風船

 仕事が終わり帰宅すれば休日の家内と子供達はまったりとしていました。次男坊はどこかで風船をもらって、その風船をはしゃぎながらポンポン上に向かってふわりと浮かびゆっくり落ちるさまが楽しすぎて、どんどんそれはエスカレートして大きな掛け声でずっと私の後ろで風船遊びをしています。どれくらい風船が寄り添ったかというと

「お風呂入るよ」

「はーい、風船も一緒に入れていい」

「まあ、いいよ」

身体を洗って、一緒にお風呂に入って、

「おとうさん、ふうせんしずまないよ、どうして」

「そりゃ、空気が水より軽いから中身が鉄だけだったらほっといても沈むよ、沈まないものを沈めようとするのにはかなりの力がいるな」

しばらくお風呂にて風船で遊び、出てきてから30分経った今も後ろで掛け声をだして風船で遊んでいます。どうやら声がしないと思えば、彼は案外よく覚えているし、気に入ったものは近くにおいています。他のことに気を取られても風船をさわりながら他のことをしています。

雲を雲とだけ言いうのではなく、表現として「どこまでも広く高く青い空に流れる雲の建築」など

彼にとって「風に乗って浮かぶ船」とみえているのかもしれません。私からすれば彼は風船と共にはずんでいます。


こころか、からだか、風船か、彼と風船は二つのものですが無邪気で楽しそうに笑い弾む風船と彼は一つにみえます。
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 早朝より徳島を出発、無事に大阪の大会から先ほど帰ってきました。
監督もウォームアップから指導や引率をしていただいたのに結果は惜しくも一回戦で敗退、その後監督と一緒に末っ子や長男と家内と皆で、せっかくだからお土産話に「アベノハルカス」や道頓堀のグリコの看板やかに道楽のカニを見て楽しんで帰ってきました。

中学になって「今のスポーツを続けるのか」そう監督に尋ねられ、上手く話す子ではないですが「続けます」そのように監督へ伝えていました。

「今度あの全国大会に繰り上げとかではなく、実力で出場して、勝ちたいね」

今日の試合は相手ではなく彼自らのミスばかりで負けた試合でした。明日から彼は自らの弱点を補い強くなるために取り組むことでしょう。ただ先日の学力テスト結果が悪すぎでしたから、真剣に勉強はもっと力を入れないとだめです。

少しずつ一緒に頑張っていくことにしたいです。ちょっと早くから車の往復に疲れたので早めに休むことにします。

本当面倒くさい誰か

 意地が悪い私はよく問いを誰かへ向けます。

それはいたってシンプルで私が返答に困ることを誰かに流れに乗って自然に向けてみるのです。自然な流れならば違和感も少なく、それでいて答えを出さなければいけない状況にして、楽しみに答えを待ちます。

私が想像もつかないほどの速さ、つまりは即答があらわれたり、長くない間があってから深い考えさせられる答えであったり、ぱっと皆が楽しく笑える想像もつかないものであったり、その方の楽しい個性が花開くものであったり、答えがあるのだけれどもあえて何も言わない答えであったり、本当に何も思いつかなくてワカリマセンという答えであったり、話を変えられたり、それは時により人により問いにより数えられないほど出てくるのでしょう。

まあちょっと面倒くさい私が言うのもなんですけれど、問いにナチュラルに同じ問いを返される方もいます。そのナチュラルさが混じりけがなければ真摯にお答えします。逃げていたり私を試そうとしていたり意地悪であったりするおよそ善いものではないものが混じれば、「私が分からないからおたずねしております」そう精一杯の謙虚さを装い、もう一度おたずねしてみます。

どんな答えであってもその人なりであれば私は嬉しいです。

周りの方が「あれ(あの答えは)ちょっとオカシイ」なんて言われても、その人なりであれば私は問題ないです。

その方と私の答えの違いに驚き戸惑い理解できず、素晴らしさをみるのです。


やっぱり意地が悪く、本当に面倒くさい誰か(私)です。

(その出された答えを割とよく覚えていて、出された方ではなく私にとって都合の良いときに引っ張り出して目前にだして、ニッコリしようとしたりするから困ったものです。)

