大切なもの

 いろいろと話しすぎる日に、夜は夜で酔っぱらい、いつもより思ったことを言いすぎてしまいました。

酔っても酔っていなくても、言うことは言う性格ですが、いつも以上に本心を言いすぎて少し胸がいたくなりました。それによって誰かが傷つくのではありませんが、人には全てを言わない方が特に日本人は秘密や言わぬが花があるほうが話としては流れていくのは確かです。

今日流れで、昨日に続き幼虫をどけるクエストが発動してしまい、ただ終わって自慢げに見に行けばまだ何匹もいて、さらなるクエストを起こさねばいけません。

私が毎年育てている蓮も、気を抜くとアブラムシが繁殖しすぎたり、次には何かの幼虫に葉をすべて食べられそうになったり、人が気に入って育てているものは、とにかく目を離すと駄目なように感じます。
それに比べこの時期、庭の雑草の成長速度が速く、先日ぬいたと思っていたら、違うとこからも同じとこからも、まった違う者や同じものが生えてきてびっくりです。

私の怠けも、いろんな何かによって勤勉に変わればなくなっています。

雑草、幼虫、家事、育児、学び、読書、仕事、ただ欲張りな私は大切なことを疎かにしながらでも趣味やお酒を楽しむじかんを大切にして、次の日は後から、「あちゃー」となることがあるのに


「わかっちゃいるけど、やめられないのです」


(今日はかなり酔っぱらています)
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幼虫

 昨日早く寝るという目標は、気が付けば午前三時を回っており、いつもより早く出勤する家内が
「お父さん、早めに出かけるから、子供達とゴミを出すの宜しくね」
寝ぼけながら、子供達を送り出し、多分無事にゴミを出して、そういえばこの辺りカラスが沢山いて、しっかり網などでカバーするか、ケースに入れるかしないと、カラスがゴミを散乱させ大迷惑になります。寝ぼけていましたが、ゴミが回収された後を見ると、一つもゴミが散らばっていないので安心しました。カラスは賢いから近所の方も随分気を付けています。
家内と子供達が植えている花壇の花と草が黒い幼虫がいて、随分食べられて先ほど家内が落ち込んでいました。田舎育ちですが虫が苦手なので、極力虫は他人にお任せすることにしています。

家内が随分前に買っておかれていたオー・ヘンリーの「最後の一葉」を気分転換に読み、子供の頃社会で流行っていたことを思い出しました。短編の名手で世界観へ入り込めれば楽しめるものばかりでした。もっとも私に知識や経験(前提)が足らないものに関して、その世界観へ入ることができず、よそよそしいままその話はすぐ終わり、次の短編へ。

気が付けば七夕が終わって、子供達はそろそろ夏休みが来ると、特に「けいくん」は喜んでいました。大人になって長い長い夏休みなんて無いです。休日は必要です。ありすぎても私にとっては良いことがないので、仕事が大切で有り難いことだと、長期の休暇や連休をいただいた後は身にしみます。

声うるわしき鳥を真に賞(めで)るは、その鳥の飛び去りてのち初めて知る

理解

 物事を理解する。これには「そんなのわかっ(理解し)ている」と簡単に字面というか表面上理解している気になる理解もあり、普通の理解もあり、深い理解もあり、さらにその真理を理解するという、時により人により場所により様々な理解の仕方と表現方法があります。

いつも大変なことがあったときに、大変な時だと気が付かず現れる友人がいて、特にその場で何があったか理解されていなくても(理解していても)話をずっといつも聞いてくれます。

理解してくれても、してくれなくても、困っている人にとって話を聞いてくれれば、それは重荷を分け合い、幾分楽になることができ、ただ最近それは有り難いことだと考えますが、安易に楽に走りたいだけに使うのであれば、成長・進歩・発展は望むことができないということも身に染みてきました。

「楽になった」そう思う時こそ、自らの足場固めとこれからに気をつけねば、私はまた足をすくわれ、痛い目に遭うでしょう。

しっかりと軌道にのり、多少のことでは揺らがない地盤が気づけるまで、気を抜かないで仕事や何かを取り組むことにします。ただ明日は休日をいただいていますから、ちょっとそれから離れ何か違うものをみることにします。

