夜の散歩

 また怠け癖が出ていた家内とのウォーキングを再開しました。沢山着込んで、明日の燃えないゴミをもって、ゴミ捨てと会話と運動を兼ねた星空が綺麗な夜の下、マスクをした二人が歩くのです。家内が

「マスクした二人が歩いてたら不審がられないかしら」

「いや、最近ご年配の夫婦とかマスクして歩いてるし、普通じゃないかな」

「そう」

夜風はまだかなり冷たいけれど、家内は会話が弾んで楽しそうでした。もっとも職場にいつもいる方がいつも根性悪い言葉や態度ばかりしてくることに日々頭を痛めているようです。

「何故あんなことばかりしてくるのかしら」

「根性悪は根性悪いことを続けるから、根性悪っていうんだよ、やめたら根性悪って言われないじゃない、あの人達はそれを言われ続けるために命をかけてるとこがあるから、仕方ないよ」

「やっぱり意味わからないし」

「それの意味が分かるし共感できるって言われる方が私は困るので、それはずっと意味が分からないという答えが貴方からでてきてくれないと、私が困るしねえ」

「意味は分かるけれどやっぱり(あの人は私にとって)意味が分からない」

答えは決まってることを自らが心の底から理解できたとき、相手も自らもそれでいいと思うものだけれど、その答えに自らがたどり着くまでに、いろいろなことが必要となるものだと私は思います。

例えばそれが怨み・苦しみ・忍耐・辛い時間の長さ・良い人との出会いや別れ・普通の時間・本当にいろんなことが必要です。


まあ私は夜空に浮かぶ綺麗な星を見て、美しいと思えたので今は問題ないなんて考えていました。


「とらわれている人は大切なことをみることができない」




本当それはいろんなことに当てはまり、私の過去なんてそれによって大切なことが目前や自らの上にあったのに私だけが気づいていないそのもの、そんな時が長すぎたように思う夜です。

スポンサーサイト

セールスポイント

 家の中が引っ越しの影響で半分くらいまだ無精で片付いていないことやインフルエンザにかかって寝こんだり怠惰にふけりやすい私の影響で、家内と一緒にウォーキングもしばらくごぶさたしています。

今日は家内の冬にウォーキングしても寒くないように、あの「着て動くとワッシュワッシュいうジャージの強化版」を購入にでかけました。
ワッシュワッシュいうものは、皆の予想通り「ウインドブレーカー」と呼ばれるものです。私が高校時代友人の確かマスモト君の知り合いが

「ウインドブレーカーって皆いってるのにさ、可愛らしい部活していた女の子が、監督が『ウインドブレーカを明日は持ってくるように』って言ったら『あのワッシュワッシュっていうやつですね』って聞いてて皆だいばくしょうしたんだよね」

それから私の中では「ワッシュワッシュいうものだよね」に呼称が変わっています。

近くの大型ショッピングモールのスポーツ用品店の途中に家内が

「ここのお店ちょっと見ていい」

「いいよ」

小規模です。何が見たいのかわかりませんがセーターのような変わった柄の胸の中心に、ゲゲゲの鬼太郎のお父さん「目玉のおやじ」が目に飛び込んできました。見たところそれ以上インパクトあるものやお洒落なものは見当たらないので家内へその目玉のオヤジの服を指さして

「なるほど、貴方が見たかったこのお店の目玉商品は、目玉おやじのこれだね!」

何故か家内はそれから「目玉」を思い出してはしばらく大笑いしていました。

「私の近くにいる人にさっきのいったら、冷たい目でしばらく見つめられそうだけど、貴方ずっと大笑いしてるね、笑えるならそれにこしたことないけど」

「冷たい目で見ることが多いなら、貴方と結婚していないわよ(そういって目玉を思い出してまた笑っていました)」


なるほど好みというのは本当にわからないものです。

予定外

 職場の出勤の関係上、思ってもいなかったことですが休日をいただき気分的にゆっくりさせていただくことができました。両親も私も一年ずつ歳をとっています。あたりまえですが家内も子供達もそうですし、家内の両親もそれは同様です。

引っ越しで使わなくなった箪笥と古いエアコンを実家に欲しいと言われていたので思いがけない休日に家内と車へ乗せて新年の挨拶
にドライブもかねて四国から岡山まで日帰りしてきました。
職場で知り合う方で老齢の方になってくると膝に水がたまったり腰痛に悩まされたり耳が遠くなったり目も薄くなったり、髪だって白くなり、薄くなってくることを教えてくれることは多いです。私の両親もそうですし、私も少しずつ黒い中に白いものが混じってきつつあります。

