誰かの分

 今まで人より多くはありませんがいろんな話を聞きました。生きる時間が長ければそれも増えていき大きな楽しみになるだろうと思うのです。

話には、悲しい・つらい・怨み・怒り・失敗・成功・自慢・聞いてほしいだけ・理解してほしい・言葉をこえて伝えたい空気・見解の相違を楽しむ・感情をぶつける・試す(度量をはかる)・さとり・・・あげればもっと続いていくのでしょう。

負の思いや体験話は誰にでもあると思います。人が「あの人にはそんなことないだろう」聞いてみなければわからないです。もっとも簡単に話してくれるかどうかは別です。

竹を縦にわったような話は役に立ちます。痛快な話とは笑って「そうかい(爽快)」になれることが多いです(ふふふ、隙あらば入れてくるのです。さらりと受け流す「そうかいそうかい」の声が聞こえます)。

ただどうでしょう。つらく苦しく怨み理解の文字がどこにも見当たらないことから自身の忍耐と行動をもってなんともならないのになんとかしようともがく話は壮絶です。そんな話を簡単だなんていう人はその人の頭の中身が簡単だなんて思う馬鹿な私を見るくらいでしょうか。信じがたいことは世の中あるものです。ただ一言その後に

「いい恰好だけして、見て見ぬふりをしている時間だけ、誰かがつらい目にあいつづける。」

そう教えてくれました。


私自身いろいろ振り返り周囲を見れるだけ見てその言葉には深く共感しました。


(誰よりも近くにいて時を同じくしているのに、成さねばならぬ当人が)いい恰好だけして(肝心なことから目を背け現実に反映させない)、(つらく苦しくそれでも一生懸命頑張っている人を)見て見ぬふりをしている時間だけ、(見て見ぬふりをしていい恰好をする人数と過ぎている時間だけそれを負わされる)誰かがつらい目にあいつづける。


「そこから逃げればいい」

「もっとうまくやればいい」

冷たいそんな言葉だけ出し、理解しようとしない世の中を上手に生きる人と私は話が合わないことがあります。



もっとも私もわかっていない時やわかっていてもあえてそんなことを言い放っている時は同じように思われていることも事実でしょう。

今は上手くやりたいではなく、上手下手ではないものを見ようとしています。

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どうぞどうぞ

 他所様に御呼ばれして、座席に案内され、目前に御馳走が並んでいたとしても、なかなか手はつけられない。

「どうぞ どうぞ」

そう言われようやくいただける。

何も言われなければ目で楽しもう。お腹が空いていても見て満足すればいい。

「それはないでしょう」

なんて声を聞いたことがある。

「いやそれはまだましですよ」

そう答える。

「何がまだましなの」

「何でもいいから好きなの食べてよ」そう言われました。見ればごはんも無くおかずもなく、茶碗と箸とテーブルはありました。しばらくたって「ごちそうさまでした。」そう御礼をのべ先へ行くときもありましたから。

それより(一番)いけないのはなんでも食べてもいいと目前に御馳走を置かれ

「どうぞ何でも食べて」

そう言われているのに、一つでもこちらが取れない雰囲気を出されている。「あなたの思い過ごしでは」それもまたそうでもない。誰かが空気を読まずに言葉どおりとって食べた。その後本人がいなくなってから、卑しいだとかたくさん食べる人だとかふれ回ることをみかけた。なかなかどうして「どうぞ」の後、箸はそこへのびない。

何もないのに何でも食べてと言ったり、「どうぞどうぞ」と言っているのに惜しんで食べさせない空気をだすばかりの人が、皆に食べてもらって構わないと作っているのに「どうぞどうぞ」くらい言ってくれなければ誰も食べれないだろうとあげあしをとっている。

世の中不思議なことが多い。

その方の出す空気と言葉、大人になれていない私はそのまま受け取って痛い思いをしつづけている。

感情的なことに対抗でき、勝つことができるものが冷静(知性)であることなのに感情的になってしまう。感情に感情をぶつけて理解してくれる人は賢者だけ、多くは痛い目にあうことばかりとなる。

聞くに堪えない話でこそ、ときに何か見えることがある。



今私はそこに何をみるのかと



感情を抑えることと、ただ保守的に何も言わない何もやらないことは違うものである。


いまだ感情をおさえれない私を見る。

悲しみの質

 赤ちゃんをみればよく泣きよく笑う。3歳頃であれば泣くことは減っていく、やはりよく笑う。

保育園・幼稚園・小学校少しずつ泣くことも減っていく。知能と身体能力と心の発達によって少々の困難では涙を流さなくなっている。

だんだんと大きくなるにつれ涙を流さなくなる。

先日長男坊が兄弟げんかで泣いていた。特に弟に叩かれたわけでもない。「どうしたのか」とたずねればわかっていないことが多いのに偉そうなことばかりいって言うことを聞かない・しない。自分は理解して気を付けてしているのに何故あいつは、自分だけが気を付けて正直者が馬鹿を見ている。そんなことを言って悲しんで泣いている。分からず屋の私は「泣くな、わかっていないんだからしょうがない。お前が泣いたってなんで泣いているかもわかっていない。気にしなくていいから泣くな。」そんなことを言う。

どうも泣くにも理由がたくさんある。理由なく泣くこともある。社会に出るようになれば涙も流さなくなっていくようになる。ただ私は最近涙を流すことが増えてきた。何かに出会いふるえるように喜ぶ、自分の現状が情けないと思い知る、真摯に自分と向き合いできることを精いっぱいやっていることを見たりするとき。

