桜桃の候

 今日も忙しい日で、気が付けばもう昼もかなり過ぎ、落ち着くことができたので気分転換に初めて蓮の植え替えを試みました。
越冬しているはずの蓮の鉢を掘り起こしいつもお世話になっているおじさんにいただいた大きめの鉢へ移し替えて、さてこれからどうなることやらあれで大丈夫かどうか、もう少し土を足して後は様子を見ることにします。

今回植え替えた蓮は一昨年種から育て初め一年目は咲かず、二年目に美しい薄紅の花を咲かせ私は一人喜んでいました。(ここのブログのプロフィール画像の蓮です)

ただ一昨年咲いた蓮は昨年咲かず、寂しく思っていましたが違う蓮が咲いたので安堵しました。今年の為に少し手入れをしてみようと思います以前に咲いた蓮の鉢を大きなものに植え替える計画をしています。

今は桜が咲き、職場への道路脇では桃が咲き乱れ美しく、花粉症でなければ外でお弁当を食べながら一杯なんて、今度蓮が沢山咲くようになったら、それを祝して一杯やらねばという夢を見ています。
何が報われ何が無駄になるか、そんなことを考えて何もしないより、蓮に力を入れてみたり学びに力を入れてみたり、その他にも何になるかわかりませんができることを増やし、無駄になった時には笑っていたいです。

明日は休日をいただけたので、春休みの子供達と一日過ごすことになりますから、あの子達の勉強や家事・手伝い・遊びなどに随分時間を割かねば父親としての私の務めですから、ただ全て忘れて一緒に遊び呆けて家内に怒られるという手もあります。

どれにしても楽しそうです。

蓮が無事に根付き、美しい花を咲かせてくれることを夢見ています。
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薄紅の蓮華

 慌ただしくつまりは忙しい日でした。午前中かなり強い雨が降り、休日に個人的な行事が無事いけるのか心配していました。
ただ雨が強い中、育てていた蓮が開きかけていたことを思い出し、傘をさし写真を撮りに行きました。
今日つぼみから開きかけており、明日はきれいに開くでしょう。予想通り燃えるような生命の赤(薄紅)色でした。雨の中何枚も写真に収め、昼過ぎて忙しすぎて息詰まって気分転換に写真に収め、パソコンのデスクトップ画面へ。

明日もまた忙しいのだろうと思います。ただ明日には綺麗な華を咲かせているでしょう。

その華の本来持っている美しさを害わず、写真に収めれたら、プロフィール画像をまた変更しようと思っています。本当は贅沢な夢を見てて、何にも染まらぬ純白の蓮華を願っていました。今植えている花ハスは全部赤系なのかもしれません。まだ咲いていない蓮の鉢が二鉢あります。それが一体いつ何色の蓮を咲かせるのか。来年こそあらかじめなされるべき努力で美しい華をすべての鉢にみたいなんて欲張りな願いを持っています。

ちょうど咲いた蓮は種から植えて3年かかって咲きました。私の知識と準備と努力不足で時間を大幅にかかってしまいました。少しずつ慣れていこうと思います。

「念ずれば花開く」      (坂村真民)


本当にそのとおりです。実際結果が出ていないから花が咲いてないというわけではないと最近は思います。目的が達成できていなくても、その道のりが清らかで美しくできるだけのことをしているのなら、既に花開いているなんて私は思います。

おかしなことをいつも私は言います。

何色

 近くや通りがかるレンコン畑には、白や赤(桃というかピンク)の蓮が咲いているのを見かけます。私が育てている花ハスはレンコンと違い大型ではなく中型やまだ育成が上手くいっていないので小型です。恥ずかしい話、食用のレンコンが蓮の華を付けるものと気が付いたのは大人になってからです。レンコンはレンコンだと思っていました。漢字で書けば蓮根と気にしたことがないという。

植えて放っておきすぎると蓮に虫がつき、水草もどこからその種が来たのか生えすぎたりするので、気分転換として水をあげたり虫を水流で押し流してとり、水草もとり、肥料も時折あげて、水をはじく蓮の葉をみて「ふふふ」と思ったりします。

昨年美しい華をつけてくれた鉢、今年もまた咲いてくれるのか、私だけでなくそれを見た人達も期待しているようです。8月に入って開花したのでおそらく今年もその頃であるように思います。
少し離れた場所に置いて育てていたところを見に行けば、ひときわ高く抜きんでた細いけれど蕾が目に飛び込んできました。あの鉢は植えてから3年目でしょうか、嬉しくて知っている方に話そうと思う前に話していました。それが確か二日前でした。
今日また確かめに行くと、蕾が少し膨らんできていました。あと一週間か二週間以内に咲きそうです。今のところあの華は燃えるような生命の赤を象徴するような華が咲きそうな気がします。ずっと何にも染まらない白の蓮を見たいとも思っています。
予想が外れても当たっても、どちらでも今は楽しみです。この調子で残りの鉢も華を付けてくれることを願い、無事咲いてくれれば加工してプロフィール画像を久しぶりに更新しようなんて計画を立てています。