「歳はとりたくないねえ」

まあ私が何度そういったとしても生きている限り、歳をとるということは避けれないことですから、自分を棚に上げ他人を見ていろいろと自分これからのことを考えることがあります。

歳はともかく、家内と今も仲良く過ごせることが有り難いです。



正月ですから難しいことは考えず、家内と一杯やることにします。

いってらっしゃい

 幼稚園・小学校で幾つかの重症にはならないけれど感染する病が流行って、お休みの子が目立っています。先日末っ子の「けいくん」も軽い嘔吐をして、偶然金曜で日曜にはすっかり元気で家内と私双方の会社に迷惑を掛けず助かりました。
引っ越しをしてから環境が変わり色々なことを進めながら仕事をして少し疲れたところに家内も流行りの何かをもらってしまい仕事を休まなければいけないことになって、当然こちらに家事と三人の世話がもれなく回ってきます。ある程度お手伝いを上の子二人がしてくれるようになっているので、随分楽になりました。

性格上自分はともかく、目前でだらだらしていたりすれば割と注意します。

「だらだらしていると、遊ぶ時間が減るよ(あたしゃグズは嫌いだよ、という勢いの感じで言います)」

言われる方が嫌でしょうけれど、言わなければ言わないでずっとだらだらしているので、だらだらしている限り注意します。きっと私のそんな言葉を大人になって「お父さんのあのせかすのが嫌だったとか、せかされたり先に言われるから嫌でわざとしなかった」とかどこかで言うことでしょう。

家内が仕事を久しぶりに初めて出張で、体調のこともありますがいろいろと準備をしていました。少しずつ仕事を身に着けて、いろいろあったとしても、根性悪な人に出会ってもうろたえることなく、善い人に出会えて涙を流してほしいし、今までとは違う何かと出会って他人や周囲を通して自らこそが自らを深く知って欲しいと願っています。

皮肉なことに根性悪な人がずっといたり、困難なことが多いほど自らを深く知ることになって喜べるのは何回もいうように本当に皮肉なことで悪いことに会うことは誰もが望まないことです。

朝早くから東京へ飛行機で行くとか言っていました。

「いってらしゃい、仕事しっかりしてできるだけ楽しんできてね」

酔っぱらいはもう少し夜更かしをすることにします。

変わり続ける相変わらず

十一月下旬には結婚記念日があって、いつもささやかながら家族皆でご馳走を食べお祝いをしています。ご馳走のための口実に子供達もいつも大歓迎で喜んでくれます。

明日までにやらなければいけない段取りも忘れ明日へやらなければいけないことは預けて、行事や引っ越しで遅れましたが家内と二人で子供が寝てから乾杯します。
結婚して15年、知り合ってからだともう少し年数が増えます。これからも一緒にいれば人生の半分になって、お互いが白い髪になるまで一緒にいることができれば、大半となるでしょう。

振り返ってみてもよく些細なことで口論をしました。理由はその時は何よりも許せないと思っていましたが、今になればほんの些細なことで、今ならいくらでも回避やスルーできることで、結局それは後出しジャンケンのようなもので、積み重なるものがあるからこそ流せる幅が出来ただけなのがわかります。

けれど私はまた些細なことで口論をすると思います。だからと言って彼女が嫌いになることではなく、やはり好きだからこそ好きになりたいからと自らをごまかすように自らの思いを角のある痛い言葉を感情に任せて言ってしまうでしょう。

「好きなら、そんな言い方をする必要はないでしょう」

何て言われそうです。

もう少し(本当はずっと)私に付き合ってもらうことにします。


乾杯♪

二人でグラスを鳴らすのです。

降り続く

 今年は我が家では用事が例年より多く、いつもよりバタバタしています。家内が働き出したこともそれに拍車をかけているので、不慣れな仕事が終わって家内の顔が疲れていることが多いです。
あの子達三人に夕食を出し、二人で気分転換もかねて用事のためにお出かけ、少し落ち着いたようです。帰って末っ子を寝かしつけそれからは日課のウォーキングへ、ただ暗い外へ出れば雨も降り空気がかなり湿っていました。

今日は風が無く傘をさし、話しながら歩くことができ、とりとめもない話やちょっと誰かに聞かれたら困る話、職場での愚痴、これから自らがどうあるべきかなんてことを話していれば、時間も距離も早く進んでいきます。