 意味不明なことが続いて、しばらく関わりのある方達と話をしていると、わからないことばかりであったことが、点が一つ一つ出てきて、その点が線にみえるかの様に、誰かの何かの輪郭を出現させてきました。

理解できないことを無理に理解する必要はないと思うことがあります。

誰かを理解したいと願って、理解できないということもあります。

さまざまなことがわからず、彷徨い、あてもなく、もがき、さらにわからなくなって、ただ以前より少しでも前に進もうとのぞんでいるのであれば、以前のわからないと現在のわからないは時間が過ごした分の違いではなく、進んだわからないになることがあります。

本当に私にとってくだらないことを理解すれば、何故か私が進みたいと願う道が以前より点が増え輪郭が少しみえるような気がすることがあります。

それは気のせいでもいいです。ただ笑って泣いて悔やんで恨んで、私は私のことを大いに笑うしかないです。



梅花

 今週末、次男の大会のため少し用意が必要で、大きめの大会ですからちょっとどんなものか楽しみです。
大阪まで行かなければいけませんから、当人と私以外は物見遊山気分がどんどん高まって盛り上がっているようです。私はあの子を無事車で送迎と試合に小学校最後の大会でもありますから、結果はどうあれ全部やりきって欲しいと願っています。

次男は家族の中では一番無口で、運動神経も私や家内に似ずに、何故かよく動く身体に恵まれる反面、知的なことへの関心は薄いです。(もっともそれは私の育て方が悪かっただけとも・・)
いずれにせよ、中学では何の部活に入るのか、スポーツや体を動かすことを嫌う長男には運動部への部活を強制して割と恨み節を聞かされました。

放っておいてもスポーツは何かするような子ですから、次男には強制はしない予定です。

最近あった彼の試験結果は運動神経と反比例するような結果でかなり頭をいためました。私はそんなに成績はトップとか優秀とかではありませんが、まあ普通くらいには勉強はできて欲しいと彼には願います。欲張りと言えば欲張りですが文武両道という言葉もありますしね。

ここはいろんな事を日々書き連ね、時に近くの方へ向けて、時に私に向けて、時には家内へ、時に優しい方達へ、時に子供達へ、いつかここを見て何かを思ってほしいと願います。

次男坊の春からの中学生という新しい門出に何か役立つことをしてあげたいです。偏りが多い私だから余計なものを押し付けすぎて嫌がられるだろうけれど、私のところに生まれたことを恨むしかないです。

厳冬の中に咲く梅の花のような温かさや美しさ、そんな自然な愛情を彼になんて欲張りなことを願う夜です。

 いつものように平日の休日、子供たちや家内と休日が合わないのは仕事の関係上仕方ないことです。家内も子供達もそれで私を責めたことが記憶に一度もないのは、家内と子供達の理解のおかげだと思います。

ただ今週末には次男のスポーツで県外へ行かねばいけないので無理を言ってお休みをいただきました。久しぶりの遠出ですから面倒でもありますが、それ以上に行ったことのない場所で全国大会でもありますから少し楽しみです。あの子の腕前だと「参加することに意義がある」といったところです。ですから皆で遠くにお出かけということを家族は楽しみにしているようです。何事も口実がなければ動けないことは多いです。嬉しい口実なら何度でもあればと誰もが思うことです。

珍しく朝から用事をこなし、ごろ寝することもなく家事と末っ子の送り迎えと用事と簡単に掃除をして、晩御飯を支度して家内の職場まで迎えに行ってきました。

休日が合わなければ、子供たちにとって全員一緒にいれる時間ではなく、今日は「お母さんといっしょ」「今日はお父さんと一緒」そんな時間が休みが違うだけ占めていきますから、それをよしとしましょう。

