アラーム

 「その誰かはアラーム代わりには有用である」

なんて言葉があるのですが、警告というか注意というか知らせというか、人によって教えてくれる危険度や重要度は随分異なり、自分にとって問題ないことだと思われることでも、人が変わるとその方の視点(目線・思考・予測・経験・気分)により私とは異なる趣で、それが楽しみであれば、スパイス(調味料)には欠かせないもので、味わい深いと表現してもいいし、無けれ定食に味噌汁やとん汁がない程、物足らない感です。

家内が最近特に次男坊のことを気にかけ、私に警告を発します。本音で言うと気がついて自分が危ういと思うなら自分で面倒見ればいいのに、何も気にしていない私に進言してきます。どうやら自分で手に負えないから私に言っているとしか思えないことです。あの子も私の子供で近くにいますから、監視下にあまりおきたくないですが警告が何度もくれば、家内が大変になると私が困るので、仕方ないですが監視下におくのです。

あの子は私に似て、目前のことの大切さとやらなければいけないことに気づかず、気づいたとしても全力で違うことへ逃げています。そのことでどうなるかなんてことは人生いろいろですから一概に言えないことです。ただ何か一つでも真剣にやっているのであれば、他は免除しようと思います。見たところ特に一個もそれはないです。
無いものはしょうがないので、目前の自分がやらなければいけないことを普通くらいにはやらなければいけません。

しばらく面倒くさいですが、普段より注意してあの子を意識することになりそうです。私はゆっくりまったりが好きなのです・・・
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 一番遅くに部活から次男が「お父さん、8時30分過ぎから月蝕があるよ」なんて興奮して帰ってきました。
「晩御飯もう食べれるよ、月蝕の時間までまだ時間はあるから、それまでに全部終わるから済ませときなさい」
そう言いながら晩御飯を用意して、お腹一杯食べていると月蝕のことを忘れ、お風呂を催促しても満腹になってせかさないでと言う始末。お腹一杯に皆が食べれればそれだけで本当しあわせです。今日の晩御飯は、出汁から鳥でとって、お肉もコスパの高い鶏肉をいれた鍋、今日もお休みをいただいていましたから家事・晩ご飯も私が担当です。
お代わりを何度もしてくれるのを見ると、それは作ったかいがあり、美味しかったとその後に教えてくれれば言うことはないです。家族四人だから日々の食事におけるコストは大事で、収入に限りがありますから、どこも一緒ですが支出は考えなければいけません。

これもまたどこも同じですが、同じお金を使ってもできるだけ皆が満足のいく使い方を心掛けていきたいです。もちろんそればかりでは子供達も家内も当然私も息詰まりますので、ときに贅沢はと思いますが、そのためにお盆や正月やお祭り、記念日などがあって、本当昔の人たちはよく考えたものだと感心させられます。

月蝕が始まる前に家内から散歩に誘われたので、今日は一緒に歩いてきました。他愛もないことを話して、報告や相談をして、何がどうなるかという話ではありませんが、そんな時間が二人の距離を近づけるように感じます。
散歩が終わる頃、夜空に浮かぶまるいお月様をみると、部分的にかげりはじめ、帰って子供達に報告して一緒にみながら、それから定期的に月蝕をみました。
今であれば何ともないでしょうが、昔の人たちはその原理がわからないときはいろいろなことを想像したように思います。不幸の前触れとかいう話もよくききますが、パスカルが残している言葉に

「不幸もしあわせも、いつもその辺りにあふれているけれど、自然の減少に不幸をあてはめればあるたびに不幸が訪れるようにおもうから、しあわせも同じようにいつもあるのだから同じかそれ以上にあてはめれば、悲嘆などにくれることもないのに」

なんていうことがのっていました。正確な文章はまたあとで本から乗せなおしておくことにします。いつも迷いも悲しみもさとりもしあわせも自らのこころにあって、何よりも近いからこころに流されず、こころから最適なよいものをいつだってとれるようにと願う夜です。

次男

 有難いことに本日も仕事は忙しく、ただ私のいたらぬところが目立ち、あらかじめ成されるべき努力がどれほどのものかということが重くのしかかり、帰って晩に時既に遅くまた学ばなければいけません。

 次男坊には冬休みの宿題を何度も催促していましたが、彼の現実は貯蓄上手というか、沢山していない宿題をためていない現実と時間が少ないことが、重く彼にのしかかっています。何度も何度も心配して早くから言っておりましたが、信じることと見誤ることは別物で、私の信じるや行動ではなく見誤ったことが責任です。近くでラストスパートに付き合わなければいけない私や家族が大変です。何やらサザエさん一家の夏休みなどが終わるときと同じようになって、サザエさんは楽しく笑ってみれますが、現実にあると笑っていられない私です。

