し雨が落ちてきました。

「今日運動会あるのかな」

家内へそう尋ねれば、学校からの連絡(メール)をチェックしていました。

「連絡来ていないから、通常通りあるみたい」

ちょっと不安でしたが、次男と三男の楽しみに待つ運動会へ向かいました。昨日仕事の間に次男が席を取りに行ってくれていました。毎年体育館の裏でゆっくりと日陰でご飯をたべています。そこから競技は見えないので、今年は見えるところを席とってといっていましたが、次男はあの場所が気に入っているようです。(人目が少なく陰でゆっくり食べれ終われば寝転がれる場所は大好きなので大歓迎です)

幼稚園の「けいくん(三男坊)」と小学生の運動会は合同で行われます。なので、こちらに越してきてもう中学校になった長男が幼稚園に通い始めた頃からですから、かれこれ8年か9年程気が付けば運動会を見ているのだと、まだ「けいくん」が5歳ですから、この場所に住んでいれば後7年はこの小学校の行事に参加することになると考えていました。

次男は私や家内に似ずに、私の父に似たのか、背は低いですが敏捷性も高く・足も速く、リレーのアンカーに選ばれて、前の子たちの関係で順位こそ悪かったですが、かなりの俊足でした。午後の徒競走でもぶっちぎりのトップでゴールを決めていました。その走りを見ていた父が

「おまえやお前の兄は足が遅かったけど、あの子はフォームから素晴らしい。」

家内に

「お父さんに全然似ていない。早いよあの子」

なんて言っていました。確かに短距離は苦手でした(負けず嫌いですが長距離は早かったのですよ昔は)
普段から無口で、成績がよい兄(長男)とは違って、光っているところが見えにくいですが、運動会のあの子は光り輝いて見えました。私にはあの子のための運動会なのではなんておもうほど光って見えました。本当に私とも家内とも長男とも違います。

「けいくん」も走っていましたが、私に似たのか足は遅かったです。ただ私からすれば可愛らしいので問題は何もないのです。長男もスポーツでないところで光っています。中学校に入って委員長にも選ばれ、いつも好奇心多く、皆を引っ張って楽しくいける才能があの子にはあるようです。(本当長男も私や家内と全然タイプが違います)

「けいくん(三男)」がどんなタイプに育っていくのか、何で輝いていくのか、本当に楽しみです。見たとこ身体能力は低そうなのでそっちは難しそうな気配です・・・。

あの子達のいとこ(私からすれば姪)をつれて見に来てくれた、両親に感謝です。それぞれお小遣いもいただき、助かりましたし有難いことです。

昼少し前から、快晴になり、暑いほどの気候になって、帰ってみると普段日の当たらないところで仕事をする私は赤く日焼けしていました。

長男は中学校の宿泊訓練で淡路島へ行っていなかったことが残念です。あの子がいない運動会や昼食が少し寂しいものでした。あの子たち一人ずつ大きくなって少しずつ巣立っていくのでしょう。

楽しみでもあり、少し寂しくもあり、暑い日でした。

職場の方が配慮してくれて運動会へ参加できたことが有難かったです。少しも私のことを気にかけない人もいますが、私のことを気にかけ優しくしてくれる方は、私にとっての忘れられない人になっています。

にぎやか

 (子供達の運動会のために)両親が長崎から徳島まで飛行機で来てくれました。遠いので来てくれと呼んだわけではありません。実家を小学校卒業からほとんど離れて暮らす次男坊の私は、そんな時に家族ということを強く認識します。そんなことは現実にあまり関係なく、ただ家内は大変です。
私の両親が来るということは、掃除も準備もおもてなしも、普段一緒にいないから気は余計に遣います。
(普段一緒にいる方だって気は遣うよ、と長男のところへ嫁に行かれ何十年もたっている方がそういつも何度も聞いていないことも教えてくれます。)
出たとこ勝負の多い私と違って真面目な家内は、黙々と夜遅くまで準備をしていました。生憎今日も仕事でしたので、朝早くから空港へ迎えに行ってくれていました。

もう長男は中学生、私も40を過ぎているということは、両親も歳をとりました。父もいつの間にか70を超え、少しだけ年下の母だって70に手が届きそうです。あらためて「光陰人をまたず」が重く感じられます。いつまでも元気でいて欲しいと願います。できれば死なないでほしいなんてことも思います。おじいさん(私の父の父)は平成17年2月22日91歳で亡くなりました。おじいさんは(確か)七人兄弟の長男として生まれ、兄弟全員とても長生きです。生きていれば101歳くらいでしょうか、近所では難しいおじいさんと思われていたと思いますが、おじいさん子の私は優しいおじいさんとの素敵な思い出をはっきりと覚えています。
あの子達(私の子供達三人)は、私の父とどういう思いでが残るのか、いずれ親になり子供におじいさんがどんなであったと言うのか、それはそれで考えると楽しいです。

父は楽しい(面白い)人で、若い頃からスポーツマン、今日も仕事から帰れば次男坊と遊んでくれていました。父母だけでなく姉の末娘も一緒に来ていたようで「けいくん(三男)」とはしゃぎ、物凄く賑やかです。

明日の天気が気になるところではあります。

8人で夕御飯を楽しくいただき、明日に備えるのです。本当人が沢山寄ると女性は大変です。いつも有難う、今日も本当に有難う。

そして私は明日が久しぶりの休みなので一杯やるのです(いつも一杯やっていますが、少し気分が違うものです)

スローガン

 秋といえば、いろいろなことを思い浮かべます。読書・芸術・スポーツ・食欲・行楽・お月見・ブドウ狩り・収穫・お祭りなど、人により見ることは違えど、私は今子供三人ともが運動会(体育祭)の秋となっています。

