いい声で鳥が鳴き、風の音が心地よく感じとれ、木々の揺らぎ、竹の葉が奏でる心地よい音、どこかへわたしをつれていってくれます。

少し雨模様、雲によって日光が遮られ、普段より幾分涼しい日となりました。

涼しいを感じ、心地よさを感じ、素晴らしいものを感じる。

その代償として暑い・心地悪い・素晴らしくないものを、必要以上に誰に頼まれてもいないのに、感じ取り、そこに潰されそうになり、苦しくなり、追い込まれそうになり、やりきれなくなる瞬間が存在してしまう。

愚かで阿呆であるのに、愚か者や阿呆になりきれず、そうかといって賢者・聖者にもなれるはずもなく、普通が何なのかもよくわからない。


「(難しいことは)考えないでいいんですよ」


ただ悩む雰囲気をだすわたしに、そう告げる人もいる。


「やったらいいんだ」


何を考え、何をなせばいいのか、何も出てこないこともある。



しょうがない


何の役に立つのかわからないけれど、気になる目の前のことを進めてみよう。同じことではないけれど継続してみよう。本当にそれがいったい何の役に立つのか、皆目見当がつかないことばかり


あの美しい声で鳴く鳥と通り抜ける一陣の風に聞いてみる。






鳥は鳴き、風が吹いている。


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思いつかないときは・・・

 日々続けていることが何かなんて、気がつかされることがあります。

「溺れる者は藁をも掴む」



その言葉通り、わたしはうまく生きることができず、いまこの手で何かをつかもうと(すがろうと)することばかりです。気がつけば、その掴んだものがわらしべ長者みたいであればと夢を見ています。

誰かつかんだものを良いものに交換してくれる人に出会う現実というのは稀なこと。

困ればまたわたしは藁を掴み(すがりつき)、立ち上がろうと(いや立ち上がって前に進みたいと)しています。人は慣れるものです。その藁(ワラ)できればいいものを掴みたいと。

真理につながる藁(ワラ)ならば、こけた甲斐も・失敗した意味も・こやしになるだろう。


中身が伴わなければ、掴んだ(すがった)藁を出すのです。


ぱっとしないものであれば、その藁をみて、笑われるだけのことでしょう。



できればわらわらと人が寄るような(または笑われたとしても)、

「これは真理(へとつながる藁)だ」

と言い切れるわたしをみたいです。

困った酔っぱらい

 昨晩、以前よく訪れていた友人が久しぶりに訪ねてきてくれました。確か今中1の長男坊が2歳ぐらいの頃に休日のたびに訪ねてくれていました。訪ねてこなくなった理由はシンプル、結婚して家庭が出来て多忙になったためでした。

共通の友人の晋山式が終って、久しぶりに訪ねてくるなんてことになって、夜訪ねてくるのを楽しみに待っていました。待てば少しの時間でも長く感じるもの、いつもなら本を読みながら時が過ぎることを忘れるのに、そんなことも忘れていました。

幼かった長男坊がもう今は中学一年、大きくなったのを見て驚いていました。
(他所の子と竹の子と食べ過ぎて運動しないお腹は、大きくなるのが早いものです)

早速お酒と、ただ友人は家族が待っているから泊まらずお酒も飲めず(運転があるから)わたし一人で調子に乗ってお酒を飲んで、好きなことを話し放題なのでした。

(好きなことって)

それは当然、仏教の話です。

どこまでも続く、(私的)仏教の話、そりゃあもう酔っぱらいの話は止まらないもの、あっという間に時間は過ぎて0時40分、話とお出かけで疲れたわたしは、見送ってからその辺りで寝てしまっていました。

ということで、家族がいるのに時間を忘れ引き止めすぎたことを仕事終って友人へ電話と、
「ごめんね、家族いるのに話に夢中になりすぎて」
「いやいや、いいよ」
本当できた友人です。
「勉強していることがおかしかったら、注意しようと思ってたんだ。けれどまっとうなことだから、こっちがついていけなかったよ」

ふふふ、酔っぱらいのわたしに相手の空気を読んで、話をするなんて芸当できませんから、好きなことを言いたい放題がとまらないというだけのことです。

もうちょっと相手の話をしっかり聞こうと事前に思う時があります。ただ楽しくなればそんなことをすっかり忘れています。彼が言う
「話が難しすぎて、こちらがついていけなかった。」
難しい話をした気がまったくない酔っぱらいにはかなり困ったものだと、お礼の電話の後に考え込むのです。

落ち着いて、言葉多すぎず、難しいこともなく、ただ自分が楽しんでいればいいってわけではないな、と今は思います。もう少し相手も自分も見つめていこうと思います。

おめでとう

 友人の晋山式にお呼ばれしたので、友人の席で出席してまいりました。
「晋山式」(しんざんしき)知っている方も知らない方もおられると思います。お寺の住職が交代する、新しい住職へお寺を護持発展する責務を新しい住職となる方へ委嘱することです。

堅苦しいことはともかく、友人の晴れの場ですから、難しく考えることはやめ、参加させていただきました。

友人が入ることになったお寺は真言宗大覚寺派、結集寺院も真言宗寺院となり、これもまた結集寺院という言葉も聞きなれない言葉、そのお寺の場所にある班というか組といったもの、友人のところは確か16ヶ寺、結集寺院の僧侶は21名参加され若手や副住職の方々が、黒子のように晋山式を裏方で支えておられました。

来賓の僧侶、結集寺院の僧侶、親戚・友人の僧侶を含め35名位、檀家総代・檀家様・関係者の方がご本尊(聖観世音菩薩)御前にて厳かに式が執り行われ、読経が堂内に響いていました。