また情けない話になるけれども、ヒンヒンと最近も咽び泣いてしまった。

何とかしたい。やってもやっても何ともならないこともある。いや、やっているのならいい。何もやっていない私を見て何とかしたい。何とかしたい・・・。

以前はそこを見ようともしなかった。みっともなくても情けなくても愚かすぎても見なければいけない。自分なのだから。私は人より遅く葛藤し自分を見ようともがいている。

ただそれに伴い喜びの涙も変わったように思う。男だから人前ではなけない。


だから人がいないところで、ときにはただ涙をながしたい。泣きながらもっと前に進みたい。


 今月下旬には確か13回目の記念日がやってきます。

薔薇の木に 薔薇の花咲く 南無不可思議世界

ひろさちや



飾られている色紙に書かれてあった言葉です。最近はその言葉が好きで(小さい)声にだしても心のなかでもよくつぶやくことがあります。

あの人に淡いピンクのバラを少しですが手渡すのです。花を買うことも渡すこともまだ慣れず気恥ずかしいもの、動揺しているそぶりをみせず購入し、素振りを見せず手渡す。面倒くさい私です。

いつかそれがいきをしているかのように、花と私とあの人とが渾然一体となるようなら今よりもっと素晴らしいだろうと願います。

 わが家の花が赤いからとて、花はことごとく赤くなければならぬといったならば、それは愚かしいことでなくてはなるまい。赤きがあり、白きがあり、黄なるがあり、紫なるがあって、わが花園はいよいよ繚乱としてあでやかとなる。
(増谷文雄著「根本仏教と大乗仏教」より抜粋)



花を見れば増谷先生のこの言葉を続けて思い出します。私はよく決めつけたり気がつけばおしつけようとする愚かものであります。ただ思うのです。

世に綺麗な花は数多くあります。どれを綺麗と思うのか、何色が自分にとって綺麗なのか、それは常恒的ではなく、感性や場所・出会い体調などにより同じ人だとしても変わるものでしょう。

私もまた花でありたい。

百花繚乱のうちの一つ、正確には百は無数、百(無数)花繚乱なのでしょう。

私の(少し人と変わりすぎる)色をもって、繚乱としてあでやかとなるものに



変えることの出来ない過ぎ去りし日々、善く変えていきたいと願うこれからの日々



夜空に浮かぶ細く綺麗な三日月、今日も私はいきています。

平等

第22番札所 白水山 医王院 平等寺(はくすいざん いおういん びょうどうじ)遍路の続きです。

 慌てながら写真を撮り、本堂でお勤めをするのです。急げば何か大切なことを見失いがちな私です。四国霊場会公式HPに平等寺のみどころとして、3台の奉納された車と天井絵としるされています。

帰ってここを書きながら愚かな私は思い出しました。奉納された足の悪い方がのる3台の車、それを随分と前に必ず見ようと思っていたのに忘れていたことに、孝行息子や病弱な伴侶を担いでも遍路に行かれる方もおられます。ただ人を担ぐだけでも大変なことです。本当に重病な人はかつげないものです。寝ているか少し上体を起こせるか、ようやくすわっておれるか、奉納された車とは「いざりぐるま」と呼ばれるものでしょう。自分では移動できない人をのせ、病気・心身の恢復、諸仏・諸菩薩・お大師様とのご縁を結び・おかげをいただくために使われる車だと認識しています。奉納されてあるということは、おかげがあった方が喜びきっと奉納されたのでしょう。

慌てる私は実物を見忘れたので、次回は見逃さないようにしたいです。

ところで平等寺の「平等」とは、何故「平等」なのだろうかと疑問が出てきました。平等院鳳凰堂の平等と同じような意味合いなのか、平等院は仏の功徳がいきとしいけるものすべてに平等であるといったような解説があります。

あまり人に尋ねることが嫌いな私なので、私なりに考えていました。

「人には必ず仏性(仏となれるもの)があり、だからこそすべての人はその仏性を清らかにて大きく育てていき、やがてはさとりにいたる。どのような人にも平等に仏性あり。」

とか

「仏の知恵(真理)と功徳や慈しみは、横にはすべてのひとにゆきわたり、たてには無限の深まりをもとめてきている。これこそ平等という名の所以である。」

とか

そんなことを言ったら説得力あるかな、なんてことを考えながら次の札所へ無事に本堂と大師堂での作法読経と納経を済ませ、徳島(阿波)最後の札所へ向かいます。

第23番札所 医王山 無量寿院 薬王寺 いおうざん むりょうじゅいん やくおうじ

ここでは友人と一週間ほど寝泊りをしたことのある思い出のお寺です。徳島では厄除けのお寺として名を馳せ、男厄坂・女厄坂など階段をのぼりながら一段ずつ一円玉を置いて行かれる方が多く新年の参拝時には足の踏み場がないほど一円玉を置かれお参りされています。徳島県の北に位置する大麻彦神社と県南に位置する23番薬王寺は初詣の方を二分しているくらいの知名度と参拝人の数です。

ただ先日お参りした時には、びっくりするほどの人数はおられませんでしたが、夕方でも大小のバスを使った団体のお参り方々と何台か境内で出会いました。有名なところに行けば顔見知りの方とすれ違うものです。家内は子供がお世話になる方とばったりと出くわし、挨拶をしていました。

山の中腹にある諸堂と並んですこし高台に白と朱あざやかな瑜祇塔(ゆぎとう)高さ29メートルがそびえたっています。下の道路にある駐車場から眺めても一際目立ち立派です。瑜祇塔の内部はすこしだけお金がかかりますが拝観できます。宝物などが展示してあり、私は以前みせていただいたので家内と子供たちは中へ入っていました。
また駐車場には食堂と医王の湯(温泉施設)が現在はあり、今日の行程が終われば、家族でお風呂に入りさっぱりとして帰路へつきました。

薬王寺へ向かう道は随分と(以前に比べ)道路が整備され、コンビニも増えていました。(以前は薬王寺からコンビニにちょっと買い物へなんて思っても車でかなりはしらねばいけませんでしたから)便利になったんだと宿泊したあの頃を思い出していました。本堂前から町と海を一望できます。その風景も懐かしいものです。ここに居た友人達にあいたくなりましたが今はそれぞれ別の場所で頑張っていることでしょう。私もがんばらねばと町や遠くの海・山などを見て思うのです。