「あなたと私といろいろありすぎるけれど、仲良すぎるんだから(それだけでも)いいんじゃない。」

いろいろあって悩み・困り・理解できないと嘆き・困ったことをする人の対処に悪戦苦闘する家内へ、何度も告げました。

「これからも何があっても、仲睦まじければそれでいいと思うよ」

あの人へ告げているようで、やはり自分勝手な私は自らへそう言い聞かせているだけのことです。ただ私はそうありたいだけです。


「長男と次男と三男とあの人と私」

身勝手な次男坊として生まれた私は、好き勝手に実家から遠く離れ暮らしています。もう少しあの子達にも時間を割いていこうと思います。



あるき

 ここのところ動くことがそんなに好きではないですが、仕事が終わって家内とウォーキングへ太陽が沈み暗くなりかけたらでかけます。動かない私からどんどん体力が無くなっているので、ここはあまり望んでいないけれど体力を維持するために少しずつ歩く距離を伸ばし、時には子供達の前では言えない家内が処理できない大人の嫌な話などを聞き、職種は違うけれど仕事は私のほうが随分前からしていますから対人関係・仕事の進め方・私なりの人としての在り方、そんなことを話しながら歩きます。
今日は台風の影響か随分未明から朝まで雨がひどく、昼過ぎてようやく雨もあがり、先ほどの歩いてきた時には風が強く、いつもなら汗が流れるところが、少しも汗をかかないくらいに風が割と強く吹き抜け、もう少し気温が下がってこんなに風が吹けばかなり服を着こんでいかないとと、今後のウォーキング予定の計画を立てながら強い風の日が終わろうとしています。

明日はこれまた運がよく、子供たちは学校が始まって半日いません。家内は私と平日に久しぶりに休日があうので喜んでいました。あの人は真面目で不器用で割と堅く、本当正反対なところが多いです。ウォーキングもですが、ランチの約束を家内としました。

最近は何やらバタバタとしていて、ここもさっぱりです。やっぱりさっぱりな時はスポーツから迎えてきて、一杯やるのです。

真夏の花火

 上手を言われることは何かしらのもどかしさでもあり、時には我を失い見誤ることもあり、過信したり、本質を見誤り、人を見る目を失い、すべて悪いことになるとは思いませんが、自らを正しく見つめることから遠ざかることがあります。

信じることが無ければ人として人らしさを失うことばかり、見誤ることの多い私はおかしいことを正しいと思い込みよく腹を立てます。終わって考えればうかつなことが目立ちます。
難しいことです。後出しジャンケンのようにも思え、ただまあ騙されてもいいかと開き直り思いを持ちすぎなければ意外とうまくいくことがあります。

隣の町の花火の音がパンパンと夜の空に響いていました。二回から花火をみて(今日は実家に帰省している)家内のことを考えていました。あの人は花火が好きです。あの人と花火が好きなのだと、その時はじける火花が夜の空に消えていくのをみて頭によぎりました。子供達も夜空の花火を喜ぶだろう。

あの人の悪いところも普通のところも良いところもすべて含めて、ずっと好きでありたいです。

感情的でころころと違うことを言い、良いことをしたいと約束をするのにその約束を忘れ、準備を怠るのに調子に乗りすぎる愚かな私を好きでいてくれるあの人に感謝しています。

花火は幼少の頃の思い出やあの人との思いを、きらめくようにパンっと私の頭の中に花開いてくれるように感じます。
すぐに消えてもいいのです。また花火が上がれば、欲が満たされてはまた同じ欲が生じその連続が一つの永遠と思えるような短い時間でもそれが心地よいです。


私は相変わらず欲張りで愚かなままです。

たまに

 久しぶりに家内とお互いの服を買いに出かけました。子供たちが三人生まれてから一日一日大きくなる子供達の服は必要不可欠であって、私と家内は太らない限り(痩せすぎない限り)大人だから今まで買った服があるから急いで必要なことなんてこともなく、必要以上のつまりは身の丈以上のおしゃれや見栄を張らなければ、服を次々買うことはないです。
ただ仕事で使う服はやはり仕事をしていればどんどんくたびれ色も褪せ、家内が仕事を初めたことも主婦であれば質素にしていれば問題ないことですが、私服が仕事着となればやはりあの子達の母親でまだ若い女性ですから必要以上はいりませんが普通に着ていけるだけの服を買いにでかけました。