出来るだけのことはする予定にしていますが、自らの中に作りすぎないように


夏の夜に 冷えた水割りの ウイスキー

明日仕事ですが、酔っぱらうことにします(いつもじゃないのそれなんてことは見ないようにします)。

持って捨てすぎ

 一昨年、種から気分的に育て始めた蓮。昨年は七鉢あるなかからといってもその中の二鉢はレンコンとして食べられる蓮の種と残りは花蓮の種を発芽させ、二年目(昨年)の夏、鮮やかな薄紅の蓮が一輪咲きました。(プロフィール画像はその画像を加工して小さくしたもの)

花は永遠に咲かないものです。やがて枯れてしまい、その代わり種を育てる花托が大きくなり、後に「はちす」と呼ばれる部分が出来上がってきます。無事に種が取れた後、私がいつも仕事をしている机の右上にしっかり乾燥させて干からびた状態のその蓮はずっと飾っています。あれから咲いた夏の後、秋がきて、冬が来て、今春です。

どうやら無事に越冬できた蓮の根、鉢の幾つから、芽が何本も出てきていました。

これまた無精の私の出番で忙しいことを言い訳に植え替えをすることを忘れており、植え替えの時肥料をと思っていたことも忘れて、急いでまにあわせにほんの少し手入れして肥料を少しあげて春までの間に木々から落ちていた枝や水草を取り除いていると、一鉢の中にヤゴがかなり成長していました。そういえば蓮の花や葉の上によくトンボが止まって、蓮が好きなんだなと思っていましたが、蓮が育つ環境が好きな(自らにも適している)のですね。

予算が出れば見栄えの良い蓮の容器と新たに土を購入したいところです。

持っていなければ何でもお金で解決できやすい世の中で便利、あまりそれのない場合は解決できにくいことも多いとか、もう少し調べて手段を探してみることにします。

先日とんでもないクレームを目前で私の知っている方へ激しく発しておられました。それを一つも受け取らずさらりと流しておられましたが、クレームを言う方の発言内容は支離滅裂ではありましたが、「私に感謝しなければいけない」と滅茶苦茶なことを言う中で印象に残りました。

よく感謝を忘れる言動の私です。誰であれ何か教えていただいたり助けてもらっているのですから、感謝を忘れないようにと今日の反省とします。

サルとトンボ

 昨日は一日中外出していました。蓮を見ることが出来ずただもうそろそろ咲くのではと、その時)近くにいた友人へ

「咲くかもしれないので、咲いたときには写真を撮ってもらえると助かります」

「わかりました」

咲き始めの写真を撮ってくれていました。今朝いつものように見れば一際高く抜きんでて紅く美しい華をひらかせ、緑の風景の中で華だけ色がついてみえるようでした。

またそのたのんだ夕方にはニホンザルの一群が辺りをうろついていましたので、サルが悪さをして折ったりしないかと心配していました。何事もなくてよかったです(あのサルたちを疑って悪かったと思います。)

周囲の方も種から少しずつ大きくなって、二年程私が何をしているのかを見ている人たちは本当に花をみて楽しみ喜んでくれたことが嬉しく、今度は白くけがれのない蓮を咲かせてみたいと考えています。


花蓮(ハナハス)の種の内の一つから咲きましたが、いろんな種のミックスを買った中の一つから紅蓮、品種が何か後で詳しく調べてみようと思います。次はミックスではなく今鉢に立ち葉だけしか出ていない蓮も来年は花が咲くようにしっかり手を入れていき、品種をみて種を購入しようと計画しています。

本当気がつけば欲張りです。

いつもお世話になるおじさんに言われました。

「よかったな種から咲いて、値打ちもんだよ、新聞に撮影に来てもらわないと」

いやそれ大袈裟だけど、真剣にいわれているから心が温かくなりました。新聞社には言えないけどねおじさん。

あの蓮の美しさを言葉にしようと、今日一日考えていたのですが、本当に鮮やかで美しい紅色で、何度も何度も目を奪われました。

あのつぼみのときから、とまっていたトンボは蓮が咲いてもその上によくとまっています。近くのお世話になる方が

「あのトンボは、あなたと同じであの蓮が大好きなんだね」

そんなことを言っていました。あの紅い蓮の花びらにとまるトンボはほとけに憧れる菩薩だと思います。私も同じことを思っています。

そろそろ

 夏休み中の子供達は暇があれば何かして遊びたそううです。家内が実家の近くのお参りに連れて行こうと計画していたのですが、実家の子供が熱をだしてしまい、計画は断念。

 うまく事情が呑み込めない「けいくん(三男坊)」はしばらく残念そうでした。楽しみはまた今度です。

子供の頃の夏の気温や詳細は忘れてしまいましたが、熱中症で亡くなる人が多いとそんなに聞かなかったように思います。「けいくん(5歳)」が大人になって無事結婚ができたとして、子供を授かればその時夏の気温はどうなってるのだろうか、年金システムと同じくらい不安に思うことがあります。突然話は変わります。