 小学生の次男が、運動会のスローガンを幾つか書き、それを生徒がそれぞれ持ち寄り、クラスで良いと思うものを選び、それぞれの学年代表の中から、一つ決まるようです。

あまり難しいことを考えることが苦手な次男のために、三つほど考え用紙に記入しておきました。酔っぱらえばお調子に乗りすぎる私は家内と子供へ

「どうこれ、結構いけると思うんだよねえ」

家内はいつも私の味方ですから

「結構いいと思う」

まんざらでもないようです。次男も照れていましたが、感触は良かったようです。それからそのことを何日かして忘れていました。ふと運動会が近づいた夜、次男へ尋ねてみました。

「そういえば、運動会のスローガンどうなったの」

「お父さんのだめだった」

「えー、結構いけると思ったんだけどなあ」

私の彼に聞いた感じだと、先生の受けはよかったようですが、子供たちにはぴったりとこなかったようです。

「しまった、選ぶのが先生だと思ってたけど、選ぶのは子供たちだったのか」

横にいた長男に

「『大人達がみたら、これいいんじゃない』と言うと思ったんだけどなあ」

「お父さん、大人じゃないからね小学生は」

「うーん、そうか」

次男坊に来年の抱負を誓うのです。

「来年はスローガンとるよ!」

長男が横で

「そこそんなに気合入れなくていいんじゃない」といったような顔をして見ていました。来年次男は小学校最高学年で最後の年を迎えます。やっぱり目標がないとね

昨年の長男と一緒にリレーで走った時は日ごろの運動不足がたたり、こけてしまいました。今年はこけない種目綱引きへエントリーをしました。

私なりにあの子たちと盛り上げてこないとなんて思う秋の日です。


「当日は晴天なり」であることを願います。

(今年書いたスローガンはどんなものかそれをすっかりと忘れてしまいました、どこにもメモもしていないというね)

惜敗の私

 いつもの如く話をお聞きしました。いつもその方は誰よりもよく働かれており、松濤弘道先生の著作の中で「働く」とは、はたを楽ににすること、それが働くことだと書かれておられました。先ほどのその方は常の行動がはたを楽になっていくよう努めておられます。

 私たちの社会組織はオーバーアチーブする二〇%と「とんとん」の六〇%と、「アンダーアチーブ」の二〇%を含んでいる。オーバーアチーブする人間はしばしば標準の五倍、十倍のパフォーマンスの高さを示すことがある。それはアンダーアチーブの人々の不足分を補って余りある。
 だから、つねづね申し上げているように、人間のつくる組織は「五人に一人がオーバーアチーブする」だけで回るように設計されているのである。
「ひとりでは生きられないのも芸のうち」内田樹著



常々言われる「五人に一人がオーバーアチーブすれば、そのシステムはしっかりと運営できる。だから五人の内だれか奇特な方が『皆がやらないのならそれだったら私がやってもいい』という方がいればうまく回るのである。なんてよく他の著作でも言われています。(アチーブメントは達成の意味なので、オーバーアチーブというのは期待以上の成果という意味かな)

よくいつも率先して働いておられる方が、獅子奮迅のご活躍をされて、終われば

「これでいけるでしょう」

「そうですね、助かりました。有難うございます」

そのようなやりとりを何度もみてきました。

現状は問題が後から後から突然出てきます。その方の言った通りにせず、変な独自の判断で物事を進め、偏って誰も理解できない独自の見解を捨てずにそれを押し出すことにより、さらなる問題が続々と現れるのです。部下や同輩であれば一言注意して終わりのようです。ただ経営する側が何人も存在すれ(食いつぶしていけ)ば、次のような言葉を聞くのです。

「やってもやってもおいつかない」

そう言いながらも、できることをされています。落ち着いて、さらに次のようなことを言われていました。

「出るのは(お金や善いものではなくて)、ため息ばかりやな」(それでもできることを自らの品性を損なうこと無く続けられておられます)

「本当そうですね(いけません・・・)」

続きの「ひとりでは生きられないのも芸のうち」内田樹著に書かれている話をしました。

 だから五人に二人がオーバーアチーブしないと動かない組織というのは、制度設計自体が間違っているのである。



一人や二人や三人が、オーバーアチーブしても、問題が無くならない組織というのは、制度設計が間違うどころか、存在する意義が無いのではないかという話を世間話としてしてみるのです。


その方は花を活けておられました。元活けてある花より素晴らしく活け替えられていました。

「随分と見違えましたね」

「ちょっと手を加えて良くなる花なんて簡単なものよ、いくら手をかけてもよくならんようなこともあるからね」


本当、対抗意識を出すのですが、惜敗どころではなく惨敗な私です。

秋分の日

 子供達は休みや時間が空いた時に、庭で遊んでいれば、隣の方がちょくちょく子供達にお菓子や飲み物をくれるのです。びっくりするほど私はその方と仲良くなくても、子供達をみて笑顔になれる人達は、子供へ何か与えてくれることが多いことが有難いです。

大人の事情で言えば、知っている方から私じゃなく子供達にいただけば、やはり何かお返しを機会があればしなければと思います。よって大抵仕事で家にいない私は家内へ
「何か気の利いたものを買ってきて、渡せる時に渡しといて」
忙しければお互い忘れてしまい、更に子供達が何かいただいていたりして、私は本当に困ったさんです。

彼岸の行事があって参加していれば、晴天に恵まれ、暑い日ではありましたが風がありましたので、屋根もありましたし、快適に行事は終わりました。例年少しずつ気をつけているので、問題も少なくなり、今年は問題になるようなこともなかったことはさいわいでした。
ただ、相変わらず苦手な方・自分勝手な方・我が事ばかりで他人のことを見ようとしない方・自分はあまりせず他人にさせてばかりの方達と過ごせば、私の心は問題を作り続け、それによって荒んでいくいつもの悪い癖。