女性はショッピングが好きだと実感しました。

私はその待ち時間の間近くの配慮されたソファーにかけて読書しながら付き合うのです。一人で行って来たらと言えば機嫌を害い、ソファーに座って近くで待っていれば何かあれば見て声もかけてあげれるし、似合うかどうかもすぐ言ってあげれます。
「同じ時を同じ場所で過ごす」
あたりまえのことを効率重視で私はせっかちで別れて済ませたりします。時間の節約と効率は上がるのかもしれませんが、目に見えないものを大切にすることを忘れてしまえば、私そのものが忘れ去られてしまうものだなんて思います。

あの人の笑顔が夏のひまわりのように輝いている瞬間を見たような日でした。

(ごく)たまにはお互いの私的買い物も悪くないです。



ただ贅沢は(私の稼ぎの関係上)敵です。

いつものパターン

 夏休みに遊び呆けることもなく、スポーツに汗を流し、(短い時間だけれど)毎日宿題・課題を続ける子供達も遊びが必要になってきました。(建前はおいといて本音は毎日ゲームとかネットとか読書は勉強した時間の何倍以上ちゃっかりしてるんだけど。)

今日も海へ連れて行ってあげたいと思っていましたが生憎の曇り空と雨、じゃあ(ストレス発散のために)友人を呼んで遊びたいという要望が長男坊と次男坊からきましたので、それを快諾し、見ていたら注意したくなる性分ですから、私を一人でほっておけない(仕事以外で私を一人にさせたくない愛情の多い)家内と一緒に、この時期どこも冷房が効きすぎて身体にこたえるようになった私達はしっかりと二枚くらい多めに着込んで、快適なところで読書を二人でするために出かけました。

「いわゆるデート」というものですね。

(子供達をダシにして、二人の時間を有意義に過ごすと)

本当にこの時期の人が沢山存在している屋内施設はどこも冷房が寒いくらいです。周囲を見渡すと若い子やお洒落な方は、薄着一枚で楽しそうにしています。オヤジになった私からすれば、あれは自殺行為ですね。

働いていたり動いていたり、日中に先程までいた方ならば、砂漠の中のオアシスでしょうけれど、静けさを好む(ただ動くのがすきじゃない無精者)の私からすれば、極寒地帯ですよ本当に。

でもまあそのおかげで『法華経入門』菅野博史著(岩波新書)を読了しました。初めて法華経解説を読んだ本は渡辺照宏先生の
『法華経物語』 渡辺 照宏 (著) であったと記憶しています。次は確か現代人の仏教〈5〉『いのちの世界・法華経』紀野一義(著)でその後忘れてしまいましたが、何か法華経関係の本を読んだような気がします。

今回は初心に帰り(というか本をそれから割りと時間を書けて幾つも呼んでいたら大事なことを忘れてしまっているので)、タイトル通り大好きな先生方以外の方が書かれた本を読みたかったのです。

よって『法華経入門』を時間を書けて読んでいました。先が見えかけた頃に紀野一義先生の『法華経を読む』講談社現代新書を平行して読みかけていました。

親しい友人が仏教好きで、気になる本を読むために買い溜めています。私はそこでまだ彼が手を付けていない本でまだ時間的に読みかけた本が終わらないのをいいことに、本人より先に読破してしまうという。漁夫の利です。

ミステリーやサスペンスや現代の読みやすい本なら、何時間(一日)も立たずに読み終えれるものも多いです。仏教書は私にとって、私が私を何かで縛るような思いで、通り過ぎないように時間を書けて読んでいくようにしています。読み飛ばさないこと、理解していないのに先に進まないこと、本当にそれは人からすれば私が私に縄をかけているだけのようにも思います。

私が家内を大好きで、いまだ新婚気分が抜けないこともそれと同じようなことだと最近は思います。


「誰がそなたを縛っているのか」


本当は誰もが気づいていることです。


誰かと何かのせいにしたり、楽な(怠惰へ走る)ことへ目を向け続けたり、今ではなく先でもいいと先延ばしを続けたり、呪われていると思い込みすぎていたり、才能がないと思い込むことも、生きる意味が無いと思うことも、幸せではないと思うことも

よく思うのですよ

「善いことは、肯定 肯定 大肯定」

「悪いことは 見つめ 我に置き換え どうありたいのか(と自らに問う)」


否定がない肯定によって、笑っていきたいと願います。

不携帯(というか持っていない)

