ありがとう

昨日までお休みをいただいていました。今日から正月も仕事になります。(私は三人兄弟の末っ子です。)

昨日から姉夫婦(姉・義兄とその子供達)が泊まりこみに来ていました。私の家族が私・嫁・子供達3人、姉夫婦が4人、合計9人、その中子供が5人ですから賑やかです。

普段から大家族で過ごしていないため、家内は食事やお世話や片付けなどでずっと忙しいです。黙々と家事を続けています。

大分前に「年の暮れに遊びにいっていい?」なんて姉から尋ねられましたが、嫁の承諾なしに勝手に「どうぞどうぞ」なんて返事をしていました。迎える方の段取りなんて私が考えて受けていません。

お兄さん(義兄)と合えば大抵お酒を酌み交わし、お酒を飲めば私は隙あれば仏教の話ばかりでてきます。本当に相手からすれば困ったもんでしょう。大好きだからすぐそこにたどり着いてしまうなんてのが最近の私です。

それでもお兄さんは、私の話を最後までしっかりといつも聞いてくれます。私は今度こそ相手から沢山話を聞いてこちらは話すことは後回しにしなければと反省が残ります・・・。

お兄さんは遠方から来て、夜遅くまで話を聞いてくれた上に、私へ丁寧に頭を下げ

「ありがとうございました。」

そう言って寝床につかれました。

お兄さんにも、甥と姪にも姉にも、家内にも、我が子にも、今年一年迷惑をかけたし、お世話になりました。私ができていないところが多いから、とがった言葉で傷つけたり、感情的な言葉を発したり、考えなしの行動だったり、反省せねばいけないところは多いです。

気がつけばこの一年の終わり、(私に)もっと必要なことは、省みてそれを現状に反映させ、少しは考えて発言すること、感謝を忘れないことです。

本年最後の晩餐、食事前に触れ合う方へ、感謝と反省の言葉を述べて、よい年を迎えたいです。





つたないブログですが、今年一年見ていただいた方、拍手をいただいた方、コメントを残してくれた方、本当に有難うございました。


どうぞよいお年をお迎え下さい。



最後はお寺へ除夜の鐘を撞きにいってまいります。




何も言わずに一手に引き受けてくれる家内には感謝しています。


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誰が

 もう12月の30日、今年も残すところほんの僅かです。

昨年年頭に目標を書いていました。今年一年、「何処まで続けれるか、まあやってみるかな」などぼんやり「何か」を考え中です。

「何か」が具体的に形となるなんて、抽象的なことです。人によりその人が私であれば、私なりです。「できた」なんて思いすぎている時は「できておらず」、「全くできていない・・・、なんとかしなければ」と何かを成そうとしている時は「あなたはできている」と周囲に思われやすい、そんなことの大なり小なりの繰り返しでした。ああ、訂正です。大はなく、小なり小なりかな。

人の心の思いに限りはないです。

ただあるものが関われば、限りが生じることは多いです。経済的・社会的・地域的・時代的なもの、理解者に出会えない時もそうなのかもしれません。それでも自分で限りをつけることを少なくしたいです。それは言葉であらわすこと(まだ現在の私に)は難しいことです。全方位に力を注ぎ込めれば理想ですが、時間という限りも存在します。この時誰かと何かのせいにして、何もしないという私は、存在しないものと等しいくらいになっていることばかりです。

「(与えられている時間と場所と我が身で、現状)何をしていくか」

(過去にとらわれず、未来にとらわれず、)ただ目前のことに力を出し続ける。愚かな私はよく過去を悔い、未だ来ない時のことを考え続けることばかりです。

目先の損得にとらわれず、他者からきつい言葉を受けたとしても揺るぐことのない自分自身の礎をきづいていきたいです。

(私はもっと)欲張りにいきたいです。

「善いものは、もっと善く、皆が喜ぶもの(を出す私らしい私)でありたいです」

また時に深く激しく厳しく問い続けなければいけません。



「誰に一体何を問い続けるのか、それに誰が厳しくこたえ続けるのか」


答えを決めつけてはいけないものです。人それぞれ決めていくのでしょう。

また行きたい

遍路三日目の朝、第42番 一カ山 毘盧舎那院 仏木寺(いっかざん びるしゃないん ぶつもくじ)からスタート、昨日や一昨日と違い冬の雨の中の遍路となりました。

仏木寺に着き、まず目についたのは四国霊場では珍しい茅葺の屋根の鐘楼堂です。茅葺きにかなりな歴史を感じさせられました。傷んでいるところも多いですが立派で見応えがありました。次の世代に伝えるため手水場の横に鐘楼堂の茅葺きを新しく葺き替えるためにご寄進を募られていました。

手水場でいつものように(仏法を受け取るために)手を洗い清め、(自身の心や口から悪いことを無くすように)口をすすぎ、身を清め本堂へ向かいました。

本堂でいつものように、ロウソクをともし、線香に火をつけ、線香をたてようと香炉へ近づけば、香炉の灰はなめらかに朝早くだというのにとても滑らかにならされており、その(おそらく日々つづけておられるのであろう)お参りの方への日々の配慮に心打たれました。(気がつけばお堂と線香をたてたところを写真に何枚も撮っていました。)

大師堂の香炉も本堂同様に綺麗に「どうやって(どんな道具を使って)このように綺麗に灰をならしたのだろう。」なんて思うくらいでした。

四国の札所には必ずそこのお寺の御詠歌があります。現在はしておりませんがお軸や納経帳に御詠歌による納経もしておられました。(現在四国八十八か所霊場会の規定により御詠歌による納経はしておりません。と張り紙があるところもあります)

仏木寺の御詠歌「草も木も 仏になれる 仏木寺 なほ頼もしき 鬼畜人天」

そうですね本堂に御詠歌とご本尊様の真言が大抵書かれています。ぱっとみた私なりの御詠歌の解釈は「草や木も仏となれる。鬼・畜生・人間・天神ならばなおのこと仏となれる。(絶えず内を省みて)怠らずつとめよ」です。

そう言えば大乗仏教(日本の仏教)で「一切衆生 悉有仏性」生きとし生けるものすべてことごとく仏性(仏となれるもの)を有している。その意味と仏木寺の御詠歌はよく似ているなんて思いながらお参りをしていました。

気がつけば長男坊・次男坊は大分お経を読むことに慣れてきていました。線香・ロウソク・お賽銭を供え納札をおさめ、私と三人で並び声高らかに読経、ここで問題末っ子三男坊「けいくん」(3歳5ヶ月)は少し読んで違うことに夢中になってばかり、家内はどこの境内でも「けいくん」を追いかけずっと面倒みてくれていたので私達三人はいいお参りが続けられました。有難いことです。

無事納経をいただき仏木寺を後にしました。

次の札所は第43番 源光山  円手院 明石寺(げんこうざん えんしゅいん めいせきじ)です。

お寺の名前は特殊な読み方もあります。私はてっきりこのお寺の名前は「みょうせきじ」かと思っていましたが、ただの間違いです・・・。

正確には「めいせきじ」 です。(私へ言っています・・・)

古いですが立派な山門をくぐれば閑静で趣きのある場所(境内)でした。本堂も大師堂も厳かで御前にたてば、何故か身も心も引き締まり有難いと感じさせられました。雨は確かにお参りに不向きですが、その分上の子二人行動が制限されて統制がとれました。(境内やお堂前では特にふざけてたら許しませんが)

いつも野菜をいただく方にこのお寺だと思いますが、賽銭箱の話をしてくれました。「大体どこの本堂でも賽銭箱があるだろう。明石寺の賽銭箱は箱じゃなくて、床と一体型になっている。地下に収納するんだから一年分くらいは入るんじゃないか」なんて他所との違いを教えてくれたことを思い出しました。
確かに本堂も大師堂も賽銭箱ではなく畳と同じ高さに賽銭箱の最上面があり、床下というか地下に箱部分が隠れています。誰が考えたか知りませんが、泥棒もさすがにとりようがないですし、あとで集めるのも簡単ではないかなんて考えていました。

大師堂の脇に「夫婦杉」という大きい二つ仲良く並んで生えている杉がありました。長いしめ縄が巻かれ看板も立派なものがついていましたので、この夫婦杉のように長く夫婦でいれるようにと記念に写真をとりました。

雨のため小走りで境内を後にし、お納経も無事いただき、次の札所へ向かいます。

第44番札所 菅生山 大覚院 大寶寺(すごうさん だいかくいん だいほうじ)です。
お寺は山号がついているように、山の上や山の中腹など大型の車で行きにくい場所もあります。大寶寺の駐車場へいくにも少し大変です。この辺りに来れば高原なのか道中や境内に積雪がありました。雨と足元は雪・・・足元は悪いです。

いっそう強くなる雨の中のお参りです。子供達は雪が沢山積もっていることに大興奮、雨にぬれることも気づかないくらいに雪で遊んでいます。しばらくすれば手が真赤で助けを求めてきました・・・・。「だから触らないほうがいいよって言ったのに」なんて言っても時既に遅しです。それはそれ、これはこれ寒かろうが手が痛かろうがしっかりと勤行をします。作法も抜かり無く行い、納経所へ行き無事お納経もいただきました。