今年中に残りの札所を回る予定です。

子供達(長男・次男・三男)も楽しかったようです。次男坊もよく「けいくん4歳(三男)」を行きも帰りも道中も体力の続く限り面倒をみてくれていました。急な登り道では一生懸命おぶっていた姿が印象的でした。おかげで私は遍路に集中できることが(以前より格段に)増えました。

私と長男と次男が一生懸命読経をしている間、家内は「けいくん」の世話におわれていました。4歳はまだ目が離せないときです。それでもあの子の笑顔や言葉・仕草に家族は笑顔になれます。


外でみる家族のすがすがしい顔もまたいいものでした。

太龍にのぼる

 次は弘法大師が書かれた現在も残っている書物、三教指帰の中に「阿国大滝獄に躋り攀ぢ、土州室戸崎に勤念す。谷響を惜しまず、明星来影す」とある場所の一つ、大師が若き頃山岳修行をされた場所を見てみたいと思っていた場所です。

第21番札所 舎心山 常住院 太龍寺(しゃしんざん じょうしゅういん たいりゅうじ)

家内はよく懸賞などに応募しています。何度も賞品を当ててささやかに喜んでいました。ここ太龍寺は四国遍路の中でも難所と言われているところで山上にあり、途中までしか車道が通っていません。22年ほど前ですかロープウェイが太龍寺の門前まで開通し、今は10分山上を空中散歩している間に労せずして山門前につくのです。

家内の懸賞当選の一つに、太龍寺ロープウェイ二名半額券が当たっていたことがかなり助かりました。総工費もさることながら西日本最長のロープウェイといったようなアナウンスもされていました。当然運賃もそれなりです。

大人       往復 2,470円 片道 1,300円
中高校生    往復 1,800円 片道   980円
小学生      往復 1,200円 片道  650円

※小学生未満は乗車券一枚につき一名無料
※ペットは無料で同伴できますが、大型犬および特殊なペットのご乗車については、窓口にておたずねください。



当然大人二人を半額にしていただき、「けいくん」は案内の通り無料でした。ただ普通に割引券なしの計算だと、労せずして門前へ行く往復代金は大人二人と小学生二人ですから、7340円となります。

ただどうでしょう空中散歩は眺めがよく乗っている時間も長く、一度は乗ってみるものだと思いました。次を考えれば家族に

「次は歩いて登っていこう」

お金も節約できるし、もっと醍醐味もますでしょう。(家内は険しい顔をしていましたけれどね)長男坊は笑顔で

「そうしよう」

気持ちは伝わったようです。

ロープウェイの道中に舎心(捨身)嶽の案内があり、そこにはブロンズ製の大師像がまつられているのが遠目に見えました。そこは当然

「あそこにも行ってお参りするぞ」(またもや家内は険しい顔をしています)

立派で大きい黒門が私たちを迎えてくれました。第21番札所 舎心山 常住院 太龍寺へ到着です。ロープウェイの道中この山には明治になって絶滅したニホンオオカミが昔は生息していたとアナウンスがありオオカミの像も道中に安置されていました。ちょうど遍路に行く何日か前に子供たちにオオカミのことやニホンオオカミについて話をしたばかりでしたので何かタイミングがいいと子供と顔を見合わせました。

霊場会公式HPにもありますが、「西の高野」として名を馳せてとあるように、境内も本堂・多宝塔・大師堂・御廟・求聞持法などを修される堂など趣もあり歴史もあり霊格の高い境内の雰囲気、その名に恥じぬどころか立派な(札所)寺院です。
またここ(納経所右手)に龍の天井絵の公開もされていました。無事に本堂にて作法をすませ、多宝塔に礼拝し、大師堂でも作法を済ませ、真後ろにある御廟を礼拝し、いざ舎心嶽へ

周囲を一望できる岩肌の露出したところへ、お大師様が安置されています。そこへの道中には四国八十八箇所寺院の本尊様八十八体の石仏がまつられ、一番からはじまり、それはとりもなおさず捨身嶽への道程での現在地をも示しています。

岩肌をのぼるための鎖は少しの高さですが後から登られる方のためにつけられています。またロープも手掛かりのためにつけられています。安全とはいえません。安全性を求める方は上らないことです。私は安全を求めてきたのではなくそこへお大師様の足跡を求めてきたので「けいくん(四歳)」と共に行くのです。岩肌の上のお大師様とともにあの子たちを写真に収め、少し先の切り立った岩から周囲を見渡しました。

「絶景です。」

帰路の通り過ぎるロープウェイの人たちに子供達と一緒に大きく手を振るのです。「わたしたちはここにいます」と往路のロープウェイの方へも手をふるのです。大師と私たちはここにいますよと

今度来た時は虚空蔵菩薩の宝剣を私は見たいです。

既にこのとき午後2時、本日の行程23番札所薬王寺までいかねばならぬので、名残惜しく23番平等寺へ向かうのです。
本日の誤算が響いてきます。出発の段取りはよかったのですが、今朝は遅く出発となっていたので遅れた分の2時間が押し寄せてきました。子供たちは

「おなかすいたー」

予定に響くので

「(家内が道中に買った)蜜柑や(朝こしらえた)おにぎりとおやつでも、食べといて移動中の今は、晩御飯はどこかゆっくりよるから」

そんなことを言っている間に平等寺へつきました。このとき記録としてデジカメを持っていたのに無いのであわてました。家内が

「どこかへ落したんじゃない(あなたがさっきまでもってたから、あなたが)」

そんな目で見ます。いや私が持っていたのは確かですが、以前遍路の時に落し物をして懲りていますから気を付けたはずです。

「どこかにあるよ、とりあえず子供たちを連れて先に境内へ入ってて」

慌てる人は大事なことを見逃すものです。結局子供に持たせていた袋にしっかりしまっていました。無事ではなく慌てて



(不本意ですが諸事情で明日へとつづく)

鶴林

 前回からしばらく時が過ぎました。忘れてはいなかったのです。ただ土日祝日は仕事の私と子供達と私の仕事の休みがなかなか合わないので、また無理を言って休みを一日いただきました。