 雨模様の日々から一転、からっと晴れた日になっていました。どうもTVや新聞をあまりみないので周りの人の話を聞いていれば、このあたり梅雨がはれたようです。

ただこれも知らなくてびっくりされたのですが、どうも台風が近づいているとか、青く晴れた空、夏の雲らしい、もりもりもりあがる雲、眩しい日差し、ちょっとうるさい蝉の鳴き声、どうも台風が来るなんて信じられないほどです。

休日でしたので朝から家内と普段ためていた用事を朝から済ませ買い物に出かけていたら、知人がその間にお届け物を留守の家にたずねてきていたようです。最近は携帯電話がありますから、ただいまどき珍しい携帯とかスマホなんてものを持たない私ですから、近くにいる家内の携帯へ電話がかけられ、買い物をしている場所を届けてくれるなんて、いまどきの運送業のサービスもびっくりのサービスでした。

なにやらお中元でしょうか、そんなに贅沢な品があがらない我が家には不釣り合いの素敵なお肉をいただきました。有難いことですし、届け方もニクらしい感じの演出です。

広いショッピングモールで離れてしまえば、広さと人の多さで出会うことが少し難しいことです。まわりをみればポケットから携帯(やスマホ)を取出し、「今どこ」そう簡単にたずねて終わりです。携帯がない私はどうでしょう。家内にあうのに家内のこれまでの傾向や今日の目的の買い物など、いろんなことを予測して落ち合うつもりでした。ただ出先で家内へ電話があり、届け物を受け取りに行っていたという、予測できない事態で家内をしばらく探していました。

人からすればめんどくさいことしないで、携帯を持てばいいのになんて思うでしょうけれど、携帯を持たない自由というものも存在し、会うことや声を聴くのに苦労がかかることが直接話したり会う時の喜びを増やすものというあたりまえのことに気づかなくなるものです。(なんて言い訳をのせておきます)

予測して、割と探してあえたとき嬉しいものです。家内のことは大好きですが、会えない時間がもっと好きにさせるものなんですよ。(そんな大それたことじゃなく、いつもあることなんだけどね)

休みらしく、のんびりまったりとしていればあっという間に夜になっていつもの更新時間(晩八時)を過ぎていました。誰のために何のために何を書き続けるか、自分でたまにそれを考えおかしくなり、意味があるのかな、なんて思いながら、それでも何かを続けていこうと思っています。

「人生山あり谷あり」

近くのお世話になる方が誰かに

「あなたは今 谷あり、谷ありやな」

なんてことを言っていました。

それを聞いて、山がよいことで谷が悪い時なのかとはっとしました。

悪い時でも、愛はそこにあるし、しあわせもあるし、わらいだってあるし、楽しさだってあるし、もとめるこころもあるし、誰も理解してくれないこともないよ。


谷もなければ笑えることも少ないよ

新婚

 ここのところ家内とべたべたしています。もっとも家内はべたべたしようとても逃げようとします。
家が狭いことと、結婚して伴侶であることと、子供三人が私たちをみていることと、いつも一緒にいる二人であるということと、これからもずっと一緒にいるという制約から中を悪くするということはできにくいことです。

よって私はべったりとしているのです。

何かにぶつかり打ちのめされ、現実が厳しくなればなるほど痛いことが増え、わたしは言葉も行動もちょっとしたことで怒りやすくなり、短絡的な言動になりがちです。

また少し時間がたて(忘れれ)ば、楽しいときに戻り、皆に聞かれれば言うのです。

「まだ新婚みたいなものだからね」

「もう子供も中学生になるのに、何年までが新婚なの」

「わたしがそう思う限りですよ(もっとも家内がそう思っているかどうかはおいといて)」

あの人を見て心浮かれ(惹かれ)るうちはそう思っています。

何も無ければそうも思わないのでしょう。
へこたれることも、悲しいことも、つらいことも、苦しいことも、怨みも、思い通りにいかないことが連続することも、何かあって元に戻るたびにあの人をみて、心惹かれるわたしをみるとき、それでわたしはあの人と結婚したのだと納得させられます。

そう思えないときも、何も思わないときも、心惹かれるときも、困るのですがそれもやはりわたしです。


自分のこころに手を伸ばし、温かい気持ちをいつでも見たり聞いたり取り出せれば何も問題がないといつも思います。


笑うこと・楽しむこと・好きということ・愛するということ、打たれれば打たれるほどへこめばへこむほど、形が変化していくように思います。

かわり

 ここのところ、家内は少し忙しくしていました。
今日は仕事が休日であったために、子供達は全員学校へ行っていますから、たまには二人でどこかへランチにでもと何日か前に言っていました。