私が中学時代もそんなに真面目ではなかったので、彼のことを悪みたいには責めれません。ここは開き直り都合の良い棚に私の過去をのせ、彼に接していく夜です。

横で読み進んでいない書を進めながら、わからないところがあれば即座に聞くようにと監視していました。うっかり今日の何かを書きかけのままに気が付き、後ろでわからないところを次男へ教えようとする兄と次男が衝突してやかましく、「教えてもらう方は素直になりなさい」なんて注意しながら、時は待ってくれず宿題はあまり進んでいません。

さて今日一日部活で一日試合に出かけていた彼の体力が持つか、タイムリミットも近いでしょう。明日一日缶詰となることは間違いないです。それでも終わるかどうか・・・

いずれにせよ冬休みが明ければ、テストなどがありますから、彼の普段の行いの結果が出ることも間違いないです。しばらく彼にはいろんなことで引っ張りまわされそうな気配です。

何かへ向かって

 今日はいつもと違う場所で一日仕事となり、昨晩の夜更かしが少しこたえましたが、何事もなく順調に仕事が進み、終わって何よりでした。お正月ですから子供を連れたご家族の方をよく見かけました。
幼子(兄弟姉妹)の無邪気でいて、あどけなく、素直な振舞に、元気だけでなくしあわせになれる気持ちをいただきました。無責任ですが他所の家のお子様は躾とか教育とか初対面でそんな心配をせず、良いところは褒めて、何もしなくてもかわいいから褒めて、悪くても良いところを褒めて次回につなげると褒めてあげてあげれるから最高です。

私も兄弟三人の末っ子で育ちました、うちの末っ子「けいくん」も皆に優しく助け愛情をいただいてばかりですから、割とあまたれて自分勝手なところもあります。よその子も末っ子はあまたれている子がいて、自分勝手に楽しんでいるのを見かけて、またしあわせになりました。

誰かに優しくすること、誰かを愛すること、誰かを助けること、誰かに与えることは、見返りが一見なさそうでも人間として素晴らしい行為の一つです。自分は辛抱しながら弟や妹に与え助ける兄弟姉妹をみて、それがわからず自分勝手に楽しく遊ぶ末っ子、本当最高です。

誰かに向ける笑顔もよいものですが、そこにいる人ではなく何かに向かって自然に出ている笑顔が何よりも素晴らしいものでそれは、なぜか何かではなく近くの誰か達へ素晴らしいものを残していくのだと気づかされました。

とある年末の一日

 いただいた連休の終日、家内も今日から年末と正月のお休みの始まりですが、慌ただしくしていました。一緒に何かすることが好きな人ですから、映画のチケットを手に入れていたものがあり、午前中は今年随分とお世話になった方々へのお礼の品を一緒に買い物へ行きました。
土日祝日ばかりが休みの家内、平日に休みが多い私、いろいろと家内の中では一緒に過ごしたいと思うようですが、仕事はしかたありません。贅沢ばかりは言えません。仕事あっての家庭や生活です。
なので駆け足で家内が思っていたことを一つ一つ進み、午後からは子供達を映画館へ連れて出発しました。何を見るのかは私より子供達が決めた方がいいですから、何にするのかと思えば『スターウォーズ』を観ると楽しそうに言っていたので、久しぶりの私も映画でしたが、ポップコーンの一番大きいものを買ってあげて、子供たち三人仲良く食べていました。なんとどこでも最近そうなのか知らないですが、レシートと食べ終わった箱を持ってくればお変わりが自由とか、あの子達一番大きい箱を食べきり、二回目へ突入、映画が終わって

「映画どうだった」

「楽しかった」

手元を見ると大きなポップコーンの箱が空になっていました。流石に二回目のおかわりは気が引け、映画も終わったので言えませんでした。それから夕食簡単なものを食べて帰ろうと提案、流石にポップコーンを食べすぎた長男と次男は、それほど晩御飯を食べれず、それもまた見てて楽しいものでした。

そういえば私も映画館へ小さい頃「ゴジラ」を見にいって、随分興奮した思い出があります。帰りにゴジラバッジを買って兄弟でしばらくそれをみては映画の思い出に浸ったことを覚えています。
あの子達にとって、映画の思い出というのがどうなるのかはあの子達次第ですが、私にとってはまたいつの間にか忘れてしまうことですが、今日はそれは大切なことだと思いました。普段私はあまり外に出ようと最近しないから余計にかもしれません。