自分勝手なことをやり続け、他人の人生を左右されることを行っているのにその自らの成した過去現実を少しも見ようともせず、ただひたすら自らと家族にのみやりたい放題の方の善い所を探し、怨むこと無く、礼を失わない私であることを常としたいと思います。


以前に世の中と相手と自らを果てしないほどに呪い続けていたことを思い出します。


そんな時は仕事だってやる気も出るはずもなく、言葉だって角のある言葉や吐き捨てるようなもので、態度だってどうしようもなく、今と未来に善いことなんて一つも無く、ふれあう方に愚痴・不満をこぼし続け、学ぶことを自ら放棄し続けてきました。

どうしようもない(過去と今の)私をもっと観なければ、私は一体何を観ているのか


あの人が美しいと思える時、私はあの人を観ています。

きっと

私がわけもなく涙するほどに感動したり、求めているときの私は、私を観ているのだと思えることがあります。

ただ何度も

 お彼岸に入り、明日は彼岸の中日(ちゅうにち)つまりは国民の祝日でもあり、昼と夜の長さが同じ(位)であるという日。

先日何気なく車を運転していたら、植物の時間を計る精度が何分を認識しているのかということを学者の方が話されていました。一つの実際の例えで
「植物に日光が九時間当たっても、その花は咲かないのですが、九時間十五分だと花が咲くのです。」
植物は十五分の差を感じ取れると語っておられました。面白いことを言われるなあと思って、その後きいてみたら、
「ひまわりは太陽を追いかけて咲くから、向日葵というがこれは正しいか、そうではないか」
という質問をされていました。ラジオですから質問を出されて自分で答えられていました。答えは向日葵は必ず東を向いて咲くそうです。ただ葉は日の当たる方を向いていくので、向日葵が太陽を追いかけているというのは正しいということでした。
さてずっと太陽を追いかけて向きを変える葉は朝になれば又東から太陽が登ってくる方向へ、何時葉が朝太陽が登る方へ向くのかという質問がありました。
答え、日が沈むと朝日の方へ先に準備して向いているそうです。(しっかりと観察をしていればそのことがわかると言われていました)
時計もないのに、体感でそのことを判断できる植物、面白いなあなんて思いながらその時車を走らせていました。


今日も私のことをいつも理解してくれて、優しく、できることをしてくれる方がこころばかりの配慮をしていただきました。ただそのことにより、何故か現実難しいことになってしまい、申し訳なくなり誤りました。

「気にせんでいいよ、(貴方のせいではないし)私が勝手にしていることだから」

(私を)理解しようとも、(私の)現実を少しも見ようともしない人達の代わりに、いつも配慮しているかのようです。

罰当たりになれば、お金も入りやすく、簡単な方法だとあり、ただひたすら善を求め続け、善きことを成そうとすることは何よりも難しい(法句経の一節の意訳です)。

きれいごとばかりを言いたくて、お金が本当は欲しいのに、まっしぐらになれず、理想を追い求めるから困ったことが増えるだけのことです。

私は現実を生きているのだから、私を取り巻く現実に私は左右されるものです。


ただ何度も

「難しい」

悪い日ではありませんでした。ただ何度もそう口にする日でした。

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困ったさん

 連休による恩恵か、人も多く、つまりは仕事も忙しく、朝から慌ただしいまま終わりまで慌ただしく、あっという間には感じていませんが一日の仕事が終わり帰りました。

よいことばかりがあれば、これは誰にも頼まれていないのに、心の中心に気がつけば居座って、思うように行かないこと・苦手な人が頻繁に近寄ってくる・大変手間のかかることがこちらにくるなんてことがあればあるほど、誰かと何かではなく自らの中心に居座っている思いとの差だけ、つらくもなり、倍疲れる事にもなり、気持ちも重くなったり、面倒くさくなったり、誰かが勝手に作った心の思いこそが難しいことを作り続けることになっています。

予定も同じようなもので、これもまた頼まれなくても勝手に立てておいて、周囲に明確に表示すらしていないのに、予定がドンドン潰れていけば同じことが起こって、しまいには「予定なんてたてなければ良かった」なんて、少し問題がおかしくなるような結論をだしやすい(私)です。

この他、問題・論点・視点などのずれを自らが生じさせること、これは簡単に「誰かと何かのせい」にする行為をよくしがちな私です。(これ本当に自慢にならないんですけど、駄目だなと後で思う時はそんな時ばっかりです)。

素直になること(嫌なものは嫌ということに素直になるという意味ではないです)

謙虚になること(必要以上に善いことを否定するということではないです)

変なものを全面に出さないこと(押し付けと偏りを心中より相手にだしすぎないこと)

相手の思うようにしてあげること(悪いことはしないことは当然のことです)

挨拶やお礼を飾りで言わないこと(飾りでもしないよりはましですが、できればわけへだてなくお礼をできること)


現実自らの心が作り出したものが邪魔しすぎた時に、上記の気をつけないことが全て失われ、他人を害い、他人を害うことによって自らが加速して害(そこな)われ、さらに自らによって害っていることを自らが認めなければ、加速して酷い自らの現状へと向かうことがよくあります。

明日は休日をいただいておりましたが、急遽仕事が忙しくなり出勤へ変わり、忙しいのは有難いことなのに、暫く休めないことにがっくり来ている残念な私を見ました。


目前のことをしっかりやることができなければ、どこにいっても何もできないというのに・・・


しっかりしろ(私)


子供をスポーツに送り迎えし、用事が終われば一杯やって寝るのです。

ひょんなご縁で安楽寺へ(四国六番札所)