昨晩仕事が終わって自宅に帰れば家内が少し疲れていました。「大丈夫?」「ゆっくりやるから大丈夫」あまり大丈夫そうではありません。ご飯を作って食べずに休んでいました。それから子供達は明日(今日)学校ですからやることをやらせ、寝かせ、ただ夜遅くまで何度か家内は嘔吐していました。

休みだったことが有難いですが、二人の予定は無くなってしまいました。朝ごはんを食べさせ「けいくん(4歳)」を幼稚園に送って行き、少し休んでから昼すぎに幼稚園へ迎えに行き、家事をしている間一人で庭で「けいくん」は遊んでいました。
家事が終わり、庭に出れば、植物に水撒きしようとしてよく濡れた「けいくん」ができあがっていました。
お風呂へ入れて、洗濯物を二三回干し、本当天気が良いのは有難いことでした。終って「けいくん」と庭でおやつを食べながら、ナミテントウを観察したり、アリの巣の近くにこぼしたお菓子をおいていたら、アリがどれくらいで集まってくるか、蜘蛛が何かの幼虫を捕まえているのをみたり、気がつけば晩御飯の用意をせねばいけません。

家内はどうも、お粥くらいしか食欲がありませんので、あまり手がかかりません。元気な子供達が喜ぶようなものを買ってきて出したのですが、少し次男坊も食欲がありませんでした。何か風邪か病気にでもかかったのかわかりませんが、それとも今日は暑い日であったから少し疲れたのか、普段元気な人が元気がなくなるとこちらも元気がなくなってしまいます。

早くよくなるように、わたしの相手をする人がいないと寂しいものです。

頭のなかの幸せと場所

 あほなことを言うことが増えてきました。仕事へ行くときに家内は朝からお弁当をずっと作ってくれています。家内にとって朝の時間の使い方はとても大事です。

私のお弁当や子供達(男子三兄弟)の朝ごはんなどを面倒みなければいけません。私だったら怒ってばかりで優しくなれないところをあたりまえのように(愛情を持って)子供達と私へ接してくれることが何よりも有難いことです。

あたりまえのことに感謝を忘れやすい私と子供達は、家内にそっぽを向かれればたいそうこたえます。最近の私は学習能力が高く怒られることも衝突も減ってきました。子供達はこれからです。

ここ(ブログ)へ日記のごとく何かを書き連ねることに出来事の反省やこれから出現して欲しい善いこと、それに向かって今何の善いことをしなければいけないか、ここはそれを私の鏡のように客観的に示してくれる役割も果たしています(随分美化したり少し脚色なんてこともあります)。悪いことをすべて書くことが出来ない自分の弱さも出現しています。

話はそれましたが、今日の家内のお弁当はぶっかけうどん(弁当)でした。昨晩から

「明日のお弁当、麺でもいい」

確かそんなことを聞かれ

「いいよ」

そんなやりとりがあったように思います。職場に家内はいませんからお弁当はいつも多めに入っています。今日だけでなくその量を見て近くの人が目を丸くしていました。

「家内は心配してお腹空かないように、愛情と同じように人より多く入れてあるんですよ」

笑顔で答えます。聞いた人はいつも近くにいるからか驚いた時は質問してきます。人により思いの差は個人差で出現方法が違います。家内は食事などのことが人より少し多めだと思うことがあります。労働に身体は資本です。生活態度や食事、二人のやりとり、子供達のことを話しあうこと、まあ後は大人の時間でしょうか。

いずれにしても誰が勝ちで、誰が負けとかいう話ではありません。本当夫婦100組いればその夫婦のありようはその数だけあって、愛情の出し方受け取り方もその数だけあると思います。

私と家内は、私がだいぶ変わっているのか(誰かの頭のなかだけがある意味しあわせなのか)、おもしろい夫婦となっているようです。自分でもそう思いますが近くの人にもよく言われます。