家内と休日があって余裕があれば一緒にどこかへ出かけようと思います。

今宵

 遠く離れたそれぞれの実家の祖父母から子供達はプレゼントをいただき喜び、アイスケーキなるお洒落なものが私の母から子供達へ送られてきて、今宵はケーキと少し趣向が変わったものを美味しくいただきました。

家内は鳥一匹をオーブンで調理して、シェフ自らが切り分けそれもまた美味しくいただきました。

「仏教が多い国なのに、クリスマスを皆で祝ってもねえ」

なんて言いながら子供たちが喜ぶようにいろんなことをしています。私からすれば善い口実は多ければ多いほど有難いからそこは何でも気にしません。気にする人であれば慎めばいいです。私は口実を作りたがる人ですから嬉しいです。

「けいくん」は

「今日はクリスマスだからサンタさんが来るから楽しみ」

そう言って歯磨きを楽しそうにしていました。サンタさんが何であれ誰であれ、プレゼントをもらえればサンタさんが好きになるのは間違いないことです。

いろいろなことを聞いて考え、仕事や家庭で大人は大人であるべきだと私は思います。子供心を忘れないことも大人にとって大切です、無邪気に笑うことも、時に泣くことも、怒ることも、喜ぶことも、黙っていることも、よく喋ることも、その他どれもが大切です。

ただ大人で仕事をしていれば仕事は本当におろそかにできないです。感情に流されることもあっていいと思いますが、それはメリハリがいることで時と場合や頻度は本当に大切だと考えます。


変なことはともかく今年も子供たちに無事にサンタが来たことに感謝です。

何だったのか

 年末、子供たちにとって楽しみであるクリスマスも近づいてきました。サンタさんが何者かはともかく、子供達にとっては幸せの象徴の一つです。

仕事を始めてから子供達のことが万全にできないことが増えたので、お母サンタは早めから子供達へいつものお詫びと感謝としてあの子達それぞれに欲しいものを買ってあげるといってそれぞれに贈り物をしていました。
さて、当日(おとう)サンタは毎回決まった予算で、あの子達の楽しみやしあわせを十二分に満足できる物をあげれるかどうか、思案しています。
ただそんなことを考えながら、長男は上手くいけば来年から高校生になろうとしています。サンタが誰かそれは言わなくてもわかっており、次男も同様です。まだ「けいくん」はサンタさんは魔法を使えるように何でも高いものでも大丈夫と私に笑顔で教えてくれました。
ちょっとあの子に上手い説明が思いつかない私は長男坊へ相談してみました。

「どうやら君の弟は、サンタさんにニンテンドーのスイッチなる高額なるものを欲しいとこころから願っていてだね、私がそんな高いものサンタさんが他の子供達にも全員あげるとしたら大変だから無理じゃないかなーとやんわり行ってみたんだけどさ彼曰く

『おとうさん、サンタさんはね魔法使いみたいなもんだから、そんなのみなに簡単にあげれるんだよ』

と無邪気に満面の笑みで教えてくれたんだよ、幼子の夢を壊すことなく高額なものではないように誘導できる魔法の言葉を貴方私に教えてくれないだろうか」

ちょっと考え込んで彼(長男坊)は

「(はにかみながら、僕には)無理かな」

さて長男と次男の時にどうやってごまかし切ったのか、私はその言葉や方法を忘れています。しばらくお酒を飲んでそれをおもいだしてみることにします。

今年

 残すところ今年もあと僅か、中学生の子供達二人の個人懇談で彼等の一年がどのようなものであったかをそれぞれの先生からお聞きしました。
一つは私の中学生時代と随分学校の考え方などが変わったこと、モンスタペアレンツなる方がやはりおられるということを実例をもってお聞きしました。
私はずっと最初から私の子供の時と同じで先生に全て委ねており、怒られる私の子供たちが悪い。また理不尽なことがあるならばよっぽど以外は団体生活におけるそれを避けるスキルもこれから必須です。何事も経験です。攻める(又は対処できる)すきるがないのなら逃げるスキルを磨けなんてことをよく言い続けていました。

楽しく二人とも今年一年送れていたことを教えてくれ、それぞれ二人の日々の努力がうかがえる報告が聞けて嬉しい時でした。その内容が人と比べて劣っていても、あの子達があの子達なりに改善していこうとする努力をみて、それがさらに結果として反映されていれば何の文句をつけるどころか、私には認めて褒めてあげるしかないです。