ここで今日は流石にもう帰る予定ですから、家内と昼くらいまででお遍路も打ち切りと約束をしていましたが、地図を見れば次の45番岩屋寺も次回のために打っておいたほうが移動を短縮できる旨を伝えて、岩屋寺まで打つことに決定しました。岩屋寺へ向かう道中、「うーん確か知り合いやお遍路によく行く人達が岩屋寺は大変だとかどうとか言ってたよなあ」なんて何度も口から出ていました。

岩屋寺の近くにきて、山の岩肌を見て納得しました。「岩屋」というか特徴のある断崖絶壁の岩肌のあるような所にお寺があるのだろう。事実駐車場もお寺から大分離れています。

雨はきつく降っており、雪が沢山積もっています。道は綺麗に除雪されているのが幸いでした。3歳の「けいくん」を連れて行くと決めた時に夏にお参りした「お伊勢参り」でもおんぶや抱っこ・肩車で苦労したましたから、今回はおんぶ紐を用意してきました。

「けいくん」を濡らさないように、おんぶ紐をつけ、岩屋寺へ向いました。

はじめから急勾配の上り坂です。道案内では700m先と書いてあります。700mなんて近いと平坦であれば思いますが、山を登る道700mはちょっと大変です。(私が日頃頭だけ鍛えようとして、身体を鍛えていない身体とも言いますが・・・)岩屋寺への道は深山幽谷なんて言葉がぴったりです。ただ道の脇の急斜面に不動尊や無数の仏様が祀られ苔むしています。それを見れば雨も「けいくん」も雪も寒さもなんとも無く、ただ岩屋寺へ絶対にたどり着かねばということだけ思っていたらしばらくして無事に到着、子供達は元気なものです。走り回ってます「お父さんお母さん遅いよー、こっちこっち」元気が一番です。人気もなかったのですが境内では僧侶の方が大掃除や境内のこまごましたことに忙しくされていました。

二人の夫婦のお遍路様と出会いました。険しい道を登った所に、無邪気な3歳の子供が居ることを不思議そうに見ておられました。それはともかく岩屋寺の本堂横の険しい岩肌はうならせるものがありました。岩屋寺とつくのも仕方ないな・・。本堂と大師堂を今回最後ですから今まで以上に気合を入れて拝んで、ここも無事に納経をいただくことができました。なんてたって今日はここで終わりですから、帰りは足取りが軽いです。「けいくん」をおんぶ紐でしっかりくくり、雨の中下りはじめれば、先ほどの夫婦遍路の方も下られていました。丁寧に挨拶を交わし、追い抜いて行きました。二人は3歳の子供が岩屋寺へ来たことを納得したようです。

家内へ感謝し、帰路へ、「けいくんは可愛らしいけれども、お勤めも長い距離を歩いて登ることがまだできないから、またあの子が大きくなって手がかからなくなったら、皆で一緒にお参りしよう」と約束をしました。

何ヶ寺かは自分でも回ったことがありますが、こうして全周(88ヶ寺)を回り始めるのは(遅いことなのです)初めてです。

何故でしょう。「また行きたい」そう自然に思わされる場所ばかりでした。四国遍路を何周も何十周も何百周もされる方がおられますがなんとなくですがほんの少し理由がわかったような気がしました。

家族全員で無事四国八十八か所を全周結願したいです。

次の家族全員の休みがあうときに、この続きを打ち始めることにします。
(3日にわたった遍路記事もこれで打ち止めです。)



アドバイス

二日目の朝、前日の夕方に岩本寺本堂と大師堂はお勤めを済ませていましたので、朝一番でお納経をいただきました。副住職さんがおられるかなと思いましたが、住職さんがおられ納経をお願いし、「又参ります」そう心で思い岩本寺を後にしました。「家族でお寺や宿坊をまかなっていますので」勤行後の副住職様の話の中で言われていた言葉は、住職様が納経を朝早くからされていたこともあり、響きました。

朝7時に四万十川を有する四万十市を出発、四国第38番金剛福寺へ向かいます。

四国遍路に何度も行かれる方からよく話を聞きました。「四国の道も昔に比べれば随分綺麗になり早く回れるようになった。」私達は車遍路ですからその恩恵にあずかれます。歩き遍路の人は昔からあまり変わらないでしょう。

38番金剛福寺には有名なものが何個かあり、一つは四国最南端の岬、「足摺岬」絶景の場所です。もう一つは「中浜万次郎の銅像」です。また「白山洞門・神社」、「亜熱帯植物」などです。

私も23くらいの時に「ジョン万次郎」の銅像を見て、何故でしょうか「おー」なんて思ったものです。高知市に有名な「坂本龍馬像」を見て、足摺岬の「ジョン万次郎」を見たことを覚えています。その頃の足摺岬は自殺を止める立て札がたくさん立っていました。「ちょっと待て、考えなおせ」などの立て札がたくさん立っていたので今回も見れるのかと思っていましたが一つもありませんでした。道も以前より心なしか整備されて綺麗になっているのではと思っていました。

手入れの行き届いた、境内は綺麗な大岩をたくさん使って何とも言えない岩メインの庭園となっています。大亀の岩もあり、子供達も大興奮、気を引き締め本堂と大師堂で読経して、納経をいただきました。

「ふう、ここもこれで大体終わりかな(もう次の札所へ行ってもいいんだけど」

いつも職場で共にする友人は口ぐせのように言っています。「四国遍路、急いで回ってもどこのお寺を回ったか覚えていないのでは味気ない(意味もないでしょう)。ゆっくり回って下さい。」

ふとそんなことを思い出しました。子供達へ

「これからが本番だよー、(白山洞門と足摺岬へ)行くぞ」

さて言ったはいいんですが、金剛福寺の仁王門から正面に、白山洞門へ続く木立の中の自然の道があります。気合とは裏腹に白山洞門まで大体はなだらかな道なのですが、時折アップダウンが激しくなっています。末っ子「けいくん3歳」を家内や次男坊と私でおんぶしながら、向かいました。

神社の近くまで行った時には、子供達以外つまりは私と家内はもうへとへと・・・、日頃の運動不足を痛感させられました@@;

元気あふれる子供達は走りまくっています。「けいくん」は抱っこばかりですから、疲れておらず元気です・・・。神社鳥居前から白山洞門へ。(白山洞門は足摺岬の西方にあり、道路よりかなり下方にあって海岸にあります。岩盤が波の浸食により洞門となっています。)波の侵食により洞門となっているものでは日本一だとか、見応え有りです。ただ健脚な方でないと行きづらいと思います。

そこからまた金剛福寺前にもどり、そこから(金剛福寺より)東側の足摺岬へ!

白山洞門より距離はないですし、平坦です。ただ低い木立の道も往復20分位は歩かねばいけません。やっぱり元気が無い人はいきずらいでしょう。

展望台と天狗の鼻(四国一景色のいい場所と書かれていました)快晴で景色も最高でした。歩きまわりすぎた動きすぎたのとお昼の時間が来たことにより、お腹も大分空いていたので金剛福寺前の食堂で昼食をいただき、次の札所へ向かうことに

ここで二日目の知人が立てていた予定では、朝37番岩本寺を出て、次に38番金剛福寺、次に39番延光寺、そして40番観自在寺を打ち終わり昼食となっていました。

9時過ぎ大体予定より早く足摺岬(金剛福寺)に到着しお参りも終わっていましたが、金剛福寺を出発できたのが午後1時でした。心のなかで「ああ、これは知人の予定どおりに絶対無理だな・・・」なんて思いながら足摺岬を後にしたのです。ただ子供達は「足摺岬」や「ジョン万次郎」と「白山洞門」と「大きな石」など大人になっても覚えていることだろうと勝手に想像していました。

知人の行程は改めて見るとよく考えられています。私が住んでいる徳島鳴門近辺からほぼ日帰りコースで組まれています。その中一回だけ泊まりのコースがあり、つまりはそれが岩本寺に泊まるコースで、遠方に行くことが誰でもおっくうだから、今回は先に一番遠く(泊まりでいかなければいけないところ)から回り始めたのです。

朝、岩本寺を出発して43番明石寺(めいせきじ)までが泊まりの一泊二日の行程なのに、38番金剛福寺(足摺岬)で時間を大幅に費やしたことにより、ここからはなるようになるか・・・そう思いながら車を走らせました。

次の39番 「赤亀山 寺山院 延光寺」(しゃっきざん てらやまいん えんこうじ)亀と鐘のお寺で有名です。よく四国遍路をされる方が白衣をきておられます。背中に鶴と亀のニヶ寺、ご宝印を左右に押してめでたい縁起をかつがれて白衣に押されています。39番延光寺はその亀と鐘をモチーフにした御宝印をいただけるお寺です。高知(修業の道場)最後の札所となっています。
無事に本堂と大師堂の勤行も終わり、お納経もいただきました。