阿波(徳島県)の遍路の続き、前回は四国十九番札所 橋池山 摩尼院 立江寺(きょうちざん まにいん たつえじ)まで打ち終えていましたので、今回は四国二十番札所 霊鷲山 宝珠院 鶴林寺(りゅうじゅざん ほうじゅいん かくりんじ)からです。

鶴林寺というお寺の名前、知っている人は知っているでしょう。仏教でいう鶴林とは仏陀(ブッダ)が広大なインドを40年伝道を(法を説き)続け、80歳になり、生命あるものは必ず死を免れない。たとえさとりを開いた(覚者)といえどもその身に示し入滅するという最後の真理を示すとき、生命あるものは全て釈迦(仏陀)の死を悲しみ、集まった人達はその場で泣き伏し、沢山の動物たちも集まり仏陀がこの世を去ることを悲しみ、近くの木々も悲しみのあまりすべての枝や葉が落ちてしまいその全ての毛孔から涙となって地に落ち、残った木はまるで鶴が上を向いているかの如き様相を示した。それを鶴林というという。涅槃経の解説にそのようなことが載っていました。

だからこの鶴林寺もご本尊様が釈迦如来か涅槃釈迦像だろうかと勝手に思っていました。期待に反し(勝手な憶測がわるいのですけれどね)ご本尊様は地蔵菩薩です。


鶴林寺の歴史・由来
標高550メートルの鷲が尾の山頂にあり、遠く紀州や淡路の山峰、遙かに太平洋を眺望できる風光明媚な霊山が境内である。樹齢千年を超すような老杉、檜や松の巨木が参道を覆っており、寺門は静謐ながら隆盛の面影をしのばせる。寺伝によると延暦17年、桓武天皇(在位781?806)の勅願により、弘法大師によって開創された。大師がこの山で修行していたとき、雌雄2羽の白鶴がかわるがわる翼をひろげて老杉のこずえに舞い降り、小さな黄金のお地蔵さんを守護していた。この情景を見て歓喜した大師は、近くにあった霊木で高さ90センチほどの地蔵菩薩像を彫造、その胎内に5.5センチぐらいの黄金の地蔵さんを納めて本尊とし、寺名を鶴林寺にしたといわれる。
また、境内の山容がインドで釈尊が説法をしたと伝えられる霊鷲山に似ていることから、山号は「霊鷲山」と定められた。以来、次の平城天皇、嵯峨天皇、淳和天皇と歴代天皇の帰依が篤く、また源頼朝や義経、三好長治、蜂須賀家政などの武将にも深く信仰されて、七堂伽藍の修築や寺領の寄進をうけるなど寺運は大きく栄えた。阿波一帯の寺が兵火に遭遇した「天正(1573?92)の兵火」にも、山頂の難所にあるためか難を免れている。「お鶴」「お鶴さん」などと親しまれ、山鳥が舞う大自然そのままの寺である。

四国八十八ヶ所霊場会公式HPより抜粋


山上まで車で駆け上がり、駐車場にとめれば男性が三名ほど空を双眼鏡などで見上げ、いろいろ話をされていました。
「こんにちは」そう挨拶し「何がいるのですか」の答えに「ここはカラ類がたくさんいますよ」その後に何やら貴重な鳥の名前らしきものを言われていましたが、帰ってきたらその名前すっかり忘れていました。

山上の木々が生い茂る境内、趣きのある苔むしたなかに小さいお堂がたてられていたり、山門から雰囲気の良いお寺です。本尊様が地蔵菩薩だけあって、境内にはお地蔵様がたくさん建立されています。世界平和を祈り寄進されている方、何度も見たことのあるお名前の方でした。久しぶりに子供達とのお遍路、あの子達が読経を忘れていないかと思っていました。しっかりとおぼえていたようです。ただ「けいくん(4歳)」は境内や自然と虫のほうに惹かれて家内はその世話にいつもの如く追われています。ロウソク・線香・お賽銭・納め札・読経を本堂と大師堂の二カ所を無事終え納経所へ行きました。

若い副住職さまが納経をしていただいたのですが、その時私は財布を家内に預けていて600円の納経代しかもっていませんでした。道路の整備代ということで車で来られた方は300円収めていかねばいけません。長男坊を納経所へ人質として置いておき、下の駐車場まで走って戻り、収めて人質を取り返しました。鶴林寺の交通安全ステッカーをいただきました。

続きは時間もおそくなってきたので明日へ・・・

そこ

 十一月中はおまつりが行われていたり、神社やお寺で着物をきた幼い子を見かけます。私もまた幼いころ母と手をつないでお参りに行った思い出があります。

「かあさん、今日は何」

「七五三のお参りよ」

お参りして、千歳あめをもらい、大きな飴をもらって嬉しかったことが忘れられないです。兄弟三人でしたから七五三に自分が当たっていないときは千歳飴がもらえず兄の千歳飴が欲しくて欲しくてたまらなかったこともおぼえています、今私は40になっています。七五三でお参りして千歳あめをもっている子供を見かけたら、ついつい私ももらって食べたくなってしまいます。

「大人になれば、買って食べられるでしょう」

そう言われてもですね、何故かもらってたべたいとおもってしまうものの一つに「千歳あめ」があって、他似たようなものにあげなければいけない歳なのにお年玉にもまだ憧れていたり、いただければ満面の笑みを返したいと思ってしまいます。

我が家の子供達も最近はスタジオなどで衣装を借りて七五三の記念写真を撮って家内が飾っています。無精者の私は仕事の休みに行事で忙しくなる意味がまったくわかっていませんでした。我が家の行事の段取りや予定管理は家内が計画的に粛々と進めています。意味がわかっていなくて非協力的な私であったとしてもしっかりと進めていました。