ただ愛情やしあわせが店で買うのではなく、気がつけば身近(心中)に手を伸ばせば取り出せる私達でありたいと理想を追い求めています。


そんなことを考えているときの私は本当に楽しいです。

整理

 土日はまた有難いことに忙しく、休日であった今日は家内と少し整理をしていました。

結婚して子供が三人もできれば、私と家内より子供達の荷物がどんどん増えていきます。限られたスペース(家の中)は定期的な整理を迫られることになっています。

「上の押入れにあるお父さんの荷物で使わない物がどれか見て、整理していくから(いらないものは処分していくから)」

大分前に使っていた教科書・書類・手紙・文房具・本・自作用パソコンパーツの交換品など、まだ使えるもの、もう使えないもの沢山です。

「いらないのは全部処分だな」

結婚する前に筆まめであったあの人(家内)からいただいていた手紙が南通もでてきました。

「当然これは保存しておかないと」

恥ずかしそうな顔をしてそんな私を見ていました。結婚式の写真や上の子二人がまだ小さい時の写真もたくさん出てきました。

「どれどれ」

そんな言葉の後、中身を見ていれば整理できる時間がどんどん少なくなっていきます。なので保存するものと処分するものとに分ければ、こちらの許可をとれば後は家内が更に分別しています。その横で結婚前の二人で撮ったアルバムもありました。

その写真や手紙の時から14年くらいでしょうか、家族が増えたことで家内は私だけに構ってはくれません。ただ私はよく構ってもらいに行きます。ほどよくスルーされてばかりです。


「(少し歳をとったけれど)あの頃と変わらないね」


そんな休日でした。

バラ

 玄関に正月ようの花を家内が用意していたものをいついけるのかと見ていれば、華道を教えている姉が年末泊りできていたときに
「お姉さん、正月用の花を買ってきてあるんです。お姉さんに教えていただきたくて」
自分より専門の方が身近にいれば、それを認め、その方に教えをこう。それはあたりまえのことです。ただあたりまえのことがあたりまえにできていないことが多いわたしは、他者のあたりまえのことに感心することが多いです。

その隣に、一輪の上品なピンクのバラが(一輪挿しの)花瓶へ、正月以前からずっと咲いています。そのバラは11月下旬の結婚記念日に三本のバラを花屋で買ってきたものの一つ、堅くまだ開ききっていないピンクのバラでした。一ヶ月少したってもまだあのバラは一輪だけ散らずに美しさを保っています。
「やっぱり花屋のバラは違うね」
二人おなじことを思っています。そろそろあのバラだって散っていくでしょう。長く持っているほうだと毎日出勤と帰宅の際に思います。

バラを見て何かを思い、夜空に輝く月を見て何かを思い、昼間であれば輝く太陽ではなくつきぬけるような青空を見て何かを思い、青空に浮かぶ一つの雲をみてまた何かを思います。

あの人を見ても、あの子たちを見ても、笑っていたいです。


全てから逃げていればいるほど、微笑みを身近な人にむけることは何より難しいことです。


阿保なわたしであれば時にそれは簡単です。


「大丈夫だよ」


それに対する相手の答えもいろいろあります。本当に大丈夫だと感じとれば安心でき、そうでなければその人自身が大丈夫じゃないと感じ取って、足らないものを自らで補う覚悟をもって前へ進もうとします。


困った時にこそ笑っていたいです。

歯医者

 以前から予約をしており、私はそれに合わせて仕事の休日でした。

家内は大きな相当抜きにくいと事前から言われていた親知らずを抜きに行っていました。私も少し前に歯を2本程歯医者で抜きましたから、元気で大きい歯を抜くということは大変です。
帰ってきた家内の顔をみて、大変だったことは聞くまでもないことです。どうも縫い合わせたとか、私も何回か歯を抜きましたが縫ったりしたことなんてありませんから、歯医者嫌いの私としては怖い限りです。

しばらく前に親知らずを抜く日を私も決めていました。二本抜いて、三本目でしたが恐れていました。意を決して行こうとした当日家内は調子を崩し、「おとうさん今日は歯を抜かないで」二人共体調がすぐれないと子供達を見る人がいなくなるかです。「わかった」それから私は歯医者を避けています。今は風邪を引いているから仕方ないと言い訳をしましょう。

今年やらなければいけない行事と仕事が落ち着けば、歯医者にまた通うこととします。

まあ、私や子供達に優しい家内が安静にしていれば子供達も私も少し元気がなくなります。元に戻るまであの子達と私でしばらくがんばらねば。

最近通っている歯医者さんはお洒落で綺麗だし、担当の先生は女性で感じの良い人です。いつも助手で担当の方も綺麗だし若いし優しいし言うことはないです。受付の女性も元気だし若いし感じがいいです。

