今後

 つい、うっかりということは誰にでもあります。私もよくあるので、ついうっかりの人を責めてばかりというわけにはいきません。私が皆に責められてばかりになるからというだけです。

家内も、忙しすぎてしばらく前にうっかり運転免許の更新を忘れたことがあって、受付の方に以前も書きましたが丸印のなかに「う」という、ハンを理由に押されたと教えてくれました。そんなハンが即座に押されるということは、世の中で結構うっかりすることがあるからだと納得しました。

今後はうっかりということが誰にでもあるのだから、誰かに何かミスがでてきたときには人前ではなく誰もいないところで、「いつもしっかりできていますが、今回はうっかりされたのではないですか」又はもっと丁寧な言葉で言わなければいけない時があれば対応していこうと思います。

感情にとらわれることなく、優しさと配慮を相手の為ではなく自分のためにこそ忘れないようにしたいと思う日です。
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 次の日が休日ということと、上機嫌であったことで、嫌な時とは違うのですが、つまりは昨晩の遅くまで飲み過ぎました。そのツケはどれほどであったかというと、起きればすでに昼の一時を楽に過ぎて、そこからあせって洗濯や洗い物、買い出しや食事の用意をはじめ、まあゆっくりゆっくりしたのでよしですが、少し用事を片付けるのが当然遅れ、梅雨ですから雨が昨晩から続いて、外に洗濯物が干せないのも困りました。

毎日子供達も家内も、それぞれの場所(学校や職場)で疲れて帰ってきます。それが毎日ですから慣れなければいけないことですが、美味しいものをたくさん出して、食べてもらって、家の中のことをサポートするくらいしか思いつかないので、仕事以外の日は家の中のことを家内に代わってできるだけ行うことにしています。

一番下の三男の小学校ではプールが始まっていますから、水着の用意も忘れず、気温が低すぎず雨が降らないことを願います。子供はプールが大好きです。
これから帰ってきた家内と一緒に晩御飯を食べ、明日に向けて早めに就寝して一日を終えることにします。

相手

 阿呆なことばかり言える日でした。

思うままに思いつくがままに、阿呆なことを一人で言うにも限界があって、相手がいないと私は阿呆なことをいうことにも限界が私にもあります。
聞いてくれる人がいて、それを理解してくれる人がいるからこそ、私は自らの愚かさと思うようにいかないという不如意というなの苦しみから逃げるかのように、何かあれば笑えないのに笑って、泣きたいのに笑って、怒りたいのに笑って、取り巻く現実が何一つ変えることができない愚か者の私だから、せめて自分の思い位は全てを笑いにかえようとして、阿呆なことを考えて言って笑うのです。

 それは全てを笑うしかないです。

大いなる大いなる素晴らしきかなこの全ての生命、笑うではなく大笑の面をもつ仏を憧れ、私もまた何一つ真似できていないのに、笑うしかないです。

笑いは伝染するもので、意外ととんでもないことがあっても、誰かが笑えればそれで笑うことができるから、割と私の愚かさや阿呆さかげんは捨てたもんじゃないなんて思う酔っぱらいの夜です。

核心に届かない

 私事の問題だけ、無事に決着がついたとしても何も取り巻く環境や中枢は変わらなければ、目先の安泰と呼ぶのか、自分だけ良ければそれで後は触ることも余計なこともできないことになり、「応急手当が済んだだけですから、早めに専門で診てもらって下さい」なんて状態です。その事によって私の問題が片付いてしまえば私は何も言えず感謝しなければいけないので、以前より何もできなくなると早くから答えは出ています。

 今日はお休みをいただいていたので、相変わらず家族の洗濯物を洗って全て干して、掃除をある程度行い、買い出しへ行ってお昼を作りいただき、学校や仕事から帰ってくる家族のために、割と手間暇かけていただいた新じゃがでポテサラを作り、鶏がらから煮込んでだしを取り、シェフの気まぐれロールキャベツ風ロールキャベツを出しました。割と好評でしたが、本物のロールキャベツのレシピや材料なんて知らないので、ロールキャベツ風なるものがそれなりに出来上がって、何せスープと野菜が美味しければそれだけでごまかせます。