結集寺院の長老がご挨拶をされていました。

もう80を超えておられると思いますが、朗々として、よどみなく、慈しみあふれる、力みのない言葉、素晴らしいよりもただ有難いと自然に思えるご挨拶でした。

友人の挨拶(謝辞)も若く力と意気込みあふれ、謙虚さと決意を感じました。

本当にあまり外に出ないのですが、自分が存在するこの世界(生業)では顔見知りの方と出会う機会は多いです。家の中・友人・職場の気心知れた方の前では、いつも言いたいことは思いつく前に言いたい放題です。

今日の友人は見ていて、安心しました。素直なこと、謙虚なこと、相手に礼を失わないという心、学び多くありたいという願い、一つでも構わないのです。ただ複合してそうありたいと願う雰囲気を出す方を見れば安心するわたしを見ます。

朗々と、慈しみあふれ、よどみなく、広く、深く、高く、何かを貫くかのような言葉を、自然体で出したいと願います。


「福ちゃん、新しいところで新しい世界を(自分と周囲へ)見せてね、(わたしもわたしなりの)世界を出していきたいです」

旬のビワ

 昨日に引き続き、日中暑い日となりました。この時期決まった方より枇杷が送られてきます。
交友関係が私も家内も狭いので、何か送られてくることもないので、宅急便がくれば子供達は興味津々で見に行っていいました。昨晩ちょうど夕ご飯時に着きましたから「ご飯終わったらみんなで食べよう」と声をかけ、終わっていただきました。

いつもと同じように美味しい枇杷でした、特に次男坊はフルーツに目がない子ですから、黙々と何個も食べ、食事が終わったあとには、枇杷の種を「けいくん(三男坊)」と一緒に集め。
「お父さん、びわの種植えてもいい?」
「いいよ」
何と真っ暗の中、二人は懐中電灯とスコップと種をもって、楽しそうに二人で植えていました。何年も前にいただきその時は長男と次男とわたし、種は外のかたい皮をとり、まずは容器に水分を用意して、発芽させ少し大きくしてから庭の隅へ植えたものが、もう大きくなっています。

さるかに合戦でないけれど、実のなるものを植えれば実がなることが楽しみです。次男と三男の中ではもう木が大きくなって実もなっているのかもしれません。(こういうのをきが早いと言うことがあります)

とりあえずお礼を述べ(礼状を出し)、また落ち着いていただいた方には土地の名産を送ろうと計画しています。


一人でこうやってものを書きながらじっとしていても暑いのに、隣の部屋では三人くっつくように子供たちが遊んでいます。


楽しいときは細かいことが気にならず、何故か嫌いなことは細かいことどれもが気になって仕方なくなってさらに楽しめなくなることが多いわたしです。


よく見ていれば、子供達もそんなことが多いです。今日もまた晩御飯の後、枇杷の残りを特に次男坊が食べつくし、長男が横でぶつぶつ言いながら、その横で「けいくん(三男坊)」が楽しそうにご飯をたべているのでした。

本当(枇杷を送ってくれて)有難うございました。



ほうだい

 ちょっと無理を言って、近くに住むようになった友人のところへ行くために休日をいただきました。理解してもらえるということが本当に有難いです。

住んでいる場所から10km弱、徳島市の中心です。

大学の同級生であり、もっとも大学時代卒業してから仲良くなりましたが。その時二人のセリフは

「え、大学おった?」

小さい大学でもそんなこともあるものだと思わされました。それから複雑なものが絡み合って徳島で住むことになった大きな要因の一つは友人が、「面接することになったから、行っても行かなくても、一回行ってよ」なんてそんな一言から始まったように思います。

あれから13年ほどお互い経ちましたが、見た目が老けたことと、経験が少し増えたことと、失敗して痛い思いをしたことと、親になったということでしょうか。
家内と末っ子の「けいくん」をつれて会いに行きました。友人の奥さんと家内は私より前から知り合いでした。

男二人がいれば、阿呆なことを言うもの、ただ夜でないしお酒がないから、阿呆になりきれないのが残念、今度はお酒でもとしばらくお邪魔して帰ってきました。

何を話すのか、何をするのか、どうするのか、どうなるのか、いずれにしても考えることも問われることも問うことも楽しいこと。

質問にはなっていないのに、問われれば、何を思い、何かに驚き、何を返そうとするのか。


普段のわたしは自分にとって都合のいい答え、都合のいい解釈、好きな系統の答え、惹かれるほうへの思いにひきずられ、それに従うように何かを出そうとします。

誰かと話をして、何を思い、何を口にしているのか、気がつけばわたしが大好きなわたしは、そこにいつもと違うわたしを見たいと願います。


ただ根拠もないのに虚勢をはり、自慢できないことを自慢して、相手を軽んじる言葉を放つわたしをそこで見れば、別れてはじめて、後悔するのです。

もし、過去の言葉を消せるケシゴムがあるとすれば、消して新しい言葉へ書き換えたいです。でも、ごく稀によいことも言うものだから、「全部は消さないでね」なんて変なわたしがいます。

気心の知れた方であれば、遠慮もケシゴムもいらず、お酒がやっぱりほしいと思います。ただ変なことを含めすべてを受け止めてくれる方にやはり感謝しています。


どうも

 しっかりしないといけないです。

一つ一つゆっくり的確に、気をつけないと


昨晩家内と「けいくん」と夜散歩に行きました。空の三日月を指さして

「ほらみて、けいくん」

「お月様食べられてる」

まるいお月様が本当だと認識しているようです。何者かにかじられていると教えてくれます。確かにそれも正解かもと改めて思います。

前も言っていましたが今回も

「あのお月様にのって、ぼくあそこから釣りをしたいんだ。」

「そうか」

月日が経つのは早いもの、毎日少しずつ彼は成長しています。今日も家内と二人で散歩に行っています。元気な声が聞こえます。彼の笑顔や元気な声はおひさまのようにまぶしいです。



最近ミスが多いわたしですから、一つずつ気をつけていきたいです。

ばたばた

 予定通りにいけば大抵の方は安心です。ただずっと予定通りなんてことは当たり前ですがありません.