行事が終わり

「今日もお疲れ様」

そう言ってあの子達の一日を振り返れば、行事があることを喜べる私がそこにいます。

家内(女性)は先にそこを見て、私(男性)は後からそこを見ています。


もっと早くからそこを見て、そのときにもそこをしっかり見て、後からもそこをよくみていきたいです。

変わらず

 ここのところ家にこもる(内にこもる)ような文章ばかりでした。周りを見渡せば明るく楽しいこともあふれています。

今日の空も一際明るく、素晴らしい青空です。

相変わらず、家内を見れば私はよく抱きつきにいくのです。家内は私の思いとは裏腹につれない態度をします。

「(愛があるから)問題ないじゃない」

そう言います。ただ機嫌がいいとき以外は、目と手で私に訴えます。あえて言葉にすれば

「四角い長方形のちょうどお札位を手でかたどり、無いから問題じゃない。」

私はあえて違うことを答えます。

「その大きさなら板チョコかな、買ってこようか」

横に首を振っています。子供達(男)三人と私の面倒をみるためにいつも一生懸命、ただ節約しても家計簿を何度計算しなおしてもお金が増えることがないことを身にしみて知っているからのようです。)

これはやっぱり札束をもってこないとだめなようです。

「いやさ、私まだ自分のものである札束なんて見たことないんだよね。えんがないなあ」

それがないと抱き着かせてくれない雰囲気です。でもね

「愛があるからいいじゃない」



それだけでは生活は楽にならないことも多いようです。

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しがち

 「知らずに入ったところで、根性が悪い人と時を長く過ごさなければいけないことになった。」

結婚・仕事など誰かは簡単に自由にやめることができても誰かは簡単にやめることができないことなんて山ほどあるのではないかということもある。

「知らずに入ったところが、自分自身に厳格に戒律があり、常に学び強靭な実践力を伴う方と時を長くすることに」

覚悟がない私はその束縛から逃れようとする。ある人には問題もなく、ただ目前のことしか私にはできないですからという人にも問題なく、私はやはり問題だらけ、両方の極端から浅はかな考えをおこしてすぐに逃げている。

「あの根性が悪い人にはついていけない」または「あの清廉潔白(行いによって心身を正し、努力を誰よりも怠らず、誰よりも自分に厳しい人についていけない」

情けない話ばかりだ。深く考えずとも束縛からの脱出はそのばに身を投じるしか道はないのに逃げ惑う・・・。気がつけばそのどちらかばかりをしがちな私であることにようやく気がつこうとしている。

根拠のない根拠をもってむきになり挑んでもいい、ただ目前のことを見定め一つずつ進めたい。



それしか道がみえない。

おいつかない

 10代か20代前半の頃に道を見失っていました。自分が何をしていいのか、何をしているのか、どこへ向かっているのか、ただ今思えば何もせず自らの行いによって腐っていたという表現が適切です。
あの頃誰も私をしる人のいない大都会(東京)へ逃げ出し、失踪しようかと大阪(難波あたり)まででて一晩ふらつき、結局もとの所へ戻っていた自分がありました。どこへも逃げることができなかった自分をはっきり覚えています。

思い返せば逃げる私をよく見ます。今もそれはやはりあります。ただやらなければいけないことは誰にでもあるように私にだってあり、何年か、いや十年程も無為にすごしてきたことが悔やまれます。

ここへきて知り合った人が近くにいる人に言っています。「先に歩き始めている人には勝てないのだから、おいつこうと思ったら三倍は頑張らないと」何かあれば彼にそう伝えています。自分が思うより他人が思うより三倍はあなたはがんばらないと世間の人においつけないと何度も言っています。それは彼だけに当てはまる言葉ではなく私にこそピッタリでしょう。

普通の人の三倍頑張るということがどういうことか、またそれを自信をもって言えるかどうか、(私の内を見れば見るほど)怪しい限り、だから時折深く入り込もうと視野を狭くするのです。

何においつこうとするのか、人によりそれは異なるでしょう。そんなことも思わないけれども求めている人もいるでしょうし、何も思っていない人もいるのでしょうし、もっと人からすれば素晴らしい人もいるでしょう。

おいつかない、正確にはおいつけないものにおいつこうともがいています。あの時なさねばならぬこともその一つ、過去には帰れず、過ぎたものにはどうしようもなく、ただあの時にたどり着かねばいけないはずのものに、追いつこうとしているのではないか、そんなことはできないのに。

誰かにとか、先に行かれている方という時もあります。やはりあの時からはじめなければいけないことに逃げ続けていたことを皆よりも遅くそこにおいつきたい。変なことを思います。

現実に生きていれば、世間一般の人にも追いつかなければいけないということもあります。


「光陰矢のごとし」

光の速さで通り過ぎるものを、光より早く駆け抜け追いつこうとする。物理的には矛盾しています。




それでも何かに追い付きたいとただ願うこともあるのです。

日頃していること

 何かにとらわれすぎればあってもみえず聞いても聞こえずわかってわからず、なんてことが多い。努力することが努力することをもってあたりまえとなる自分を見たいと願う。

 他人のことや周囲のことを優先するのでなく、ただ自分の抱えなければいけない荷物だけを時間内に優先しようとする人もいる。それでないと進めないのだろう。
それはそれでいい。ただ皆がそうであれば皆は自分だけの解決しか優先しない人の集まりとなり、それはあまりみたくない。
注意してよいのは、自分の安心を優先させることを子どもや家内や周囲に見せ続け、自身の子供にどうしたいと願うのだろう。自分のように自分の荷物を自分の望む時間内に優先して解決すればいいのだと背中で見せ続けることを教えたいのだろう。それもまたその人が良しなら良しなのだろう。ただ自分の子供が全てそうなることもありうる。

私だって(自分ではみえていないが)欠点は多すぎる。だから偉そうに伝えれないと自信を失い言わない私も存在する。もし、言えば

「あなただって、ひとのことはいえないじゃないですか」

「その通り・・・。」

ただ自分は傷ついても言わなければいけないこともあるような気もする。誰もが自分は傷つきたくないから言わない(言えない)ことでも誰かが言わなければいけないと思う。簡単な話受け取ってもらえなければ相応どころかこちらは痛手を負う。