 家内のご両親、実家は徳島県外で中国地方ですが、お父さんとお母さんは時折、札所をお参りされています。
昨日も四国六番札所安楽寺へうち孫さん二人を連れ徳島に来たのだからと私の家族全員招待して下さいました。たまたま残業がないので当日も明くる日も仕事でしたが、仕事終って私は後から安楽寺に合流したのです。私が働いている鳴門市から、阿讃山脈沿いの農道を走ることになり、すすきが風に揺れ、柿がなり、ヒガンバナが田の畦に群生し鮮やかな赤い塊が見られ、赤い絨毯がいたるところにあるような田園風景を車を走らせました。

阿波三盆糖の工場近くの田畑には、おそらくサトウキビが植えられているようでした。できれば一本いただいてサトウキビかどうかかじってみたかったのですが、夕食に間に合うように時間がなく、六番近くの畜産試験場に飼われているのどかな牛さんたちを見ている間に六番札所安楽寺へと到着、離れた道路脇の駐車場に車を停め、大きな石碑(四角形)の下段に絵と共に刻まれている句は四面のうち三面に一つずつ、急いでいましたが句を拝見しました。

「暮れても 宿がない もずがなく」

「分け入っても分け入っても青い山」

後一個を忘れてしまいました・・・。(今度はしっかり覚えておきます。)

人生を行乞流転の旅に身心を捧げた山頭火はその背負った行李に「人生即遍路」と書き、旅に見を捧げた先人の芭蕉を愛し、芭蕉の残した書物を愛読し、正法眼蔵も愛読し、行乞しながらその日の糧を得ながらの生活、宗教的なものもらいのことを乞食(こつじき)といい、ただのものもらいを乞食(こじき)といいます。
山頭火の行乞日記には、相当な自己反省の言葉が綴られ、誰かに物をいただくときには「鈎につられた魚になってはいけない、魚を投げて与えられた犬になってはいけない」などの、行乞にあたってルンペンの一人ではあるが、魂までは捨てず、いやあえて苦難の道をいくことで魂を磨き、句を(生を)いや自身そのものを、輝かせていこうと、何度も「私は私の愚かさに帰らなければいけない」「本然に帰らなければいけない」などの、目を見張る言葉が出ています。

ここ安楽寺には遍路を愛する人達が山頭火に憧れ、山頭火の句がいくつも石に彫られ残されています。

そんなことを考えながら安楽寺の宿坊へ入り、ご両親と家族に合流しました。安楽寺は朝の勤行ではなく、夜に勤行がありました。高野山真言宗寺院ですが、そのお勤めは他の真言宗寺院とかなり変わった勤行で、気になる方は一度宿泊されればよくそのことが理解できると思います。
とりわけ四国八十八箇所の札所の中で唯一、本堂のご本尊様と大師堂の本尊、つまりは「薬師如来」様と「弘法大師」様に宿泊された方はお参りした際に手で何度も触ってご利益をいただけます。その他、大仏師松本明慶師の仏像がかなりまつられ、仏教が好きであったり、仏教芸術や仏像が好きな方は本当に満足できると思います。

夜のお勤めが終わり、ゆっくりお風呂(温泉)に入り、次の日(今日)も仕事でしたので早めに就寝しました。朝食は朝早く出発したいお遍路さん達のために6時半となっていました。有難いことです。

住んでいるところから、30から40分位で着く場所ですから、私は泊まることがないだろうと思っていましたが、思わぬご縁をいただき、勉強になりました。売店の方が以前から知り合いの方でしばらく世間話に花を咲かせ、家族が帰る際にはお土産をいただいてたようです。(私は出勤のため皆より早く発ちましたので、朝はお会いすることが出来ませんでした。残念です)
有難うございました。

今度はもうちょっと時間を長くとって、色々とじっくりみようと思います。

 いつもの如く、本日も仕事、明日も仕事で有難いことです。
月給固定制(サラリーマン)ですので忙しくても暇でも、同じお給金ですので本音で言えば、暇な時間が多ければ有難いなあ、なんて現実逃避的な願いを持つのです。(ほんのちょっとでも考えれば、ずっと暇なのであれば私を雇用する必要もないのだから忙しいほうが私を守ってくれることでもあるというねえ、ほんたうに困った私ですよ)

昨日だったか、よく見かける不思議な光景をみたのです。嘘みたいな本当の話(その方を十何年か見て、何か思うことがよくあります)。

それは知らない方が来られるとすぐに、自らがしたことをさも「貴方(達)のためを思ってしたのですよ」と口にする。誰かが虚偽や誇大に言うなどとは初めから思わない人、普通の方であればまず相手を疑ってかからないので、一般的な方のお返事は

「それはどうも私(達)のために有難うございます」

と頭を下げられることをみる。
貴方達のためということ、嘘ではないのかもしれないが、本当のことを言っているとも、普段からのその方(の言動)を見続けていれば、私だけでなくその方と時を長く過ごした方達の間には重い空気が漂う。

以前私がそのような重い空気に慣れず、打ちひしがれていたら、誰かが(数ある表現の一つであろう中から)教示してくれた。

「ほら見てみい、ああやって誰も自分のことを善くいってくれない(又は善く言ってくれるのを待てない)から自分で言いまわっとる。

普段からできることをしていたら、自分は黙っていても勝手に周囲(皆)が言ってくれるの、待つことをしらない。」

「それは困った人ですね」

「何言うとん、その人はちっとも困っとらんよ、困っとるのはいつも近くにいる人だけ、いけんよ(そんなんばっかりやられたら)」

(どんなに取り繕って)善いことをしているといっても、普段の行いが自らと自らの家族にだけ著しく優しく、時を長く過ごす方には少しも優しくない、ただあげあしを取り続け、面と向かって注意することをせず陰でふれまわるだけであれば、長く見てきた方にはその言葉が本物かどうかがわかる。