いずれにしても、私から何か事を起こすなんてことはありません。背に腹は代えられない時だけ動かなければいけませんが、私の事だけうまくいっても、根本的解決には遠いです。

予定

 あれこれとまだ決まっていないことで悩み頭を抱えこんでしまうのではなく、その時その時に判断していこうと思います。そうでないとまだ起きていないことに対して私はどう振る舞っていいのかわからず、途方にくれるどころではないからです。
1人ではどうにもならないのであれば、識者を何人かお呼びして見識を仰ごうと思います。いろんなことがありすぎて、未解決どころではなく普通とは呼びがたい状態なのも確かです。その中で大変だろうけれど普通にしなければいけないことも事実です。

食客がほとんど(普段交遊関係の少)ないので、少し動かないと藁すら最近あまり見ない時代になってきましたから、今後は困った時に話や頼りにできないのも・・・
ここに昨晩の懺悔を現実生活での辛さやあったことを言う素直な長男であるのに、自分のことをやっぱり棚に上げて怒って注意する私がいました。
怒るのではなく、ありのままに、よく聞いて、よく認めて、良い所は良いと言ってあげて、認めて信じ任せるようでないとだめです。誰かと何かのせいにして逃げる発言や行動が連続して出現すれば、いらぬお世話と大きなお節介で父という立場を悪用して激しく注意しがちなことを彼に伝えておくことにします。

 いくら親子だからといっても、人間が違うのだから彼に私の悪い影を重ねすぎて注意しすぎる私は問題です。今後は冷静におしつけでもなく、偏りなくいこうと思います。

であるがゆえに・・・

 無知であるがゆえに
 愚かであるがゆえに
 恐れを知らずが故に

気が付けば身の程をわきまえず、後に跳ね返るものを考えることせず、発言して悔いてばかりなのに、優しくない自分が言われたくない激しく痛い言葉を大きな声で放っていました。

 一体私が何様なのか、ただ理想をおしつけてるだけとも、誰にも言いようがない懺悔や現状上手くいかないはけぐちともとられても仕方のないことです。

愚かであるがゆえに、私は自らの子供に対して、愚かすぎる私の過去をみて激しい言葉で叱ることがあります。

本当は褒められたいだけで、認めてほしくて、けれど努力も継続もしない私をどう褒めればいいのかと自らの過去をみて思い、長男に思いのたけを言う日でした。

私は誰かと何かのせいにして、努力ややるべきことを逃げ続けてばかりで、そんな過去の私のようなものをあの子に重ねてそれがでると感情の起伏が激しくなります。あの子には申し訳ないことですが私のようになってほしくないという激しい偏りのおしつけであり、重ねて申し訳のないことです。

ここは、家内や子供達に私が突然なくなっても年老いてなくなったとしてもいつかここを全て見て欲しいと以前から伝えています。きっと彼等にその意味が伝わるときは私が生きていないときだと思います。私はいつまで生きるか、現在健康ですからいつ寿命が来るのか、私にも家族にも誰にもわからないことです。

けれどいつその時が来てもいいように、ここを始めたことは確かです。その理由も考えればわからないことなのに愚かなことだと考えます。

私の内面は私でもわからないことばかりで、それは他の人を全て理解することもできないことを意味しており、私はそんなあたりまえのことをわかったふりでわかっておらず、わかったふうなことを言い続け偉そうに振舞う愚か者です。

一つ希望はあります。

私が愚かであればある程、その反対を実践すれば善いことへつながります。もし仮に善いことがあればそれはそれで自分なりに変換して実践すればいいだけのことです。そう考えれば誰もが生きる意味があり、全ての行動には意味があります。