ただここで堕落してもいけないので、さらなる自らをたかめる目標をもって進んでいってもらいたいと冗談みたいに(実はかなり本気な)欲張りな願いをおしつけてみます。

明日家内にケーキでも買ってきてもらいあの子達にあげようという晩御飯が終わって話をして、家内は子供達のことも喜んでいましたが何故か自分がケーキを食べることにとらわれる家内をみて、それはそれでいいんだけど体重が気になるので、家内の体型には今後とも継続的な観察をしていくことにします。

いろいろありすぎますが、今日はよいことが聞けました。

なわとび

 師走は前半行事が入っているので、休日も少し不規則で今日お休みとなりました。
家内に言われていたように、家の全ての換気をして、洗濯物を全て干し、家内がいただいてきた棚の少しリフォームをして、それから今日は私が休みということは「けいくん」がきっといつものように、近くのお友達を家に誘うだろうから綺麗にしておきました。

三時過ぎた頃、一人で急いで帰ってきて言うのです。

「おとうさん、今日はお友達が宿題を一緒にやろうっていうから来るけどいい?」

勉強という口実を思いついたのがどちらかわかりませんが、親に宿題を一緒にやるからと言われれば大抵は(変な前例がない限り)l許可される水戸黄門の印籠並みの効力です。すぐに友達を着替えて迎えに行き走って二人でやってきました。

「けいくんのおとうさん、一緒に宿題やります」

うーん素晴らしい言葉です。続いて

「早く終わらせて遊ぼう。今日はなわとびをしよう」

そう言ってゆっくりまったりの「けいくん」と違ってその子はてきぱき宿題を終わらせ待てないから、先に庭に出て縄跳びをしに行きました。

「けいくん、早く終わらせないとお友達まってるよ」

そんなこと言っている間に、外に出ていたけれど一人でつまらないので呼びに戻ってきました。戻ってきても宿題が終わるまでは遊びにいけません。今日はそういうお約束です。
計算問題何かは「けいくん」が解く前に、答えをばんばんお友達が言うから彼は少し困っていましたが、楽しくて仕方ないようです。何故か私も外に呼ばれて、三人で一緒になわとびをすることに、よくわからないことになりましたが、ここは一つ人生の先輩として威厳を保つべく小学校一年生のあの子達よりすごい技をいとも簡単だよという精一杯の強がりでみせつけ、大人の余裕をみせつけました。

縄跳びを二つくくって柱に結べば、二人お入んなさいとできるからと、遊び方を教え、ただ飽きるのが早いのでしばらく笑いあって跳んだあと、家の中で現代っ子はゲームをして遊んでいました。

たまには縄跳びもいいし、やっぱり子供達と無邪気に笑うことは素晴らしいです。

いつの間

 子供たちと私と家内と、つまりは家族全員をよく夕食に招待してくれる有難い方がいます。その時間を気にすることはあまりなかったのですが、私が連れていくようなお店ではないので、そこに行く回数は子供達のそれぞれの言動が思い出となって、初めはまだ「けいくん」が生まれて赤ちゃんの頃で、クーハンの中でミルクしかまだ飲めない頃だからお兄ちゃんや家内や私と友人が美味しくいただいている頃彼はそこの中ですやすやと寝ていました。
あれから「けいくん」は小学生になって、大人に負けないほどよく食べるようになり、よく笑って、よくふざけて、楽しめるような時が過ぎたことを帰ってきて思いました。

同じだけの年数が過ぎていけば、長男が無事に入れていれば大学生になる頃です。それまで皆自分のために自分の中身を鍛える時間をできるだけ増やしてほしいと私は押し付けるように願っています。

家内が仕事を始めるようになって、丸二年が過ぎ、いろいろあることにまだ慣れず、けれど自分なりに前に進もうとして頑張っています。相変わらず根性が悪い人達に囲まれると精神的に随分まいって愚痴もとまらず、それは家内だけでなく仕事を先にしている私だって同じことです。よく笑って、楽しめるようになれば、随分仕事も楽になれますが、それには時間と経験と優しい方が必要となり、求めても求めているときには現れず、思っていないときに現れ、計算ができないことです。

美味しいものをたくさんいただけて、家族皆しあわせなひとときを過ごせました。本当に有難いことです。

今日は何故かお酒があまりのめなくて、帰ってからもあまり飲めないという日でした。(何故だろう・・・)

愚痴

 上手くいかないことが続き、人間関係と呼べるのか、自らのことしか考えない言動を続け、仕事に来ているのに仕事をしない人が近くにいれば、真面目で不器用な家内はそのことを上手に処理できず、抱えてこなくてよいものを山ほど抱えて帰ってきます。