それでも私は歯医者を避けようとします。


何故こんなに私は嫌いなのか・・・・


いまだに敗者のままです。

そこ

 十一月中はおまつりが行われていたり、神社やお寺で着物をきた幼い子を見かけます。私もまた幼いころ母と手をつないでお参りに行った思い出があります。

「かあさん、今日は何」

「七五三のお参りよ」

お参りして、千歳あめをもらい、大きな飴をもらって嬉しかったことが忘れられないです。兄弟三人でしたから七五三に自分が当たっていないときは千歳飴がもらえず兄の千歳飴が欲しくて欲しくてたまらなかったこともおぼえています、今私は40になっています。七五三でお参りして千歳あめをもっている子供を見かけたら、ついつい私ももらって食べたくなってしまいます。

「大人になれば、買って食べられるでしょう」

そう言われてもですね、何故かもらってたべたいとおもってしまうものの一つに「千歳あめ」があって、他似たようなものにあげなければいけない歳なのにお年玉にもまだ憧れていたり、いただければ満面の笑みを返したいと思ってしまいます。

我が家の子供達も最近はスタジオなどで衣装を借りて七五三の記念写真を撮って家内が飾っています。無精者の私は仕事の休みに行事で忙しくなる意味がまったくわかっていませんでした。我が家の行事の段取りや予定管理は家内が計画的に粛々と進めています。意味がわかっていなくて非協力的な私であったとしてもしっかりと進めていました。

行事が終わり

「今日もお疲れ様」

そう言ってあの子達の一日を振り返れば、行事があることを喜べる私がそこにいます。

家内(女性)は先にそこを見て、私(男性)は後からそこを見ています。


もっと早くからそこを見て、そのときにもそこをしっかり見て、後からもそこをよくみていきたいです。

変わらず

 ここのところ家にこもる(内にこもる)ような文章ばかりでした。周りを見渡せば明るく楽しいこともあふれています。

今日の空も一際明るく、素晴らしい青空です。

相変わらず、家内を見れば私はよく抱きつきにいくのです。家内は私の思いとは裏腹につれない態度をします。

「(愛があるから)問題ないじゃない」

そう言います。ただ機嫌がいいとき以外は、目と手で私に訴えます。あえて言葉にすれば

「四角い長方形のちょうどお札位を手でかたどり、無いから問題じゃない。」

私はあえて違うことを答えます。

「その大きさなら板チョコかな、買ってこようか」

横に首を振っています。子供達(男)三人と私の面倒をみるためにいつも一生懸命、ただ節約しても家計簿を何度計算しなおしてもお金が増えることがないことを身にしみて知っているからのようです。)

これはやっぱり札束をもってこないとだめなようです。

「いやさ、私まだ自分のものである札束なんて見たことないんだよね。えんがないなあ」

それがないと抱き着かせてくれない雰囲気です。でもね

「愛があるからいいじゃない」



それだけでは生活は楽にならないことも多いようです。

続きを読む »

とりあい

 ほんの少し人と違う私は家内を見るとよく抱きつきに行きます。

ただそこには問題が多いのです。

私には息子三人がいて、我が家に女性は一人(双方の両親が遠方に住んでいるから)ですから、取り合いなのです。それもまた都合のいい取り合いで、我が家の男性は私を筆頭に甘えたいときにだけ家内のところへいきます。

以前次のようなエピソードがありました。

台所で一人家事をしている家内が

「キャー」

そんな声が聞こえました。私は聞こえていたけれどもパソコンで何かに夢中でした。長男坊はそのあたりで遊んでいました。次男坊もその辺りで何やらゲームなどをしていたように思います。そのとき三男坊はまだ小さく助けれるような年齢でも無かったです。

すると普段あまり怒らない家内が

「あなたたち、キャーとか人が叫んでいたら『何があったの(またはどうしたの)』とか言って助けに来るでしょ!」

それ以来我が家で、家内がすこし「キャー」という声が聞こえたら、よっぽど怒られたのがこたえたのか、家内を愛しすぎているせいか

「母さんどうした?大丈夫?」

なんてそれからは即座にその声がした所へ男共は飛んで行くものです。話を元に戻します。


私が家内によく甘えるからか、あの子達も困ればよく家内に隙あらば甘えています。

まあ三男坊「けいくん(四歳)」は小さくてまだ可愛いから、大抵は許可します。あくまで大抵です。長男坊は小学高学年、次男は小学四年生ですから、大人の私は言い放つのです。

「べたべたと甘えるのはそこまで、貴方達の母さんは私の嫁だし恋人だから、さあ離れて離れて」

本当に困ったものです。


あの子達には大政奉還の時だと何度も言っているのに・・・