一体、誰かにとって何の行為が役に立つかなんて誰にもわからないことです。 

それぞれの

 次男の中学総体が今日始まり、偶然休みの上に会場も近くということで、久しぶりにプレーを見てきました。
正直な感想しか言えないです。「以前より少し上達したのかな」という進歩で、ただ個人戦は明日まで勝ち上がっていますから、明日一回勝てればもう一つ上の県総体へいけるようです。明日の結果が楽しみです。団体戦は残念ながら負けました。

長男は高校が始まってから、以前より勉学へ力を入れていますし、スポーツも続けないと言っていたのにしっかりと続けて両立させようとしています。思いのほかクラスの皆に比べて成績がおもわしくないようで、一人彼は悔し涙を流しているのを見ました。彼は幼いころから理想を求めることができて、それに向けて自分をと願う傾向があります。現実は彼にも私にも理想のままというわけにはいかず、涙を流すことがあるのも仕方ないことです。まだ高校始まったばかりなのだから悲観せず、自らの願う進学先へ向けて準備してほしいです。

三男は小学校入って二年、今日は私がお休みでしたからお友達を読んで楽しく、無邪気に一緒にゲームをして楽しむ姿を眺めていました。時に助け合ったり、対立してみたり、怒ってみたり、すぐ仲直りしてみたり、いろいろあってもすぐに仲良くなれるさまは見習わなければいけないと感心させられます。

三者三様、休みということもありそれなりに家事を終わらせ、ゴロゴロしていたのがばれないように夕方から夜先ほどまで頑張りました。彼らにとって家内にとってこれから自らをよく知り、気づくだけの準備や努力をしてほしいと願う愚かで怠け者の私です。

今日も一杯やってよく休むとします。

合間

 平日に多く休日をいただいている関係上、明日もおやすみをいただいて、明日仕事がないとなれば気分がよくなり、子供を迎えに行って洗い物などを済ませ、お風呂の洗剤を切らしていたので買い出しへ、戻れば帰ってきた家内と一緒に別の料理を作り、それぞれが品を出し、美味しくいただきました。
明日も休日ですから、最低限の家事をこなさいといけませn。次男の大会も偶然明日行われるので、空いた時間に観戦する予定です。無事に勝ち次のステップへ進んでほしいものです。

嘘のような、ゆるやかに時間が流れて、時が止まればとは思いません。あの子達が大人になって欲しいですし、私はその時老人へまっしぐらですけれど、それは喜びと受け止めるしかありません。

時間があれば、良いことをしないと何もしないか、悪いことにつながる時間になるのなら、空いた時間はなければと思ってしまうこともあります。誰もに平等に与えられることですが、もう少し有効活用をしていきたいです。

そんなことを考えながら、現実逃避が進んで仕方ない今日の私です。

申し訳なく

 昨晩から翌日が休日であるとテンションが上がってはしゃぐ傾向があります。他の家族は学校や仕事なので自分だけはしゃいでいたら、冷たい目でみられやがては徐々に冷遇されるので、はしゃぎながら家族のためにできることを冗談をいいながらお酒を飲んで笑って楽しんでやることにしています。

今朝は珍しく休日なのにゴロゴロせずに、洗濯物をしかけ何度か洗って干して、洗い物を済ませ、新聞などを整理して、家の中を片付け、お昼と晩御飯の買い出しへでかけました。
自分が欲しい食材だけなんてことをすると、やはり次第にというか一気に冷遇されますので、家族のことを考えてコスパ高く買い物を済ませ(こっそりコスパの高いウイスキーを買って)帰って、お昼を作って、それから家の中を掃除機を全部かけ、お昼を作ってしばらくしてから、「けいくん」のお友達が来るまで少しお昼寝をすることに、あの子達が帰ってくるまでに気づかれないように起きて、晩御飯の支度をはじめました。
今日は今年初めていただいた茄子を使って、マーボーナスと野菜たっぷりをいれ鶏がらでしっかり出汁を取り、コンソメで最後に味を大企業の味で調え、サラダと一緒に疲れて帰ってきた子供達と家内へシェフ自らがとりわけ愛情と一緒に給仕しました。