私は今日もお休みをいただいていたので、掃除洗濯晩御飯や子供達の面倒をみる日で、ちょうどそれは昔からの日本の家庭における役割が逆転している日が最近はあるようになりました。それはそれで私は良いことだと思います。そこに存在するひとが存在していることを行うだけです。

中間試験が終わった子供達二人の話を聞いたり、末っ子の「けいくん」の宿題やそろそろ学校で硬筆の試験があるので字を練習させたり、食事の用意と片付けが終われば子供たちの宿題を余裕をもって見ることができるというのは仕事をしている日に私はそんなゆとりの心がなく、イライラして子供たちのことを歯牙にもかけない態度をとっているので、休日の恩恵に感謝です。

「知恵が病にかかれば愚痴となる」有名な方の書物にそう書いてあり、納得させられましたが、愚痴がとまらない人にそんなことを言っても何にもならず、さらに愚痴が出てくることになりかねません。
私はその愚痴から逃げるように家の中のことと子供たちのことに時間を割いていた、逃げている私がそこにいたというだけです。

つい正論を言ってそこで問題を終わらせようとするのはいつもの私の悪い習慣で、相手にとってはただ頷いて聞いてくれるだけでよいという簡単なことが私には最大の問題となっていることばかりです。

外では雨模様、悪いことよくないことなどは全て雨が洗い流してくれればと願う夜です。

とある雨の日

 十月十七日 (火) 秋雨前線の影響による降り続く雨

 お休みをいただいて、朝から仕事に行く家内と学校へ行く子供達の賑やかな声で起きるつもりはないのに、賑やかすぎて起きることになり、ついでにゴミを出し、「けいくん」はどうやら貯蓄上手で学校へ雨が降っているというのに三本も自分の傘を置いてきたので、雨なのに傘がないのは困りますから、眠い目をこすって学校へ車で送っていき、燃えるごみを出すことからはじまりました。

それからぼーっとして、溜まっている洗濯を一回分仕掛け、こまごましたことをやりかけましたが寝ぼけていたので、それから誰もいないことをいいことに、ベッドへもぐりこみ静かな時間を満喫しました。寝るにも静かな環境が必要です。
昼過ぎに起きて、申し訳ないように洗濯物をたたんだり、乾燥機にかけたり、洗い物をしたり、大体の部屋を掃除器をかけて、また洗濯をして、主婦が見るような番組を見ながら洗濯物を干して、そんなことをしている間に夕方になり「けいくん」が友達と一緒に帰ってきました。何故かランドセルを背負っておらず、どうやら友達の家にランドセルを置いて帰ってきたようです。
「友達と一緒にランドセル取ってきて、また家に遊びにきて」
二人は仲良くランドセルを取りに行きました。するとチャイムがなり早い帰宅だと思えば、ランドセルを置いてきていたその子のお兄ちゃんがランドセルや水筒を届けてに来てくれました。丁重にお礼を述べ、今度は「けいくん」と友達が帰ってきて上がって遊ぶように言うと楽しそうにしていました。
玄関がまた音がすると思えば、中間試験前だから部活もないので兄二人が帰ってきて何やら賑やかになりました。人が増えたので安心して晩御飯の買い出しに行き、晩御飯の支度、人が来るのはよいことです。
誰も寄り付かない家なんて、静かでいいかもしれませんが子供達がいるのなら友達が来てくれるのは、私にとって嬉しいことです。
勉強もしなければいけないけれど、友達と遊ぶ時間が多ければ多いほど思い出ができます。ただ遊ぶだけでは私みたいに愚かというかおバカになってしまうので、何事もバランスよく、ほどほどです。
お腹一杯家族が食べて、自分たちのために時間を使う。何事かあってからではなくあらかじめ自分達のために時間を使ってほしいです。

怒るのは私や家内の仕事で、兄二人と「けいくん」には相手に優しくする担当であってねといつも言います。

もっとも子供達に理想は理想です。けれど私がいる時くらいはいろいろと手助けするから理想に向けて自分達を自分で使ってほしいです。

まっすぐ帰る

 「けいくん」は小学校に入ってから、最近は特に大好きな男友達ができました。その子のことを話すときはいつも笑顔です。今日何して遊んだとか、明日は何して遊ぶんだとか、今度一緒になにかするんだとか、笑顔が輝いています。
けれど、どこの家にもハウスルールがあって遊びに行き過ぎれば、(両親家族が)用事ができないこともあるし、いつでもどうぞという家庭は少ないです。当然私の家も家内が「今日は遊びに行っちゃだめよ」とか「今日は遊びに連れてきてはいけませんよ」などの連絡という、命令があの子の上にも降りてきます。