無事に蓮の華のつぼみは日に日に大きくなっています。レンコンの種と花蓮の種を植えています。見たところ大きさといいあれは花蓮がつぼみをつけたようです。

初めは何色でもいい、花が咲いてくれればそれだけで嬉しくなると思っていました。植えはじめて一年、無事越冬したレンコンの蓮から次の年は花蓮とも植え始めました。栽培を何気なくはじめて二年目になります。寒い冬を越して、春にはどの鉢も芽をだしてくれました。ただ私の蓮の栽培準備・知識・経験不足によって、なかなか大きくならず、小さく可愛らしい立ち葉と浮き葉ばかりでした。

その中で割と茎の大きい一株の蓮が出てきました。ただこの蓮の鉢は立派な立ち葉がでてくるだけで花の茎は今日もでてきていませんでした。前年より少しは太くなったけれどまだ可愛らしい蓮たちの中から、葉ではない茎を見つけたとき心躍り、近くにいる人にわけのわからないことを言っていました。本当ただの自己満足です。

最近大きくなって咲きそうなくらいになった蓮のつぼみは、どの葉より抜きんでて高く成長し、少し紫がかった赤いつぼみを見つけて喜ぶ人が増えて来ました。

本当今年は花が咲かないと半ば諦めていましたが、毎日見ることが楽しみです。


どんどん大きくなるにつれて、そこへ決まった青っぽいトンボが蓮のつぼみに気がつけばとまっています。毎日成長をデジカメに収めていますがはじめはそのいつもとまるトンボは私が来たら逃げていました。段々と近寄ってもそのトンボは逃げず、もし飛んだとしてすぐにそのつぼみに戻って止まっています。

日中よく見ていれば、そこを気に入って蓮のつぼみに頻繁にとまっています。仏様は蓮華の上におられます。

「あのトンボも仏になりたいと憧れるあまり、近寄ってもすぐそこへ戻ってきているのではないかな」

一緒に見ていた友人にそう言っていました。誰もが憧れるものです。観音様や仏のように慈悲と知恵にあふれる自分自身、あのトンボに自らを重ね、そう言っていただけかもしれません。

もうそろそろ、あの蓮は咲きそうです。

今の予想では赤い蓮ですが、欲張りなわたしはなにものにも汚されない、純白の白蓮華を見たいと欲張りになっていました。


来年にはあの鉢に二つ以上咲く、美しくなにものにも染まることなき白蓮華や、もえるような生命の赤蓮華や、知性あふれるけれど内に慈悲を秘めた青蓮華などを見たいと願います。


あの蓮がわたしに何をしてくれるかではなく


わたしが蓮に何かをしたいと思います。




久しぶりに

 普段通りに仕事(主に事務など、つまりは内勤)ばかりであれば春夏秋冬はまだわかりやすいものですが、太陽の傾きによる影の長短、照らす角度の変化など、前はここまで日が照っていたのにとか、影があそこまで伸びているとか、やはり外でいつもいる方に比べればその変化に気がつくことが遅れるのだろうなんて思います。

以前から(二年前くらいでしょうか何気なく)蓮を種から植えました。目前に偶然あったレンコンの種からはじまり、花蓮(はなはす)の種をネットにて安価で購入し鉢を増やし、現在は鉢が6個です。枯れたりして越冬できなかったものは残念ですが片付けました。

鉢に泥を入れ、ペットボトルなどの容器で発芽させて二三本葉と根が割と出たら鉢に植え替えました。あれから二年蓮を眺め続けています。蓮はお日様が照っている場所が大好きです。泥と水も大好きです。私はその泥と水面から高く元気に育つ蓮の立ち葉が水滴が触れても触れていないかのようにクルリンと水滴が回って落ちるところが大好きです。

山と木々に囲まれた場所で二年も蓮を生育していれば、お日様の当たり加減が気になります。太陽の光は当然何か障害物があれば影となって照らしたい場所があったとしても影の場所は当然暗くなります。山の陰、木の影、岩の陰、物の影、移動できるものであれば、移動すればより蓮のためには長い日照時間の確保できますが、移動できないものであれば当然蓮の鉢を移動したほうが早いのですが、山に囲まれたところで影が多い場所に日照時間を長く確保するということが難しいことも蓮をみてようやくきがつきました。考えてみれば田畑は平地であれば邪魔するもの無く、一日中お日様を独占できます。季節による太陽の移動も蓮を見続けて、その時によって日の当たる時間も変わり、物の影も太陽の昇る場所の移動により変化しています。

内勤ばかりで机やパソコンの画面や人と建物の中や書物だけを見ていてもそれには全く気が付かないことでした。

夏季休暇から戻り、蓮を見れば蓮には今までに無い変化が、一つの鉢からこれまでは茎がでても葉になる茎ばかりしか見かけたことがなく、ただ何日か見ない間に、華を咲かせるための茎が生えてきていました。