酔っぱらいすぎない程度に酔っぱらう夜にするのです。

やっぱり酔っぱらいは

 七月十六日 (日) 晴れ
 仕事も順調に進んで何より、これも職場の方の理解・協力があってのことです。暑い一日と仕事が終わって、干してあった洗濯物を片付ける前に、庭の植物へたっぷりと水をあげ、庭に飾ったままの七夕飾りをみて、片付けようと思ったのですが、しばらく子供達・家内・私の願い事をみて、もう少し置いておくことにしました。

連休で家内と子供達は家内の実家へ久しぶりに帰省、私一人ですから冷蔵庫整理しながら、あるもので自炊して一杯やっていました。そこで友人があらわれ、それから3時間ほど何かに付き合わされました。これは暑い中仕事をするより、肩がこる作業となって現在の時間にようやくここが更新されることになりました。

本当に私は言い訳と逃げることの天才ですから、何かや誰かや社会などを口実にして逃げ続け努力することからも逃げています。今日は明日の仕事の為に(一杯やりながら)よく寝て、明日こそ逃げない私になるのです!キリッ
(酔っぱらいの誓いは、いつも朝が来ればなかったことになることばかりです)

明日は明日で今日蒔いた種が、さっそく何か変化がある日になると思います。

楽しみに寝て待つことにします。

元気で

 約束していたカブトムシを一緒に森へ戻してきました。
ついでに、川に入って小魚を見つけて喜んで、他にも私達が歩く水しぶきや音で逃げることでメダカやオタマジャクシがいることもわかり、アメンボもいっぱいいて、「けいくん」は大喜びでした。

上の二人はもう中学生でうから、「けいくん」ほどはしゃぐこともなくなり、冷静にみています。むしろ私のほうが、賑やかなくらいです。一緒にいつもいく温泉に入って、綺麗に体を洗い、カブトムシのことを考えたことで植林された山々に改めて気づき、いろいろなことで感心しながら帰りました。

今日は家族と過ごす為に、子供達と休日があうようにお休みをいただいたので、有り難いです。家内が一番嬉しい顔をしています。

「何故誰かはあんなことをしたのか」

そう家内に質問されましたが、それはその誰かでないとわからず、尚且つ私はその誰かがあんなことをしたことの動機や意味を理解したいとも思わないので、

「後でその話は・・・」

子供達がいるからという理由を建前に答える気がない先延ばしをしました。

話好きでいろんなことを言うのが好きな私が、言いたくないことというのは、どうやっても楽しくも・良くも・面白くもならないことだからです。

逃がしたカブトムシがどうなるかなんて、少し心配しましたが、カブトムシのことはカブトムシに任せる他ないと考えをやめました。



明日の仕事の為に早めに寝ることにします。

暑いけれど風が強い日

 暑い日でした。仕事は充実していましたから、暑いけれど有り難いことでした。汗を随分かいた仕事着を持って帰り、洗うように洗濯場へ置いていたら、私が自分で洗おうとしていましたが家内が丁寧に洗ってくれていました。

夫婦というのは(前にも書いたことがありますが)、100組いれば100通りの夫婦の(みえないけれどみえる)カタチがあるから、それは正しい一つというものに限定されないものです。

よって私のところでは普通でしょうということが、他所の夫婦では普通ではなく変であったり異常と思われたり、「絶対ないそれは」なんてことは日常茶飯事です。

それぞれ夫婦(二人)が

「この人といたい(又はいてもいい、又は空気のようなもの、又は腐れ縁だから、他にもいろいろ・・)」

二人がもういたくないというその方達のみえないけれどある限界を超えれば、それは夫婦ではなくなると思います。

私はちょっと(近くにいる人達からすれば大分)変わって見えるらしく、一人楽しくしているか、激しい感情に身と心を委ねているか、何かに没頭しています(本当はそれ以外が多いのですがそれは大人の特権である内緒というものでごまかしておくことにします)。

「けいくん(三男坊)」と一緒に、知人からいただいたカブトムシのオスを逃がす計画を立てました。

「けいくんもさ、お家が大好きじゃない」

「うん」

「きっとカブトムシもお家が大好きだと思うんだ。カブトムシのお家はどこだと思う」

「森の中!」

「正解!!だからさカブトムシにまた会いたかったらカブトムシは生きているうちに、お家に返してあげたらいいとお父さんは思うよ、家の中でカブトムシが死んだらお父さんちょっと嬉しくないんだ」