次は愛媛(伊予の国・菩提の道場)最初の札所 第40番平城山 薬師院 観自在寺(へいじょうざん やくしいん かんじざいじ) です。観自在寺と名前がついているので私はてっきり観自在菩薩様がご本尊様なのかなと考えていたら、御本尊様は薬師如来さまでした。有難いことには何のかわりもないです。急いでいた私は観自在寺の印象がうすいです・・・。友人の言葉がまたでてきました「どこを回ったかもおぼえてないのも・・・」四国八十八ヶ所の札所寺院は納経は有難いことに年中無休ですが、納経時間が厳格に決まっています。朝7時から夕方5時まで、納経さえしなければお参りは何時でもできるところばかりです。裏を返せば納経できる時間はどんなに遠くから来ていたとしても無理です。時間は誰であろうと守らなければいけません。

急ぎながら次の札所へ

41番 稲荷山 護国院 龍光寺(いなりざん ごこくいん りゅうこうじ)です。到着した時にはすでに夕暮れも始まり4時過ぎていました。勤行と納経の時間を考えれば今日はここで終りです(二日目最後の札所となりました)。
境内の真ん中に神社が祀られています。山号に稲荷山とあるままです。正月も近いせいか時間も遅いせいか私達以外の遍路同行様はおられませんでした。ゆっくりと本堂と大師堂でお勤めを済ませ、家内と話し合いです。

予算がかかるから泊まりは一泊にしようかと、話していましたが当初の予定だった42番と43番札所まで辿り着くことができませんでした。四国地図の札所の位置をみれば次回ここまでもどるより、やっぱり43番まで打っていた方が次回随分と楽になります。納経時間はもう残されていませんから、家内へ「どうしても最低43までは終わらせないと次回が大変だから、どこか泊まってもいいかな」「いいよ」話は即決、納経所で納経をいただいた後に納経所におられた女性の方へ「どこかこの近くで泊まれるところがありませんか」とたずねれば、親切に色々とお世話していただきました。(やはりブログに載せますとか書いてますとか紹介していないので見ておられないでしょうが、有難うございました。)

「この辺りは何もないから、お店も早く閉まるので食事も遅くだったらコンビニとかでないと・・・」近くの民宿と少し離れたところなら何でもあるからと教えていただきました。早速近くの民宿へ電話、「いっぱいで泊まれない・・・」離れた宇和島へむかうことにしました。そこのホテルに泊まることに、流石札所近辺の宿泊所で他にもお遍路さまが泊まられていました。ゆっくり休めました。

四国遍路だけ、つまりは本堂と大師堂を拝み納経をいただくだけなら、何の記憶ものこらないです。友人が言っていたことの意味がよくわかりました。「せっかく回るのだから、ゆっくりいったらいいんですよ」ただ問題は足摺岬みたいに一つのお寺に3時間半も時間をとれば一日の納経時間は7時から5時(限られているの)だから移動・ごはん・勤行の時間をいれたら、その兼ね合いが本当に難しいなんて考えさせられました。


後一回(四国遍路記事が明日まで)あります。20時がくるのでここまで今日は終了です・・・




初日(道中)

 四国八十八ヶ所第33番 雪蹊寺から(昨晩のブログでは)一気に宿坊でお世話になった岩本寺様へ話が飛びましたが、その道中(車遍路ですが)次の第34番札所「種間寺」少し変わった名前です。

種間寺の歴史・由来は四国八十八か所霊場会公式HPによると

唐から帰朝した弘法大師がこの地を訪ねたのは弘仁年間である。大師はその薬師如来像を本尊として安置し、諸堂を建てて開創された。その折に唐からもち帰った種子の米、麦、あわ、きび、豆またはひえの五穀を境内に蒔いたことから、種間寺と名付けたといわれる。 天暦年間(947〜57)には、ときの村上天皇(在位946〜67)が「種間」の勅額を下賜され、また、土佐藩主の山内公からの加護が厚く、広大な田畑や山林を寄贈されており、堂舎の修築も行われている。ただ、やはり廃仏毀釈の難では、容赦がなかった。 本尊は「安産の薬師さん」で、また、底の抜けた柄杓に人気があり、信者が多い。

(引用終わり)

四国遍路は一つのお寺で必ず「本堂」と「大師堂」弘法大師(空海様)をお祀りしているお堂二カ所を必ず拝んでいかねばいけません。私達も最初のお寺で2回拝みましたから子供達も少し要領がつかめてきています。ただ三男坊「けいくん」3歳5ヶ月には、まだお勤め(作法と読経)は荷が重すぎます。だんだんと他のことに気が取られ、家内は「けいくん」のお世話にかかりっぱなしになっていきました。

ここは割り切り私は長男坊(小学五年生)と次男坊(小学三年生)に厳しく巡拝作法と読経を勤めさせることに徹底しました。「けいくん」がもう少し大きくなるまで家族全員でピシっと勤行は楽しみは先です。

次は知人の予定表によれば、35を飛ばして36番札所となっています。ここは何か理由があるのでしょうから行程表を信じ、36番札所 独鈷山 伊舎那院 青龍寺(どっこざん いしゃないん しょうりゅうじ)です。

このお寺には、ご本尊「波切不動明王」であり、高野山にも波切不動尊があります。高野山の三鈷の松と縁起がにています。弘法大師入唐より帰朝の折、修験の道場をと三鈷杵を投げ、遥か紀伊の高野山の松にかかっていたことにより、高野山開創となった。三鈷の松が伽藍にあります。

どうも青龍寺は三鈷杵の独鈷杵物語版が寺伝となっています。今回訪れたことにより私も(かなり遅いですが)初めて知りました。それなら密教の仏具に独鈷杵と三鈷杵と五鈷杵がありますから、どこかのお寺には五鈷杵の縁起がひょっとするとあるのかもしれない・・・。まあそれはそれで、青龍寺は海に囲まれた島にありますから、波切不動尊は荒波を沈め航海の無事や安全や豊漁などで地域や檀家・信者の方に篤く信仰されているようです。青龍寺名前の通り、弘法大師が遣唐使として入唐求法の際、密教の第七祖恵果阿闍梨より法を伝授されたお寺も青龍寺です。36番札所の境内にも恵果和尚がお祀りされたお堂がありました。真言宗が好きな人(私もですが)納得のお寺です。まあ不動尊自体が密教像ですから本尊様の名前を知った時から関係あるだろうと思っていましたが、ここまで色濃いとは思っていませんでした。

そこから寺伝によれば、弘法大師の投げられた独鈷杵は「青龍寺奥の院の老松にかかっていた」とあります。子供達も私も最初は「奥の院が何故このお寺にあるのか?」子供達はシンプルです。「お父さん行ってみよう」見たとこ険しい山道です。しかも700m、「ねえねえ奥の院までこれ相当大変だと思うよ」「お父さんいけるって」「いやいや私一人ならともかく、けいくんの面倒みながらだからね・・・いけんでしょ」「いけるよ」そう言って長男坊と次男坊は先に山へ消えていきました。

嫌な予感的中、ほとんど人がいかないためか道は獣道です。急斜面整備されていない急勾配を3歳のけいくんを抱えたりしながら、長いこと上がれば舗装された奥の院へ行く道を横切る道へ出ました。なんとか奥の院まであがってみれば、そこは浄域となっており、祠の前は土足厳禁となっており綺麗に掃除され整備されていました。お参りされる方が沢山いるようです。近くにあるホテルのようなところを横切る時に沢山の人(女性)の「御詠歌」が聞こえてきました。


信仰を感じました


信じる対象が違ったり、わからない人には、わからないかもしれません。確かにそこに信仰がありました。

そのホテルの下に飼っているイノシシとブタに「けいくん」と子供達は挨拶をして、次の札所へ
(ただ行程表で奥の院に登るなんて入ってなかったのでしょうが、行き当たりばったり遍路の醍醐味、この山登りで相当時間をとられ予定した時間よりかなり遅れました・・・)

第35番札所 醫王山 鏡池院 清滝寺(いおうざん きょうちいん きよたきじ) 、四国の札所寺院はどこも立派です。歴史も格式もあり、弘法大師を慕う(仏教を慕う)人達に長い時代支えられたことを示しています。

割りと高台にあるため35番へ登る道は細く大型車では通れません。運転に自信がない人は尻込みをしそうです。門前へつけば、お寺と見晴らしのいい景色と赤い古い消防車がありました。消防車に目がない「けいくん」一緒に何枚も写真を取りました。本堂や大師堂の一段下に大きい厄除薬師如来(立像)があり、その台座は時計回りで入ることができ、真っ暗で仏様の中でお参りができるようになっています。
元気で変わったところの好きな上の子二人は、お参りの人が全くいないことをいいことに、「お父さんこれ楽しい。」そう言って何回も厄除薬師如来様の台座(懐の中を)回り続けていました。あの子達に厄除と薬師如来の本当の意味がわかるのは、時間がもう少し必要なようです。