あのまま何事もなければ小さいですが花が咲くのでしょう。


私の育て方が悪かったので、いまはまだ細く小さな蕾です。ただあの小さな蕾をみて心躍りました。


「どんな花が咲くのか、花は何色なのか、無事に咲いてくれるのか、種がなるのだろうか」


本当私は欲張りです。無いものを常に望み、あればそれ以上をのぞみ、他を見ては羨みときには嫉妬し怒りもします。


もう少し私は私を見つめ、嫉妬し怒り欲張りな私を大好きになりたいです。



そうすればあの蓮、もっと美しく見れるような気がします。

 一般の方が休日の時は仕事が忙しく、ゴールデンウィークと聞いても特にウキウキはしてこないのです。

一昨年から蓮(はす)の種を発芽させ、生育していました。鉢を二つからスタート一つは駄目にしてしまいましたが、もう一つは無事に越冬し昨年花はみれませんでしたが、大きな葉を幾つも茂らせていました。元々レンコン農家の方からいただいた蓮の種でしたから、花ハスの種を昨年は購入、鉢も全部で9つに増やしていました。二つはまた不手際で枯らしてしまい、職場の庭に7つ、鉢が冬の間並んでいました。

今年になって梅が咲いて散り、柳が芽吹き、桃が咲いて散り、桜が咲いて散り、山は青葉と桜も葉桜になり、筍が幾つも幾つも生えていた頃、ハスの鉢を見れば小さい蓮の葉が出てきていました。

温かく日当たりの良い場所から順に芽吹き、すべての鉢から小さく可愛らしい蓮の葉がまた出てきてくれており安堵しました。いつも優しく傍にいる方が蓮のために大きな鉢を用意してあげるとずっと前から親切でいってくれてたのですが、その方の仕事が忙しすぎることと体調を悪くされていたこともあり、また大きな鉢への植え替えは今度の機会になりそうです。

小さい葉、水に浮くさまは何とも言えないもの、小さくてもしっかりしっかり水を弾いています。お世話をしていたら

「今年は(蓮の)花が咲くといいね」

「そうですね」

ここのところ仕事が忙しいのを理由に蓮をちっとも世話していなかったから、咲かない原因はわたしにあります。ただ小さく細いけれど芽がたくさんでているから、欲張らずいくんですなんて言い訳をしておきます。

泥中より出でて泥に染まらず、怨みあって怨みにそまらず、いかりあっていかりにそまらず


誰かにやられて負けるのではなく、(頼まれてもいないのに)自分で作って作ったものを捨てきれないがためにやりきれず、やはり頼まれてもいないのに偏りとらわれすぎてつらくなることの中にあっても染まりすぎないように。

美しく(楽しく)いきたいです。




(「コラッ」と「メッ」と言われるのでは、大分違うなんて全く話に関係ないのに思います。ああ、ただの芽と「メッ」がかからないのに思いついたから書いていただけか)

いつ咲くの

 7鉢くらい並べていた蓮は、先日の台風でも幸いなことにあまり痛まずにすみました。

私が住む近くにもレンコン畑がいくつもあります。鳴門も土地の名産の一つにレンコンがありますから、レンコンを植えてある畑をたくさん見かけます。

「ただ見るだけ」

(私は特に)見ていても見ていないこともたくさんです。

近くにあるレンコン畑のレンコンは台風で倒れたり、折れたり、葉も破れたり、相当傷ついています。いつもお世話になる農家のおじさんに「台風がくると農作物は大変ですね」すると「大体ダメになるな、もうダメになるからキュウリも茄子も痛むから全部(台風より先にワシは)倒したよ」と言っておられました。

「おっちゃん、近くの(レンコン畑の)レンコン(可哀想に)傷だらけだったな。」

「レンコンだけじゃない。稲も傷んどる。」

「そっか、(台風には悪いけど)いらんなあ」

(私の変な思いは)ともかく、雨と風は本当に強い台風は被害が多かったです。

蓮が何故台風(強風)であんなに痛むのか、育ててみて気づいたこともあります。種から出てはじめは小さい浮き葉です。浮き葉は風の影響はほとんどないです。水面より高くなる立ち葉から長いその茎と葉は風にあおられていきます。
竹のようにしなって多少の風は受け流しています。竹と違うところは竹ほどに柔らかくもなくしなりもまけています。竹との最大の違いは蓮の茎は太くなればなるほど固くなっていき茎の突起(とげのようなもの)も同じく固くなっています。
自分自身を守るための固くごつごつした茎が揺られ、近い蓮同士で傷めあい、結果レンコン畑のように群生しているところに強風が長い時間続けば葉も茎も激しく傷んでいます。