美味しいものをたべて、野菜もたっぷりとれて、おしつけがましい愛情も沢山おしつけて、洗い物を済ませ、洗濯物を最後に干せば今日の私の休日は終了です。本当はもっとやらなければいけない用事もたまっていますが、いつもと変わらぬ休日になりました。

なかなか理想の私というのはあらわれないものです。

大きなつぼみ

 梅雨だけに昨日は雨で家内が洗濯物をどこに干すか悩んでいました。今日は良く晴れていましたがお互いが仕事で残念です。
明日はお休みをいただいていますので、現在の天気予報通りであれば晴れ、全ての洗濯物を一気に片づけてしまうことにします。
他にもしなければいけない用事が幾つかありますが、洗濯や掃除と食事の用意を優先して、いつもの如くまったりしていれば
一日はあっという間に過ぎて休日も終わりです。
もうそろそろ、蓮のつぼみが大きくなっているのでいつ開くか、ついで二つ目の花も大きくなっていますから続いて楽しめそうです。
三つ目に凄く小さい花芽がありましたがそれは今日みると小さく水面に近いためか枯れていましたが、アゲハチョウがくちなしの花の上を飛び、やがてはアゲハチョウは一匹から二匹みることができ、少し嬉しくなりました。

沙羅(夏椿)の花も日増しに花開き、すぐ落ちるもののそれ以上に花をつけてこれから見頃です。

 蓮に花芽がつき、それに気がつき、次第にふくらむさまをみて、何か一緒に善いことが花開くのではないかと思わされました。

花は私のようにそんな難しいことは考えていませんから関係ないです。けれど私はあの花にそれ以上のものをみて、時折望みすぎます。


あるがままにいきたいです。

今年

 この時期沙羅の木(ナツツバキ)が咲いているか、定期的に職場の前に咲くので様子をみています。
今年初めて気がつきましたが、その少し離れたところに、クチナシの花が咲いていることに気がつきました。もっとも気がついたというより近くの方が教えてくれたというのが正しいです。

気がついたので、実になるまでこれから気にしてみていこうと思います。

 今年は珍しく早くから毎年育てている蓮から花芽が三つ出ていて、心配していましたが私の心配とは関係なく一つは大きく育って、次の花芽も日に日に大きくなっています。

 これから咲くまで、咲いてからも、散った後も蓮は私を楽しませ、希望を与え、美しさを私に教えてくれます。

私にみる目、聞く耳、もとめる心さえあれば、どれもが一つの何かを示し続けてくれています。

誰が誰に

 生きていれば善いことも普通のことも悪いこともいろいろ誰にでもあって、善いことだけ欲しいなんて私は願うのですが、私にとって都合よい世界でないことが一番私にとっての幸せなのかもしれないと思います。

もし、私の願うことどれもが思いついた瞬間にかなえば、そのうち私は善いことを願わなくなるような気がします。善い状態があたりまえであれば、愚かな私はそのうち不幸を願うようになりそうです。

不幸を願う私は愚か者とすらよべず、なんと呼びあらわしたらいいのか、「悪魔?」

このことは私が願うこと全てにあてはまり、自らにとって痛い事実は自らを省みさせるものであり、自らを善く成長させるものであり、けれど愚かな私は痛い自らの言動を無かったかのように振舞い、挙句は教えてくれている親切な方に更なる痛い言動を見せる始末です。

これも皮肉です。私の愚かさは私から離れることなく私の愚かさに私の人格があって、それで一緒に笑ったり、一緒に泣けたり、一緒に恨んだり怒ったり、本当にそこにこそ私という人格が如実に存在して、それがなくなりひたすら善しかなければ、その瞬間にわたしは個人名を失い神か仏か聖人君子になれます。

「安心してください」

そう私(の本体であり愚かさの人格)が笑って教えてくれるのです。


どうもそれは皆と笑える時と笑えないときとあって、けれど私はその愚かさをみて笑っていたいです。

忘れさられないか、薄れていくことへの恐れ

 「時が解決してくれる」


忘れさられていくこと、記憶が薄れていくことが善いことであるならば、その時は早く過ぎていけばと願うことがあります。けれど忘れ去られてはいけないこと、薄れてはいけないことであれば、時が過行くことが残酷で悲しみを通り越して何かに変わるように感じることもあります。