ただ考えてもいい(と私は思う)。

自分の重荷の解決方法をどうしているのか、自分を優先しすぎていないか、世間一般に勤める人が簡単にできていることを自分に置き換え行動しているか、大人であるのにいつまでも自分だけ(の重荷)を見ているという現状ばかりなんて本人が心から望んでいるのだろうか。

周りも自分も見たい。

おそれずに(自分の現状を)たずねればいいのに、何故たずねないのだろうか。

それとも、自分は何も問題ないと思っているのだろうか。



少しでいいからありのままの(通常の自分)はどのようなものか



見ようとしても考えても、良いようにしたいと願っても、罰は当たらない。

いつも

 何かを行うにあたり、その人なりの行い方があることがしばらくみていれば少しずつわかる。何も考えていない時は、なるようになるかなんてことも考えず、どうするかなんてことも考えず、とりあえず目前のことを進めていることもある。

どうだろうか仕事や大事なことは、仕上がりをよくしたいと(私は)思う。

まだ出来ていない仕上がりを見る。それにあたってどうすればいいかを見る。私が行えばそれがどこまでの仕上がりなのかを見る。大切なときには私ではなくそのことが得意で向いている人がいればその人のほうがとも思う。その方に頼めるのならば頼む。頼めないならば自分で行うか向いている方に頼めれば頼む。

どう考えても向いている人が手が空いているのに、頼まない人もいる。それはそれでいいと思う。自分の苦手なことを鍛え人並みかそれ以上に成長させたいのだろうかと考えてるかもしれない。

しかし、実際はどうだろう。仕上がりとか周囲に対し失礼のないようにしなければと思えないことを毎度行う人がいる。仕事であれば特に思う。また独り言をこぼす。

「相手に対して失礼だろう。少しでも良い仕上がりでなければ値しないだろう」

近くにいる方がそれを聞き、何かにかわってこたえられる。

「基準が好き嫌い、好みで決めるからその人は(別に仕上がりとか相手とかではないのよ)」

価値観の違いはしようがない。好みの違いだって人それぞれだからしょうがない。仕事(お金をいただく)こともしょうがないのだろうか。

「大人になれば困った時にどうしたらいいか決める基準というのは、好き嫌いや好みではなく、見きわめができないといけないでしょう・・・」

「個人的な好き嫌いで決めている人は迷わないよ

だって好き嫌いが自分の中できまっているんだから他のことはどうであれ(どうでもいいんだから)、迷う必要がない。」

私のいつもだって迷惑を欠けていることも多い。



仕上がりとか対価とか仕事とかではない。ただの好き嫌いだけで優先的に決まるその人のいつもに私はなかなか何年たっても慣れない。

 子供のころ、アニメの一休さんは有名でした。私の子供達は小学生ですが偉人伝などで一休さんを読んで知っている長男、本をあまりまだ読んでいないから知らない次男、4歳で幼いために出会っていない三男とTVなどで放送するという影響力は大きいものだと感じます。

「このはしわたるべからず」

減らず口の多い私は、よくこれを多用して真ん中を通るのです。

「虎退治」

屏風の中に描かれた虎を捕まえる。有名な話です。(どうせ仏教の話になるんでしょうと思ってるでしょうがその通りです)
アニメなどの小坊主の姿で出てくる一休さんは立派な坊さんになるために修行中です。

中でも「とんち」漢字で書けば

「頓知・頓智」機に応じてはたらく知恵。機知 広辞苑第六版より抜粋


私的メモのついでに

「機知・機智」その時その場合に応じて働く才知、人の意表に出る鋭い知恵。ウイット。広辞苑第六版より抜粋



「虎が出てきてこまっているから、退治して(解決して)くれないか」

「ではその虎を出してください。今捕まえますから」

「参りました。」

なるほど、これはやられたという話です。禅宗すべてではないですが「とんち(頓智)」や禅問答などを少し調べてみると
小学生時代に「なるほど」なんて言ったこととは違う「なるほど」が出てきます。

生まれつき短気な人が「私の短気は生まれつきで困っておるのです」相談にだって、赤子や純真無垢な頃に短気は見られることは少ないです。そういう(自分が理解できないとき、勝手にこうだと決めつけていたり、相手のことを推し量れないとき、余裕がなかったり)ときに出やすい人は多いです(私もそうです)。

こちらへ優しい人・助けてくれる人・ものくれる人・理解してくれる人・聞いてくれる人に、意外と短気な自分は出にくいものです。

さあここで(お待ちかねの)

「あなたのその短気をここ(手の上)に出してください。よーく言い聞かせてあげます」




参りましたと言えばそれはそれでいいし

「そんなことできるか」って短気をだすんじゃなく短気の態度をだせばその人に言い聞かせるしかないと


(そんな不埒なことを考える寅年の短気な私です。)

カメ

 最近はあきらめたのか、長男は私に釣りに行きたいと言わなくなりました。ちっとも連れていかないからやっぱりあきらめたのでしょう。
地元(長崎)なら池や川と海によく兄と二人で釣りに行っていました。時代の流れか小学生だけで川とか海の近くで遊ばないようにと看板がたてられたりしています。その上学校でも注意があるようです。

小学生の頃そんなことを言われた思い出はありません。事実は言われていたことを聞いていないで川・池・海でしたい放題遊んでいました。きっと時効なので責められないはずです。

今の子供達を見ていれば、子供らしいことをしようとすれば注意されます。田舎はのびのびできるからと郷里のど田舎の良さを思い出します。

特に釣りを趣味にしていないけれど何故釣りの話が出たのか

共に働く方のご子息が釣り道具を探してほしいと言われたけれど、奥の方にしまいすぎてとすぐには出せない。そんな話になっていました。こちらを見て

「釣り道具息子は何に使っていたと思う」

「月並みですが魚ですか」

「いえ、カメをつってたの」

「カメ釣って何するんです」

「それが近所のところに買い取ってくれるところがあったの、だから小学生達があつまってお小遣い稼ぎに、釣ってたの」

「本当に売れるんですか」

「沢山買い取ってくれたみたいで、子供達のグループで役割が決まっていて、一人は釣るかかり、一人は釣ったカメを釣り針から外すかかり、一人は釣ったカメが逃げないか見張っている係、色々考えてして稼いでたみたい(その時の子供達を思い出して楽しそうです)。」