自分が育てているから、他の蓮も気になります。育てていないときの私は見ているのに何にも気にかけてないということを気づかせてくれました。

まだしていないこと、わかろうとしていないこと、聞こうとしていないこと、その他さまざまなことも多い(私)です。

そんなことを考えていたら、蓮がどれも大きくなったのを見て

「葉がとっても大きいし、立派だけど、、花の咲く買って植えたんじゃないの、これいつ花が咲くの?」

私が種を植える前からの計画も知っており、種を植えるときも見ていましたし、私が「今年は花は無理か、来年かな咲くのは」なんてひとりごとも何度も聞かれていました。

その方いつも皆に優しくできることをされている方です。そういえば先ほどの言葉を聞いてその方のいつもの口ぐせを思い出しました。

「人間は無い物ねだり、欲張りよ」

初めなにもない所に蓮を植え、小さい芽が出たらその方は喜んでいました。夏が来て本当に立派な蓮になれば、その方は我がことのように喜んでくれました。

しばらく経ってもっと立派になれば、先を願っていました。

「花はいつ?」

優しいだけでなく冗談も一流です。笑いながら私は「来年きっと」そう答えます。

ただ今年もあきらめているわけではないです。まだ暑い時期が続くから遅咲きの蓮なら咲くのではなんて淡い期待を捨てていません。

ただ気温は高くても、やはり朝日が昇る時間、日が沈む時間、日の長さ、段々と斜めから太陽が照りだしています。秋も近づいています。(大変蒸し暑いですけど・・・)

目の前におとずれるたくさんの出来事に戸惑うことが多い日でした。

雨と風の音

 本当に雨が多い夏、私が徳島へきて13年くらいになりますがこんなに雨が続くことは今までありませんでした。ずっとこのあたりに住んでいる80位の方に、

「こんなに雨が長く続き、雨量の多い年は今までにありましたか」

「はっきり(全てを明確に)おぼえていないけれど、ほとんどないなー」

しかもまた台風が向っていることにより、降り続く雨はまだやまず、台風に伴い豪雨に注意と新聞などに載っています。
水害など住んでいる近辺はあまり問題ないのです。ただ大風(おおかぜ)と大雨(おおあめ)は何かしら弊害があります。風が強ければ何かを壊していくこともあります。農業であれば農作物、どれだけ心配しても天気は思うようにはなってくれないです。

小さい私は、趣味の蓮(はす)を心配しています。立派に育ったのに台風の前兆の風で右に左にかなり煽られています。それくらいの風に耐えないとだめだろうという心、なんとかどこかに避難させてその場だけでも守らねばと思う心、私の心とは関係なく、雨音は強くなり、風も音を立て始めています。

人からすればくだらないと思うことで悩みます。


午前中は曇りながらもまだ晴れていましたから、しげしげと蓮の状況を見ていればアブラムシが雨降り続いている間にも繁殖していました。虫は得意ではないのですが、びっしりついているところもあり、見てしまえばほっておけません。薬も使う気にもなれず、潰す気もなれません。

水を足すホースを引っ張り、茎や葉を傷めないように水量ですべて流しました。それと殺すことと何の違いがあるのかといえば、アブラムシ側からみれば何の違いもないように思います。難しいことは考えすぎると何もできないことばかりです。

もとに話を返して


あした起きて、天気と蓮と周囲を見て、それから私をよく見て、明日のことは明日考えることに。




考えが先行しすぎることは、私の悪いところでもあります。
(本当にくだらないことをしている時の私は全く何も考えていないのにねえ)

留守中

 この炎天下の中、スプリンクラー(自動水撒機)もなく、池や沼や泥地に植えておらず誰かが水を日々あげなければいけないところにおいている蓮がどうなったのか、ほんの少しだけ気になっていました。

「蓮は立派になっていました。」

以前より茎もかなり太く、葉も厚く、たくましく育っていました。欲を言い過ぎてはいけませんが花が咲いているかと思ってしげしげと見ても、らしきものはありませんでした。欲張りな私です。


一つ生育の悪かった鉢は枯れてしまっていました。それは私のせいです。大きく育つようになんて思いを捨てきれず、安易に肥料をたくさん与えすぎてしまい、肥が多すぎることにより根が焼け、それによって葉もやけてしまい、大きく成長することができず、結局暑い日差しを耐えうるだけの大きさと強さまで成長できなかった。

近くの農家の方が言ってくれていたことが本当に今になって身にしみます。

「○○くん。種から植えるんだったら肥はいらんよ」

植え替えた時に肥料を入れすぎた鉢一つをダメにさせてしまいました。申し訳のないことです。

相変わらずのプラス思考で行きます。失敗があるから次がいきてくる。次への一つの知恵(教訓)として痛いと思った分(人に)だけ残っていきます。

それでもまた忘れることが多い私です。

どれだけ痛かったことを・痛みを我が事として受け止めていたのか、それが次回の私の行動として試されているだけのことです。(私がまた阿呆で愚か者だったら忘れています・・・・)