「わかった。おうちにかえしてあげよう」

彼の提案はこうです。いつも行く温泉は山の中だから、そこはきっとカブトムシが棲む楽園というかお家だと考えています。帰す場所は自然が多ければ私は実はどこでもいいです。彼の考える理想の場所へ明日帰して来ようと思います。ただ彼は街中で育っていますから、本物のカブトムシが家に来たことは本当に喜んでいました。彼の理解に私は感謝しています。



他人の背中

 さて、今日仕事をしていて、今まで話していたことで、気が付いていないことがあったことに気が付きました。

内田樹先生がよく、システムを運営するにあたり「自分の仕事と他人の仕事とそのどちらでもない仕事」を「それだったら私がやってもかまいませんよ」という人が5人に一人、最低でも7人に一人は存在しないと、そのシステムが破綻してしまう。


確か似たような文章が内田先生の著作に幾つかのっています。

この自分の仕事だと決めることが本人に任せられることが多い時、個人差が生じ、その自分の仕事に随分幅が出て、そうなれば当然他人の仕事やそのどちらでもない仕事の幅も変わっていくということをあたりまえなことなのに、はっきりと今日気が付かされました。

Aの人は、私が思うより遥かに少ない仕事だけこなし「後は言われていないから」何もしない。

Bの人は、私の想像を超え、「これも仕事だから」そう言って時間内は真剣に仕事をこなされていく。

どちらも同じパートの給料が出ています。世の中にはこのAB以外の人もいます。狙って雇用するというのはよっぽどの幸運か好条件などでないと、皆がこの人だと求める方は少ないです。

ただ、どちらも人間ですから、人は理解されなければやる気や意義・目的を時に見失う生き物です。どの方にも、その方を理解でき、尚且つ前向きな気持ちを自然に持たせられる方が上司であればなんて

「そんな理解者が存在する確率ってどれくらいでしょうか」

そういつも私に優しい方へたずねていました。

いずれにしても今日は悲しみと不如意と老いにとらわれ、自らが起こし続けるその思い(負の感情)によって、潰されそうになるといったことを話して来られる方がおられました。(そういえばもう一人誰かと何かのせいにして、自らの思いを言い続ける人の話にもつかまりました)

以前のままではいけないと思い、しばらく相手の話を聞いていましたが、そのうち私は雷を落としていました。
「私がいつも貴方の近くにいて、愚痴(負の感情や思い)を延々聞かされれば、貴方の近くにいることも避けたくなるし、お世話も段々とおっくうになると思います。
もっと泣きながらでもいいから笑う時があってもいいと思います。悪いことばかりに目をやるのではなく、今の時期トンボに目を奪われてもいいし、蝉もないてるし、鳥も美しい声で鳴いていますよ。
とらわれてもいいけれど、そのとらわれが邪魔になる時はそれは捨てたらいいです。もっとも捨ててもすぐ抱えていますけどね私は。
『ぽいっ』っと投げ捨ててください。」

なんて割ときついことを言っていました。本当私の背中をよくみることにします。

あらかじめ成しておかなければ

 時間は皆に平等で一日の時間は24時間、それぞれの趣味・学校・仕事・食事・トイレ・雑用・家事・睡眠時間などは必要ですから、何かに時間を確保したいなら、何かを諦め、何かを優先するという作業となることが多いです。

 いつも近くにいる人が

「出来るだけ早く帰ってきます」

そう言って、3時間ほど帰ってきませんでした。本当に予定は未定で、計画は計画通りにならないことが多々あります。ただ随分楽になれたと言っていましたから、それは本当によかったです。後は残務処理に移行するのでしょう。

問題が大ききれば大きいほど、手間暇をかけすぎてもかけすぎることはないです。いつも近くにいる人は問題が解決するまで、面倒くさいとか時間がかかるからとかに逃げずに、最後まで貫いて欲しいと願います。