何かに没頭しすぎて感情の起伏が抑えきれず、激しい自らの感情にとらわれ流され、関係ない方へ鬱憤として向ける自分は醜く、それを忘れるかのように迷惑をかけない関係ないものに没頭し現実を忘れる日々です。
答えはそこにあるのに、現実は恐ろしいほどに時が緩やかに流れて、それはもう進んでいないのではないかとしか思えませんが、実際は誰にも平等に一日一日、刻一刻経過して生きているというより

「緩慢な死」


へ向かっているだけではないだろうか、そう誰かの言葉が頭から離れないことがあります。

充実した日々の逆の言葉ですが、愚かな私にはそんな言葉が似あいます。

たとえ

何をしあわせとするか

いや、何をよろこびとするか

何をもって自らがこころからよろこべるか

何をもって自らがわらいよろこびあえるか

このような問いに対する答えは無数有るように思います。

何故か今日一つの例え話が頭に浮かんできました。それは次のようなものです。

まだ子供、学校で言えば小学生の一クラスの一風景です。
そこには生まれつき乱暴で体格がよく、自分が思ったことが何でも正しく、
知恵よりもなんにでも力で押し切り強引に解決する1人の傲慢な男子がそのクラスを取り仕切っている光景でした。
その傲慢な男子は力でクラス全員の食事を奪い、食べきれない程のパンを独り占めして食べているのです。
気の弱い女子、力の劣る男子や女子は逆らうことも出来ずひもじい思いをしているのです。
一体この時

「人はパンのみにて生きるにあらず」



この言葉はどこで、誰に向けて一番響くか、誰がこの言葉を正しく受け取り自らの行動へうつしていくのだろうか
そんなことを考えていました。


それはただの頭の中の一つの空想の話です。

変わらぬ日々

 どうやら四国も梅雨に入ったようで昨日まで雨が続き、家族五人分の洗濯物の処理が溜まり、今日はたまたま私の休みでしかも晴れ、洗濯物を一掃し、洗い物をして家の中を片付けして、役場に用事に出かけ、晩御飯の買い出しを済ませ、「けいくん」のお友達が遊びに来てもいいように片付けもして、晩御飯を作り始めました。
つまりは、いつもとおなじ平日の休日であり、仕事お休みの日は主夫に徹しているという変わらないだけのことです。

長男坊は高校になって随分雰囲気が変わり、学校やクラス、授業の進む速度、雰囲気、自らの進路に向けての努力や部活との両立でかなりいっぱいいっぱいになって、時折処理ができなくて息詰まっています。
高校からは中学生時代と変わり、あの子のことを否定してもっといいようにというより、彼の言うことを肯定もっと肯定して彼の意思を尊重しようという方針に変えています。かといってハウスルールや彼が約束していた決まりごとはきっちり守ってもらいますが、他のことや進路、今やるべきことについては彼自身の思いを尊重しようと思います。
体のいい自己責任だからという放任主義であって、どうなってもどこへいっても自分でその善いか悪いか普通の報いを全て受け取ったらいいという私の逃げる方針となっています。
ただ彼の真剣なことや進路についてはどの方面であってもできるだけの協力やサポートはするつもりです。どれを選ぶかは彼に委ねるというつらい選択肢をずっと示し続けています。

「後悔してもいいから自分で好きな進路を決めるといい、決まったらそれに向けて一日も早く準備努力するといい、その方が自分にとって後悔が少ないから」

本当無責任だと思いますが、長男である彼にはまず実験的に自己責任でいってもらうことにしてみます。次男や三男は彼がどうであるかをみて、他の子たちの個性や素質をみて随時色々変えていこうと思います。

どうなるかなど誰にも分らないことですから、賭けることにします。
私は今も過去もこれからもあれこれ思い悩むでしょうが、その時信じたことにできるだけ力を注ぐしかできない愚か者です。