明日からもまたいろいろありそうです。いつも同じことしか書かないのですが目前のことを一つ一つしっかりとこなしていくことにします。

いつもの如く酔っぱらって、思うのです。
家内と子供たちに今よりもっと時間の有効な使い方をしなければなんて思う前にやればいいのに思う日です。

贈り物

 関係ある人達の情報伝達速度に驚いた日でした。

「まだ伝えて日もそんなに経っておらず、その上あの方には話していないのにもう伝わっているんですね」

共有速度にある種の尊敬を抱き、こちらも善いことは早めに共有しようと近くの方と話しました。


明日が2月14日ということもあって、チョコレートをもらったり贈る方をよく見かけたり、私は家内にいただき「けいくん」と家内と私ですでにもう昨日食べました。過ぎてからでは渡しにくい方に日曜に渡しに行くのを子供達はみて自分のを早くもらいたかったようです。まあ家内も最近忙しいので忘れる前に渡したかったのでしょう。

「(年齢を問わず一人の人間として)目前の方(すべての方)を軽んずることなかれ」

私に対しての戒めです。調子に乗りすぎたり軽んじれば、同じかそれ以上のものが私へのしかかってくることになります。かきたくない恥ですらかいてしまい、揚げ足をとられるでしょう。人間自体が軽いものであると扱われることにもなります。

私は意外とどうでもいいことを覚えるのが得意です。浅墓なところがあります。ギャフンとやられたらいつか同じだけは正当な形でその方へ忘れた頃に受け取ってもらうことも忘れていいのによくおぼえています。本当にそれは意地が悪く愚かなことです。贈り物を誰もが受け取らなかったら、持ってきた人が持って帰ってくれたらいいです。

(私は善いものは喜んで受け取ります。)

 久しぶりに皆が揃って何気ないことで笑いました。阿呆になって笑えることはしあわせでもあり楽しくもあり、私にとっては大切なことの一つです。
仕事が終わって帰宅すれば、「けいくん」が走って寄ってきて、今日の出来事でその瞬間の最大の関心ごとを教えてくれます。こころに突き動かされ、言葉がおいつかないほど、とにかく伝えたいようです。

以前次男坊へたずねた言葉を思い出します。

「人は理解されるために生きているのか、生きるために理解されたいのかどちらだろうか」

次男は即答で

「お父さんそんなの決まってるじゃない、理解されるために生きているんだよ」

「けいくん(末っ子三男)」は一生懸命たどたどしいですが、自らの思いを私に楽しそうに教えてくれます。それを見ると次男が即答したことは間違いではないなと思います。

私も自らが問われて即答できなくて悩みますが、自らの考えや思い体験など話したくてしょうがないと思っている代表の一人ですから、同じことです。

理解しあえること

理解しあえないこと

どちらにしても共存はできるのに、他者を害うようなことをすれば共存は難しいと思い、理解という言葉は無いのではないかとすら思います。

その辺り理解はさておき、一緒に笑いたいです。けれどこちらが笑えばあちらは不機嫌になり、あちらが笑えばこちらが不機嫌になるということは往々にしてあるものです。

できれば一緒に笑いたいです。

 朝から予期せぬことがあって、ただ私だけではなく、他に何人かおられたのでその原因を他の何人かの方が一部始終見ておられたことで安心しました。

時を長く過ごすことでお互いを知り理解しあえるということが当然のことのように思えば、そこが現実としての頂点でもあり深い谷です。

時を長く過ごすことでお互いを知り理解しあえないということが、どのようなものかそれが現実としての何なのか。


「あの夜空に浮かぶ月、あれが真理です」

そう言ってその月が誰から見ても真理を指さす方であるとしか思えないような人に憧れ願い、最近はそれが比喩であって月を指さす必要もなく「感動する自らのこころ、自らや他者をみてこころが震えるほどに美しく願ってやまないもの、あなたのそう信じてやまないあなたのこころ、それがあなたにとっての真理ですよ」そうその方のこころを眼前に差し出せればそれでいいです。

そのために私は私の愚を守り、私の愚かさの連続をもって、私の現実を仮に現実へ引っ張り出し、その対になる極や相対を超えていく絶対と絶対から相対、現実を直視せねばいけないのです。

月や高く広く果てしない突き抜けるような青い青い空に、遠山に、海に、誰かに何かをみるのです。


 朝から予報どおり雪がちらつき、地面には積もっていませんが、子供は喜び雪がちらつく中を寒いのを忘れ楽しんで幼稚園へ一緒にいきました。

忘れやすい私は何かにとらわれれば、決まっていることを忘れ「しまった」に続いて言い訳をします。今日はいつもより日中も冷え込み吐く息も白くみていれば、また違う何かにとらわれそうで、白い息をみずに集中しました。