変な話はともかく、留守中大変お世話になりました。おかげで蓮(達)はすくすくと元気です。

直接も伝えましたが、ここにあらためて気持ちをのせて、今日の何かとします。



「ありがとう」



(人は本当に素直な時と反省してなんとかしたいと思っているときは、綺麗で素直だなんて蓮の成長を見ていつも思わされます。)

待っているのは

 (大体)毎日「蓮(はす)」の様子を見に行っています。

昨年から植え替えた蓮は最近まで一番大きかったのですが、今年は少しお金をかけて、土壌や肥料と環境に気配りしたことにより、今年種から発芽させた蓮(はす)も負けじと大きなものになってきていました。

発芽させて土(泥)に植え替えたばかりの蓮はまだ小さい浮き葉ばかり、しばらくすれば小さい浮き葉は大きめの緑も濃い浮き葉へ変わりました。

蓮の特徴である水面より抜きん出る「立ち葉」は種から育てる場合はでないです(レンコンなどの根が大きいものを植えれば別です)。

浮き葉がたくさん出て、毎日酸素補給のために水をあげていました。しばらくすればまだ小さいですが浮き葉ではなく立ち葉がでてきました。

今あの蓮、浮き葉より全体的に「立ち葉」が目立ち、蓮らしくなっています。高いもので水面より60センチ、葉も大きいもので直径30センチになっています。

だんだんと気にして見る方は私に「(今年)花が咲くといいな」や「いつ頃花が咲くだろうか」楽しみに言われても育てはじめた私にはわからないので答えようもないのです。


ただ私も「花がいつ咲くだろうか」本当に楽しみなことの一つです。


暑い毎日、お日様も照り、人にはきついものですが、あの蓮達(はすたち)はその恩恵によって段々と大きくなっていくことを眺めれば現実嫌なことがあっても全てを忘れさせてくれて私に励ましの言葉を送ってくれます。(私はがんばっていますと、貴方はどうですか?)

すくすくとできることを怠らない蓮に励まされてばかりです。(私も頑張りますと心で答えます。)




花が咲くことを周りの人も楽しみにしているようですが

「花を一番待っているのは私です」

そう人にはあまり言わないですけど誰よりも待っています。



理由も簡単です。


「きっとあの蓮に花が咲けば、私にも花が咲くだろう」







何故かそう思ってしまうからです。





(仏教で尊重される、泥中(現実の苦しみ)から咲き誇り、その泥(現実・過去・未来の苦しみ)に一切染まることなく、ただ見る人の心を奪う程の美しさを放つ花、だから仏様それを実践(人間としての完成)されているからは蓮華の上に座っておられ、見る人の心をうばうほどの光をはなっておられるのです。仏教者や仏教を信じておられる方がこよなく蓮を愛されるのもしょうがないなんて思います。

そうだ

 最近ここ(ブログ)も、本人のこころの状態を見事に反映され、パッとしません。

理由をあとから付ければ幾つかおもいあたります。思いつかないことは書けません。

その一つに、気持ちが伝わることを望みすぎる自分にやられています。優しい方・できた方・興味ある方に話が通じれば通じるほど、知らずに私はそれを誰にでも望んでいます。

えも言われぬ一体感、うてば響く、その響きの音色(余韻)にやられているのでしょう。

人に、何かを尋ねたり求めたりしながら、(私的偏りのある)響きを追い求め、求めているのに求めておらず何かしているのに何もしていないそんな時に出会う響きにやられています。

気負いすぎてもだめ

求めすぎてもだめ

押し付けてもいけない

わかっているなどと一人で思い込みすぎてもいけない


何がいいのか


あの雰囲気がいい


何の根拠もなく期待しすぎる自らのこころにやられる。


あの育てている蓮(はす)たちは、黙って新しい葉をつけている。



そうだ


困れば蓮に聞こう。

たずねれば何も答えない蓮の芽や若葉や成長に教えられてばかり。

梅雨

  四国遍路に行っていた日も日中の気温は30度を超えていました。ただ何故でしょう。お参りしているときには暑いと感じませんでした。夏の暑さと梅雨前の暑さは同じ気温でもやはり違うものだと感じます。
新聞には四国(徳島)も梅雨入りしたと書いてありました。雨模様になり、雨がそんなに降らなくても曇るだけでも気温は低くなります。
あれだけ蒸し暑かったのに、いきなり家屋内にじっとしていれば肌寒く感じます。

昨年より種から育てていた蓮、無事に越冬してゴールデンウィーク頃に芽がでて、気温の上昇と太陽の光の強さの加減かどんどん新しい葉がでて、容器いっぱいに葉が並んでいます。

私の育て方が悪かったため、まだ立ち葉が出ず、浮き葉ばかり、それでも小さい子の顔くらい大きい葉も出てきています。
あの偶然手に入れた蓮の種、どうも見たところ大きいし食用レンコンの種だと思います。ということは(育て方と育てるスペースがきちんとあれば)かなり大きくなるはずです。