無事に御本尊様と大師堂をお参りを終わりました。

33番・34番・36番・35番と打ち終わり、四万十市にある37番岩本寺の宿坊へ移動が終わり、宿坊に入り案内の際「食事がご用意できませんのでご迷惑をお掛けします。」「泊まれれば(無事にお参りに行ければ)問題無いです。近くに食事ができるところありますか」「味がいいからあそこがいいですよ」と丁寧に場所と店を教えてくれました。宿坊から歩いてすぐでしたし、昔ながらのレストラン(洋食屋さん)で、聞いていたとおり味もよく、値段もリーズナブル、有難いことでした。朝勤行後に「家族が病気で食事がご用意できませんでご迷惑をお掛けいたしました。」と副住職さんが言っておられました。迷惑は掛かってないです!むしろ宿坊とてもよかったことを見ておられないでしょうがここへ記しておきます。

本堂内陣から外陣の勤行参加者が座る場所から、内陣の左右に真言宗寺院らしく八祖大師や両界曼荼羅がかかっていました。
とりわけ目を奪われたのは二枚のお経が書かれたもの右に(草書だからよみにくいけど、あの言葉は私も読めます)

右に「諸悪莫作 衆善奉行」

左は「自浄其意 是諸仏教」

以前にも仏教が何かなんてあらわすのには、このお経の言葉が一番です。

「もろもろの悪いことをせず、善いことをたくさん行いおのずからその心をきよくする。これがもろもろのほとけの教えである」

あのお経の16文字を実行するだけで、人はさとりに到れる。

朝の勤行後、その言葉をかみしめながら、岩本寺より80kmほどはなれた四国最南端、第38番札所 金剛福寺へ向かいました。(歩き遍路の人なら2・3日かけていく難所となります。)


やっとはじまり

何年も前から思っていたことがあります。そのために何度か行く準備をしていたのです。「行こう」その当日の朝に限って子供が代わる代わる熱が出たり病気になって、いけずじまいでした。そのうち三男坊「けいくん」の誕生、もう3歳5ヶ月になりましたがあの子を授かってある程度育つまで予定は先延ばしていました。

先日厳しい指摘を受けた方に

「最近の若者は何でも自分で決めるからいけない」一切の反論を許さない口調で全てを否定されたことは今でも胸が痛いです。次男坊の私は親から離れて暮らし20年近くになります。両親や祖父母のいない私の家庭、「(一応)大黒柱の私が物事を決めなければ誰が決めるというのか」そんなことを反論したかったですが、ご年配の方に反論をすればさらに言葉がきつくなるだけです。

その方の末のご子息も私と同い年だとか、いつもお世話になる職場の方が「あなたと同じだけの苦労をあの人の子供がしているかどうかなんてわからないけど・・・・」本当に私に優しい方です。

苦労自慢や不幸自慢しあっても、何にもいいことなんてありません。せいぜい言い勝てば、勝った方の気が楽になるくらいです。

話を戻してと・・・・

そうそう以前から計画していた、四国遍路に行って参りました。

12月は仕事や家庭の用事はどこでもいそがしいものです。私のかていも例外なく慌ただしかったのですが、無理してお休みをいただきましたが、今回四国遍路一気に回ることは(私には)難しいので区分けして回ることにしました。

記念すべき第一回は、友人が来年から1200年記念遍路(ほぼ日帰り遍路・団体)を計画していましたので、その工程表を参考というか全くそのまま使わせてもらいました。大変助かりました。

まず徳島鳴門近辺に住む私は、一番遠いところから制覇すれば、後は楽に日帰りで何回かに分ければ結願できます。ということで、高知県33雪蹊寺から打ち始めました。(一番から回らなければいけないなんてことは四国遍路は決まっていません。無事全部回り終えれば一周、結願や成満や満願できたと言います。)

弘法大師御開創1200年記念が来年ですが、記念の判と各お寺の御本尊様(梵字)のお姿(御影)がもう今年の12月15日からはじまっています。当然弘法大師(空海)様は真言宗の開祖ですから、四国遍路のお寺は真言宗がほとんどです。けれども四国遍路には国境と宗派を超え少し前であれば年間10万人こられていました。来年は何人の方が来られるのか(誰が数えるのかしりませんが)楽しみなところです。

それはともかくただの偶然ですが、私の実家の宗派は禅宗です。といっても曹洞宗ですが、禅宗には違いありません。雪蹊寺は禅宗で臨済宗のお寺です。けれども四国八十八箇所ですから、弘法大師を祀る立派な大師堂があります。仏教の宗派の垣根は人の中にあるあってないようなものです。おかしいなんて思うほうがおかしいことだと最近の私は思います。

何年も前からお納経(朱印)をいただくために、私と家内用に作った納経帳に本堂と大師堂を家族全員でお勤めした後に納経してもらいました。何故でしょうかドキドキしました。

その日は朝徳島を出発して高知へ到着後33番・34番・36番・35番と打ち終わり、四万十市にある37番岩本寺の宿坊へ宿泊しました。

お婆さんが丁寧に私達家族を案内してくれて、広く綺麗なお部屋でした。前日にいきなり予約したのに有難いことです。岩本寺の宿坊にはテレビはありませんでした。お茶とお茶菓子と仏教聖典3冊とらくがき帳とふかふかのお布団が用意してありました。落書き帳には歩き遍路で回られてる方が岩本寺の宿坊に感謝されお礼の文を沢山書いてありました。英語で何個か書き込みもありました。賛辞ばかりです。静かで対応もとてもよかったです。テレビや電化製品がないのは助かりました。静かに考える時間があるということは素晴らしいことだということを意図して何も置かれていないようです。「朝のお勤め6時から自由参加です。」そのようにご案内がありました。当然参加です。岩本寺は真言宗です。お勤めも在家の方向きに簡単なもので構成されていました。朝6時前まだ本堂の上空にある空は漆黒に星が素晴らしく綺麗でした。お勤めは副住職様がされていました。若く力のある高くはりのある声のおつとめ、私も一緒に低く合わせ読経しました。構成は般若心経と理趣経の一部後は諸真言など三帰や懺悔文など、読経後の法話も大変よかったです。四国の道は弘法大師を慕って1200年歩き続けた人による道、岩本寺本堂の天井絵にマリリンモンローが描かれているなど、関心しました。ある人は「本堂に外国人の絵があるのはおかしい」なんて言われたこともありますと言われていました。前住職は「仏教はインドからはじまった宗教だから問題はない。」そのような返事をされたそうです。
まったくもって私も同感です。国境・人種の違いは問題ないと私も思っていましたから大変共感しました。

(20時になったので続きはまた次回へ)


断言

 私は過去に色々ありました。若い故の過ちといえば可愛らしいです。

何か問題があれば最近の私は子供達へ

「自らの言葉と行動は、遅かれ早かれ必ず自分へ返ってくる。気をつけなさい。」

あの子達にもですが、それは声に出せば私の耳にも聞こえています。私自身が一番気をつけねばいけないことです。偉そうなことを言う私、放った言葉の責任は放った人へ帰ります。善いことを言えば「あの言葉で助かった。有難うございます。」それは極稀のこと、身の程をわきまえず放つ言葉は「偉そうなことを言っているが、そんな貴方自身はきちんとできているのか」そう返されたら、黙るしかない。若い頃であれば「私のことだって問題だが、貴方自身ができてなければ貴方自身だって問題でしょう。私ができていないことは私の問題だが、貴方ができていれば貴方は問題ではない。残るは私だけが問題となるのだから」いや本当に簡単にそんなことが最近は言えなくなりました。

考え出せば難しい。「私も身近にいる人も問題なく前に進みたい。」それは私にとっての目標であり理想です。考えすぎて何も出せていなければ、つまりは迷っているともいうのでしょう。以前にも紹介した言葉、お世話になる方に

「目前の人が背負えないなら、背負える人が背負うしかない。(つまりは)あなたが背負って前に行くしかない。」

その言葉は私の背中を激しく強く押した言葉でした。それから私は長年の考えを形と行動に没頭したことをはっきりと覚えています。必死に集中し、かたちがでてくれば、それにより人が動き、人の動きは心の動きでもあり、私はその心の動きに喜んだことを覚えています。

悩み苦しんでいた私の背中を押した言葉、何もせず悩んでいるだけでは前に進むことがない。どういう形であれ生きているのなら、前に進まなければいけない。

ただ(あの言葉の)ほんとうの意味に気づいたのは最近のこと


「目前の人が背負えないなら、背負える人が背負うしかない。(つまりは)あなたが背負って前に行くしかない。」この言葉を放つ人は、誰もが理解しているだろうけれども考えなしの人ではない。理解してない人でもない。背負えない人でもない。後ろに進んでいる人でもない。

「何かあれば私が背負うから、貴方は貴方の力を思う存分発揮して欲しい。私はできるだけのことをするから」

最近私はあの言葉をそう理解している。



私も(今もこれからも)時を共にする人へ、何かあればそう断言し続けたい。

かたち

 何かを行うとして、人により同じ結果だとしても、違うアプローチでたどり着くなんてことがある。登山で言えば頂上は一つでも麓の道は沢山ありどの道でその山を登るかの違い、なんてよく言われています。元は「分け登る麓の道は多けれど同じ高嶺の月を見るかな」渡辺照宏先生の著作で知った大好きな言葉でもあります。