「あらかじめなされるべき努力まさにそれである」



あらかじめなされるべき努力を怠る人は、その報いを自らが受け取らなければいけないということになるからです。


本当酔っぱらった私は他人事のように、他人には厳しすぎることを言って、私の夜は更けていくのです。

 夕方大粒の雨が少し降りましたが、それ以外は晴れてくれましたから、溜まっていた洗濯物を全部外に干し、ついでに栽培しているミニトマトを見てみると、幼虫が沢山美味しそうに食べて随分やられていました。
小さな緑の珠のような可愛いところへいっぱい穴をあけて、よく見ると緑の小さな幼虫が元気に育っているのが見えて、複雑でした。

「けいくん」が植えた朝顔三つ、一つには花が咲きかけ、そのとなりに黒いとげとげさいた幼虫がいて、緑が育つのも早いですが、幼虫やバッタも育つのが早く、家内や子供達が植えて咲いている草花や野菜も見る間に食べられています。特に農薬などを使う予定もないから、家内達がどのような虫対策するのかを遠くから見守っておくことにします。
何事も経験に勝るものなし、来年はこの経験を家内と子供達はどう生かして、何を植えるのか、かなり楽しみにして、私は違うことを考えながらその問題から逃げています。

夕方家内とウォーキングへ行き、子供達とご飯を食べ、家内は久しぶりに井戸端会議が長くなって随分遅く帰ってきました。どうやら彼女も日本の女性の血を色濃く受け継いでいるようです。

日々移ろい変わりき、その中かなり気になる問題も出てきますが、大したこともせず、私は家の中のことや仕事と家族のことをやって、趣味の時間を作り、一日が終わっていきます。明日仕事をしっかりこなして時間が過ぎることを忘れたいです。

(蒸し)暑い夏

 七月十日 月 (未だ梅雨はあけず) 
 曇りと小雨と晴れが入り混じり、ただ日が好いので人も割と来ていただき、仕事も順調に進みましたが、蒸し暑い日でした。昼過ぎに水分が少なすぎたか、汗をかきすぎたか、慌て過ぎたかで、少し戸惑いました。
これから蒸し暑い日が増えそうですから、体調にも気を付け、夜にでも散歩へ家内と行って、少し運動することにします。最近ウォーキングもさぼっていたので、また日課へすることにします。
随分久しぶりに長崎の実家の母と電話で割と長めに話をしました。子供達の為にプレゼントと野菜の御礼を告げ、家族や親族の近況をしばらく話しこみました。あたりまえですが皆歳をとっていますから、亡くなった方も増え、次に皆が集うとしたら近い親族の訃報があったらになるだろうと、まだ生きている私と母はそんなことを話すような歳になりました。
「今年はお盆が終わって長期休暇をいただけるので、そこで帰省する。詳しい日程は近くなったら連絡する。」
そう言って電話を切りました。

あの子達がどんどん成長して、誕生日を祝う回数が増えるのは、楽しみですが私も両親もどんどん歳を重ね、いろいろなことを考えさせられるようになります。

母はやはり子供である私のことで気にかかることは心配してくれていました。私が子供達へ思うこととそれは変わらないように感じ、本当に私は大人になっ(歳をとっ)たと実感させられる、母の何気ない言葉でした。

他人に大切なことを伝えることも大事です。
私にもっと大切なことはその大切なことを伝えるだけでなく、自らがそれを自然に行えるかどうか。

今日の仕事でも夜の電話でも、話す内容は全く違うものでしたが、同じことを思い起こされる日でした。

できれば次へ

 本日の仕事も慌ただしく過ぎていき、気が付けば終了の時間となり、順調に進んだことは有り難いことです。ただ反省点も幾つかあり、次には見失わず反映させていかなければいけません。

土日の良い点は、家内が仕事が休みなので家の中が安定しています。仕事と家事の両立しなければいけない平日は家内も余裕がなくなってくることがあるので、仕事に振り回されない休日の有難みも最近になって身に沁みます。
本末転倒という言葉を最近よく使っており、それはその言葉を知ったときには、何が「本」で何が「末」なのかを認識も理解も出来ずに使っておりました。
私にとっての「本」や私にとっての「末」、誰かにとっての「本と末」、時が過ぎ場所が変わり関係者が変わるようなことで、正しく「本と末」を理解して、問題をあげ、できるだけ最短最速で無駄なくそれを解決に向けて動けるか、いろいろと私にとっては本当に難しいことになります。