「カメって売ってそれどう使うのです」

「食べてたんじゃない」

「カメって私食べたことないですよ。ていうか食べれるの」

「でも、食用として(多分)中国人が買い取ってくれてた。あの子達いいお小遣い稼いでたみたいよ」

いつも野菜をいただく、農家のおじさんがやってきました。

「カメじゃなくて、すっぽんじゃないかそれは」

「私はわからないけれど、食用でいっぱい使うからって」

私「うーん、そのカメって甲羅どんなだった」

おじさん「カメなら甲羅がもりあがっているし、すっぽんなら平たいぞ」

私「カメなら甲羅にとくちょうがあるでしょう」

職場の方「うーんあんまり気持ち悪いからよく見てないしおぼえてない・・・・」

おじさんと私「きっとすっぽんだろうなあ」

すっぽんは知っての通り高級食材だから

私「この辺っておじさんすっぽんいるの」

おじさん「おらんなー」

職場の方「どこにでもおるってわけじゃなかったよ、場所があったのよ釣れる」

おじさん「カメといえばワシは車でカメを踏んでな」

私と職場の方「うん」

おじさん「カメってのは甲羅が盛り上がって(半円になって)いるだろう。車で走ってたら端の方を知らずに踏んでしまって、そしたらカメがタイヤが乗った勢いで対向車に勢い良く吹っ飛んでいった。

凄い勢いで飛んでいってな、ドゴンって音がした

カメってのは飛ぶんじゃな」

私「いやそれ、上手いこと踏んだから飛んだんだよね」

おじさん「そしたらな、対向車の人の車が思い切り凹んで、ワシに文句を行ってきた。あんたのせいで車がこんなことなってしまって、どうしてくれるんだと

ワシは言ってやった。

ワシに言ってもいかん。


カメに言ってくれ」

私「(笑)」

おじさん「いや本当に言ったんじゃぞ、それで仕方ないから警察よんでいきさつ話したら、ワシには請求こんかった。」

おじさんは私と職場の人を見つめて「カメにいったんだ」という顔をしています。




そろそろまとめないといけないので



「カメは飛ぶもんです。」

波の続き

 人目に付く場所に出たがる人がいます。そのことを本人にそれとなくたずねても(大体)出たがる人は否定します。
そこを「出るのが好きなのよ」と言ってくれれば(私は)安心するのに。
逆のこと「出るのは嫌い(でも気がつけば笑顔で嬉しがって前に出る)だから」と返ってくるので安心の反対へ周囲は向かうことが多く、その原理は(おそらく)次のようなこと(もそう)ではないかと考える。

波はもともと水である
たとえばおなじく神秀の『観心論』に、八万四千の煩悩や、ガンジス河の砂のように無量無辺な情欲や悪念も、これを要するに、貪りと、瞋りと、愚かさの三毒心が根本であり、三毒心はさらにその根源にある唯一心の偶然の妄動にすぎず、それらの別の体なきことを主張するに至って、神秀の禅の本質はもっとも顕著となるといってよい。
三毒は、あたかも海上に吹きつける猛風のように、いずこからともなくやってきて、千波万波の荒波を激動せしめるけれども、じっさいにあるものは海水を体とする波の動きであり、猛風は、その実体を把むことはできぬのに等しい。波がもともと水の動きにすぎぬことに気づけば、三毒の波はすでにたんなる三毒ではない。
というのである。
角川文庫 仏教の思想7 『無の探究<中国禅>』  柳田聖山・梅原猛より抜粋



猛風による荒波がおしよせれば落ち着かない。台風であれば台風に文句を言ったとしても台風は文句を一つも受け取ってくれない。
あの台風がどこで発生したのかと追及しても荒波やその被害は減じない。

実際の波ではなく自らの中にある大海が荒れている(ことは多い)。その荒れた波も同じ水であり、風のせいにしても解決は遥か遠い。

「あの人がいるから問題ばかり・・・」この言葉も間違いではない。ただそういい続け何もしていないのであれば、何万遍も繰り返したとて、(何万遍も)同じことを人に言い続けなければいけない。

風をみ(えないものをみようとす)るのではなく、波もまた水であると感じれれば少し現実の私は変わっていく。


「(今私の)波の揺れ幅はどれくらいなのだろうか」

「風が無くても望めば波をおこせるか」

「荒れていても(望めばその波を)鎮められるか」

「猛風をつかみとり、その手にある停まった風は猛風なのだろうか」

「大波をもたらす(台風や人)に、こちらへこないでくださいと言えば受け取ってくれるのだろうか」





いずれにせよ面白いことを示し、気がつけば発展していく(と信じている)。

不携帯

 最近の日本人はおかしいです(何って、特にわたしがなのだけど、ツッコミは後でお願いします)。

「けいたい」と言えば、携帯食料とか思う人の割合は少ないです。大抵の人は携帯電話のことを思い浮かべ、安易に「ケータイ」と呼んでいます(無論私もです)。

私は現在の日本では少ない携帯電話を持っていない、つまりは「ケータイ」を非携帯どころか、非所持という形態の人種です。私が80くらいの老人ならそれもあるだろうなんて思う人も少なく、何処へ行くかわからないからGPS代わりにもたらされたり、携帯の普及率に伴って恐ろしいスピードで減っている公衆電話の数、ただ「ケータイ」を携帯していれば公衆電話なんて昼行灯ですから、よく通る場所にある公衆電話くらいしか覚えていません。

久しぶりに合う友人・先輩・後輩・親族など、連絡先を安易に私へ尋ねます。一般的な言葉なようです。

「ケータイ教えて」

私が独身で素敵な女性を見つけたら見かける度に言ってそうな言葉です。

「ケータイは持っていません。」

「ウソー」

嘘のような本当の話です。私のことをあまり知らない人は疑いを持ったりしています。疑いを持たれたとしても持っていないものは持っていないし、持つことによって縛られたり依存している人を見れば、持たない楽さを知っている私は言うのです。