自信をもって物事を進めていく方を見かけます。そんな時わたしは物事を進めていくよりもその自信がどのようなものかを見つめていることが多いです。わざと(他の方から見れば意地悪に見えるような)質問を幾つかします。
その反応をもって、その方の根拠や見通し意志の強さ、浅いか深いか、狭いか大きいか、低いのか高いのか、見当もつかないようなものなのか、そのこたえ方も人によって随分と違います。行動によってこたえられる方、言葉によってこたえられる方、静かであるけれども大きく熱量の高い雰囲気でこたえられる方、聞くのではなかったようなことをこたえられる方、立ったままではこけるので座っていないと聞かないといけない方、本当いろんな方がおられます。

「(これで)いける」

そのような雰囲気とその人なりの確信をもって、物事にのぞんでおられる方を見ます。

「(その人なりの)確信」を見て、客観的なわたしは好き勝手に色々なことを思うのです。

自分の中では「いける」と思うことと、周囲がその雰囲気をみて「いける」と思うことを早く察知できるか。また察知して知らんぷりをするか、何も見えないほど一点を見るか、勢いだけで突っ走るのか、また思うのです。

どうもその本人だけ思っている「いける」は、空間的に例えれば浅く狭い範囲を見ていう方がおられます。なにぶん浅く狭いものだからその空間に「いける」という自ら信じるもので満たすことは容易です。すべて満たされれば自信となり、何かしら現実へ反映されています。

本人ではない周囲が「いける」と思えること、やはり高く広く大きく深い空間を自らの信じるもので満たそうとしています。ただその空間は現実ではなく理想上の空間、そこを何かしらで満たそうとしています。


思うのです。


そのこの上なき上を見て、果てのない向こうを見て、見ることのできない底をもつ深きを見つめ、そこを満たそうとできるかどうか、ただみることができないのに、そこを何かで満たそうとするのです。

(表面上)ばたばたしているだけか

水鳥の如く、優雅に水面を移動しているがみえないところでもがきあがきばたばたしているだけか


いつも例えが極端になりすぎてしまいます。


真実(真理)をあらわしたいと願います。


そこにわたしが出現すれば、正確にはわたしの言葉をもってすれば逆に真実が覆い隠され、あらわしたいことの反対へと向かうことばかりです。


真実をひからせる言葉をだせるわたしをみたいです。

ああ

 山の緑が美しい日々です。萌えるような鮮やかな緑が美しいのか、山が美しいのか、この世界が美しいのか

やはりそれをあらわすのには

「山あれば山を観る」

山頭火の句がいつも頭の中にでてきます。


山は動かざること尊いもの、動けば噴火か大地震・土砂崩れ・土石流・地滑りなんてあまりよくないことばかり思いつきます。

山岳信仰に山自体を神・仏と崇め敬う場所は多く、その名のとおり「不動尊」動かざること尊しと読め、不動尊の信者は多いものです。大体修験道で山の瀧に打たれている方が何か真言を唱えているとおもって耳を傾ければ、不動尊の真言を唱えている方は多いものです。

不動尊は不動明王と呼ばれる方が一般的でしょうか、明王の中の王が不動明王、山岳信仰に多い蔵王権現も明王と同じです。有名なスキー場にもその名があるように、行ったことはありませんがどこかに蔵王権現がまつられているのでしょう。

山が緑を讃え、動かずそこにありつづけること

難しいことはともかく、目に映るものをどれだけ美しいと思えるのかで、みずからの心の状態をわたしは知るのです。


つらくても、苦しくても、怨みがあっても


「ああ、あれは美しい」


山でも空でも海でも、花を見ても、年齢と性別に関係なく人の心を見ても



美しいと感じる回数をみていきたいです。

よく飲む

 ここのところ、趣味に没頭するあまり寝不足です。そんな感じで疲れてぼーっとしていれば

「しっかり寝ないと」

そう優しく家内が言ってきます。また仕事が終わり夜になって一人の時間が来れば、お酒を飲みつつ一人の時間を満喫するのです。

子供達三人が起きている間は、にぎやかなもの(騒々しいともいいます)、宿題をしていてもにぎやかなときばかり、注意はしますが、すればするほど厄介者に思われるという特典付き。
ある程度になれば、隣の部屋へわたしは引越しします。見ていてつい言いすぎてしまうわたしも見たくないし、ある程度の自由は確保しなければあの子たちもつまらないだろうし、けれど見ていれば注意してしまいたくなるので、ここは隣の部屋へ撤退です。

あまりにも調子に乗りすぎていれば、一言物申します。彼らはどんどん賢くなっています。時折注意へ来るわたしの行動を足跡で察知、または声が近くに聞こえたら、あれこそ本当に蜘蛛の子を散らしたようになんて言うんでしょう。教えてないのに見事なものです。