それにしては私が用意している容器は小さすぎです・・・。自然に植えれる場所が欲しいですがそんな土地はあいにくと持ち合わせていません。

ここは開き直って気長にいくことにします。

せっかちな私はできれば蓮の花が見たいという思いを捨てきれません。

大型になるからスペースをとるし容器も土も置くところも問題が、なら中型か小型の蓮それも食用でなくて「花ハスなら問題ないでしょう」思い立ったら行動と
花ハスの種をまずは手に入れないと、交友関係がきわめて狭い私に花ハスの種を持っている人など知らず
(おたずねしても誰も持っていないと・・)ここはネットです。
花ハスの種購入、調べてみてびっくり花蓮の種類は多いです。産地もいろいろ、大きさもいろいろ、花の形もいろいろ、
花の色もいろいろ、人生もいろいろです。
特にこだわりもなく予算も少ない私は、取り混ぜのお買い得な種(10粒で500円)これを失敗の多い私ですから
2セット(つまりは20粒)申し込み購入しました。友人が出かける用事があるというのでお金と振込先を渡して
お願いをしたら、何故か種代を払ってくれました。
「いいのに、でもまた(今度はもっと高いものを是非)お願いします。」そう丁寧にお礼を述べ次の約束もとりつけたと思います。
(ここでのツッコミや異論は係りの人が不在のため現在受け付けていないようです)

蓮の種は水温が低すぎると発芽しないようです。梅雨入りして少し肌寒い日が続くので、新しい種がいつ芽が出るのか不安でもあり
楽しみでもあります。

まだ見ぬ花にあこがれ、早く見たいと願うわたし


「失敗は成功のもと」


もし、失敗しても次はきっとうまくいくのです。


蓮はあの泥から綺麗な花を咲かせ、私に一つの真実を示してくれるはずです。

種(続)

 昨年の夏頃にふとおもいたって種から育てはじめた蓮(はす)、無事に越冬し、四月が終わり五月始めの頃には蓮の根つまりは土中のレンコン(蓮根)から小さい芽(新芽)がでてきていました。
今年は蓮を育てる人になると(昨年)決めていました。周囲の人に「おれは蓮男(はすおとこ)になる」と豪語していたものです。昨年の蓮についてとべます。

蓮の生育がどのようなものか、種からの育て方や植え替え、越冬のさせ方など調べていました。あまり何もしていませんが無事に昨年の蓮が越冬できたのは嬉しかったことの一つです。

ただ昨年の構想では「大量に蓮を植え、花をたくさん咲かせてみせる」なんて思っていたのに、昨年暮れから五月まで思った以上に忙しく(ただの怠けぐせがでただけなのですが・・・)取り掛かるのが遅れています。

越冬したものを少し広いところへ植え替えし、一週間以上前から新しい育てる種を芽がでやすいように削り、小さい容器に入れ発芽させ、もう少し葉がたくさん出て根もはってくれば植え替えの予定です。

昨年、縁あってわたしのところへ転がり込んできた(蓮の)種、蓮が咲き終わり種が入っている場所は、花が枯れてから種を育くみ「蜂の巣」のような形の所へ入っています。
蓮(はす)の名前の由来の一つに「はちのす」から「はちす」、そして「はす」となったなんてどこかの書物にありましたが、種が入っているところは枯れれば本当に蜂の巣そっくりです。

その「はちのす」をオブジェとして飾ってあったところに、後期心旺盛な私の出現

「これって種か」

オブジェからピンセットで取り出し、その時はなんとも思っておらず、漠然と「いつかこの種をどこかでのためにとっておくか」くらいで収集していました。書いていたらはっきりと思い出しました。

何やらHPのリンク(仕事先のHPに)をお願いされた方のページに丁寧な蓮の育成方法が掲載してありましたので、目前に「蓮の種」と「蓮の育て方のHP」が揃い、時期的に最も暑い(生育しやすい)時期でしたから試しにやってみたら案外と楽しかったのです。

どこかの高名な先生が確か、「おめでとう」の語源は「芽出る」(めいずる)、からめでたいやおめでとうへ変わり使われていると書いてあり、植物が芽が出て繁茂するさまは、誰もが喜ぶことであるから、蓮の芽いずるさまを見て(再度)妙に納得しました。

遅くはなりましたが、予定では花ハスの種もなんとか入手して、今年こそ花を咲かせたいです。あまり意図を皆(蓮を置いている場所の人たち)に話さないから、(私が考え)何をしているのだろうかわからないことだと思います。


ただ、泥中から出てその泥に染まることのない立派な立ち葉と咲き誇る蓮の花を見たいのです。

(まあただの自己満足なんですがね・・・)


それがいつかは(今は)わからないのですが、とても楽しみなのです。

種(たね)

 気分転換に蓮(はす)を種から育てています。(睡蓮ではなく蓮です。)
睡蓮と蓮の大きな違い、睡蓮は水面に沿って葉が茂っています。蓮は水面より抜きん出て高く葉を茂らせています。
 以前、枇杷(びわ)を種から育てていました。ひょんなことから蓮の種が目の間に転がっていましたので、いずれはどこかで植えてみるかなんて考えながら保管していました。