「とりあえず抱えるだけ抱えて、後は(抱えた)本人が好きにするといい」

これも最近の私の中での流行で、またよくわからないことをあれこれと考えます。子供達と晩御飯の時にかなりもりあがって私が中学生の時、中二病にかかっていた痛い過去を自ら暴露して盛り上がってみたり、中学時代に何をして盛り上がっていたかなんて昔話をして、時は流れていました。

本当に重要なことは、言葉として出すことを憚られることがあって、そんな時それを隠すように世間話や過去の思い出を書く私をみて、いろいろと次のステップへ問題なく進むことを願う夜です。

わかっていない

 そろそろ子供達の誕生日が近づき、取り急ぎ準備をします。一日一日から一年一年大きくなっており、その度様々な出費の額が増えて、父の威厳を保つためには苦しいけれど、「くるしゅうない」とか、「それは買ってあげよう」とか、大らかなところを頑張って見せなければということが増えてきています。

長男が歳をとるたび、結婚してすぐできた子ですから、私と家内の結婚してから何年かということがすぐわかるので有難いです。末っ子の「けいくん」も長男と誕生日は一日違い、家内も夏に生まれ、私以外は皆夏の時期に生まれ、私だけ寒い冬に生まれていますが、もう子供の時ほどに誕生日が楽しみなんてことはなくなりました。元気で働くことができれば何よりです。

「辛抱しなければいけない」

他人には簡単に言う私がいて、私自身に置き換えれば、耐え忍ぶこと辛抱なんて考えられないと思えるようなことを他人には平然と言う私がいて、「相手がわかっていない」と身の程を弁えず思うことばかりですが、私こそわかっていないものだと考えさせられました。

今日か明日には大きく何かが動くので、落ち着かないです。

何せ私はいろいろなことが「わかっていない」最たるものだからです。

立腹

 不如意(意の如くならざること)は常に存在しており、歳をとりたくないと思う方であれば、考えているその瞬間も老いは進み、その他さまざまなことで、冷静になれば自らを思い知らされることばかりになります。

善人の反対の方がいて、自らが善くないことを過去から現在も続けることによって、(なした悪事の数だけどなたにも本心から)相手にしてもらえず、そこまできてしまえば善いことをしても既に悪の果実が実ってしまえば、(取り繕っているだけととられ)取り返しがつかず、その時は善いことをするのではなく、今まで自らの発言と行動を真摯に全て謝罪し、その償いをすると誓い行動におこさなければ、知らない方は知らないのだからいけることはあるかもしれませんが、知っている方は誰も許しくれないでしょう。

  五 愚かな者の章
 六六  無知な愚か者たちは自分を敵として振舞い、悪しき行為をなしながら、渋みのある結果をもたらす。

 六七  なしてしまってから自責の念にかられ、その者が顔に涙し、泣きながら報いを受けるような、そのような行為は立派になされたものではない。

真理の花たば 法句経入門 宮坂宥勝



腹を立て椅子にあたる方をみて、いろいろと考えさせられました。それは腹を立てていることがでもなく、関係ない椅子にあたっていることでもなく、これからその方がどうなるか、まだ腹を立て物にあたるなどはこれからのことを考えれば可愛らしいものだなんて、冷たい私は思い、冷静に振る舞っていました。

膝から上にではなく、つま先から上にこれからは感情を上げないように、そうでなければ私は私の感情で焼かれてしまい、収拾どころか、どこにも進めなくなるでしょう。

まずは今抱えていることに対して、相手より私の怒りや感情を先にとめることを優先に努めることにします。

本心

 世の人であれば全ての方が理解していることで、自らの本心は全てを理解してくれる人でないとリスクが多すぎて本心は話せないことです。そうでなければ悪用されて自らが破滅してしまうことへ悪用されてしまうだからです。

ただ本心をほとんどの方へ話せるとしたら、「聖者に握拳なし」で隠し事がない方は何処の場所でも誰の前でも強くなることは確かなことで、当然そのような秘密がないという方は稀になります。人間であれば悪いことやましいこと、人に言えないことそのようなことが大なり小なりあることがあたりまえです。
ただ現行の法律で時効が存在しているのは、寛容と融和と人間にとって必要不可欠な『(相手を)許す』ということが生きるために必要不可欠なことを時間の制限で、自らがしてしまったことを時間の制限を設けることで、美しく生きていくためのチャンスを与えてくれているだけのことです。