最近は本当にお酒をよく飲むようになりました。あわせて水もよく飲みます。

何か嬉しいことがあればよくお酒とお水を飲み、何かよくないことがあればよくお酒とお水を飲み、何もなければ何もないことを口実にお酒とお水をよく飲んでいます。

結局仕事と用事が終われば、お酒をよく飲んでいるというだけ、35歳くらいまでちっともお酒を飲みませんでしたから、それまでのわたしを知っている人からすれば、驚かれます。

お酒で身を滅ぼすという人に何人も出会いました。お酒を飲まなければいい人なのにという人にも何人も出会いました。割と若い頃、お酒を忌み嫌っていました。


今は、笑ってよく仕事をして、いい口実を作って、皆と笑ってお酒を飲める日々を楽しんでいきたいと思っています。

困ったときの

 長男坊は中学へ進学、待ちに待った初めての中間試験(多分わたしは待っていないので彼は楽しみに待っていたことでしょう)。
試験一週間前位にたずねてみます。

「どう(調子は)」

「ちゃんと(試験勉強)やってるよ」

疑り深いわたしの登場です。

「あんまりやっているところ見ないけど、本当に大丈夫」

「大丈夫だよ、クラスの皆と同じくらいはやってるって」

「ふーん、それならいいけど(大丈夫かな)」

しかし、前から器用な子だとは思っていましたが、わたしの前であまり真剣に勉強しているところを見せません。信用したらいいのに、心配性な私が出てきます。

「試験三日前だけど、準備してる」

「大丈夫だよ、やってるから」

試験前日いつもと変わらぬ長男坊、家内と二人で初めての試験だし、ここは彼自身のやり方を尊重しようか、ということで決着しました。

相変わらずの余計なお節介好きな酔っぱらいでてきました

「お兄ちゃん、もし出来がかなり悪かったら、一番お兄ちゃんの好きなゲームやネットを次の試験まで禁止させていただくからね」

「おかあさーん、お父さんが変なこと言ってる、なんか言ってあげてよ」







ただ困ればお母さんに、助けを求める長男がかわいらしかったです。さて結果はどうなることやら

やっぱり

 まだ今日も家内の体調がすぐれません。

それ以上にここもまた、すぐれません(文が光らないという)。

何かを置かなければいけないところに、別の何かあれば先の何かをどこかへ置かなければ置きたいところへ置けません。どうも(わたしの)傾向として、「置きたいという思い」や「置かなければいけないもの」の思いが強ければ、そこに先に何が置かれてあって、「それが何だったのか」なんてことは、ちっとも記憶にないことが多いです。

周囲を見れば、(細かいことですが)人によってどこに一番注意するかが違います。
「(わたしが)ここを気をつけなければいけない」
仕事や物事が終わって、(良くも悪くも)差に気がつきます。その「わたし」が変わればここも変わります。

だから面白くなってきます。

段々と違う「わたし」に気がつき、気がつかされ、意外な「わたし」違う「わたし」、ぴったりであればそれはそれで、差がありすぎればそれはそれで、予想以上であれば(良くも悪くも後になれば)楽しいことです。

「何をもって、何をみるのか」




やっぱり(予想通りの答えを書いておきます。



「わたしをもって、わたしをみるのです」

かわり

 ここのところ、家内は少し忙しくしていました。
今日は仕事が休日であったために、子供達は全員学校へ行っていますから、たまには二人でどこかへランチにでもと何日か前に言っていました。

昨晩仕事が終わって自宅に帰れば家内が少し疲れていました。「大丈夫?」「ゆっくりやるから大丈夫」あまり大丈夫そうではありません。ご飯を作って食べずに休んでいました。それから子供達は明日(今日)学校ですからやることをやらせ、寝かせ、ただ夜遅くまで何度か家内は嘔吐していました。

休みだったことが有難いですが、二人の予定は無くなってしまいました。朝ごはんを食べさせ「けいくん(4歳)」を幼稚園に送って行き、少し休んでから昼すぎに幼稚園へ迎えに行き、家事をしている間一人で庭で「けいくん」は遊んでいました。
家事が終わり、庭に出れば、植物に水撒きしようとしてよく濡れた「けいくん」ができあがっていました。
お風呂へ入れて、洗濯物を二三回干し、本当天気が良いのは有難いことでした。終って「けいくん」と庭でおやつを食べながら、ナミテントウを観察したり、アリの巣の近くにこぼしたお菓子をおいていたら、アリがどれくらいで集まってくるか、蜘蛛が何かの幼虫を捕まえているのをみたり、気がつけば晩御飯の用意をせねばいけません。

家内はどうも、お粥くらいしか食欲がありませんので、あまり手がかかりません。元気な子供達が喜ぶようなものを買ってきて出したのですが、少し次男坊も食欲がありませんでした。何か風邪か病気にでもかかったのかわかりませんが、それとも今日は暑い日であったから少し疲れたのか、普段元気な人が元気がなくなるとこちらも元気がなくなってしまいます。

早くよくなるように、わたしの相手をする人がいないと寂しいものです。

本来のわたし

 わたしの隣(仕事を共)にする方は、(わたしと)大分違う。わたしではないのだから、違うのが当たり前であって、他人であればそれが当然のことかもしれない。

 何が違うのか

初対面で困っていたりする人がいれば即座に身体が動き重荷を背負おうとしている。心の重荷であればそれを聞いてただ涙される。とってつけたような(わたしの)優しさ・行動・言葉とは大分違う。身近にある自分のもので相手の役に立てればと惜しまない。やはりくらべるまでもなく違う。