そんなことを考えていたら、そう言えばもう一つ教示していただいたことを思い出す。

「私達の前じゃなくて、知らない人の前でだけ言ってくれ」

なるほど、私達は見えておらず、だからだろうか知らない人が来たら、私は善い人なんですよと言っている。
事実は知らない人だけでなくて私達もいるのだから、聞こえてくるものは聞かなければいいのに聞いて一人腹を立てる私。

晴れわたる好日、誰も頼まれてもいないけれど一句よんでみる。

「したがえば したごうほどに あしきみち

いきるためには したごうほかなし(かえすくちなし)」

そう決めて生きるため家族や生活のためと割り切り、したがうかたもしたがわないかたも、間にいる方もみる。

「私はどうなんだろうか」

ただ染まることなく、誰もがそこなうこともなく、汚れることもなく、正しいとまではいかないにしてもあたりまえに生きていきたい。
相手を否定したり肯定したりする言葉ではなく、蓮の葉にのった水のように触れているのだけれどもはじいて落としたい。

絵に描いた餅をうまいと食べてるような、わたしをみる。



あの蓮のようにありたい。

三人よれば

 職場では大抵(行事や繁忙期は別として)三人で仕事をこなしていることがほとんどで、理想で言えば仕事は選びたいのですけれど、いつの間にか机の上や目の前に様々な仕事がやってきています。
それは時に簡単な仕事、普通の仕事、難しい仕事、(私)担当の仕事、誰かの仕事・私や誰かの仕事ではない仕事・厄介事など、偶然か必然か作為的かはともかく、時をそこで長く過ごせば傾向も出てきます。その一つ、他の部署の方の目前にたらいが回ってきたみたいで、標準な装備なのか・オプションなのか・やる気が無いのかはともかく、たらいが来たら回せばいいと思っている人が多いと、行きつく所よく私(又は私達)の前にちょっと(いやかなり)めんどい仕事(たらい)が回ってきて、見渡すところここが終着駅であることが体感上多いように感じます。
気のせいかと思って他の二人に聞いてみたら、それは同意見のようでした。

理由はともかく、見渡して誰も受け取ってくれそうにないのならここ私(や私達)で終わらせて前に進むしか無いのです。後味の悪い結果になるときもあり、恨みに思う時もあり、思ってもいない好結果となり喜んだり、思わぬ出会いを生んだり、苦しんだり、悩んだり、いずれにしても想定以上の結果が出現すれば、いつも近くの人が言うもんです。

「三人寄れば文殊の知恵」

本当私全く同じ中身が三人いても変化・対立・衝突・革新なども少ないでしょう。タイプの全く異なる三人が力を合わさって思わぬ好転をみせるからこんなことわざが残り、昔の人はいいこと言うなあなんてタイミングよく耳にすれば思います。
ふとそんな三人を考えていたら、とある話を思い出しました。

金光明最勝王経の確か捨身品に、つまりはブッダ(仏陀・お釈迦様・バウッダ・ゴータマシッダールタ・釈迦牟尼世尊、薄伽梵バカボンなど)の悟りを開く前の生を書かれたものを本生譚(ジャータカ)などと呼び、その有名な一つに「捨身飼虎」があり、飢えた乳の出ない七匹の子を持つ母虎を前に三人の王子が、飢えた虎を見て思う話です。

一人の王子があのままでは飢えた母は我が子をいずれ食べてしまうだろう(または全員死んでしまうだろう)。
三番目の王子が「虎は何を食べてその身を養っているのかと問う」
もう一人の王子が「それは血を流すような赤い生身の肉だろう」と答える。
答えを聞いた三番目の王子は二人より早く、自らを近くにあった乾竹で突き刺し我が身を捧げ虎を救ったという。

その二人の王子のうち一人は慈氏(弥勒菩薩)でもう一人は曼殊室利(文殊菩薩)、三番目が私(釈迦)であると説法されたという。


そんな三人の話を思い出しました。仏教にはさとりに至るための方便(手だて)として比喩を用います。何もいつも我が身を捨てなければいけないことを説いているのではないと私は思います。この上なきさとり(無上正等正覚)にいたるための覚悟を比喩をもってあらわしているのでしょう。

一人の人間としてこの世にあらわれた偉大なる完成された智慧を持つ人間をあらわすのに、人の一度一生だけでは説明がつきにくいことを長い前世にわたって功徳を積み、最後の一生が仏陀であった。


そんなことを思い出し、うまく文章がまとめようとしてまとまらず、時間もかなり過ぎたので今日は用事をして寝るのです。

おプレゼント

 下旬の次男坊誕生日が迫ってきました。ど田舎の農家で育ち、近所にはお店がないような山奥で育ちましたから、とうぜん誕生日のプレゼントやサンタさんというハイカラなものは小学生時代はなかったです。ケーキすら兄の誕生日やクリスマスと兼ねられるという大胆かつ合理的なもので、そりゃあもう大人になっても大人気なく、そんな小さなことを恨んだものです。今はそんな頃が懐かしいものです。

ただ現代の社会は、私の周囲は共働き家庭も増え、両親の両親が援助してくれたりと、本当に少し前からすれば物質的なものはあふれていますので、私も子供達もそれに影響され、よって対抗意識と幼少時のないものを取り返すために、あの子達には必ず「おプレゼント」を渡すことにしています。

始めから中学生になった長男坊・次男坊・幼稚園の「けいくん(三男坊)」も例外なく、私の稼ぎに反映されプレゼント購入額は全員ずっと固定としています。太っ腹をみせ予算は5,000円!その中で彼らのその時一番欲しい物を合計金額でも単一金額でも5,000円と厳格な範囲の中で葛藤してもらい、一緒か頼まれた場合は私が購入しに行っています。仕事終わりに次男坊へ声をかけました。