大好きな友達も遊びに行ってはダメといわれ、私はその辺りは寛容なので「友達私がいるときはいつでも呼んでいいよ」そうあの子に言いますが、相手が遊びに行ってはいけないと言われていれば、仲の良い友達が考えることは一つです。
「隠れて遊びに行く」
今日の「けいくん」には「お父さん今日休みだから待ってるから早く帰ってきてね」そう伝えました。けれど下校時間になっても帰ってきません。無頓着な私はあまり気にせず、晩御飯の支度をしていました。割と時間が経って「けいくん」が急いで帰ってきました。

「友達が待ってるからすぐに出かけないと」

「そう、車に気を付けていってらっしゃい」

友達と遊ぶことは悪いことではないです。まして小学に上がったばかりならなおさらです。けれど家庭の事情はどこにもあります。それは大人の事情ですからどこにでも私にもありますので、誰も悪くも責めれもしません。
割と遅くまで遊んで帰ってきました。雰囲気は遊んできたことをすまないという雰囲気を持っていました。私も子供のころ道草をくって、真っ直ぐ帰ることなんてまれなほうでした。今は時代も変わり子供たちも真面目な子供たちが多いです。

子供は子供です。

遊ぶことが罪になるわけはないのですが、家庭の事情に左右されます。それも致し方のないことです。けれどあの子には友達と笑って遊ぶことを必要以上に止めたり怒ったりというのは考えさせられます。

あの子をみていて(私はあの子の何十倍か好き放題していましたから)、私が兄弟や母親に心配をよくかけていたんだということを教えてくれました。
だからと言って謝るなんてことは今更しませんが・・・、その分やるときはやる、遊ぶときには遊ぶ、抜くときは抜く、いろんなことを彼と楽しんでいきたいと思う日でした。

証明

子供達(上の二人の兄)と約束をしており、いつも忙しいことを言い訳に破ってばかりのことではいけませんので、仕事が終わって二人を連れていってきました。

長男と次男は部活で同じスポーツをしています。もうそろそろ四国大会に偶然選ばれた次男のために長男を練習相手にと、二人の真剣勝負と練習を二時間半ほど眺めて帰ってきました。
長男が中学三年間、あれほどいやだいやだと言いながらも真面目に続けていたことが理解できました。次男はせっかく選ばれたのにもう少しというか、自らの得意分野でしっかり勝負してもらいたいなんて欲張りな思いをぶつけて帰ってきました。

約束はまだ残っており、また忘れないように、長男と事前に相談をして次に望みたいと思います。

(仕事終わりにだったので疲れてここは進まないと酔っぱらいは言い訳をしておきます)

お月様

 偶然今日は私は仕事が休日をいただき、十何年ぶりに仕事を始めた家内はまだ仕事や人間関係にいっぱいいっぱいで、それはいろんなところへしわ寄せが来ます。
結果で言うと私の収入が多ければ家内を働かせず、家事と育児にいそしんでもらいたいですがそれは現在では最高の贅沢であるし、現在とこれからのことを考えるまでもなく働かなければいけません。

いつもなら家内は9月に月見の用意をしていました。今年は遅れて今日私がススキを取りに行って、洗濯・掃除・晩御飯と明日の朝食の段取りを済ませ、美味しく皆で晩御飯をいただいたあと、縁側のない我が家ですから、ちょうど玄関をでると目の前にまん丸のお月様が浮かんでいたので、そのまま外にススキを花瓶にいけて外に飾り、団子を家内と子供たちが楽しそうに作ってくれていました。

お月様をみながら、だんごとススキを供えて、皆で団子にアイスをかけて外で食べる夜となりました。

私も仕事を始めてから、人間関係・仕事の問題・その他様々な問題が大きくなれば大きくなるほど、家のことや細かいことはおろそかどころか、顧みることも考えることも、ありのままにみつめることもできていませんでした。
やはり私が仕事を始めた年数は先輩ですから、家内が仕事でいっぱいならこちらが気が付いた時くらいは、何かしなければ私の存在なんてあってないどころの騒ぎではないです。

曇っていましたが、お月様はまるく輝いていました。

外はもう風が冷たく、「けいくん」を上着の中に入れながら一緒に座って団子を食べて眺めました。家内は子供たちに

「大人になったら自分の子供たちと、一緒にお月見してね」

そうお願いしていました。


遠くから太鼓の音がかすかに聞こえ、一層お月様が綺麗に思えました。

おでかけ

 昨日の台風も夕方には乗っているバイク(原付)で帰宅時には、吹き飛ばされそうになり、久しぶりに祝日に休日で家族がそろいましたから、家内は皆でお出かけすることを楽しみにしているようでしたから、あまりお金のかからない砂浜と海を見にいくことにしました。