「お互いのかたちを認め合う。」人間それぞれロボットでないのだから画一的ではない。かたち(価値観・信じるもの・生き方・愛し方・学び方など)がそれぞれ違うことを認め、お互いを尊重しあうこと。宗教だけではなく様々なことをあらわしている。何て勝手に思っています。

つまりは反対であれば、自分の信じるもの以外は認めない。自分の形・生き方・苦労した自分だけしか認めない。相手の言葉を理解せず、頭ごなしに否定する。しっかりと聞きもしないのに決め付ける。
(ああ、過去の愚かな自分のままです。この場を借りて様々な方へ謝らなければいけません。謝ればすむなんて思わないですが、ごめんなさい・・・)

理解する。(話をそんなにしていないのに深い理解を示してくれる。)

よく話を聞くことができる。(他愛もないことでも、最後まで親身に聞くことができる。)

相手を信じることができる。(あの人は駄目だ。そう決めつけず裏切られても動じず、信じた私が馬鹿だったと私のように思わない。)

寛容である。(しっかりとした判断を持ち、問題のない許す幅が人より大きい。)

惜しみなく与えている(物惜しみの反対、必要としている人へ、的確な判断で惜しみなくわけ続けている。)

動じない。(多少の問題ではうろたえず、確固たる根拠を困れば常に指し示し続けている。)


この列挙、いつも私の理想です。「与える」なんて偉そうに聞こえる人もいるのかもしれませんが、相手に一生にとって大切になるものを目の前に出すことができれば、「本当に大事なものをいただいた」や「与えてくれた」と理想のようにいけば、受け取り側はそう思うことになるなんて思います。

上記の列挙の反対はかなり過酷です。

(全く相手のことを)理解しない(しようとしない)。

(相手や皆の)話を聞かない(聞こうとしない)。

(目前の相手や周囲の人達・家族の善いことでも)信じれない。

(自分以外の意見や信じるもの全て)許さない・認めない。

与えるどころか、奪う。腐るほどあっても物惜しみのために与えようとしない。

(些細なことでも)うろたえている。


この反対の列挙、私が狭く小さくとらわれているときでもあり、私自身望まない自分自身の姿です・・・


言葉はちからがあります。善いことは心を喜ばせ、感動の涙や生きていてよかったや、生きる希望にもなります。その反対はもう書く必要もないでしょう。過酷すぎます・・・


極端じゃないか、なんて言う人もいるかもしれません。


ただ私は理想のかたちへ近づきたい。何かあれば思うだけです。



困った(私)

 苦手な人はそんなにいないなんて思って(あやまった考えにとらわれて)いました。

今日夕方会った方とギクシャクしました。言いかえれば私はその方が苦手なんでしょう・・・。困ったもの(相手がではなく私が)です。

以前にもその方と割りと激しく言い合いしたことを覚えています。お互いの主張を言い合う。まあ喧嘩しているわけではないのですが。お互い激しく言い合えば後に何かしらひっかかるものです。

そんなこともありましたから、次はそのようなことのないようにと思っていました。「よく話を聞けば問題ない。」そう(今日まで)思い続けていました。

話を聞いているうちに、私の駄目なところが出現しました。「これからこのような予定なんです。」それに厳しい答えばかり、「今どきの若いものは苦労しないから駄目だ」そればかりです。いや本当だめな私の出現、つい少し反論をしてしまいます。するとそれにまた厳しく反論してきます。それは繰り返せばきりがないです・・・。

厳しい言葉がくれば、甘い私を理解できます。若いものというより私に苦労が足りないといわれたから怒っているだけでしょう。前回から次は問題のない自分でありたいと思っていましたが、今回も私の努力不足でした。

聞くに徹することができていない私であったことや、いつも私を大きく包んで話を聞いてくれる優しい人たちの存在にあらためて気が付かされました。あの人と次は何の問題もなくしたいです。

痛い言葉・厳しい言葉がたくさんきたとしても、動じず・礼を失わず、やれることをしっかりやれるように・・・、次への課題です。

「何の問題もなく楽しく会話できる。」このことがあらためて難しいことだと再認識させられました。お互いの意見をきちんと尊重する。つまりはお互いしっかり相手の言うことを聞きあうことができる。それが理想だなんて思っていた私の頭のなかは、変な意味でしあわせです。

日頃周囲にいる人ができた方で、私のことを尊重しておられる。私の拙い話をしっかりと聞いてくれる。つまりここで書いてあるとおり、相手が私を大事にしてくれている。やっぱり私は日頃囲まれている方に助けられている。

そのことを当然すぎるように思ったり。どこでも通用するなんて思いが私の中にあるから、相手が問題ではないです。


あたりまえ、助けられている、勘違い、思い込み、おしつけが少しでも入ってしまう自分ではまた衝突してしまうでしょう。

本当に困った私でした・・・


何時でも誰とでも何の問題もない。そこまでいかなくても以前より少しでも動じることがないようにしていきたいです。(波風が立ちすぎる自分の心に振り回される。つまりは落ち着かないです・・・)


みかた

誰かをみる、または接する。

何かしら違和感をおぼえてしまう。



「その違和感とはなんだろうか。」



違和感の正体を知らずに探っている私が存在している。

誰かの悪いところへ目がいく。

違和感の正体を探りつづけ、悪いことだと認識する。

違和感が多ければ多いほど、長ければ長いほど、その人は悪いところばかりしかないどと思ってしまう。

そんなことを思う私はどうなのだろうか・・・

私は完璧なのだろうか・・・

私から他者に対して違和感はでていないのだろうか・・・

私は最初から善いところばかりなのだろうか・・・

私は人から何も言われることがない、そう言い切れるのだろうか・・・

私の悪いところだけを見て欲しいなんて思うのだろうか・・・

私にだって少ないけれど善いところがあるなんて誰もが思うのではないのだろうか・・・

私の善いところだけ見て欲しく、他者の悪いところだけにしか目がいかない私と出会う・・・

私は気をつけていない。けれども他者にはしっかり気をつけねばいけない。そんな果てしなく狭い世界を放つ私・・・


私にとって都合のいいみかた・・・


他者の悪いところだけを見て、その悪いところがその人全てだと思い込むみかた。この時その見方が正しいかどうかは難しい。一つ言えることはその方の成した悪いことや成している悪いこと、つまりは悪いことと自分が同じだとおもわれたくないなんて誰もが思うことがある。その場合その見方によって、その人は私自身の味方とはなりにくくなり、つまりは相対する(自分から距離のある)人になってしまう。


その人にだって善いところはある。そ人の善いところを全てだと思い込む見方をすることだってある。ただ善がその人全てを覆い尽くすような人は稀かもしれない。つまりはそのような人にだって悪いこともあるように思う。味方になりつづけたいのに、かばうこともできない現象だって訪れることもある。



正しいみかたが本当に(私にとって)大切だ。

これでいいのか

何かに没頭する(している)。この没頭しているということを忘れるくらいに没頭していれば、「釣り三昧」などの言葉にあるように没頭三昧に入っているから、そのときはあまり色々と考えなくていい。

少しずつ三昧から離れれば、不安がでてくることもある。集中からはずれていくというか、他のことを考えながらになれば、善いこともでてくるだろうけれども、やはり不安だって出てくる。

なかなか没頭していることが、周囲にどのように評価されるか、どのような影響を与えているか、これで自分は本当にいいのか、もっと他にやるべきことがあるのではなかろうか、手探りで必死にやっているだけだが、そんな思いを私はよく持つ。まれにまったくそのことを考えない人もいる。まあ実際は私がその人のことを理解していないだけだから、その人を見て私が勝手にその人のことを全く考えていないなどと思い込んでいるだけの私をみているだけだろう。

自分のしていることに自信を持つこと、それが私にはことのほか難しい。

「簡単ですよそんなの」

なんていう言葉や態度で何かをしている方を見て、おおまかに二つに別れる。周囲に比べて圧倒的にできているか、そうでないかの違い。

まあできた人はよっぽどの時でないと、「私にはまったく問題がない。」なんていうことを言わないなんて思う。

大抵(私は)「私には全く問題がない」と断定すれば、それは反対を意味することばかり、「私には問題しか無い・・・」となってしまう。

問題しかない現状を自身を取り巻く世界へ出現させる。

やがては自らが起こした問題しかない問題は、問題しかない現状を遅かれ早かれ私へ様々な方法で示してくれる。そんなことが続けば、自らだけで判断することが出来ない私は頭を下げ周囲へたずねるようになっていく。