「約束していたとこへ行くよ」

それを聞いた「けいくん(三男坊)」も一緒に行くと言います。

「行ってもお兄ちゃんの誕生日プレゼント買うだけだから、何も買ってあげれないよ」

「わかった、一緒にいく」

よって三人で、次男ご所望の新しく格好いいサッカーボールを大きなスポーツ用品店へ、カラフルなサッカボールがいくつも並び最近のボールは色鮮やかで何種類もあり、しばらく「あれがいい・これがいい・やっぱりこれ・やっぱりこっちかな・いやこっち」と割りとサッカーボールゾーンの間で待たされていました。その間体力の余っている三男坊は広い店内をあちらこちらと見回っていたようです。彼(次男坊)は高い5000円格好いいボールを買うことを止め、2500円程で割りと気に入ったデザインのサッカーボール5号に決めました。

「残り何買うの」

「スライム」

近くの指定のおもちゃ屋に到着、スライムってなんのスライムかと思えば、彼はドラゴンクエストの1番弱い敵青いスライムの人形を手に持ち
「これ、このスライム(の腕でかかえれるような大きさのぬいぐるみ)」

2500円と値札に書いてあります。二三度本当にそれで良いのかと尋ねてみましたが、決意は堅いようです。無事に購入できましたので、誕生日の朝まで預かり、当日お渡しすることが儀式となっています。

三人男のがいて、それぞれの好みがあって、楽しいものです。



「やったー、おプレゼントだ♪」



三男坊けいくんはそう言っていつもプレゼントに「お」をつけて喜んでいました。




(次はおとう(おかあ)サンタの出番を待ち望む十二月に事前にあの子たちの好みを探り、隠れて購入しに行くのです。)

日々(最近と今日)のこと

 朝からどなたかに来客、それを余計にこじらせるような思いを心中に出して、それによって現実もこじれていくことに又遭遇。
それを自分のせいではなく誰かのせいではないかと誰かに遠くからあたるような発言をして、その二人は仲がよくなるはずもなく、発言した本人がしてもしかたないのに自己嫌悪、そんなスタートの日でした。

何かあってすぐはいつもより気をつけるもので、そんなことがあったからこそ他の大きなことでも地雷も踏まず失言もせず、つまりは問題なく過ぎていくのです。いいのか悪いのかわからないようですが、発言した本人が受け取らなければいけないことです。

先日風邪を引いてしまい、一時的に薬によって良くなっていた体調を快気したと錯覚し、いつものようにしていれば昨日の朝より熱が出て仕事が終わって即座に病院へ行き、薬を処方していただき、今日はその御蔭で体調も随分落ち着いています。ただこれも良くなったと錯覚してしまえば、つける薬もなくなるので今回はじっくり治します。

「お喋り好き」と「お喋りすぎ」は随分違うし、「善いこと言う」と「大したことないことばかり言う」は随分違うなんて、自分を見て思います。いつも時間を多く過ごす方達ができているから、好き放題いっても受け止めてくれたり、私の問題も問題として受け取らず理解して優しくしてくれることを勘違いして、それが全てに思うのではないかという大馬鹿な錯覚のような大きな勘違いを何処かへ捨ててきたいです。

できたこと(良いこと)は、誰かの恩恵やおかげで、悪いことは自分にも問題が多分にあるもの。そのように思い過ぎもちょっと問題になりますが、謙虚・素直さ・学び(知恵)が少なくなった時の私は本当に醜いものです。


誰かのことを悪く思う前に、やれることがあるのだから、それをやっていきたいです。

行き着けば困った私

 朝から最近そんなに口論をしないのに、近くできつめの口論の声が聞く気はなくても、
感情が高ぶれば大きな声になりやすいから、耳が痛いほど入ってきました。

内容はともかく、はっきりさせようとすればするほど「言った・言わない」の言い合いです。
確かに言っていないことを私も何度も聞いていましたが、本人は「言った」と一点張り、双方譲らなければ
地位・肩書・財産が多い方の声が通りやすいものです。いや他を省みず自らの意見を押し通す方の声に負けるというか、
押し出してきた変なものにこちらが汚されたくなかったり、触るのが嫌になったり、
言い合いをすることがしんどくなってきてしまう方の負けでしょうか。

それがその方の今までの生き方なのであれば、誰かにとやかく言われることも嫌でしょうし、
受け取る気が無いならば何もわたせないなんて現状を見ていました。

言葉による表現や伝え方が苦手な方であれば、真意が逆にあだとなる光景もよくみます。

その人が好きになれれば欠点も含め、好きでゐられることも事実、
見えてないけど見ている好きなら誰かに「痘痕(あばた)も靨(えくぼ) 」なんて近くの方がいいます。

ここでよく聞く「あばた」を広辞苑に求めれば

あばた「痘痕」(梵語arbudaの転)痘瘡(とうそう)が治った後に残るあと。またそれに似たもの。→あぶだ

あぶだ「頞部陀」[仏](梵語arbudaあばたの意)八寒地獄の第一。
ここに堕ちる者は、厳寒のために身体がただれて、あばたを生ずるという。

あばたもえくぼ 好きになると欠点まで好ましく見える意。

書いている間に近くでちょっといろいろあったので、また一つ思いつくことを調べてみる。

すれからし[擦れ枯らし]世間ずれして、厚かましく、わるがしこくなったこと、また、その人。すれっからし、すりがらし。



調べ物に没頭もできず、なんて言ってる傍から、感情的になってしまう自分が情けない。

変わった四葉

 風邪もだいぶ治ってきて一安心だと思っていたら、今度は家内が同じような症状の風邪になって熱を出してしまいました。長男坊の体育祭準備や家事と他の用事が重なり、疲れていたところへ元気になってきた私の相手などで症状が出てしまったのだろうなんて思います。

先週の休日は私が寝込み、今週のお休みは家内が寝込む、ちょっと季節の変わり目とはいえ、体調がすぐれなければ、おでかけなんてことも、その辺りを散歩やウィンドウショッピングも楽しめません。