ずっと子供たちはこの三連休家のなかだったので、皆(家族五人)連れ出して、ドリンクだけは先に買って、いくら快晴といっても台風の翌日ですから、人が少ないかと思えば、まだ少し波が高いことを目当てにサーファーの方たちが目につき、確かにいつもより激しい海でいつもと違う砂浜と波が見え、しばらく打ち寄せる高い波のしぶきと海風をこれもまた久しぶりに波打ち際でしばらく立ちその感触を、海というより波と風と砂と青い空がなんとも言えず、いいものだと思ってしまいました。
長男と次男は最初おとなしかったものの、段々とエスカレートしていき、半ズボンの裾が最初濡れただけであったのに、次見たときにはズボンが随分濡れていて、その次には高い波が来るたびに波にぶつかって遊んで、着替えもないのに二人とも波を満喫して、その楽しさにあてられたのか、「けいくん」も波打ち際で低い波を体全体で受け止め楽しんでいました。

着替えのこととか、タオルのこととか、帰りはどうするんだとか、楽しければどうでもいい三人を見て随分笑いました。帰りは車中にあったタオルを巻き付け、裸の子三人を隠しながら家につき、夕方が近づいていました。楽しいこと、よいことだけであれば本当誰もが何も言うことはないです。

 まだ何やらいろいろと続きそうなので、そこに目や意識が向けば、晴れた海とは反対印象で塗りこめられそうな感じがします。

質問

 私は自分のこと自分の過去のことを都合のよい棚にあげ、子供たちに自分の後悔が多いから、必要以上に願うことがあります。

その代表的なものの一つ

「試験が終わってから、もっと勉強しておけばよかった」

「希望通りの進路に進むことができなくて、もっとああしておけばよかった」

「真面目に人より先に頑張って、自分の道を進んでいる方を見て、同じ時に怠けすぎた過去を悔やむ」

要約しますと世間であまり言っても効き目がなく逆効果である短絡的な私が言い放つ、ちゃんとやることやりなさい、つまりは

「勉強しなさい」

となっています。これが逆効果となることも多く、言われて爆発的に意欲もわきません。よいことを思いつかなければその本人たちへ聞いてみました。まずは次男坊から

私「ねね、お父さんさ、ちょっと質問があるんだけど

あなたは、どんな時に『おれ勉強する』ってなるかな」

次男「(照れながら)そんな時ないよ」

どうやら照れ屋だからあるんでしょうけれど、真実を教えてくれません。仕方ないのでもう一度真摯に問うてみました。

私「本当のところ、あるでしょ。『オレ今めっちゃ勉強したい気分だ』って時、お父さん是非今後は参考にしたいし協力するから、あるでしょ教えて」

次男「(笑いながら)ないよー」

本当日本人らしく慎ましやかで本音を語らないところがある子です。仕方ないので隣にいた「けいくん」小1の三男へ聞いてみました。

私「けいくんはどんな時が、勉強したいなんて思うの」

けいくん「(照れながら)えっとね、むずかしいテストで99点とかとったときは、勉強したいっておもうかな」

私「へーそうなんだ、ちょっと条件揃えるの難しいねえ」

高校の受験が近くなってきた、長男へたずねてみました。

私「あなたはどんな時が、勉強したいなんて思うの、真剣に参考にするので教えてね」

長男「えー、そんな時ないよ」

本当に「けいくん」以外は照れ屋で本当のことを教えてくれません。よって長男へ指令をだしておきました。普通の子や賢そうな子に「どんな時に勉強したいって思う」その答えを複数集めてくるように、きっとお父さんやあなた達の中の誰かにそれは役に立つかもしれないから。

馬鹿なことを言って、現実の問題から私は気分転換をしますが、現実に変えれば考えなければならないことが山積みです。

虫かご

 子供は虫や昆虫が好きです(そりゃ気持ち悪いのとか例外はありますよ)。

小学生になった「けいくん」もこの時期大きい声で鳴き続けるセミを捕まえたいと走り回ったり、男のですからカブトムシやクワガタムシだって好きです。身近ならバッタも好きだし、テントウムシも大好きだし、好奇心旺盛で元気な子供です。

先日家内の実家へ子供達と家内は里帰りしており、その際お土産として、使用感のある緑の虫かごをもらって喜び帰ってきました。私としては虫かごに虫を子供が入れると、大抵虫かごから出るときは生命が尽きているときです。
けれど虫かごを楽しみに持つ彼をみていると、何か気に入ったものを入れなければ知らないところで何か変なものを入れて帰ってきそうな気配がしました。