(わたしは)問う

「どうしてですか(何故あなたはそのようなこと気がつけばしているのですか)」

時折同じことを笑って教えてくれる。

「わたしはケチ(物惜しみやお金があまりないこと)を隠すために(つい思っている以上に)出すことばかりお金のある人は、(お金が十分にあるから)隠す必要もなく、出す必要もない(出せば損する)。
わたしはケチ(物惜しみやお金があまりないこと)を隠してるだけよ」


誰かももまた同じことを書いているように思う。

(昭和5年11月 48歳)
 十一月五日 曇、三重町行乞、宿は梅木屋。
昨夜は蒲団長く夜長くだつた、これからもなによりもカンタン(フトンの隠語)がよい宿でなければかなはない、此宿は主婦が酌婦上がりなので多少、いやらしいところがないでもないが、悪い方ではない。
山の町の朝はおくれる、九時から二時まで行乞、去年の行乞よりもお賽銭は少なかつたが、それでも食べて飲んで寝るだけは十分に戴いた、袈裟の功徳、人心の信愛をありがたく感じる。
行乞相はだんだんよくなる、おちついてきたからだろう、歩かない日は行乞しない日は堕落した日である。
この地方ではもう、豆腐も水にいれてある、草鞋も店頭にぶらさげてある、酒も安い、 ――何だか親しみを覚える。豪家らしい家で後免と慳貪(けんどん)にいふ、或はちょんびり米を下さる(与える方より受ける方が恥づかしいほど)、そして貧しい裏長屋でわざわざよびとめて、分不相応の物質を下さる、――何といふ矛盾だらう、今日もある大店で嫌々与へられた一銭は受けなかつたが、通りがかりに茶碗一杯の米はほんたうにありがたく頂戴した。
山頭火 行乞記 編村上護 山頭火文庫②春陽堂より抜粋



誰かに何かを与えることより、いただくことの多い毎日、山頭火のように「動」ではない日々、優しい方ともわたしは違いが多い。


せめてわたし(の愚かさ)を愛し(生きて)いきたい。



愚かさが愛されるようなわたしでありたい。

わるぎもない(わたし)

 先日自動車でどこかに向かっていたのです。
前の自動車が私と同じように右に曲がりたいようです。後ろに私もいます。前からは対向車も離れていますが来ていました。

右折するのに、指示器を出さずに軽やかに曲がっていきました。

それからまた右折したいようです。私も奇遇なんですが同じ道を通っていきます。やはり同じように前に対向車が離れていますがいます。後ろに私もいます。また軽やかに右へ曲がっていきました。

しばらくして、また曲がりたいようです。同じように指示器を出さずに軽やかに曲がっていく自動車でした。どうも、指示器が壊れているようです。それか急ぐ用事があるから指示器が出す間もないのでしょう。

また、前の信号が赤になったので減速しました。すると前の車は左側のコンビニエンスストアの駐車場へ軽やかに入り、左の道へ信号を待つことなくスムーズに曲がっていきました。
どうもよほど急ぐ用事があるようです。ただ運転によどみも躊躇いもなく、いつも時間に追われているのか、信号待ちの回避技術は相当高いものでした。一回二回であのような滑らかな運転ができるとは思えません。もっとも私が鈍いからできないだけと言われればそれまでです。

また近くに、信号のない交差点があります。信号のない交差点ではどちらかが優先で、優先ではない道は「止まれ」と書かれています。
ただ何故か、止まらなければいけないのに反対に加速して、先を急ぐ方とよく出会います。見通しはそんなに良いとも思えないのですが、やはり急ぎの用事が多いのでしょう。少しも減速せず一陣の風のように抜けていく方もよく見ます。

確かに朝や夕方の通勤時間、貴重な時間です。こちらに移り住んで三回当てられ交通事故をした私としては、もう交通事故はもらいたくないので前より気を付けるようにしています。

言い訳にしかなりませんが、うっかりや見落としや集中力の低下、老齢による判断の遅さ、若年による無理な運転、それは相手だけでなく私にも言えることですから
「あなたは気をつけなさい。わたしは一つも気をつけないし、ミスはよくある。」
なんて言えません。

忘れたときに、またわたしは失敗をします。

思い込みが激しいときに、大切なことを見落としてしまいます。

むきになった時に、荒く激しくなってしまいます。

急ぎすぎることにとらわれれば、危険が増えてしまいます。




危なくいけてないときのわたしなんて、後から思えばいつもそんなものです・・・



あ から ん

 誰もが簡単に理解できることは存在する。

自分が気がついてないものを気がついているかということ


ただ全方位に優れている人は稀有なことでいるということもいないということも言葉では難しいこと


簡単に心が理解する


それをあらわす言葉の一つに


「ああ、・・・」からはじまる


時にはそれは

「どうして、・・・・・」



(わたしが容易に理解できないことを簡単に理解し、遥か先の世界を描いているのだろうか)