なので喉がすごく痛いといっていましたから朝一番に、耳鼻科へ連れていき、後は安静にしてもらいました。「けいくん(三男坊)」の幼稚園の送り迎え、家事は振替休日により家にたまたまいた長男坊がほとんどを手伝ってくれましたので、おかげで私は楽ができました。次男は小学校とスポーツなどで忙しいので、お手伝いより宿題や学校へ行く準備を限られた時間で済ませ、やることをやってしまえば残った時間で遊んでいました。

長男に三男を午後は任せ(一緒に遊んでもらい)、家内には寝ていただいて(私も昼寝をついでにして)、夕方涼しくなったので「けいくん」と散歩へ。

蝶やトンボが軽やかに飛び、暑くもなく寒くもなく、散歩にはうってつけの気候でした。近くの公園へ行きたいというので、公園に到着。おじいさんが椅子で一人黄昏ていましたので、ご挨拶をしてからブランコや滑り台を満喫と、滑り台の横の家に最近飼われはじめた子犬がしばらく見ない間に大きくなっていました。けれどまだ子犬ですので毛並みも若く綺麗です。

楽しそうに遊ぶ「けいくん」を子犬は必死に塀の向こうから目と体で追いかけていました。少しのぞける下の方から「けいくん」と子犬が話をしていました。

「こっちにきたらいいのに」

「けいくん、犬は放し飼いができないから、塀の中にいないといけないんだよ」

子犬だからでしょうか人懐こい犬だからでしょうか、本当けいくんと一緒に遊びたそうでした。姿がみえなくなれば「クーン・クーン」と声が聞こえます。

ちょっと子犬に申し訳ないので、もう一つ隣の公園へ移動しました。そこでは小学生のお兄ちゃんたち二人が草むらから大きなバッタを探して、何匹も虫かごへいれていました。けいくんはそれを横目で見て、ジャングルジムへのぼり独り言みたいに

「バッタはかごの中じゃなくて、お外がお家だから逃がしてあげたほうがいいよ」

最近子供たちに虫を捕まえて、一晩放置していたらよく死んでいる姿を見掛けましたので、観察が終わったらお家(元いた所)へ戻してきてとお願いしていたことを忘れていないようです。一種の私の懺悔というかお願いというか、私も子供のころ虫なんでも取り放題にとってきては、かごに入れ、入れたことを忘れて全部死なせてしまったり、残酷なことを子供の頃よくした思い出が今は後悔となっているから、あの子たちには「逃がしてあげて」という願いのおしつけとなっているのだと思うことがあります。

小学生二人はバッタだけでは興味が尽きず、トンボや蝶もかぶっていた帽子を網代わりにして、沢山とっていました。本当私の子供の頃やっていたような光景でした。

つい他所の子に、うちの子と同じようなことを言ってしまいそうなので、散歩に切り替え、農作業にいそしむ人達を眺めながら元の公園へ戻れば、けいくんは「四つ葉のクローバー」と三つ葉を挿して教えてくれました。

「けいくん、それ四葉じゃなくて、三つ葉ばかりだよ、数えてごらん」

「ほんとだ、みっつ」

そこから二人で分かれ、四つ葉のクローバーを探しました。ずっと探していました。けいくんが

「ないなあ」

そんなことを聞いてしまうと、見つけるまで帰れなくなってしまいました。しばらくして変わった四葉のクローバーを見つけました。

「けいくん、ほら、ほら、ここ、あったよ」

小躍りして、お母さんに走って持って帰っていました。少し変わっている四葉というのは、よく絵で見かける綺麗な四葉ではなく、三つ葉の中心の葉の裏からもう一つ後ろに葉があるタイプでした。今まで何度も探して見つけたことがありますが、あのタイプは初めてで、二人で大満足でした。

何かの邪魔

「色々な方のいい話を聞きき感心したり、素晴らしい書物の文に光をみたりしてるから問題も少なるなるのではないですか」

「いくら他人のいい話ばっかり聞いたって賢うになるかいな、自分が必死にやってないんだから」
(中身がいっちょも伴わないのに、建前だけ追うていって、ようなるはずがない)

そんな辛辣な言葉ですが、(私の)現状をあらわす言葉を聞き、さらに問うのです。

「何が障害(問題)ですか」

「必死にならなくたって、生活が困ることがない人であれば、お金や地位が邪魔しとるな

世に生きる人で、学問をまなんでいなくても、生きていくためなら必死に与えられた場(その道)にあったことを吸収し、賢くなるものよ」

「両方あったって、うまくいっている人もおられるじゃないですか」

「そんな人は稀じゃわな

たいていお金か屋根(地位・肩書・恩恵)のまぶしさに負けて、妥協してのびんわな(そんな借り物のまばゆいまやかしの光を放つ人達を多く見てきた目をしていました)」

「恩恵がないから私はその辺(情けないけれど)恵まれていますね」

「そうやね」


よく現状(ありのままの真実)を突き詰める問答をします。

持っているものが人より少ない私が、普通の人と対等に勝負するためには、何かしらで日々補う努力をしなくては、どうにもならないことです。


迷いやすく、調子に乗りやすく、美しいものに弱く、自惚れを持ちやすく、安易な道に走りやすく、継続を怠りやすい私


取り返しがつかなくなる前に、問うことにしています。


まあもう取り返しがつかない程、学びや努力を若いころに人より疎かにしすぎてきた報いだと最近つくづく思うこともあります。
過去にとらわれすぎる私も醜く愚かですが、痛いものをみずして成長もないと言い訳をします。