いつも同じ話をつい言うことがあります。人が変われば同じ話だとしても特に問題とならずどなたにも初めてであれば、同じところに以前とは違う深さ・広さ・高さ・貫き方をそこにだせればと欲を出します。
その欲が無駄なものを省き邪魔にならず良い方向へ働けば、望んでいるものがかたちはないけれどそこにお互いがみることができて目を開き深きを感じてくれれば、こちらもその先へすすんでいきます。

「おかしいことをいっているでしょう」

そんな逃げ口上のような言葉で、言葉ではなくその方達の出す雰囲気を感じ取るやいなやお構いなしに先へ

吐く息は更に白く、冷え込むのに寒さや白さを忘れ、そこに一緒に何かをみるのです。


「本当おかしいことを私はいっています。」


私は笑います。泣くように笑うこともあります。つらくて笑います。笑うしかないです。

まだ

 突然体調が悪くなることなんて予測できないけれど誰にでもあることです。最近インフルエンザだけでなく時期的に風邪も流行していますから、何か重なって寝込むこともあります。

不測の事態は柔軟に対応、誰かが困っているときに死体に鞭を打つようなことをする人も確かにいますけれど、そんな方は少ないです。どちらかといえば優しくする方のほうが(私にとっては)目立ちます。

言葉が建前だけと聞こえるか、ただの口実としかとれないか、ただの揚げ足取りにしか思えないか、いずれにしてもその方のこれまでの長い年数積み重ねてきた過去の言葉・行動、現在の言動によって、その方の人格というか人柄が回数を重ねれば重ねるほど輪郭から実際はみえないのに見えるかのような形でみえてきます。

いくら上辺だけの言葉を取り繕っても、これまでにしてきたことがよっぽど悪過ぎることの連続であれば、ありのままを伝えれば言葉が必要なくなっていきます。


誰かに善いことを沢山言ってくれと頼まれたとしても、その方がとってつけたようなことだけで善いことをしていなければ私は言える口をもっていません。

善悪にとらわれすぎることは慎みたいです。けれどできれば悪いことを言い続けるのではなく、その成す方が意識していないけれど皆が見て善いことになっていることを見聞きする瞬間を共有したいと願います。

善と悪にとらわれすぎず、その二つをあきらかにみて区別するでもなく自然に、今の私にはまだ遠く感じる所です。

立春も過ぎ

 ここのところ我が家では卒業者が二人、ということは次のステップへということで二人春から新入学、おめでたいことですが懐事情は冬の厳しさと同じようになっています。
皆と一緒に使うものは節約できませんから、恥ずかしくないように新しいものを買ってあげないと、長崎の祖父祖母から新しいランドセルが「けいくん」へ送られて、受け取ったあの子はよっぽど嬉しかったのか、しっかり寝ているか見に行けば、堅いのにランドセルを抱っこして布団をかぶって寝ていて、次に見に行った時には黒いお洒落なランドセルを背負ったまま布団をかぶって寝ていて家内と二人でかなり笑ってしまいました。

彼には自転車を買う約束をしていて、中学になる次男にも通学用に買ってあげる約束をしています。

制服やこまごましたもの、入学説明会の度に予算が計上され、もう最初に帰ります。めんどくさいので必要なものは購入しなければいけませんから、どれくらい必要なのかなんて計算はしないのです。

部活を終え帰宅した長男とテレビを見ながら他愛もないことを話して、受け取り方の差や思いや若者と親父の私との言葉の違いを随分と感じるようになりました。本当は今日家族皆で盛り上がる予定でしたが、それぞれスポーツなどがあるので明日に延ばし、今日も一日無事に終わっていくのです。