私の実家は農業を営んでいましたがレンコンは作っているのを見たことはありません。どうやって種から蓮作るのか調べてみました(最近はネット検索便利です)。蓮の種の端をペンチやカッターで少し削ります。削る場所もきちんと向きが載っています。その通りに削り、水の中に入れて2から3日くらいで芽が出ました。

種から小さいけれど芽が出ていると嬉しいものです。やがて小さい葉がいくつか成長し、根も少しずつ長くたくさん伸びていきました。

最初は小さいガラスコップで1週間ほど、すぐに入りきれない大きさになります。つぎには500のペットボトル透明なものを加工してインテリアのように飾っていました。それでも葉が大きくなり狭くなりました。次には1.5リットルのペットボトルを加工して飾りました。その頃には葉と根は割としっかりしてきました。

いよいよ次のステップか、水の中へ土を入れて本当に蓮が自生しているようにしないと蓮もきっと困るよね、なんて思案していました。土は田の土がいいと書いてあります。残念ながらレンコン畑も水田も現在住んでいるところは私の地元ではないし持っていないため、毎日会う農業をしているとてもお世話になる方に桶と土を恵んでもらいました。(お手数をおかけ致しました本当に助かりました有難うございます。ブログなんて見る方ではないけれど御礼を改めてさせてください。)

おかげさまで広い場所(桶の中)へ移植完了です。のびのびと育つようになんて小さい蓮の葉を見ながら思います。たいしてお世話をしていなくても蓮はどんどんど大きくなっています。小さい蓮の葉でも水をはじきます。

(蓮の)葉の上を転がる水玉で遊んだことのある人は多いはずです。(自慢じゃないけれど子供の頃は葉上の転がる水玉で私はよく遊んでいました。別にそれで何かいいことがあったかとかはないんですけれど)

小さい蓮の葉が水をはじく理由を私なりに考えてみました。水面より高く出る蓮の葉は最初からでません。睡蓮と同じように最初は水面に葉が浮いています。茎の強度や大きさの問題です。はじめからそれなりの強度と大きさの茎が種から育てる場合にはでません。種レンコンならはじめから大きいはずです(「はず」といったのは種レンコンで育てたことがないからです)。

つまり水面ギリギリに浮かぶ蓮の葉にはどうしても水に沈みそうになったり、水がかかったり、雨が降ったりなどのことが頻繁に起こります。水をはじく葉の性質が水面ギリギリにある時にはとても役にたって見えます。水をかけてもはじいて葉の上に水を載せることがなく、葉を綺麗な状態で水面に浮かせています。泥水などをはじき、水面ギリギリでも葉を綺麗に浮かせるために蓮の葉は進化して水を弾くようになったんだ。なんて適当な仮説を思いついて嬉しくなりました。(それが当たっているか間違っているか調べるとわかりそうですが、私としてはあえて調べる予定はないのです。間違っているなんて言われると腹が立つかもしれないなんてことではないですよ絶対に、結果知るまで楽しかったなんてことは世の中でたくさんあることなのですと言い訳をしておきます。)

蓮の入った桶を背の高い杉の近くへおいています。これは私も迂闊でした。今の時期夕立がよくあります。雨粒が普通に落ちても蓮はなんてことはないのです。ただ雨粒が木の枝や葉にたまり大粒となって高いところから桶へ落ちていました。高いところから大粒の水が葉に当たり小さい葉が傷ついていました。

高い木の下はおいてはいけないんだな・・・、ごめんよ蓮たち

それでも今のところ蓮は元気です。今年の秋まで頑張って育って冬には枯れるでしょう。
花やレンコンが見れるのは来年の成長しだいだそうです。種から育成は一年では完全に成長せず楽しみは来年です。


最近の私は蓮が大好きです。

泥中から育ち、その泥に染まることなく泥から立ち居出て葉を覆い茂らせ、えもいわれぬ美しさの華を咲かせ、見る人の心を奪う。

インドから伝わった経典をいくつも漢文へ流麗な文章で翻訳し後世に伝えた鳩摩羅什(クマーラジーヴァ)も蓮をこよなく愛したと言われています。(私とその方を比べれない程または宇宙と小さい私といったような差があります。)

何はともあれ、苦しみ(意の如くならざる)の世界に存在する私達、その苦しみ(泥)の中にあってその苦しみに(泥)に一切染まらず、その泥を一切見えないように葉を茂らせ、大きな見る人の心を奪う清浄な華を咲かせ、やがて種を残し散っていく。

時折思うのです。私は嫁と子供に何を見せているのか、泥中より咲き誇る蓮の華のように咲けるだろうか。

清浄な白蓮華でもなく、燃えるような生命力の赤蓮華にもなっていない。




ちょっと変な色になるかもしれないけれど私なりの蓮の華を咲かせたいのです。