ただ、否定をもって自らの狭く浅いもので相手を認めず、おとしめることをもって相手の素晴らしさを認める人も存在するのかもしれない。


「ああ、・・・・」




やはり、「あ」から赤子ははじまる


理解が進めば「うん」と「ん」で相手と自らを認めていく。




これが平易に行われることを「あうんの呼吸」と古人は言ってきたのかもしれない。





ただわたしは、くだらないものを捨てきれないために、「うん」の二文字をあらわす言葉を素直に言えないことが多い





時に人は善いものであっても捨てなければ先に進むことができない


わたしのくだらない(悪い)ものなんて、簡単に捨て去ることができずして



どうして先に進めることができるのだろうか

おやつは○○○円まで

 今日は次男坊の遠足でした。

一週間以上前に家内がわたしに教えてくれました。

「遠足のおやつ買いにいくの楽しみにしてたよ」

「そっか、(買いに行く店は)どこでもいいのかな」

「決めてるみたい(大きなショッピングセンターの中の駄菓子屋みたいです)」

「なら連れて行くよ」

「いくらまでなんだろうか」

「それがね、食べれる分だけですって」

「金額決まってないの」

「そうなのよ」

「ほら300円までとか、500円までとかあるじゃない」

「最近は変わったんだね」

残業もない日に次男坊と二人でお菓子を買いに行きました。

「ねえねえ、おやつ金額決まってないんだって、食べれる分だけとか聞いたけど」

「そう」

「でもさ、やっぱり金額決めてないとだめだよねえ、だから500円まででいいんじゃない」

「えーーーーーーーー

じゃあ700円」

「いや多いってそれ、絶対食べきれないよ、それにねお弁当もあるんだよ、500円でいいよ」

「えーーー、700円がいい」

「わかったよ、二人の間をとって600円にするよ」

「わかった」

長男坊の買い物を頼まれていましたから、わかれてそれぞれ買い物へ行き、もし早めに終わったら駄菓子屋から動かないように伝えておきました。

思いのほかわたしの買い物は早く済みました。駄菓子屋に行ってみれば、まだ次男坊はお菓子を選んでいました。見ればそれなりの量になっています。

「それもう(量が多いから)食べれないんじゃないの」

「食べれるよ」

「まあ会計しようよ」

「うん」

店員「460円になります」

何故か値段を聞いた途端、次男坊は

「まだ買う」

そう言います。

「いや、それ絶対食べきれないって」

「食べれるって」

「まあ、スーパーにおかず買わないといけないから、もう行くよ」

「えーーーーーーーーーー」

スーパーでおかずを物色中ずっと

「おやつ足らないって、もうちょっと買って」

だんだんめんどくさくなってきました。

「じゃあ、あと一個だけだよ」

「やった」

割と高そうなものを一個もって笑顔で走って帰ってきました。

「買うけど、絶対食べきれないと思うんだけどな」

「食べれるって」


夜、あの子にちょっと聞いてみました。

「遠足楽しかった」

「うん」

「おやつ食べきれなかったでしょ」

「時間が短すぎて食べれなかった」

「ほらやっぱり食べきれなかったでしょう」

「違うって、(食べれるけど)食べる時間が短かったからだよ」

(このあと二三回この問答がありました)

「まあいいや、残ったのけいくん(三男坊)に少しあげた?」

「うん、ちゃんとあげた。」

「それならまあいいいよ」


二日前くらいからリュックにお菓子を楽しそうに夜詰めていました。



わたしの中で一つの決まりごとは

「おかしは300円までですよ」

時は止まったままです。


息抜き

 先日、庭にある枇杷の木が邪魔だから切らせてくれといったことがありました。相手が思うようにしてあげましたがあの時釘は指しておきました。

それからどうなったのか、おじいさんは日中わたしがいないときに家内に謝っていたようです。

しばらくしてその息子さんとも家内はあったようです。何せ隣の家だから家に長くいる家内は会う機会が多いのでそれも当然です。
「以前から、おじいさん(うちのおやじ)はよく近所に迷惑をかけてきたから、本当にすみません」
そのようなことで家内に謝っていたようです。

この時期近くに蜜柑の木や庭に山椒の木があるため、アゲハ蝶が軽やかに舞っています。よく山椒の木を見ると小さいけれどアゲハ蝶の幼虫が何匹もいました。子供たちにあまりちょっかいを出さないように注意します。
「外に綺麗な蝶が飛ぶことを見かけなくなっても困るし、幼虫は見てもいいけれど生きることの邪魔しちゃだめだよ」
「はーい」
三男坊の「けいくん(四歳)」がわたしへ必死に教えてくれました。
「おとうさん、ようちゅうはね大きくなったらさなぎになって、さなぎから蝶がでてくるんだよ」
毎年幼虫が山椒の木にいて、さなぎになり羽化するところも昨年みましたので、しっかりと覚えているようです。
「けいくん、おぼえていたんだ、すごいね」
「うん、さなぎから蝶がでてくるんだよ」
また違う気にはナミテントウの幼虫やサナギがいくつも見えます。
ムシを見れば「けいくん」は興奮しています。
「おとうさん、こっちにきて ここにいるよ」
見るまで連れて行こうとします。

長男や次男を育てているとき、今よりまだ若く何かに必死で視野も狭く、自分のことをろくに見ることもありませんでした。その分あの子たちに必要以上に厳しく教えていました。
三男坊の「けいくん」にはあまり前みたいに必死になっていません。怒ることも少なめです。家内は言います。
「お互い歳を前よりとってできた子だから、少し余裕がわたしたちにでてきたからかも」
ただ家内はどの子にも変わらず接してきていると子供達三人の前で言います。

わたしは随分と変わったように思います。本当に視野が広くとかいう問題でもなく、ただむきになっていただけのようにも思います。

今はその分厳しさが大分なくなってしまったようにも思います。

優しく接すればこちらへ近寄ってくるし、厳しくしすぎれば離れていくことは多いです。


ただあの子たちこれからの長い時間を見据えるならば、愛情のある厳しさを出さなければ伸びないこともあるなんて思います。

本当に難しいわたしです。

四国2番札所 極楽寺

 四国二番札所 日照山 無量寿院 極楽寺(にっしょうざん むりょうじゅいん ごくらくじ)

 さて長期間にわたった四国八十八ヶ所参り(お遍路)もここ2番極楽寺で打ち終えることとなります。
四国遍路をはじめるにあたって、最も打ちにくい(遠い)場所からはじめ、最後は1番近い場所、とうとうここまで辿り着きました。