一生懸命仕事をして、過大ではなく過少でもなく普通に認めてもらって、笑っていける日が多ければと欲張りなことを願います。

あの子達も自らの前にあることを一生懸命に行う時間を大切にしてもらいたいと押しつけがましいことを思いすぎる夜です。

 尋ねられて、それに答えた。

「どうですか最近は」

「あれ以来静かだけど、あれはいったい何だったのか」

そんな問いでした。自ら思うままのことを伝えました。

「また何か変わったこと、おかしなことが出てきたならすぐに教えてください。」

そう言って別れました。

余計なことまで話しすぎたかなと終わって遅い反省、これから周りの方達がどうなっていくのか、私のことを考えなければ楽しいことは多いです。

ずっと皆に優しい方と先ほど小一時間ほど話をしていました。相変わらず優しく、楽しい方です。けれど今はとてもご立腹です。ただ私が何かしたからでもないから、怒らせた方がその責任をとってくれたらいいだけのことです。

自らの言動は自らがとるしかないのだから、責任をもって今まで何十年もしてこなかった分その方達は今まで以上にしていけば皆が納得いくだろうし本人も心から納得いくでしょう。

くだらないことを言えば水に流した過去が水に流れず溢れ出てその辺りを汚していくことになるでしょう。


私は覚悟しています。

次の脅威

 現実逃避として夜中に一杯と夜更かし、これが過ぎると体調不良や風邪などにつながり、周囲に迷惑や注意をされたり、仕事のパフォーマンスにも少なからず影響したりしますから要注意、今日こそ早めの就寝。

そろそろ次男のスポーツ大会が迫ってきて、大阪までいってこなければいけません。今日も彼は練習にこれから迎えにいってこねばいけません。
仕事はお休みでしたので、しばらく寝込んでいた「けいくん(三男)」のお布団を外に干して、ためようとしなくてもすぐたまる家族の洗濯物を三回洗って(毛布とかシーツの大物を干していたから)後は干すところがないので断念して、明日の誰かに託すのです。

この辺り思ったより風が強くあたる場所で、洗濯物を干し暫くして様子を見れば、物干し台ごと倒れて風向きをまともに受けないように斜めに設置して干しなおし、幼稚園へお迎えにいけば、流行中のインフルエンザの影響か「けいくん」のクラスでも6人ほど欠席している様子、昨年末インフルエンザA型にかかった私とつい先日A型にかかった「けいくん」二人で歩きながら

「もう、一週間も部屋の中で一人でいるの嫌だよね」

「うん」

「ところで仲良いお友達、インフルエンザで休んでたよね」

「きょうはきてたよ」

「インフルエンザA型?」

「おともだちはインフルエンザBがただって」

「ええ!!」

そういえば専門家が先日テレビで、今爆発的にインフルエンザA型が流行していますがその感染が弱まっていくと、インフルエンザB型が増えていくでしょう、なんて言ってたけどこれは真剣に怖い話です。

一週間も寝込みたくない寂しいのが嫌いな二人歩きながら

「マスクを必ずつけて、手洗いはしっかりしよう」

「うん」

本当に何型でもインフルエンザはいりません。当然風邪もいらないです。



「マスクと手洗いうがいと睡眠と栄養は大切に(特に私)。」

 いつも独りよがりな私です。私はあまり痛い思いをしたくないです。精神的にも肉体的にも、ただ誰にも頼まれいないのに自らの愚かな言動によって痛い思いは望んでいないのにすることばかりです。
きっと誰もがそれは同じことだと、これもまた誰に言われたわけではないけれどそのように思います。

近くにいる方に私は自らに問わなければいけない大切なことを代わりに問うのです。それは私に向けたことではありますが、何故かその問いを向けた方は真摯に現状をふまえ自らの生きてきたことやこれからどう生きるかをふまえて、雰囲気や言葉で私に答えてくれます。

本当は相手が要らない問答なのに卑怯な私がいます。自らに問い自らがその身に示せばいいだけのことです。

人によって震えるほどに涙がでそうになるほどに美しい答えをだされます。それは言葉を絶するほどその真反対の答えを出される方もいます。

当然その広い間に存在するさまざまな答えが人によってあるのです。


本当に自分本位で身勝手な私が出現しています。それはとりもなおさず愚かな私がそこにいるというだけの答えです。



あなた(私)に何かを真摯に問うのです。


私(あなた)が真摯に答えるしかないだけです。