(自らへの)戒め

 誰かがよく騒いでいることを見かける。何故騒いでいるのかと思えばどうも揚げ足をとろうとして重箱の隅をつついている。騒ぐ誰かは問題だ。ただ重箱の隅をつつかれる人を皆の話を聞いていれば若いせいか問題はある。ちょっとのことでも騒ぐから、おかしいから、どうもそれだけでもない。騒ぐ人以外の話や実際にその人がしていることを見ていれば問題がないとは言えない。

誰かが騒ぐだけで人を激しく注意しない人だっている。実際に自分の目で見て問題が多いことを自らが傷つくことを覚悟で厳しくいう人も稀にいる。いつも大切なことを伝えてくれることを目を背けたり誰かのせいにして問題をそらし反映させない。変な優しさでごまかせば、やがては自分に返ってくるだろう。身近な人が言うことも気にしなくていい。他人が言うことなのだから、問題の本質から目を背け続けるといい。背負えないものは背負わない方がいい。ただ一つの問題だけであのいつも優しい人が他人へ怒り注意することはない。今までの行いが目に余るのだろう。
わからないなら聞けばいいと言う。何がよいか悪いかどうなのかがわからなければいつもいるのだから聞けばいい。
他人が(自らを)悪く思われても激しく注意することを気にしなくていいなら、そのうちそんな人には地位・名誉・財産に頭を下げる人だけが近くに残るだろう。誰が身を削って注意することをおろそかにするものに真剣にこれから相手にするのか、それもまた誰かと何かのせいにして正確な判断や大事なことの決断を先延ばしにするなら、何も気にしなくていい。

他人のことはさておき私は

オイ コラッ(それはだめでしょう)」

と正しい知恵をもって示される(不動尊の如き)方がいれば、こちらも正しく受け止めたい。



いつだって誰かと何かのせいにして目を背け逃げ続ける姿を私自身にも子供達にもあまり見せたくない。
スポンサーサイト