今日は自らの思い(本音)を無事に相手へ伝えることができて何よりです。


ただ相手がそれを受け取るかどうかということは相手の自由であり、自らがどのように生きていくかは誰だってその方の自由です。


「自らがどのように生きていくか」


その人次第です。誰にもそれは強制されることではなく、ただ自らの判断に自らを委ねるだけというあたりまえのことです。


本当私自身が私のことをどれだけ見つめ、ふれあう方をどれだけ核心を瞬時に理解できるかどうか、私は私のことをそっちのけにしてそのことを突き詰めていく方が私にあっているように思います。

なんというか

 これからは誰にも尋ねられないのであれば、あったことはあったまま、つまりはあるがままに、どなたか信頼できる方が近くにおられるのであればその方の指導や指示を仰ぎ、時に運が悪く周りに悪い人ばかりであればただ一人で行くだけしかなく、自らの昂る感情の火で自らを焦がし焼きつくしてしまわないよう、できるだけ冷たく現実をみつめ、冷ややかな言葉と私であるように。
そんなことを思わされる日でした。

昨晩遅くまで起きていたことで体調が万全ではないことは身から出た錆びで、これ以上他の原因で錆が出過ぎないよう。家内が用意してくれた晩御飯を食べ少し仮眠をとり、いつも近くにいる方のことが気にかかります。
できれば一緒に笑って仕事もこなしていき、一つずつこれからのためにいろんな種をまき、時間がかかっても手間が大変でも大切に育て、伸ばしていきたいです。

明日は有り難いことにおやすみをいただいています。ゆっくり休んでリフレッシュして明後日からに備えることにします。
今日一日、難問というか、とてつもない重荷というか、いろいろありました。答えはもう出ていることですから、答えを言うのではなく、どういう形であれ前にしか生きているのですから進むしかないとしか言いようがないです。

大風

 台風の影響で一時強い雨、その後は晴れていましたが風が強く、私も家内も子供達に晩御飯を食べさせている間に、風が強い晴れた夕焼けの空を見ながらしばらく散歩をしました。

この時期風がつよければ暑さもなく、かといって寒くもなく、植えられた稲も順調に育って、その上を歩くことはできませんが一面美しい緑の絨毯が敷き詰められた光景が有り難く、それを眺めていれば何故か理由はわからないのですが安心できます。
家内が散歩の用意をするまでに、花壇に「けいくん(三男坊)」が植えて伸びてきた朝顔のために、ツルが伸びるように竹を指し、上に伸びて咲いてくれればあの子も喜ぶでしょう。

台風の恩恵はあの子達にもあって、いつもより警報のために早く学校が終わって、時間が多くとれたので遊ぶ時間も増えて、台風のマイナス面を忘れ、また台風が来てくれないかと待ち焦がれるほどです。
私も家内も散歩の最後にスーパーマーケットによれば、台風の為か客足が少ないためか普段より早い時間に割引商品があって、いつも手が出ないものが沢山購入出来て、帰って夕食が終わっていましたが、美味しく再度皆でおなか一杯いただきました。

家内「あなた、台風の日はスーパーにいかないといけないね」

私「うーん、その時の台風の状況にもよるから、必ず割引してるというわけではないと思うけどね」

まあ子供達も家内も私も、台風による悪影響もほとんどなかったですし、良いことがあったので、これはこれでよしです。自然は甘く見ると手痛いどころかとんでもない目に遭うこともあるので、その時その時の見極めは大事にしなければいけないと考えさせられました。

 家内が子供達のために七夕の用意をとお願いされました。まずは竹(我が家に見合った大きさ)を一本用意完了、ついで「けいくん」が楽しみに花壇へ植えた朝顔が育つためのツルが這うための何かを頼まれたので、ついでに竹を何本か用意しました。
一昨日と昨日に家内が随分頑張って家の中のことをしてくれていたので、私はゴロゴロマッタリと昼過ぎまでできました。有り難いことです。
仕事と学校に行っている家族のために、洗濯と晩御飯くらいは作っとかないと今日は肩身が狭そうなので、トマト風味ハヤシライス(レシピが少ないのはかなり問題です)を作って、美味しくいただき、晩酌を始めました。
明日のことは明日考え、酔いと宵と良いに任せることします