1番霊山寺から約1.2km、歩いても15分位、自動車であれば本当にすぐの距離です。道も迷うことなく旧道を通らず新道を通ればすぐに案内が見え、朱の大きな山門があり、仁王様が待っておられます。

2番札所の境内は割りと広め、一万二千坪位と極楽寺住職から聞いたことがあります。仁王門正面に願掛け地蔵さまがまつられ、願いや信ずる方が多く沢山ののぼりや湯のみが奉納されています。そこから境内を見れば右手に雲海の浄土といわれる手入れの行き届いたjapanese gardenが一望でき、見る人の心を美しく大きくさせてくれます。

手水場も仁王門から右手に新しく建立され柱は龍が巻きつき、天井には天女が刻まれた石造りの手水場があり、隣には子授招福大師(石造)、背面の壁画に大樹が刻まれています。その先には肩幅もたくましく幼子がすがるお地蔵様がまつられ、お地蔵様へお子様のことを願う塔婆が重なるほど納められています。
 どこのお寺にも目玉と呼ばれるものがあるとすれば、2番極楽寺は弘法大師お手植えと言われる樹齢約1200年の長命杉と呼ばれる老巨樹があります。

伝承によると、弘法大師が当山にて二十一日間の修法を終えられたのち、 この木を自ら植えられて、行く末永くこの寺を守護するように祈願をこめられたという。
そしてこの木の肌に触れると、その逞しい生命力の感応によって長命を保ち、 天寿を全うすることができるという信仰が永く伝えられ、長命杉の名が生まれたのである。
伝承は別としても、樹高30m以上にも及び、幹の周囲6mを越え、 樹肌に無数の深い亀裂と、そのため生じた荒々しい彫紋は巨大な龍の鱗を思わせる。 その蒼空を目指して真直に伸びる様は、丁度龍の昇天を想起させる。 少なくとも樹齢1100年を経たこの老大樹の生命力は現在もなおその枝葉に緑を茂らせているのである。 この樹が人々の強い信仰の対象となっていることも、当然のように思われる。
極楽寺縁起より抜粋  発行者 極楽寺


三方を山に囲まれているため、この時期全山緑生い茂り美しい頃です。本堂と大師堂は平地にはなく階段を五十段ほどあがった高台でわたしたちをまってくれています。平地にある長命杉近くのお堂は薬師堂その右に千手観音さまをまつる観音堂。その右に一願不動とよばれる水を掛け願う「不動尊」その右に鐘楼堂があります。

最後ですから鐘をつきました。それを見ていた子供達も真似して鐘をつきにきました。
「優しく撞くんですよ」
「はーい」
返事とは裏腹に、どうも鐘をみると(うちの子だけでなく)全力で叩きたくなる人が多いです。長く維持しなければいけませんので何事もほどほどに、というかできれば優しくお願いしたいです。

階段を上り、いつもの如くロウソク・線香・お賽銭・納札を奉納し、並んで読経しました。本堂から大師堂へ行く途中に2つお遍路さまやお参りの方がよくお参りする場所があります。
一つは抱き地蔵さま(おもかる地蔵とも)です。抱き地蔵様はいつも信ずる方が前掛けや帽子を綺麗に作ってあるものを身にまとっておられます。ちょうど簡単に抱きかかえることができ、自身の願いがかないやすいのならば軽く、かないにくいのであれば重く感じるという可愛らしいお地蔵様です。ちょうど本堂と大師堂の中間に屋根が付けられた下で座っておられます。

もう一つは安産祈願本坊として古来より名を馳せるお大師様が大師堂におられます。ただ大師堂左には弘法大師のお告げがあり無事に子供を授かった方が、「安産大師様」を奉納され、安産大師(と大師堂と共)に安産を願われる方、お礼参りの方が多く、請われずともいつもまっておられます。

家内は無事に三人出産しています。よって今回は子授・安産を願うのではなく、本堂大師堂でも家族の無事やしあわせを祈っていたようです。

わたしは大抵ここにいます。

遍路に来る日を知っていた副住職や従業員の方がわたしたちを首を長くしてまってくれていました。お接待に家族分のドリンクやお菓子を用意してくれていました。いつもいつもできの悪い(愚かな)わたしにできることをしてくれる方には本当に心から感謝して居ります。

子供達は顔見知りの親しい友人である副住職へお納経を頼んでいました。帰りに駐車場の売店に行けばまた、子供達はお接待でお菓子をいただいていました。重ね重ね有難うございます。


残すは伊都の郡(こおり)、高野山(奥之院)です。


いつも思うのです。

言葉(文)によって、何かおおいなるものをあらわしたいと願います。一つの例として

「弘法大師とは」

その問に満足できる言葉(文)をわたしの中にいつも探します。何によってそれをわたしはあらわすのか、調べても大師を満足にあらわす言葉はでてこないことばかりです。よってここに先人のちからをもって弘法大師の一つのかたちをのせておきます。