「今私は私なりに試行錯誤し、現状何かを見つけ行い続けているけれども、はたしてこれでよいのでしょうか」

現状にあることを続けながら、果たしてこれでよいのだろうか、誰かに指示を仰ぎたい。そう心から思っている時の答えは、形が決まってくるようだ。

「あなたはあなたのまま、そのままでいい。」

「そのまま続けて下さい。」

「あなたよりこちらが問題だから・・・」

「次の有難いことを教えてくれる人(善知識)の元へ、行くがよい。」

「最後に辿り着いたならば、また初心にかえりなさい。」

真摯に何かをなしたい。そう思いはじめたときに、困ったとき・行ける所まで行けたのならかえればいい。

何かを続けていれば、忘れることも多い。真摯にたずねればいい。必死に思い出したらいい。これでいいのか問えばいい。自分で問題ないときめつけてはいけない。相手が問題ではない。みずからの心(内面)をみつめなければいけない。

私はよく大事なことを忘れてしまう。忘れている時は自慢したり、できていないのに自分はできているなどと思い込んでいたり、知らないのに知っているなどと思い込んでいたり、自分がどの程度なのか自分だけが把握しておらず偉そうなことを発言していたり(釈迦に法を説くこと)、そのような言葉や態度は宙に浮いている。

自分は素晴らしいことを言っているつもりでも、周囲が聞けば

「(あの人の)言葉は軽すぎる・・・」

「人のことは言えないだろう・・・」

「まったくわかっていない・・・」

「話が長ければいいってものではない・・・」

「口から出る言葉と、自分の差はどれだけの差があるのかわかっているのか・・・」



本当に私は人よりも、気をつけなければいけない。

助かりたい

 時折親切に簡単なことでも
「言わなければいけない」そう簡単なことでも親切丁寧に続ける人もいる。

店頭で「ポイントカードお持ちでしょうか」ある種同じ趣があるのかもしれない。

「ポイントカードを作りなさい」ではなく「ポイントカードを持っているのに出し忘れていませんか」という意味合いのほうが強いかな

「そういえばそうだった。私持ってる。」

そう気づかせるには便利な言葉、ただ作ったほうがあなたのためになるから作りましょうなんて意味にもとれるし、そのあたりは言いようと取りようで、どちらかが不機嫌になることもあるのかもしれない。それは受け取る側が心が(人間的に)広ければ(大きければ)問題にもならない(どちらも小さければ問題にしかならないこともあるかもしれない)。

親切もする側が決めつけすぎれば、狭いものをおしつけになってしまうこともある。だからといって親切そのものは多ければ多いほどだれでも有難いだろうし、事実私は有難いと本当に思う。

その人が望むことを出せれば、親切ではなくもっと素晴らしいものになるなんてよく考える。望むことと出したことの差、大きければ大きいほど、「余計な親切、大きなお節介」なんて言われたりするかもしれない。

でも、私はやっぱりお節介でも嬉しい。

誰が一体お節介をしようと思うだろう。

私も時に余計なお節介をする。こちらは親切のつもり、受け取る方には余計なお節介かも知れないなどと思う。

考えても答えは出ないこと・・・、わからないことはその人へ聞いたらいいなんて人には簡単に言う私、実際自分は聞かない事が多い・・・

言葉では聞きにくいので、態度で聞くようにしている。

「これでよろしいでしょうか」

態度特に目で答えてくれることは多い。

「まあこれならいいかな」

「最高です」

「ちょっと気に入らないけどまあいいか」

「全く気に入りません」

「何するんだ」

「余計なことはするな」

「求めたものとは全く違うけど、面白いからこれでいい」

過ごした時間により、そのかえってくる言葉は増えているように思う。(私の勝手な思いだけど・・・)


激しい言い合い・余計なお節介を繰り返す・親切をしたり・親切をされたり・好きになったり・嫌いになったり・恋愛抜きで愛したり愛されたり・苦労を共にしたり・愚痴を言い合ったり・その人の現状の善いことを讃えたり・助けられたり・助けたり、そんなことが増えれば、顔を見て顔を見られて、目を見て、目を見られて、何度か言葉を発せずして言葉を発しやりとりをする。


助かる


いつだって私は助かりたいだけかもしれない

根底に

さいなまれる

何にか

誰かの何気ない、つまりは思考という言葉の欠片も存在していないと思われるような行動を続けられること。

「自分によってきてほしい。」

誰もが願う思いと反対が出現し続けてしまう。自分から人が遠ざかっていく、誰も近寄ってこない。一歩よれば相手が思うのではなく感じて一歩退いてしまう現象。

それは

「何故か」

「どうやればとまるのか」

誰かと何かのせいにしなければ、いつか辿り着く。

「その根底にあるものは何なのだろうか」

愛したい。

愛されたい。

愛される。

それぞれ人により個性がある。その個性が尊ばれるような発揮であるか、それとも出せば出すほど迷惑や近寄りがたいものをだしてしまうのか。

我執

わかりにくい・・・

我の我による我の中へのとらわれ


一体自分は何にとらわれているのか


とらわれている私の存在を私はどれだけ知っているのだろうか


とらわれる私

とらわれる私はさいなまれつづける

とらわれる私を少しずつ理解していく私

とらわれる私を把握していき、知ることによりとらわれる私を承知する私

とらわれている私を知っているのに全面へあえておしだす私





とらわれとは・・・

とらわれの中で最も強いとらわれとは何だろうか

とらわれを押し付ける私

おしつける私とはどのようなものだろうか


おしつける私の存在、その私に私はどれだけ気づいているのだろうか

隙があれば出現する私




「知識とは」

「知識をつける自身の最大の動機は何のためなのだろうか」

「その根底の私を見ようとしたことがあるのだろうか」




現実、善いことを一つでも多くするなら・・・理由はどうだっていい

みずから出たもの(言葉や行動)はやがてはみずからにかえる。


問う私

問われる私

答えを欲す私

答える私

現実問題を問い、答えなき答えをこれが答えだと信じてしまう私





私とは何なのだろう


意味は考えないでおこう

 種田山頭火、知っている人も多いのではと勝手に思うのですが、そんなことをかく私もちっとも詳しくなく知ったのもそんな前からというわけでもないです。WIKIをのぞけば自由律俳句のもっとも著名な俳人の一人とあります。

その山頭火の俳句に(私が好きなもの)

「また見ることもない山が遠ざかる」

「分け入っても分け入っても青い山」

「あの雲がおとした雨にぬれている」

また山頭火ゆかりの地に石碑で俳句が残されているところもあります。

納音の一つにある山頭火から、名前をとっておられます。ただ種田山頭火さんは山頭火の納音ではなく、山頭火という言葉が気に入ってつけた。なんてことがのっています。

大分前に山頭火さんの俳句と知らずに、調べているうちに何故か惹かれるものがあり、私もモノを書くようになる時には納音を使おうと決めていました。

私が毎年お世話になっている暦(小冊子)に納音の解説などがのっており、ブログと共にお世話になっている「大渓水」の意味は

「始まりは渓谷の小さい流れであるが、少しずつ集まっていき、やがては大海へと出る。」はじめの弱点もやがては広く大きな長所となり力を発揮していく。頭角をあらわすなどのっているところもあり、大体そのような意味合いです。

時折、知り合いに冷やかされます。

知人「大体(ブログと日々の言動双方)見てますけど、もう大海の如きですよね、名前のとおり!」

私「あの、納音の解説みたことある?(見たことあるのを知ってて聞いています。)少しずつ集まっていき、やがては大海へだよ、大海ってそのへんじゃないよ(一体私はどのへんだ)」

私「やがてでしょ、まだはじめの弱点を見ようとしているあたりでしょうよ・・・」


結婚した頃より苦労ばかりさせている家内も、家事(料理)をしながら、私にこっそり聞こえるくらいに

家内「うちの旦那は、大器晩成だから楽しみ♪将来はお金にも苦労しないと思うから」

私「・・・・・・・・・・」

まあ突っ込みどころ満載です。大器でもないし、晩成するのかどうか@@;


まあ私らしく生きていきたいです。大器晩成も大渓水の意味なんて、借りてるだけですからどうでもいいです。(まあちょっとかっこいいなと思ってるから使ってるだけのことです・・・。)


「いつまでも、あの人と子供達と私、その三者が大好きな私でありたいです。」




しっかりと(自分を)見つめれるか

 大人という言葉は幅広い意味を持ちます。

ここでの(今から書く)大人とは学生から社会人になる。年と共に大人となっていくことです。

学生と名が付けば、幼稚園や保育園は当然として小・中・大学生・高校生もですが、できていないことが現実問題として出てきていれば注意されます。隠したり表に出ていなければ注意を免れることもあるのかもしれませんが表に出せば必ず先生・知人・友人・兄弟(姉妹)・両親・祖父母いずれかの人から注意を受けることになり、もっとも指摘され自分の痛いところを突かれることを嫌がるからこそ隠してしまう・・・(私の恥ずかしいところです)。

大人になり、注意を受けにくくなります。それも当然です。大人になった自分自身が年下の方や後輩などに注意したりしなければいけない役割に変わっていく、自然の流れです。ただ年を取ったとしても間違い・勘違い・思い違い・仕事のミス・感情の起伏により思ってもいないことを言ってしまう・病気怪我により心身能力が普段より劣って迷惑をかけたり、まあ生きていれば皆いろいろありそうです。つまり失敗もあるし、失態もあるし、完璧ではないです。