家内とウォーキングへ夜に行っていると、家内が珍しく足を止めて地面を眺めていました。

「どうしたの」

「大きなバッタがいる」

「ああ、その種類のバッタこないだけいくんに捕まえて渡した。死なせるのも可哀そうだから逃がしてあげてねとお願いしたら、逃がしに行ってたよ」

「ついでの買い物が終わるまでそこにいたら、明日逃がすまで虫かごに入れてあげるか」

割と明日のお弁当や夕食の食材などを買うのに時間はかかっていましたが、暗いせいかバッタはしっかりそこで待っていました。
早速さっと捕まえて、「けいくん」に

「ほら、虫かごに入れるバッタ捕まえてきたよ、大物だよ」

体長7センチから8センチ、この時期だからショウリョウバッタだと思います。ふと今頃はお盆だし、精霊のショウリョウとかけてあるのかなと調べずに思いつくまま書いてみます。

「明日死ぬ前に逃がしてあげるんだよ、それと食べそうな葉っぱも入れといて上げて」

「わかった」

次男と二人で、ライトを照らしながらバッタの為に葉っぱを何枚も取って帰ってきました。


明日になって死んでないようにと願います。

夏のとある休日

 有難くお休みをいただいていました。この時期は夏休みですから、三人の子供たちが家にいます。家内が仕事に出かける前に

「お父さんがいる時にしかできないこと(難しい宿題など)みんなそうしたら」

ということで、朝早くから「けいくん」の自由研究に取り掛かり、「ありが何のエサによく集まるか」という研究を日差しを浴びながら、写真を撮ったり、バッタをとってみたり、蝶を捕まえようとしたり、その合間にどれだけ集まったか観察して記録しました。
その後は二人の兄たちへ宿題・手伝いなどの指示をして、家の中にいたら電化製品に偏りますので、庭に随分空気入れが小さくて空気を入れるのに時間がかかりましたが、無事プールを用意して、「けいくん」専用として入ってもらいました。
暑さと青空と少し風があり、快適に遊んでいました。一人だとやはり寂しいらしく何度も

「おとうさーん」

そう言って少しのことでも報告したり呼んできますから、私も観念して水着と麦わら帽子を出し、しばらくプールに付き合いました。
一緒に小さい小さいプールに入って、寝そべって、風と青い空と鳥と水の心地よい冷たさのなかで時を過ごしました。
ここのところいろいろあるから、こういうことがどれだけ有難いことだと思えるかという有難いことに気が付かされ、少し心が軽く、凝り固まり狭くなった心がひろくなったように感じました。

自由研究ではしゃぐ「けいくん」は蝉を捕まえようとしたり、蝶をと動き回っていましたが、蝉時雨、トンボが飛び、バッタがいて、ミツバチがいて、ハトが鳴き、アリがどのようなエサに集まりやすいかの研究の過程でも、虫と自然と青空と暑さ、本当あたりまえのことをみてあたりまえにとれていない私をみる日でした。

「けいくん」は喜んでいました。

私も慣れないことで疲れましたが、喜ばしいことでした。

夏休み

 中学・小学生の子供達三人の夏休みが始まりました。子供が学校に通っていれば学校行事はつきものです。
三者面談・個人懇談が三人いれば三人分、さっそく次男と「けいくん(三男)」の面談・懇談に行ってまいりました。子供達は成長していて学校での違う一面をそれぞれの先生方教えてくれました。家の中での面倒は私と家内がしっかりみて、学校内では担当の先生方にお任せするほかありません。宜しくお願いしますと何度もお願いしてきました。

三人の子供達、それぞれ得意分野が違い、苦手分野も違い、個性も三者三様、本当に違って楽しいことも多いですが、いろいろと親としては考えさせられることも多いです。

私が苦手な相手の素晴らしいことを認めそれを伝え、善いものは善いものだと嘘偽りなく真摯にお伝えすること、この作業が何度も言いますが私は苦手です、ひねくれた表現になっていたり、やっかみが入ったり、およそ私の悪いくだらない要素が混じれば皮肉なものとなり、相手を褒めるどころかけなすようにとられてしまいます。私自身の責任です。

「善いものは善い、普通のものは普通、悪いものは悪い。」

客観的に他に何人もが聞いていて問題のない、あの子達にそんな私の言葉をどれだけ伝えれるか


今日の酔っぱらいは、自分の為にあの子達の為に家内の為に、家族が関わりあう他の方達のためにも、いろいろと試行錯誤しながらやっていくのです。