四国は仏の島 坂村真民

 わたしが弘法大師空海を語ろうとすると、それは母につながってくる。母は弘法大師の膝がしらから生まれてきた、苦労するのはそのためだと、よく言っていた。突然夫の急逝に会い、幼い五人の子を育ててゆかねばならなくなった時、母の胸に蘇ってきた予言の的中からであろう。
家は浄土真宗であるが母は仏壇の中に、大師の小さいお像をまつり拝んでいた。
 敗戦によって朝鮮から引き揚げ、母の住む九州熊本に帰り、やがて職を求めて四国に渡ることになった時も、一番喜んでくれたのは母であった。戦後の大混乱の中を母はわたしたち一家を送り、四国に上陸して言った言葉が、今も鮮明に残っている。
 ああ、お大師様のお国の風は涼しいなあ、いい処だなあ、と涙ぐみ喜んでいた母の姿が忘れられない。
 わたしは大師が学徳稀な高僧であることよりも、このように一人の女人の中に今も生き続けておられる、そのことに他の人とはまたちがった意味でこよなくなつかしく尊く思うのである。
 わたしは四国を仏島と呼び、仏の島と讃えてきた。八十八の霊場が数珠のように四つの国を結び、山川草木、吹く風浪の音までが大師の徳を今に伝えているからである。
 わたしはこの仏島四国に移り住んで、その因ってくるものが何であるかがわかった。それは他の祖師たちと違う空海独自の闇の大きさであり、深さである。わたしは室戸岬の突端にある若い日の修行の洞窟を訪れ、暗闇の中で真言を唱えている時、そのことを直感した。
 闇が深ければ深いだけ、この後にくる光は大きい。ああ、それが今なお、輝く南無大師遍照金剛だなあ、と思った。

空海と真言密教 読売新聞社 (1982.11.15第一刷 大日本印刷株式会社)



わたしの家は禅宗の檀家です。わたしが大学生(修行中)の頃、故郷の長崎から高野山(和歌山県伊都郡)へ母は毎月お参りをしていました。母は観音様と大師を信ずる田舎の人でした。ただいつも大事なことに気がつかないわたしと違って母の心の中にもなぜか大師が生き続けています。

わたしは今不可思議な縁によって、四国の土地で住んでいます。
わたしの愚かさをみればいつも弥陀や大師の手の上にいると痛感します。

いつかいつか極楽寺境内にある石碑のように

「弥陀の掌に すがりて発ちし 蝶の昼」




みとれるほどに、自然に発ちたいと願うのです。

1番霊山寺

 第1番札所 竺和山 一乗院 霊山寺(じくわざん いちじょういん りょうぜんじ)

竺和山という山号、釈尊が教えを説き仏教が誕生した国「天竺(インド)」お経に説法の場として出てくる霊鷲山、インドから中国そして日本へ、今も昔も仏教は有名と無名の仏菩薩や有名と無名の人の中にあります。

それをあらわす名前として竺和山霊山寺(じくわざんりょうぜんじ)となって、四国霊場第一番札所として現在に至っています。

徳島に移り住むことになり、霊山寺(りょうぜんじ)は家から近いことも会って、家内はよく子供を連れてお参りしていました。また霊山寺の北側には徳島県の一宮である大きな神社「大麻比古神社」がすぐ近くにあり初詣の時期には道が混雑して通れないほどです。徳島にきて知り合いも知った場所もあまりないわたしたちは、神社や仏閣や有名な場所で金銭の余りかからない場所へよく行きました。話がそれたので1番霊山寺に戻します。


1番霊山寺(りょうぜんじ)の境内は整備され駐車場も便利なお寺のすぐ横にあります。そこから少し歩いて正面の山門へ行き礼して境内に入ります。
正面に本堂、右側に大師堂があり、左側に多宝塔が建っています。中央に池があり大きな鯉がおよぎ、お地蔵様がまつられ、それを仰ぎ拝する童子がたくさん随所に見ることが出来ます。

遍路最終日はゴールデンウィークの最終日(5月6日)、お参りの方も多く、境内もにぎやかでした。静寂な境内もよいものですが、お参りの人が多いのもたまにはよいものです。(どこかのテレビ局が霊山寺境内を撮影していました。)

多宝塔を見上げれば厳かで、近くによって拝し、本堂へ向かえば左側に確か十三仏の石像があります。少し変わったお顔や手足の丸みをして、最後の堂に入っておられる不動尊(石仏)は一際大きく立派です。本堂も大師堂も山門も耐震工事や改修など確か二三年前に終え、本堂内の天井絵、龍が迫力あり、団体の方がここで説法を聞かれています。

本堂内右側には、納経所があり本尊様近くでお参りしようとした帰りに納経所をのぞけば1番霊山寺の住職様が来客の方と話をされていました。

本堂でいつものように線香・ロウソク・お賽銭・納札・読経を終え、大師堂に向かいます。広くはないのですが菩提樹などの木々も植えられ、流れる水音・泳ぐ鯉・萌えるような緑の木々・仏塔・諸堂の調和が見事です。
大師堂も本堂と同様に読経を済ませ、本堂内納経所へ向かいました。ここ霊山寺の先代は最近亡くなり、副住職さんが住職に変わっています。浅からぬ縁というか副住職さんであったときより親しくしていましたので
「こんにちは、今日で遍路で結願となります。できればお納経をお願いしたいのです。」
あまり他所で声を出さないのですが、厚かましくお願いすれば、少し微笑みながら
「いいよ」
ただ納経所は納経を待つ方の列ができていました。
「少し待ってくれる」
そう言って並んでいる方の納経を書かれていました。順番が来るのを楽しみに子供達と待っていました。本当に無名な私に何度も講演の依頼をいただき、会えばいつも笑顔で声をかけてくれます。しばらく待って二冊の納経帳を書いていただきました。
しばらく三人の子供達のことを聞かれ、境内の駐車場にさくらんぼがなっているからと、子供達にとってくれました。お参りより、さくらんぼをとる時間が長かったように思います。男性女性問わず好きな方と一緒に同じ時を過ごせるというのは本当に有難いことです。

いよいよ(ちょっと変則な回り方でしたが)最後の札所、2番極楽寺へ向いました。