普段の生活・仕事においても、自分で気が付かずに周囲へ負担や迷惑をかけることはあります。大抵の人はいざここざや人間関係の悪化を避けるために、その負担や迷惑をかける本人へその原因や改善方法を告げることはありません。人により何かに守られているから、そんな言葉が適切です。

相手に腹を立たせるためにではなく、こちらの欠点や不備を指摘してくれる方がときおりおられます。

指摘されれば、正論をもってきて問題のすり替えをしてその指摘された人を責めたり、腹をたてたり、その人をけなしたり、怒ったり、およそ人間ができていなければ私のように問題を見つめることができません。しなければいけないことではなく、反対のことをしがちです。結論は

「有難いことを教えてくれる人には、感謝しかない。」

ただ自身の痛いところを指摘されれば、私は腹を立てがちです・・・。

「問題ないのであれば何を言われても動じることはない。」日頃から根拠のある行動をなし続けている証、それは不変の真理です。

思い当たるところがある場合には余計に腹を立てがちであり、それを知らずに隠そうとしがちです。自分を悪く人に思われるのは嫌だからなんて変な思いがでてきたりします・・・。

ただ、どうでもよければ相手もこちらに嫌われることを承知で言うことはないです。稀に相手を貶めたりひがんだりして言う方もおられます。

しっかりと言葉を受け止める心を持ち続けたいです。普段は守られ痛いところを指摘されにくい大人になれば、相手からの痛い言葉は受け止めなければ問題がやむことはありえないです。

広い視野を持つ私でありたいです。

柔軟な発想を受け止める私でありたいです。

痛い言葉を感謝として受け止める私でありたいです。

守られていることを忘れてはいけない私でありたいです。

できれば私といると楽しくためになるなんていう私でありたいです。



現実は厳しく、理想は高く、ただ理想へ近づきたいという思いを持ち続けたいです。

慣れない私と、長持ち

昨日は有難いことに仕事がとても大忙し、普段なれないことも増えておりましたから、皆もそうでしたが私も大変でした。

普段の業務と違って慣れないことが増えればたいしたことじゃないのにいっぱいいっぱいになっていました。気付かずに誰かにお世話になったり迷惑をかけていることだってあります。別に迷惑やお世話になることが悪いことではないことは世間でも一般的だと思います。「何が一般的ではないか」迷惑をかけているということやお世話になっていることが自分で全く気づいていないことが問題であり一般的ではないなどと思うのです。

誰の目に見ても、大忙し猫の手も借りたい状況で、相手のことや待っているお客さんのことも考えずにやっているなら仕方がないなんて思う人もいます。ただそのことをわかった上で自分の用事を聞くまで言い続けたり、聞いていなければ「します」や「はい」などの言葉が聞けるまで大忙しの場に何度もあらわれ、のくことがない人も稀にいます。

私は器用じゃないから、目前に沢山の人から仕事を受ければ、その他のことは疎かになります。普段と同じ業務なら少し余裕もありますが、普段なれない事が増え初日であれば加速して私の視野も狭くなります。つまりは、そんな稀にいる人の要求に忙しすぎればこたえれないです。

反省があるとすれば、わざと聞かないふりをしたり、相手にしなければ、相手は余計にこちらに言ってくるなんてことはどこでもあります。ことわれば言うことを聞かないと思われ、やっぱり不機嫌になり、相手をすればいうことを聞かなければいけないので目前の仕事から目線をそらしその人の方を向かなければいけず、つまりは沢山待っている方に失礼です。

慣れれば問題もないことなのかもしれません。

ただ稀な人には10年以上たっても私は慣れれません・・・。

今日も職場は大忙しかもしれません。私は運良く休日、「けいくん」と家内といます。用事から変えてふと玄関をよく見れば、まだ11月22日に買った(二本の切り)バラは綺麗に咲いています。

昼ごはんを食べながら家内に

「あのバラ本当に長く持ってるね」

「そうなのよ、やっぱり花屋のバラは違うわねえ、庭に咲くバラとかをいけてもすぐ散ってしまうし、スーパーの花でも割と長持ちしないから」

「玄関がよく冷えてるからじゃないかな、気候がちょうどよかったのかも」

理由はともかく、花屋さんが選んでくれたバラ本当に長持ちで有難いです。

慣れないといけないことは多いです。ただ慣れるよりどのような人の前でも平常心を失わない私でありたいです。ただ美しい・綺麗なものにはいつまでも心奪われたいです(慣れたくないです)

愚か

 以前「柳は緑、花はくれない」の言葉を出したことがあり、それは私の愚かさを果てしないくらいに思い知らされた言葉です。その書には次のようにあります。

わたしの好きな道元の言葉でいうなれば仏教とは「森羅万象」あるいは、禅家の好んでいうところの「柳緑花紅」である。森羅万象をしいて一つの型におさめようとするは存在の実相をゆがめる所以、柳は緑、花はくれないなるが万物のまことの姿である。人もまたおなじである。時に即し、機に応じて、それぞれの花を開かしめその実を結ばしめるのが、仏教という宗教のすぐれた功徳であらねばならぬのである。なるほど、根本仏教と大乗仏教とは、いろいろの点においてその趣を異にする。時には鋭い対立をすら示している。だが、より高い観点に立ち、より深い思索をこらしてみるならば、そのことがそのまま、仏教という宗教の広大なる所以を物語っているのであり、そこにこそ、仏教の永遠なるいのちの泉が存するのであり、それこそが仏教が万人の宗教たる理由でなければならない。
 わが家の花が赤いからとて、花はことごとく赤くなければならぬといったならば、それは愚かしいことでなくてはなるまい。赤きがあり、白きがあり、黄なるがあり、紫なるがあって、わが花園はいよいよ繚乱としてあでやかとなる。しかるを、あるいは根本仏教のみが真の仏教であると主張し、あるいは大乗仏教こそはまされる仏教であると言い張るならば、それもまた同じように愚かなこと。仏教の花園もまた、それがあり、これがあって、はじめて百花繚乱たることをうる。わたしがいま根本仏教と大乗仏教とを並べとりあげて、その会通(えつう)を語らんとする所以もまた、まったくその他はないのである。
(増谷文雄著「根本仏教と大乗仏教」より抜粋)



「仏教」と「根本仏教」と「大乗仏教」を人間という言葉に置き換えれば、過去や現実の私へ厳しく重い言葉です。私の狭すぎる答えを相手に押し付けて迷惑をかけることが山ほどありました。

その時は人に

「あなたは全く駄目だ」と思われる。

「これは(私の現状が)いけない」と思われる。

「(今の貴方は)好きになれない」と思われる。

「こちら(他人や周囲)がやっている意味がまったくわかっていない」と思われる。

「極端に狭い意見をおしつけすぎる」と思われる。

「できてないのにできていると思い込んでいる私を世界へ出現させこれはどうにも・・」と思われる。

「自分のくだらないものを捨てきれないため、相手の思いを少しも受け取れない。」と思われる。

「自分と相手の言動を冷静に比較できていない」と思われる。

「自分の立場を自分だけが勝手に決めてしまい、周囲が思うことと差がありすぎる現実が出現している」と思われる。

「どうして自分で勝手に、できている・気をつけている・理解しているなどと決めてしまうのか」と思われる。

「自分は見難いなら、周囲の人がどれだけのことをしているのかを見ようとしないのか」と思われる。

「自分が存在する場所で自分が存在するための努力をどうしてしないのか」と思われる。

「あたりまえとは、何をしたらあたりまえとなるのかがわかっていない」と思われる。

「何気ない自分の発言がどれだけの影響をあたえるのかそれもわかっていない」と思われる。

「自分の発言と行動は全て自分に帰ることがどうしてわかっていないのか」と思われる。

「失う、または失いかけてしか気づかない。いつになれば・・・」と思われる。


自分の庭に咲く花が綺麗だと思えることは素晴らしい。それを相手のことを理解していないのに決めつけおしつけることは絶対にいけない。

仏教の特色の一つに「仏教の多様性は寛容・融和の言葉を必要としないほど当然視され」(三枝充悳)そんな言葉がある。やはりここでも「仏教」の言葉を人間におきかえて考えなければならない。視野や考えが狭すぎれば迷惑をかけすぎてしまう。

果てしなく狭い意見をおしつけることが、素晴らしい人間を意味する言葉の反対しか意味していない。できた人ほど広く高く長く大きい見解や視野をもちおしつけることではなく、相手を信頼し認め許すことができる幅を持っている。それは自分の現状を見れば皮肉なことにもなる・・・。

けれども周囲を見れば「柳は緑、花はくれない。花はいろとりどりであるからこの世界は美しい。」

私もこの世界から両親を縁としてこの世に生まれ、いずれはこの世界に還って行くことになる。

いつだって自分自身の程度段階が問題ではない。ただひとつ自分自身の心をみつめつづけ、みずからの心を清らかにしたいという純粋な思いを持っているかどうかにかかっている。