「ケータイがなかったって問題ないよ」

ただ相手は、「無いことが問題でしょう・・・」なんて思っている人も多いです。

ある意味現在に生きる人の中で本当に特殊な形態を示しているなんて思います(この辺でオヤジギャグが言いたいだけの人かと突っ込んでいいです。)


ただ安心して下さい。

「ケータイは持っていないですが、仏教はいつもケータイしています。(私と共にあります)」







どうも安心できない人が見えるような気がします。
(安心して下さい。)

後文

 広い世の中、うれしいこと悲しいことは望んでも望んでいなくても、私の門の扉をノックするだけでなく、門を固く閉ざしていたとしても隣へ来ていることがあります。誰だって嬉しいことが気づけば前や横または内に来ているのであれば言葉どおり「うれしい」のだから、何回来ても苦になることがないだろうし、どうも「うれしい」をカウントしている人は少なく、反対に「悲しい」「苦しい」「つらい」「怨み」「妬み」ごとなどは、少しも漏らさず、いやむしろあったことより大きくカウントしがち(な私)だと思います。

落ち着けば「うれしい」は何が「うれしい」かを忘れやすいことも多く、「つらい・苦しい・怨みにとらわれていたり・愚痴ばかりの私・逃避しかしない時期」なんてことのほうが、自慢にならない自慢か笑い話かになることが多いです。

なんてったって「隣の家に蔵がたてば、こちらは腹が立つ」ことが多い(私)です。だから上手くいったり喜んでいれば正直に

「うまくいっていますね」

後文省略された言葉です。言える人に、はっきり言うのです。

「あなたがうまくいけば、こちらはなぜか腹が立つ、おめでとう。」

自信満々にそう伝えます。

心から祝福のみを伝えたい相手と先ほどのような祝福の言葉を伝える場合、見ても何も思わないことの三つがよくあらわれます。落ち着いて考えれば簡単なことで、私が相手が普段からしていることに感動することが多きければ心から祝福するようです。
祝福したいのだけれども、普段もうちょっと気を付けてほしい相手には両方言いたいようです。ここは言えない方には思っていても保身のために相手によって言わなくなったことが増えています。
「(その方がよいことがあっても)何も思わない」これは難しいことです。何ってよいと思えない私自身が難しいことです。普段のその方の行いがいくら悪いからって、よいことを喜んであげれないから、何も思わない。本当難しい私です・・・。

相手の普段がどうであれ、どんな方にでも「おめでとうございます」という変わらない言葉を放ちたいです。

私にそのとらわれの枠が相手にも私にも見えすぎることを私が見えて発言していればまだ雰囲気はよいです。自分自身の事に気がついていない時は誰にでも存在します。

目下身近な方や親しい方には、棚上げではなく棚卸しをしようと思っています。



さあて、私の中にある都合のいい棚の荷物をどこの誰にどうおろすのか、おろし方を考えると(凄く)楽しいのです。

見る

 何気ない行動や言葉をとって、都合のいい何かを論証しようとしがちです。不合理でも論証できなくても意味がわからないなんて思われても、「本当なんだけど」なんてことはよくあります。
説明できないから信じれないでもなく、悪いことをしていないから信じれるでもなく、その辺りはことばを超えています。

あの人が言えば納得することばなのに、誰かが言えば全く納得がいかない。(その言葉を口にするな)これもそれの一つ、発言する本人はあの人と同じ私を見ているのでしょう。ただ周囲は同じことに言葉ではなく何かが納得いかないだけです。簡単なこと、そんなことがあるのだから言葉に汚れを自分で付ける自分を必要以上に出す必要もなく、ただ理解して楽しんで出すならそれもまた(私としては)凄く楽しみのひとつです。

獅子が吠える。獅子が住む場所であってその獅子が見えない人もいます。見えないだけならあまり問題もないです。獅子に寄生して宿主をおびやかしていれば、獅子身中の虫が分かる人には汚れとおそれを見ます。

「獅子は獅子です」

そんなことをいっても何かで損なわれたり汚れたり獅子を獅子として保てないほどのものなんて誰も望んでいないだろうにと私はまた獅子ではなく中や周りにつけてしまうのです。

獅子も周りも中身もその他も明らかに見る。




まあそれが(私には)難しい・・・。波もまた水からおこる。

外出

 後輩の結婚式へ参加しました。大学中と大学後の先輩方にも久しぶりに顔を合わせ、師匠とも随分と久しぶりに話をしました。色々あってかなりご無沙汰しており、何を言っても言い訳にしかなりません。ただお師匠様がお元気であったことが何よりです。ただ歳が離れている先輩方は今でもやはり怖いのです。失礼があれば当然・・・

その前日、同級生にこれまた十何年かぶりにあい、何時間か話をしました。彼は前より大分真面目で、変わらないところもあるけれど変わったことも多い、それはお互いさまかもしれません。私も彼と過ごした24位の頃はわからないということがわかっていない、自分は見ているつもりでも何も見えていない、聞いているのに聞こえていない。今だってあの頃より少しはわからないということが少しずつわかってきたくらいです。

言葉を正しく伝えることが難しい

話した後で、上手く言えなかったとか、言い過ぎたとか、あれだと嘘になってしまうとかあれこれ考えながら4時間程運転しながら考えていました。

一つ上の友人と晩遅くまで語り合い、あの人は優しいから人には言わないこともつい話しすぎてしまいました。


ただ久しぶりにあって皆の話を聞けば、歳を取れば皆それなりにいろいろあることもわかりました。あたりまえですが自分だけが色いろあるわけではなく、皆の話を聞けば、何故でしょうか。

「もっと今よりしっかりやらなければいけない」

そうはっきりと頭のなかに浮かび、家内や子供達に会いたくなりました。

ちょっと睡眠不足なのでまずはしっかり寝て、私なりの何かをやはりもっと見えるようにしていきたいです。