本日は仕事、ただ普段の机の前での作業ばかりではなく、車で送り迎えが何度か入り、散った春の花の後に萌えるような若葉が鮮やかで、日の光を受けさらに眩しく見えました。

職場は三方を山に囲まれその前に通る道路も山沿いに走っていますから、生い茂る緑をみながら「ホーホケキョ」と美しい声が聞こえ、ただその緑を食としている幼虫が山から糸を垂れ出てきており、車窓・屋根・道端・壁に沢山みえました。

ちょうど送って帰ろうと信号でとまれば、斜め前に一羽のスズメが下りてきて止まりました。鳥は愛らしい容姿と雰囲気だと私は思います(例外はあります)。

ちょんちょん地面を跳ねて誰かはそこに何かをみて(私は両親が健在で有難いです)

「われときて あそべやおやの ないすずめ」

元の解釈はともかく、一羽のスズメがチョンチョン跳ねていたら、そんな句を思い出します。

スズメが何かを咥えていました。沢山いる幼虫を食べていました。続いてもう一度幼虫をついばみ飛び去って行きました。あれだけいる幼虫が全て成虫になったらそれはそれで困ったことだなんてあの幼虫が何の成虫になるのかはとんと調べる気もおきず、鳥の声と若葉にこころをもっていかれていました。

言葉に善悪があるのではなく、使う人のこころの善悪が言葉についていけば、善や悪として出現していくだけのことで、ただ「字面のみ」を見てあげあしをとるために見るのであれば、そのような方は正しい言葉を出してくれる機械の言葉を見るしかないのかもしれない。なんて意地が悪いことを考える私です。

だから同じ言葉だとしても、「あの方が言えば素晴らしくなるし、違う方が言えば何故かそう思えない」なんてことがよくあるのだなと思います。


蓮もいくつも葉が出てきています。今年も楽しみにしています。
スポンサーサイト

十年先を

 ここ(今いる職場)へきて当初もしばらくも美しいものを美しいと観るというこころがあるのに最近まで無い同然の日常であることばかりでした。

桜・桃・木蓮・秋桜・チューリップ・芍薬・牡丹・菜の花・水仙・名前はあるのに私の頭の中に名がない花など、理由はわかりません。ただ何年か前から職場の正面に左右に咲く桜(ソメイヨシノかな)を美しいと思うようになり、それから何本かの竹の間に咲く桜色の(西洋)石楠花にも美しいと思えるこころに気づかせてもらい、花をみて人をみて景色をみて、広大無辺な空を見て、果てしない海岸の砂場をみて、流れゆく雲に同じ形が一つもないことをみて、何かをみてそれが美しいと思えることが増えていくように今は感じます。

だからといって美しいものだけが増えているというわけではないです。見たくないこと触れたくないこと考えられないような悪いこと、そんなことにだって生きていれば誰だって出くわすことはあり、嫌で望んでいなくて悪すぎるものが理解できるからこそ、その分の幅だけ美しいものが一つずつ自分に寄り添っていくのではないかと考えています。

他人のことをあれこれという私なんて、誰かから見れば「貴方がそれを言う資格が(貴方の普段だってその方と大差ないのではないか)あるだろうか」なんてことばかりでしょう。

それでも、美しいことにはこころが喜び、悪いことであればこころが嘆きます。いつもの如く困った私です。

今日は年々成長してその枝葉に美しい桜色の花をつけ見る人のこころやその日を喜ばせてくれる(西洋)石楠花と同じものを彼は5つ植えていました。

彼は願っています。

「一年先を思いては花を植え、十年先を思いては木を植え、百年先を思いては人を育てよう」

私は蓮の花を植え可愛がっています。一年先を思いてまだ見ぬ今年咲くであろうあの花を見ています。

彼は石楠花を見てこころが満たされています。十年先を思いてまだ見ぬあの数えきれない位の石楠花の花をみているのでしょう。


私自身ができていないのに、他人にはいつも大きな夢や理想や成長などをおしつけるかのごとく願います。


私はただの絵に描いた餅をみているだけです。


百年先(私は生きていないでしょう)けれど、何であれ笑っている人やしあわせや美しく思えるもののために何かしたいと願うのです。

こっち

 外で仕事をしていないため、私の仕事は天候によって影響を受けにくい日々を送っています。

ただ今日は曇りがちではじまり、晴れかと思えば雨、雨かと思えば曇り、雨かと思えば晴れ、晴れかと思えば曇りや雨と少し強い風でした。

(敷地内の)少し離れた場所へ書類を届けに、何度か往復していた時の天気はそのようなものでした。三時頃、離れた場所から内線が、何の用事だろう・急用かそれとも何かあったのかと電話をとれば

「虹がでてる」

そんなお知らせでした。ひと段落つきたかった私は、

「どこに出ています」

「こっち」

「いや、電話でこっちって言われてもわからないんですけど」

「ごめんなさい、前にある道の向こう側」

私がいつもいる場所から外に出て、空を見上げても山と曇り空しか見えず、まあ折角外に出たんだから、雨も少しぱらついていましたが、虹を探すことに、離れた電話のかかってきた場所へ探しながら到着、すると電話をかけてきた方が

「ほら虹、さっきより大分無くなってるけれど」

空をみれば、虹が半円じょうでなはく、かじって少なくなったバームクーヘンの残りくらいの虹が空の下のあたりにかかっていました。

「本当だ。あっちではみえなかったけれど、こっちでは見えるね」

「そうでしょう。こっちでしょ」



案外「こっち」という言葉も正しいんだなと、一人納得して雨が少し降る中を戻りました。