何かあっても、よくなればなと阿呆になりきって思います。

あき

 携帯を持たないようになって、随分と友人からの電話が減りました。友人・先輩・後輩などに会えば

「携帯を持ってないから、連絡が取りずらい」

そう言われることは多いです。仕事も休日も仕事終わってからの時間も、束縛されないというのは慣れれば本当に楽で

「用事があれば固定電話(自宅)でも、職場でも気軽にかけてくれたら」

そう伝えても気軽な用事で職場や自宅の電話がなることはあまりなくなり、自宅の電話が鳴れば大抵営業案内・勧誘ばかり、いそいでとればとるだけ余計につかれるなんて始末と。

ただ時折重要なことで電話があるので、一昔前の電話を大切に使っているから全て同じように電話が鳴れば急いで誰かが出ると、長崎のおじいさんは死ぬまで電話が黒電話だったことを少し思い出しました。平成も四半世紀経ち、子供達の認識は電話といえばジーコジーコと回す電話の概念はどこにもないようです。

 昨晩、珍しく友人から自宅に電話がかかってきました。急ぐ頼みごとだったから背に腹は変えられないようです。(まあここ突っ込むところなんでしょうが、どうして世帯主が私の家の自宅の電話にはかけにくくて、私が携帯を持っていたら何時でもかけやすいのか、あまり料金も一昔前に比べればそんなに高くないとは思うけど)
久しぶりなので気が付けば小一時間話していました。体調も戻り、後はお酒があればもっと完璧でした。

「今度ゆっくりお酒でも飲もうや」

「そうしよう」

いつもの如く、果たしたいけれどなかなか実現しない何度目かの約束をして、電話を切りました。

仕事終わりに次男坊の必要なものを長男と買い物へ出かけ、その間次男坊はお風呂を掃除して三男坊と一緒にお風呂へ入ってくれていました。

近くの田んぼでは稲刈りが行われ、夕日に照らされる稲穂は何故か和みます。トンボが飛び、稲が全て刈り取られ田もまた風情があり、ツバメやスズメが稲の上や周囲を飛び交う姿にしばらく時を奪われ、気がつけば家に帰ってきていました。

今度また家内や子供達と葡萄の産地へ葡萄を買い出しに行かなきゃね。

かなわない

 誰かが誰かの話を聞いて言う。

「あの人の話は、いつも実がある」

それを聞いて、思い問う。

「いつも実がある話しの反対はなんていうのですか」

「かるい

まああまり聞く気になれないかな」


他人がどう判断するにせよ、一生懸命にお互いがしようと思っているなら、一緒だろうと思う。中身が深いか浅いかなんてことだけを追求されれば、まず私の文章や言葉から無いものになる。

どうして深きと浅きや広き狭し、高きと低きのようなもの、そこに見えないのに空気のようなものとして出現するのか、なんて考えすぎてもあんまりいいこともないので、そんな時は近くにある読みかけの本に目をやる。


昭和五年
十一月十二日 晴、曇、初雪、湯布院湯坪、筑後屋(二五・上)
九時近くなつて草鞋をはく、ちよつと冷たい、もう冬だなと感じる、感じるどころぢやない、途中ちらちら小雪が降つた、南湯布院、北湯布院、この湯の坪までは四里、あまり行乞するやうなところはなかつた、それでも金十四銭、米七合いたゞいた。
湯の平の入り口の雑木山もうつくしかつたが、このあたりの山もうつくしい、四方なだらかな山に囲まれて、そして一方はもくもくともりあがつた由布岳―所謂、豊後富士―である、高原らしい空気がたゞようてゐる、由布岳はいい山だ、おごそかさとしたしさとを持つてゐる、中腹までは雑木紅葉(そこへ杉か檜の殖林が割り込んでゐるのは、経済的と芸術的との相剋である、しかしそれはそれとしてよろしい)、中腹から上は枯草、絶頂は雪、登りたいなあと思ふ。
此地方は驚くほど湯が湧いてゐる、至るところは湯だ、湯で水車のまはつてゐるところもあるさうな。
湯布院といふところは―南湯布院、北湯布院と分かれてゐるが、それは九州としては気持ちのよい高原であるが、こゝは湯布院中の湯布院ともいふべく、湯はあふれてゐるし、由布岳は親しく見下ろしてゐる、村だから、そこにはちらほら家があつて、それがかなり大きな旅館であり料理屋である、―とにかく清遊地としては好適であることを疑はない。
山色夕陽時いふ、私は今日幸にして、落日をまともに浴びた由布岳を観たことはほんたうにうれしい。
この宿は評判だけあつて、気安くて、深切で、安くて、よろしい、殊に、ぶくぶく湧き出る内湯は勿体ないほどよろしかつた。
  刺青あざやかな朝湯がこぼれる
  洗うてそのまゝ河原の石に干す
  寝たいだけ寝たからだ湯に伸ばす
  別れるまへの支那の子供と話す
  水音、大声で話しつゞけてゐる
  支那人が越えてゆく山の枯れすゝき
  また逢うた支那のおぢさんこんにちは
同宿三人、みんな同行だ、みな好人物らしい、といふよりも好人物にならなくてはならなかつた人々らしい、みんな一本のむ、私も一本のむ、それでほろほろとろとろ天下泰平、国家安康、家内安全、万人安楽だ(としておく、としておかなければ生きてゐられない)
山頭火文庫2 山頭火 行乞記 春陽堂 編 村上護より引用



山頭火の文は心に響く「みな好人物らしい、といふよりも好人物にならなくてはならなかつた人々らしい」本当にそうでなければ人は生きていけないように思うことがある上にさらに追い打ちをかけてくる、「天下泰平、国家安康、家内安全、万人安楽だ(としておく、としておかなければ生きてゐられない)」日々このような描写が出来れば何よりだと願い一杯私もやる。

今宵は一本のむことにする。



(ただ不調の身体に追い打ちをかけることを好まない家内が私を見ているので、今日はかないそうもない)