  千の章
 一〇〇 無意味な語(ことば)からなることばは、たとえ千あるにしても、聞いて静まりをえる一つの有益な語のほうがすぐれている。
真理の花たば 法句経入門 宮坂宥勝 



今日の私の言葉が少ないのは(酔っぱらいにかかれば)こういうことです。

いつもの

 七月二日 (日) 晴

 蒸し暑い日となって、仕事中も随分汗をかき、いつものようにしているつもりが1.5倍ほど疲れが増して感じられました。ただ一日が早く過ぎる日であったことが有り難いです。
考えなければいけないことが続いていました。抱えなければいけない日が続いていました。そろそろ自らの荷物出ないものは抱えなくてよくなります。言動はその成し発した方達へお返ししなければいけません。珍しく今日はお酒をやめ、夜よく寝ようと思います。

 五 愚かな者の章
六〇 目ざめて起きているものには夜が長く、疲れた者には僅かな道のりも長い。正しい真理を知らない愚かな者には輪廻〔=迷い〕は長いものである。
真理の花たば 法句経 著宮坂宥勝


寝ることができない時間だけ先の言葉がよく頭に浮かび、その通りであると睡眠不足や疲れと共に体感する日々でした。そろそろ迷うことに逆らわず、迷って悩むのでもなく、迷うがままに流されよく寝ようと思います。
明日はおやすみをいただいています。起きてからは思いつくだけの用事は済ませ、あの子達と家内の帰りをいつものように待つことにします。

何か

 久しく少し前まではずっと一緒に時を過ごす方と過ごし、とりたてて何がというわけではありません。けれど現状が劇的に変わったということもなく、ほとんど変わっていません、近くにいる方達と理解し、何かが深まっただけで、それによって安心がえられ、皮肉なことはやはり再度ですが現状は変わっていません。

理解できたことを違う理解であるとしても、理解することに努めてくれる方というのは「不請の友(盟友・善友)」と呼ばれ、不測の事態にこそ出現し、意図的である確率は皆無に等しく、それはその方の自らに問いを発した結果が慈悲・智慧と呼ばれる行為や言葉として目前に現れるだけのことです。

私は愚かであるから、「意図的にそれを」と、ただ自らがそう考えるときにはある程度の水準が達していればその水準(継続した努力・真摯な学びの時間だけ)なりには出現し、けれど真摯に自らのこころのままに自然に現れることには遥か遠く及ばないもの。

今日もまたかなり仕事が終わって、すぐに料理をしながらお酒をよばれ、随分酔っぱらって、酔うがまま、何を書きたいかを私はわからぬまま、ただキーボードを流れるようにうつ指がここへ出現しています。

本当私は愚かだから、さっぱりです。ただ夕方料理が終わって、空をしばらく路傍に座してみていました。

田畑の上に、行きかうトンボが増えました。鳥はさえずり、晴れた空で、そこには白い雲と青い空がおりなす、深い濃い青空があり、夕方の空は複雑で、緑ががった青もあり、水色の空があり、白い空があり、天高く半分に切られたような月が濃い青の空に美しく浮かんでいました。

「お月様も誰かにスイカみたいにきられてますね」


(本当は月は私の眼に半分に映っているだけで、ほとんど大幅にかたちが変わることはないのにね)

 仕事が終わって、どうも家内は急遽残業になり、五人分の料理が完成、ちょうど子供達三人が食べ始めた時間に家内が「ごめんね」と帰ってきました。皆が無事で美味しくご飯が食べられたら問題がないです。

いろいろあって落ち着かないので、真っ暗な田園の道を40分程歩き、ただ時間がその時間だけ過ぎたというだけで相変わらずです。
立てていた予定はあっさりと私自身によって覆ってしまい、私に参りました・・・
困ったときに頼りなる自分自身でありたいのに、問題が大きくなれば誰かわからないけれどとにかく誰かを頼らざるをえない私をみて、笑うしかないです。

難しいことは抜きで、目前のこと一つ一つしっかりとこなすという基本にまた立ち返り、そのしっかりこなす時間があっという間に過ぎるようにしていきたいです。今日はいつにもましてぱっとしません。