「相手の心ではない。(相手が問題ではない)」

「みずからの心を清らかにしたい。(その思いを揺れても無くなりそうになったとしても、どれだけこころに存在を感じさせられつづけれるか)」

ゴーダマ・ブッダはつねに揺れ動きやすく、困難が多い現実を生きる人へ言葉を発し続けた。

「怠らずつとめよ(決してみずからの心を清らかにする努力を怠ってはいけない)」

(愚かな)私への、戒めの言葉


言葉と光

 長い話が多い私、特に長いことが好きなのではないように思う。どうも話(言葉)が好きなのだ。
さまざまなことを考え仕事をしながら笑うことがある。唐突もない時に一人で笑っていたらただのおかしな人としか映らないだろう。親しい人であれば「どうしたの」と優しく聞いてくれる。私はその頭の中にあることをとめどなく話す。

「ね、おかしいでしょう」
いや本当におかしい私。過去のことを振り返りもっと楽しくするには、起きてないことでも、これならもっと楽しく、また一人で笑う。ただ一人ではそれも長続きはしない。
誰かが「なに?」「どうしたの?」私が「これどうかな?」つまりは誰かが聞いてくれるから、私はまた楽しいことをもっと考え続けたいと思う。時に面白く伝わらなければ、説明が長くなる。つまりは話が長くなる・・・。

聞いてくれることは本当にありがたい。

何か話をしても「それ面白くない」でも構わない。聞いた上で判断してくれている。時折面白ければ言葉ではなく表情が豊かになる。たまには飲んでいるコーヒーを吹き出す人もいる。

そんな時は何故か嬉しい。

様々な心の通わせ方の一つに話を聞く、話をする、同じ時を過ごす、楽しい思い出を作る、辛く苦しい時を共にする、愛する(愛情のある言葉や態度を放つ)、自分のことを忘れるほど目の前の人のために何かをなす、他にもたくさんある。私は不精だから、身近に存在する簡単な「話(言葉)」を選択している。人によれば「行動」を選び続ける人もいる。言葉は行動に負けてしまう。「雄弁は銀、沈黙は金」己がなした行動こそ光り輝く。
私はいつも安易な方法をとり続けている。「もっと言葉を」そんな心の声を聞く。要約するとやっぱり私はただの「話し(言葉)好き」なのだろう。

言葉と行動両方を兼ね備えるようにつとめていきたい。

「己が証したことを語りたい。」

今年の最後、来年と行動を増やしていく予定をたてている。身体は本当に大事、優しくするにも体が必要となる。優しく愛する言葉・態度を伝えるにも身体が必要、相手だけではなく自分の身体も大事にしなければいけない。

時折思う「光っている」「輝いている」「まぶしい」「金色の光」を身にまとう人がいる。それは比喩としてでてくる言葉であるけれども、確かに言葉や態度・立ち居振る舞いが光って見える。

自身から光を放つことも理想ではあるけれども、周囲に光をいつも感じとれる私でありたい。


きれいさっぱり

 時事ネタが続く日々となっています。(仏教関係はしばらくどこかへおいています。)
職場の忘年会があり昨晩はネットに触れませんでした。

もうブログはいいかな、何て思うことがあるのです。すると家内がその気配を察知してか「今日のは書けたの?」と必ず聞いてきます。まあそんなやりとりが最近よくあります。

昨日は仕事が休みでしたので当日のブログは午前中に書き、晩は忘年会へ、普段人の集うところにあまり行かない私も年に一度(この日)だけカラオケもします。歌は大好き、下手ですがギターを弾き語ってよく歌ったものです。

いつもお世話になっている方々へ挨拶、お酒を酌み交わす。私からすれば優雅なひととき、しかも会計は職場持ちですから、ただ酒ただ飯、お酒は当然飲み放題!

自称酒豪の私はビールの乾杯に始まり、前の人が日本酒を飲んでいればそれを少し飲んで、次には焼酎、次は白ワイン、次は赤ワイン、大分酔っていた私は「ルネッサンス」とか言いながらワインを飲み(ちょっとネタが古いのは勘弁を)気がつけばトイレにこもっていました。

この辺から記憶がないです。

朝になり、家内が私へ職場の人が家まで送ってくれたのよ、その時に相当気分悪そうだからすぐトイレに案内してあげて、二日酔いにりんごジュースがきくからと、りんごジュースも買ってくれていました。

「あなた二日酔いにりんごジュースが聞くから飲む?

なんて聞いたら

もう水しか飲めん

ってりんごジュース断るし、それでもまあ少しのんだと思ったら、またトイレ、飲んだ意味がないわね」

そう言って朝二日酔いに悩まされる無口な私に、普段とは違ってよく話していました。

「あなた私が喋れないから、一人で話しているね、私が普段話しすぎるから、あなたが話普段少ないのか」

気分と体調は最低でしたが、そんな発見もありました。おかゆを作ってくれて食べて出勤したのですが、こんなにひどい二日酔いになったのは初めてです。

職場で仕事に集中したら、体調もよくなるだろう。一向によくならず、またトイレへ駆け込む始末・・・

午前中必死に仕事に集中したら、午後にはましになりました。仕事というより時間の経過が大事なんでしょう。

「しばらく酒はこりごりです。」

記憶はなくなるし、ご馳走だったのに食べた気がしていないし、お酒はたくさん飲んだことだけは覚えていますが。

忘年会、年を忘れる会と読むのか知りませんが、我を忘れる会になってはねえ・・・

何事もほどほどだなんて、失態を皆の前に出現させてから気づく、恥ずかしい限りです。来年の忘年会は、お酒も慎んで飲みたいです。

晩の今でも気分がまだ優れません。ブログがいけてないのは体調のせいということにしておきます。



一(いち)

「1つずつ」そう独り言のように小さい声で、用事をすませる人が近くにいれば、「1つずつ」という意味を考えさせられます。

あれは確か中学生の頃、神父であり寮長先生が私達へ「貴方達の好きな言葉は何ですか」と尋ねられたことを思い出します。

何一つ真面目に考えてなかった私、馬鹿の一つ覚えみたいに、自分に好きな言葉が出てこないから「寮長先生は好きな言葉はなんですか」なんて反問しました。

寮長先生は真剣に「私の好きな言葉は一です。一がなければその次もありません。だから何事も一からはじめなければいけない。一つを大切にしなければいけない」真剣に私達へそう答えてくれたことをおぼろげながら覚えています。

(私のように)愚か者であればあるほど、最初をおろそかにしたり考え、だいぶ先の10がいい、100がいい、1000がいい、10000がいい、なんて大きいことしか見れず、地味ですが確かなことを軽んじ、道を失い、どのようにしたらいいのかわからなくなるものです・・・。

寮長先生には寮生活でいろんなことを教えてくれました。私は勉強が嫌いで自習時間皆が真剣に勉強しているのに「その時間をどうやって(寮長先生に)ばれないように遊ぶか」そのことを必死で考え行い続けていました。時には教科書をもって遊び好きな先輩のところへ質問をしているふりをしながら会話を楽しんだり(即座に見つかり、質問は休憩時間にしなさい。そういって自分の机に戻されましたが)、参考書を読みふけったり(参考書のカバーをつけた小説を必死に読んだり、当然それもばれて「何だこれは」「参考書ですよ先生」「カバーだけだろう」「・・・・」)、教科書を山積みにして壁を作りその壁をたてにマグネットの将棋をしていたり(何してるんだ、解けない問題を一緒に解いていたんです。本の下をめくられ簡単にみつかったり)、まあその他考えれるだけ勉強以外を必死にやった私を覚えています。(いやほんと、皆頭良かったのに私だけ成績が・・・)

勉強できる最適な環境にいながら、何一つしていなかったことを今になれば悔やむこともあります。ただ誰よりも必死に遊び続けていたことは思い返せばどれも楽しい思い出です。

「1つずつ、1つずつ」

何でも1から、その意味がわかるのは物事を真剣に考えるようになってからです。考えれるようになれば、些細なことだと笑われても、そこからめげずに地味に続けていくことができます。

面倒くさい、たいしたことしてない、何の役に立つんだか、そのような言葉は誰にでも何かはじめれば言われたり思われるものです。

「1つずつ」

少しでもいいから、続けていれば周囲の見る目も、自分自身も変わっていく、そこに不思議はない。

不器用な人ほど、地味なことでも真剣に長く継続するものです。

「人より私は不器用(だめ)だから」だからこそ時間をかけて取り組めることもあります。時間というものは不思議なものです。時を長く共に過ごす、それが物事でも人でも場所でもだんだんと慣れ親しみ、理解は進み愛することも出来ます。

「1つずつ」

家内がたくさんある家事や用事を紙に書き出し、忘れないように1つずつ終わらせています。


協力できることは協力、私は私のできることを1つずつ行い続けていきたいです。

(お世話になった寮長先生に会って話したい。大学の頃そう思っていましたがその頃あの方は学園の校長先生になっていました。気軽に話せなくなったことが少し残念です。変わってここへ、見ていないだろうけれど、先生には本当に感謝しています。楽しかったあの頃に戻りたいと思う懐かしい日々です。)